軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 あこがれときぼう

――いつかきっと。君を幸せにしてくれる人が現れるよ。

時折ふらりと現れる『魔法使い』は、そう言った。

「幸せとは、なんですか?」

その問いをしてから、どれだけ太陽が昇り、そして沈んだだろうか。

今日もまた、遠くにある山間へ太陽が沈んでいく。厚い雲に覆われてもなお、僅かな輝きで大地を照らしていた太陽が、遠ざかっていく。

その様子を眺めながら、静かに息を吐いた。

「さてね。そこに居るだけで楽しいと思えるとか、傍に居てほしい人が傍に居てくれるとか……幸せなんて、人それぞれだろうね」

茜色の世界で、銀色の髪を風に靡かせながら……どこかおどけたように肩をすくめて、『魔法使い』が言う。

そこに居るだけで楽しい。

傍に居てほしい人。

ああ、なるほど、と。

小さく頷いて、魔法使いから視線を逸らす。もうすぐ視界から消えてしまいそうな太陽を、眺める。

レンジは、エルメンヒルデに沢山の景色を見せたいと言っていた。

エルメンヒルデと、沢山の景色を見ていきたいと言っていた。

きっと、それが『幸せ』なのだろう。

なら、と。

「私を幸せにしてくれる人とは、誰ですか?」

「それは、僕には分からんよ。君が見付ける……気付かなければならない事だ」

「そうですか」

楽しかった記憶がある。

傍に居てほしいと願った人が居る。

けど。きっと……ヤマダレンジは、もう私をここから連れ出す事はないだろう。

彼の目的は、私をこの『座』へ導く事だった。

私が『楽しい』と記憶しているのは、彼との『旅』だった。

だから、私の『楽しい』が叶う事はない。もう、彼は私を旅へ連れて行く事はない。

だったら、一緒に居てほしいと思う人……それも、無理だろう。

もう随分と、レンジと会っていない。

彼は、ここを訪ねてこない。

……分かっている事だ。分かっていた事だ。

アーベンエルム大陸。

魔族と魔物の大地。私が管理する、私の世界。

ここは、人間にとって過酷過ぎる。この魔法使いのように一瞬で移動する転移魔術でも使えなければ、足を踏み入れる事すら難しいのだと分かっている。

大陸周辺の海域は乱れに乱れ、空は常に嵐のように渦巻いている。

……もう何年も、青空を見ていない。

あの時、レンジが斬った空。レンジが見せてくれた空。

ただそれは、記憶の中に残っている。

何処までも続く青。

眩しいほどに、目に痛いほどに、鮮烈な青。

その記憶を思い出しながら、目を閉じる。

「貴方の『眼』は、私の未来を視る事が出来ますか?」

「いいや。この『眼』は人の未来しか視る事が出来ないんだ」

「……では」

息を吐く。

目を開ける。

……太陽は、すでにその姿を山の向こうに隠してしまっていた。

「レンジは、またこの場所を訪ねてきますか?」

「…………」

私の問に、魔法使いは答えない。

それが答えだ。

分かっていた事だ。

彼は人間で、人間の中でも弱い人間なのだから。

魔力で肉体を強化する事も出来ない、ただの人間でしかないのだから。

……そんな人間だから、一緒に居てほしいと思ってしまう。弱いからこそ誰よりも生きようとする彼の人生を、見ていたいと思う。

人生とは。人の一生とは……旅、なのだと思う。

生まれて、死ぬまで。

ずっと、歩いて、走って、時には立ち止まって、少しずつ前に進む旅。

ああ。

アストラエラとツェネリィアは、なんと素晴らしい命を大地に産んだのだろう。

ネイフェルは、何故魔物や魔族を産んだのだろう。

同じ命であるはずなのに、戦う事しか知らない種族。

シェルファの死を、思い出す。

戦って、戦って、戦い続けて、死んでしまった魔王。殺されてしまった魔王。

その生き方を、羨ましいと思ってしまう自分が居る。戦いの果てに殺される――共に生きるよりも、鮮烈に誰かの記憶へ残ろうとする生き方を選ぶ自分が。

「なぜ、私は魔神なのでしょう」

「…………」

言葉は無い。

見ると、魔法使いは困ったように指で頬を掻いていた。

「なにか?」

「魔神を辞めたい……とか?」

言葉尻を窄めながら、どこか困ったような言葉。

その言葉に、首を横に振る。

「いいえ。ただ、私が魔神でなかったら、シェルファが魔王でなかったら……きっと、また違った『出会い方』が出来ていたのではと、思うのです」

「……そうだね」

結局、そこに行き着く。

人間だから。魔王だから。魔神だから。

一緒にはいられない。

一緒にはなれない。

胸に、手を添える。微かに脈打つ鼓動を確かめる。

少しだけ、平時よりも鼓動の感覚が早い。これを、心臓が高鳴っていると言えるのだろうか。

ふと思ったが、それを訪ねる事はしなかった。

きっと、この魔法使いに尋ねても求めている答えは得られないのだと……思った。

「いつか、この気持ちのまま――会いたいと想い、逢いに行こうと思ってしまう」

「うん」

「……その時、きっとレンジは私を、私だけを見てくれると思ってしまうのです」

シェルファが、そうだったように。

他の誰でもない。自分だけを見てもらうために――この力を振るってしまう。

また、心臓が高鳴る。

その情景を想像するだけで、僅かに呼吸が乱れてしまう。

そんな自分を理解できなくて、暗くなってしまった空へ視線を向けて気持ちを落ち着ける。

「僕は、君の未来を視る事は出来ない」

「…………」

「でも、山田さんの未来は視えるし……その」

魔法使いは、どこか困ったように、少し悲しそうに、言葉尻を小さくしている。

「彼は、君に幸せを教えてくれる。けど、君を幸せにする事は出来ない」

「はい」

分かっていた事だ。

けど……この、胸が苦しくなる感覚は、何なのだろう。

この、今にも全身から力が抜けてしまいそうな――何かに縋りたいと思ってしまう感情は、何なのだろう。

レンジに、逢いたいと想う。

強く、強く……今まで抱いた、どんな感情よりも強く。

「僕みたいに、簡単に会いに来ることも出来ない。人間は歳をとれば衰えてしまうし、魔力を持たない彼はそれでなくてもアーベンエルム大陸の空気に弱い」

「はい」

「きっと、もう何度もここを訪ねる事は出来ないんだ」

何故。

……何故、そう言う魔法使いは、今にも泣きそうな顔をしているのだろう。

これは私とレンジの問題のはずなのに。

「きっと」

「…………」

「きっと、貴方のような人を『いい人』と言うのでしょうね、魔法使い」

そう言うと、驚いた顔をされた。

変な事を言っただろうか、と首を傾げる。

結局、その後は何か言葉を返してもらう事も無く、視線をまた……暗い夜空へ向ける。

「待ちます」

「……そう」

「彼が来るのを。また、声を聞かせてくれるのを」

そう約束した。

会いに来てくれると……『約束』したから。

だから待つ。

待ち続ける。

彼が来るのを。

レンジが来るのを。

……その果てがネイフェルであり、シェルファである事を理解しながら。それでも、私は待つことを『選択』した。

「王都に戻ってたんだ、山田さん」

それからしばらくの時が過ぎて、季節が一巡する頃。

藤堂さんの食堂に顔を出すと、そこには見知った顔がいくつかあった。

食事をしている山田さんに九季さん。店主の藤堂さんと、なぜか従業員の制服を着ている伊藤さん。

別の卓には、山田さんとよく一緒に冒険者の依頼を受けているフランシェスカさんやフェイロナさん、ムルルちゃん。

んでもって、芙蓉さんと優子さんまで。

……相変わらず、この人の周りは賑やかだなあ、と。

そしてふと、あの寂しい――独りしかいない、冷たい世界を思い出す。

確かに。

魔王が、魔神が求めるというのがよく分かる。

あんなに『何も無い』場所に居るのに、こんなにも賑やかな人を知ってしまったら惹かれてしまうというのも。

「お、久しぶりだな幸太郎。元気にしてたか?」

「まあ、ぼちぼち」

「……なんだ。久しぶりに会ったってのに、随分と辛気臭い顔をしてんな」

そう言って、似合わない従業員服姿の伊藤さんが、乱暴に僕の肩を叩いた。

「ほら、開いている所に座れ。美味い飯を食って、なにがあったか話してみろ」

「……こういう時って、優しいよね。伊藤さん」

「俺は何時だって優しいとも。なあ、蓮司?」

「嘘吐け。どうせ、その服装を笑われたから、話題を変えたいだけだろ」

「ちげえよ」

ああ、やっぱりその服装を笑われたんだ。

……まあ、うん。

長旅で焼けた肌。袖から覗く腕は傷だらけで、体格もウエイターというよりも用心棒といった感じだし。そんな男が客商売用の服装をしているというのは、なんとも違和感がある。

「……何か言いたそうだな」

「ま、まさかっ」

その声が低くなったのを感じて、慌てて否定する。

「それで、幸太郎君。どうせ私達がここに集まっているって知っているから来たんだろうけど、どうかしたの?」

「ん、ちょっと」

優子さんからそう言われ、何とはなしに山田さんへ視線を向けてしまう。

頭の中に、あの孤独な魔神――ソルネアの姿が、浮かんでしまったから。

『また、レンジが何かしたのか?』

「またって言うな……人聞きが悪い。俺は品行方正で、誰にも迷惑を掛けない人生を送っているつもりなんだがね」

「よくそんな事が言えますね」

「真顔でそんな事を言うなよ、九季。これでも結構撃たれ弱いからな、俺」

食後のお茶を飲んでいたらしい山田さんが、テーブルへ突っ伏すように顔を俯けて呟いていた。

そんな山田さんを見て、九季さんはとても嬉しそうに笑っている。いつも笑顔だけど、相変わらず内心はアレだなあ、と。

「いやね。この前、ちょっとソルネアと会ってきたんだ」

「……ソルネアと?」

「この前、山田さんが別れた後。僕ってほら、一人用の転移魔術ならまだ使えるし」

「多人数用は、もう宇多野さんに模倣されたもんな」

「やめて。泣けるから」

「……私が悪いみたいに言わないでよ。コピーできるって知っているのに、こんな魔術もあるんだよ、って自慢する幸太郎君が悪いんじゃない」

「本当。その見せたがりな性格をどうにかしないと、使える魔術がどんどん減っていきますよ、井上さん」

「……はい」

あっという間に、女性二人からダメ出しされた。

それこそいつもの事なので、それほどダメージは無いけど。

いいじゃないか、新しい魔法を誰かに見せたいっていう気持ちは、きっと誰にだってあるはずだ。

……それに、優子さんが『使えない』魔術を見付けたい、という気持ちだってある。

まあ、今のところ、そんな魔術は見付けてないけど。

けど。もしそんな魔術を見付ける事が出来たら――それこそ本当の『魔法』だと胸を張って言えるはずだから。

とまあ、僕が魔術を見せる理由はさて置いて。

「山田さんって、好きな人は居るの?」

「はあ?」

聞くと、山田さんは口を開けたまま僕を見返してきた。

「いや。なんとなく」

『どうした、コウタロウ。変なモノでも食べたか?』

「……偶に辛らつだよね、エルメンヒルデ」

ただ。

「ほら。芙蓉さんに優子さん、他にも何人かかわいい子が傍に居るのにそういう話を聞かないから」

「……どうした、幸太郎。そんなに死にたいのか?」

「優しい声でそういう物騒な事を言うのはやめてくれないかな!?」

怖いよ。笑顔だから余計にっ。

『ふむ。コウタロウから見ても、やはりそう思うか』

「うんうん。優子さんなんて、もういいと――」

最後まで言い切る前に、優子さんが人差し指でテーブルを軽く叩いた。

喧騒に包まれている店内だというのに、何故かその音だけは鮮明に耳に届く。

「なに?」

「……ほら。うん。えっと……山田さんだって、もういい歳なんだし」

「そこで折れるのが、幸太郎君らしいですよね」

「九季、お前は一体誰の味方だ」

「楽しい方ですよ」

「サイテーだな」

エルメンヒルデが、山田さんに子供をせがんでいる……というか、結婚してほしいと願っている事を知っている。

だから、僕もその想いに願う。

――山田さんは、ソルネアやエルメンヒルデに『楽しい』を教えたから。

けど、きっとこの人は『神』と一緒に歩む事は出来ない。

生きる事は出来ない。

この人は『神殺し』だから。そして、僕達の中で一番『人間』だから。

だから、きっと僕のこの気持ちは『悲しい』だろう。

ソルネアも、エルメンヒルデも。

それでも『山田蓮司』を想っているから。

だから。

だったら。

――いつかきっと。君を幸せにしてくれる人が現れるよ。

エルメンヒルデとソルネア。

二柱の女神を幸せにしてくれる人間。

僕ではない。僕では、話し相手にしかなってあげられなかったから。

だから。

僕も、その想いを願う。

孤独な魔神が幸せになれますようにと。

いつか置いていかれる女神が笑っていられますようにと。

後世の人は、彼の事をこう言うのだ。

彼こそが英雄の中心なのだと。

彼こそが魔神を討った最強なのだと。

彼こそが『女神』から寵愛を受けた唯一人なのだと。

「ハーレムなんてどうかな? ほら、英雄色を好むっていうし」

「……まあ、あれだ。うん。何か変なモノを食っただろ、幸太郎」

だってやっぱり。

僕は……全員に幸せになってほしい。

優子さんも、芙蓉さんも。

エルメンヒルデも、ソルネアも。

皆、ここに居ない人も。

それが難しい、不可能に近い事なのだとしても――僕は、皆に幸せになってほしいよ。