軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 壊れる前に

傍に、人が居る。それだけを望む事すら、間違いなのでしょうか?

人では無い神が。人に仇なす魔神が。人類の敵が。

人を望むのは、間違いなのでしょうか。

「どうした、ソルネア?」

懐かしい声。変わらない声。どこか気怠げな、聞き慣れた声。

レンジの声が耳に届く。先ほどまで何も無かった、静寂に包まれ、埃に塗れたこの場所に、今は沢山の人と、私を『外』に連れ出してくれた人の姿。

それだけで、不思議な気持ちになる。言葉に出来ない、私が知らない、私に『力』を満たした名を与えられなかったドラゴンも、魔神ネイフェルも知らない気持ち。

きっと、シェルファが胸に抱いていた気持ち。

その名前を、そもそもそれが感情なのかすらも理解できないまま、レンジの方へ視線を向ける。

どうやらしばらくここに留まるらしい彼、彼女たちは、この城の空いた部屋を利用できるように掃除を始めていた。

「何をしているのでしょうか?」

私がそう呟くと、レンジは可笑しそうに、明るく笑う。私の記憶の中にある、楽しかった時に浮かべていた笑顔、そのままに。

「折角来たんだ。二、三日くらい居ようかって話になってな……迷惑だったか?」

「いいえ。ただ、ここには何もありませんので」

「おう。本当に、何も無いな」

『もう少し言葉を選べ、大馬鹿者』

「すまないな――気にしていたか?」

「いいえ」

レンジの言葉に、首を横に振る。

何も無い。それは、私にも分かっている事だ。ただ、何も無いからこそ、レンジが、フランシェスカ達がここに留まる理由。それが分からなくて、もう何度も心中で疑問符が浮かぶ。

そうして聞き返す度に、レンジは「ここに何も無いから」と答えて笑う。

それが悪いとは思わない。

不思議なもので、たったそれだけで私は『寂しい』という感情を忘れ、こうやってレンジと肩を並べながらゆっくりとした時間を過ごす事が出来ている。

あの時と同じように。

レンジと出逢い、旅をした時と同じように。街を歩き、チェスを教えてもらった。あの時のように。

ああ。

「そういえば」

「ん?」

「チェスの道具を……失くしてしまいました」

「――――」

いつ、どこで。それすらも覚えていない。大切な物のはずだった。初めてレンジがくれた『物』だった。けど、いつの間にか失くしていた。失ってしまっていた。

そして、ついぞ今。再会して、思い出した。

……あんなにも、大切だったのに。

あんなにも、テーブルを挟んでレンジ達と指したのに。

息を吐く。レンジに気付かれないよう、浅く、短く。けれど、内心に溜まった淀み……暗く粘り気のある、気持ちの悪い感情を吐き出すために。

忘れていた。思い出した。

それが……恐ろしい。

魔神の力を手に入れ、この大地に縛られ――私は、ソルネアは、何かを失くしたのかもしれない。

自分が忘れっぽいだけだと、そう思いたい。

けれど――そうじゃないかもしれない。忘れている。忘れていく。それが……恐ろしくて。

「そうだったな……あの分かれ方だったから、そこまで気が付かなかった。すまん」

「いえ」

失くしたのは私なのに、レンジが頭を下げた。

視界の先。この広い玉座の間と廊下を繋ぐ扉の先で、個室を掃除していたアヤが邪魔な小物を運び出している。

それを、レンジと並んで見る。

「じゃあ。次に来る時、持ってくるよ」

「……良いのですか?」

「おう。どうせ、ずっとここに居るんだろう? ほしいものがあったら、今のうちに言ってくれ」

レンジの軽い言葉。また、エルメンヒルデが『もっと気の利いた言葉を』と小言を言っている。

一年前と変わらない二人の関係。距離感。

――じいっと、エルメンヒルデと話しているレンジの横顔を見る。楽しそうに、話している。嗤っている。

それが、私と話している時よりも楽しそうだと……そう考えて、視線を逸らした。

壁に空いた穴から見える熱い雲に覆われた空を見る。見上げる。

「ああ、すまん。コイツの小言が煩くてな」

『私の所為にするな。それでソルネア、他に何か欲しいモノはあるのか?』

視線を逸らした私をどう思ったのか、レンジが申し訳なさそうに呟き、エルメンヒルデが先ほどの事を聞き直してくる。

それを、可笑しいと、思った。

私を気にする必要などないのに。明るく、楽しそうに、笑っている。そんなレンジを見ているだけで、私は『寂しくない』のに。

「特には」

「お前、そういう所も一年前と変わってないな」

「そうでしょうか」

一年前の私。ネイフェルの力を継ぐ前の私。レンジと旅をしていた時の私。

変わっていない、という言葉。

それが嬉しくて、再度レンジへ視線を向ける。その瞳を、見る。

黒い瞳。その中に、私だけが映っている。瞳の中の私は、少しだけ口元を綻ばせているようにも見えた。

「レンジも変わっていません」

「そうか?」

『歳のわりに、子供っぽい所があるし、だらけているし、気が抜けているし……』

「お前ってやつは……」

それでいい。これだけでいい。

チェスも、笑い声も、誰かも……それよりも、と。

手を伸ばす。隣、すぐ傍にあるレンジの頬、手を伸ばす。

「ん――」

少し、ざらついている。肌が荒れている。少し髭が伸びている。男性の頬。

手を伸ばし、指で触れ、僅かに撫でる。

「ど、どうした?」

「なんでもありません」

それだけ。指を引く。手を離す。

残るのは、指先で触れた感覚。レンジの肌の触感と、微かな体温。

動揺の残る声音を聞きながら、視線を逸らす。

視線の先では、使う部屋を決め、掃除をひと段落させたフェイロナとムルルがこちらに歩いてくる姿。

アヤとユウコ、そしてフランシェスカはまだ掃除に難儀している様だった。

その姿を見ながら思う。

ああ、レンジの周りには、沢山の人が居る。

そして、私の周りには誰も居ない。

こんなにも近いのに、隣に居るのに、手を伸ばせば届く距離なのに。

こんなにも、私達は『違う』。

それを、理解してしまう。そして、眩しいと……思う。

きっと、これは私の感情。そして、ネイフェルの感情。

――『眩しい』。

だから、手を伸ばす。触れたくなる。傍に居たくなる。傍に置きたくなる。

「レンジ」

「ん?」

いつまで。

いつまで、私はこの『声』だけで満足できるだろう。

いつ、この『声』だけでは満足できなくなるだろう。

怖い。

……怖い。

レンジの隣で表情を動かす事無く、私は内心で呟き続ける。