軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十二話 竜の住む山2

さて、どれくらいの距離を登っただろうか。

三合目か、四合目か。平地よりも高い場所からだとアーベンエルム大陸の遠くまでを見て取れ、この大陸がどれ程痩せているかがよく分かる。

この世界に来てからは遠くを見る事がよくあるせいか、視力が良くなった気がする。

歩いて一週間の距離。だというのに、濁った空気がまるで霧のように霞ませる海辺の砦や、三つの大陸からなるアーベンエルム大陸を繋げる大橋までもがよく見える。

僅かに息を乱しながら山を登り、その景色を時折眺めながら休憩。

――見える。

ずっと遠く。遥か先。まるで那由他の彼方とすら思えるほどに遠い場所にある、黒雲に囲まれた城。

時間は、昼くらいだろうか。灰色の厚い雲で常時覆われているこの大陸では時間の感覚が分からなくなる時がある。だというのに、山を削り取って造られた岩の城――魔神ネイフェルの居城であったあの場所は、夜のように暗い。

黒雲は稲光で蒼く染まり、こんなにも離れているのに見ているだけで魂が吸い込まれそうに深い黒。

城は目を惹く城だというのに、感じる雰囲気は黒。それは、未だあの場所にネイフェルの魔力――魂の残滓が残っているかのように錯覚させられる。

「どうかしましたか、レンジ?」

「いいや……なんでもない」

『ぼう、っとするな』

「へいへい」

『……気の抜けた返事だ。まったく』

いつの間にか、足を止めて見入ってしまっていた。

後から来たソルネアに心配され、次いで聞こえたエルメンヒルデの声は……いつも通り。いや、いつもよりも少し刺々しい。

そんな二人……独りと一枚へ、何でもないと肩を竦めて登山を再開する。だが、今度は俺に声を掛けたソルネアがその足を止めていた。

数歩の距離を進んでその事に気付くと、俺もまた足を止めた。

少し先を、阿弥とフェイロナを先頭に皆が進んでいる。このままでは、俺達だけが置いてきぼりになってしまうだろう。

「行くぞ、ソルネア」

「……アレが、魔神が居た城なのですね」

こちらへ向けた返事と言うよりも、独白に近い言葉。その瞳は遠く――黒雲に囲まれた岩城へと向けられたまま、逸らされない。

黒い髪が、突然吹いた強風によって大きく広がった。風に攫われるまま大きくはためき、しかしソルネアはその事を気にしない。

その横顔が。乱れた髪から覗く白い肌が。遠くを見つめる瞳が……何の感情も浮かんでいない表情が。見慣れている物のはずなのに。

「ああ。……行きたくない、か?」

「どうでしょうか」

いつからだろう。ソルネアは、「分からない」と口にしなくなった。

自分で考えて、答えを口にするようになった。それだけでも十分な変化だと感じるのは、初めて会った頃――あの、よく分からない水晶の中から現れたソルネアを知っているからか。

そんなソルネアの横顔を眺めながら、 旅の目的地(魔神の城) を見る。

あそこに、コイツを連れて行く。

きっと、あそこにはシェルファが……そして、アイツに変わって王座に就いた新しい魔王が居るはずだ。

その事を思うと、この高い山を登ること以上の心労を感じ、深い溜息が漏れそうになる。

さて、あのバケモノの目を盗んで、どうやってソルネアを連れて行くべきか。

「ただ」

「ん?」

「……旅が終わるな、と」

その言葉に、どれだけの思いが込められているのか。俺には分からない。

旅が終わる。

俺とソルネアでは、考えている事も、その意味も違う。そして、ここで俺が何かを言っても、ソルネアには……ソルネアの心には届かないだろう、とも。

――風が吹く。

冷たい風だ。ソルネアの髪を揺らし、羽織った 外套(マント) を攫う、強い風。

そうして、しばらく二人で遠くの景色を眺めていると、先を進んでいた阿弥達が戻ってきた。何時まで経っても来ない俺達を心配したようだ。

「行くぞ、ソルネア」

「はい」

今度は、しっかりと返事をして足を進める。

……やっぱり、ソルネアも色々と思うところがあるのだろうか。

そう思いながら、俺も登山を再開する。目指す山頂はまだ遥か遠い。それほど険しくは無い山だが、ただただ高い。

終わりが見えている様で手が届かないというのは、結構精神的にツライものがあると思う。

「はあ」

その溜息は、何を思ってのものか。

自分でも分からない疲労を感じて漏れた息に、ポケットの中の相棒が反応した。

『疲れたのか?』

「ああ。何もかもを放り出して、座り込みたいね」

『そうか』

もう一度、溜息を吐く。

エルメンヒルデの声があまりにも優しくて、けれど俺が座り込まないと分かっている……前に進むと、信じてくれている。そんな気がして。――そんなエルメンヒルデの信頼に応えたいと思う、自分に対して。

『急がないと、置いていかれるぞ』

その声に、顔を上げる。

少し先を進んでいたムルルとフランシェスカ嬢が、遅れている俺を心配するように時折立ち止まりながら待ってくれていた。

「すぐに行くよ」

情けない。

並の人間……魔力が無いから、この世界では並の人間以下の体力しかない自分が情けない。

どうしてこうなったのか。

そう悩むのは、もう何度目だろう。けれど、それが俺なのだ。そんな並以下の人間でしかないというのに、前に進むと決めたのは俺なのだ。

……そうやってでも、生きたいと思ったのだ。

それから更に、どれくらいの距離を登っただろうか。薄暗かった空は更にその闇の色を濃くし、今が夕暮れ時であると想像できる。

山の中腹にはまだ届いていないが、覚えのある平坦な場所へとようやく辿り着く事が出来た。地面は小さな小石が多く、その下には土が覗いている。麓と違い、緑はほとんど無い。見えるのは、白い岩肌と地面だけ

そして、そんな岩肌の合間を縫うようにして流れる湯気が上る川。

「はあ、やっと着いた」

戦闘を歩いていたフェイロナ達から遅れること数分。ようやく、今日の野営地へと辿り着いた。

息を吐きながら足元へ荷物を置くと、息を深く吸って吐く。

山道を登った事で、足が棒のようだ。すぐに座り込んで休みたい気持ちになりながら、湯気を上げる川を辿って進む。

そこにあるのは、人の手など入っていない岩肌に、山の合間から漏れた湯が流れ込む天然の風呂――温泉だ。広さとしては、十数メートル四方といった所か。かなりの広さで、反対側の縁は湯気で完全に隠れてしまっている。

その湯気の合間に、人影が見える。フェイロナ達が、温泉の縁に立って繁々と中を覗き込んでいるようだった。

「あ、レンジ様」

疲れて立ち尽くしている俺に気付いてくれたフランシェスカ嬢が、笑顔で振り返る。

温泉の湯気で湿ったはちみつ色の髪が揺れ、厚さで汗の浮いた首筋が覗く。どうやら暑くてブラウスの胸元を緩めているようで、首筋が妙に艶めかしい。

相変わらず無防備な事だが、男が俺とフェイロナの二人なら、そのくらい油断もするのだろう。これでも一応、それなりに紳士的な振る舞いをしているつもりだし。

そんな馬鹿な事を考えながら温泉へと近づく。

温泉独特と言うべきか、硫黄の様な臭いが鼻につく。慣れればそれほど気にならないが、鼻の良いムルルは苦手なようで顔を顰めていた。それでも温泉から離れないのは、温泉の臭いよりも興味の方が勝っているからか。

「変な匂い」

「身体に良いんだぞ? 温泉ってのは、入るだけで疲れを癒してくれるからな」

「そうなのですか?」

はー、と。気の抜けた声を出しながら、フランシェスカ嬢とムルルが温泉を覗き込むように顔を近付けた。

暫くすると、慣れない匂いですぐに離れてしまったが。その様子が可笑しくて、声に出さないように肩を震わせると目敏く気付かれてしまった。ムルルは某とした視線を向けてきて、フランシェスカ嬢は恥ずかしそうにはにかんで顔を逸らしてしまう。

「今日はここで休むとするか」

「……ここで?」

「この匂いで、魔物も獣も寄ってこないからな」

「なるほど」

フェイロナが感心したように呟いて温泉から離れると、肩に担いでいた荷袋を地面に下ろした。

そのまま荷袋を開いて、夜営の準備を始める。

その辺りに転がっている石を得ん状に並べ、山の麓で拾っていたのだろう枯れ枝を組んで火を起こす。あっという間に焚き火が出来上がる。

「折角の温泉だ。飯の後で入るとするか」

そんな焚き火の上に鉄鍋を置きながら、そう口にする。硫黄混じりの水を飲むのは難しいので阿弥に氷を作ってもらい、鍋の中へ落として水にする。

さて、残りの干し肉やら乾パンやらで料理の選択肢はそう多くないが、適当に食べれるものを作るとしよう。

右手を一振りして、白い刃が美しい ナイフ(エルメンヒルデ) を作り出す。

『……』

エルメンヒルデが何かを言いたそうに、けれど何も言わずに黙って溜息を吐いた。

「良いですね、温泉」

焚き火の傍に来た阿弥が、そう言った。手には、何処で拾ったのか……まあ、麓の林だろうけど……いくつかの木の実を持っていた。クルミのような木の実だ。

差し出されたソレを受け取って、ナイフの柄で殻を割る。

「晩御飯を作るまで、入ってもいいぞ?」

「こんな明るい時間からは無理ですっ」

茶化すように言うと、怒られてしまった。

そんな反応が面白かったのだろう、黙って荷物の整理をしていたフェイロナが小さく声に出して笑う。いつもは冷静なフェイロナが笑ったとあって、阿弥も恥ずかしそうに頬を染めてしまった。

「もうっ」

いつだったか。この温泉ではなく、エルフレイム大陸にある温泉での覗き事件を思い出す。

落ち込んでいた宗一を元気づける為にバカをやったのだが……その事を思い出したのかもしれない。からかわれただけというには、阿弥の頬が赤い。

『厭らしい顔をしているぞ』

「失礼な……俺はいつも通りだよ」

『いつも通り、厭らしい顔だ』

「…………」

何も言えなくなり、黙って料理に集中しようとすると、温泉を眺めているのに飽きたであろうフランシェスカ嬢とムルル、ソルネアもこちらに来る。

やはりというか、温泉の熱気に充てられて三人とも歩いたのとは別の汗を掻いているようであった。

「外だというのに、暖かいですね」

フランシェスカ嬢が、耳に掛かる髪を手で払いながらそう言った。その隣で、ムルルが 外套(クローク) を脱いでいる。健康的な白い二の腕が露わになる。

「温泉の近くですからね」

そう言う阿弥も、赤い魔術師服の胸元を指で摘まんで空気を送り込んでいる。何も言わないが、フェイロナもどこか暑そうにしていた。

俺も暑さを感じながら 外套(マント) を脱いで腰に吊っていた 精霊銀(ミスリル) の剣を外す。

何も感じないというか、いつも通りなのはソルネアだけか。

「今日は温泉に浸かってゆっくり休んで、明日はまた山登りだな」

「はい」

そんな、フランシェスカ嬢のどこか喜色を孕んだ声音に苦笑する。

なんとも好奇心が旺盛な事だ。ムルルも、表情はいつも通り眠そうなソレだが、尻尾が大きく揺れている。

「……覗かないで下さいね?」

胸元を隠しながら、警戒するような声で阿弥が呟いた。視線を向けると、ジト目というか、こちらを警戒するような目をしていた。

次いで、その視線が阿弥の隣に腰を下ろしたフランシェスカ嬢の胸元へと向く。

その声に、干し肉を小さく切る作業を中断して肩を竦める。

「奥の方は湯気で見えないから安心しろ」

『その言い方だと、覗く事が前提のようにも聞こえるのだがな』

「冗談だ」

くつ、と低く笑うと阿弥が疲れたように溜息を吐く。

「もう」

「緊張しないように気を使った、冗談さ」

「あ、そ、そうですか」

フランシェスカ嬢が、警戒するような、安心したような、そんな声を出す。

この世界だとあまり異性に肌を見せないのが普通だから当然の反応だろう。まあ、それは元の世界でも似たようなモノだが。