軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

180話「公爵令嬢_03」

ティアント領はロイス王国において北西端に存在する領地である。

位置関係としてはエスカード辺境領の西、スペイド男爵領の北に位置し、ティアント領から北西部にかけて魔境の森が広がっている。

なのでグロリアスとティアント領が交易を始め、レオポルド・イルリウス侯爵の甥であるヴィクター・イルリウスの采配によって『グロリアスの製品』がロイス王国に出回るようになるまで、こんな僻地に訪れる者はいなかった――と言い切ってしまうのは不遜かも知れないが、わざわざ外部から赴きたくなる場所でなかったことは確かだ。ソフィアーネ自身、以前のティアント領に用などなかった。

それが今や、街道は馬車が横並びになってすれ違えるほど広く、町から町の途中に宿泊施設を建てる商家が出てくるほどだ。

ソフィーたちと護衛騎士の一行も試しに利用してみたが、町から外れた場所にわざわざ建てたにしては、まずまずの宿だった。もちろん公爵令嬢を唸らせるほどのものはなにひとつとしてなかったが、宿泊施設としては必要十分な場所だった。

町と町の間に十分な宿がある、そのことは驚異的なのだ。

そこに宿を設けて採算が取れると判断した者がいて、おそらく実際に採算が取れている。でなければ十分な宿泊施設を維持できない。人の行き交いが、それほど多い証左である。

なによりソフィーを驚かせたのは、ティアント領に入ってからの光景だった。

街道の脇で汗を流して働く者の中に、獣人が混ざっていた。

それだけではない。注意して見れば、ティアント領に入ってからは、どこかしらで獣人を見かけるようになった。そして領民たちは人族とは別種族である獣人たちと、ごく普通につき合っているようだった。

確かに、話には聞いていた。

グロリアスは獣人の領域にあり、そこと交易をしているティアント領には獣人たちが普通に滞在している、と。

彼らは人族と同様に仕事をして、金銭を得て、その金を使って買い物をする。領に入ってすぐ、人族と一緒に作業をしている獣人を見かけることができたのは、心の準備としてはよかったかも知れない。

「おおー! 本当に獣耳が頭に生えてるのだね。あっちの獣人は獣度合いが高いが、意思の疎通は人族と同様にできるって話だ。生態とかはどうなんだろうね」

馬車の車窓から町並みを眺め、目にした獣人に驚きを隠さないアコ・アクライトは旅の友としては微笑ましかった。

貴族令嬢としては思ったことを口から垂れ流しすぎるが、そういう性質はむしろソフィーを安心させてくれる。腹の探り合いや建前の張り合い、ソフィーに言わせれば虚飾の応酬なんて、別に好きでやっているわけではないのだ。

「細部については、そこまで詳しくは伝わっていませんね」

執事であり秘書であるエリオットが言う。

これにアコは、少し考えるふうに何度か頷いた。

「とすると、そこまでの差異はないのかも知れないねぇ。なにか問題が発生するようなら、誰かが大声で話して面白おかしく伝わっているはずだからね」

なるほど、そういう考え方もあるか、とソフィーは素直に感心する。学園時代の同級生であり、現在は雇用主と被雇用者という関係になったが、ソフィーはアコの知性に対しては常に一定の敬意を持っていた。

「それで、どうするんだい、ソフィアーネお嬢様?」

「礼儀としてはティアント家に顔を出すのが筋ですが、今回は公務ではありませんし、向こうから挨拶に来るならともかく、こちらから出向いて手間をかけさせるのはやめておきましょう」

心底くだらないとソフィー自身思うが、先触れも出さずに格下の貴族を訪ねるのは、こちらが軽く見られる行為だ。

なので公務であったりティアント家そのものに用向きがあるなら、先触れを出して「これからおまえより偉いやつが行くから出迎えの準備をしてろ」と示威することになる。これはこれで心底から莫迦らしい行いだ。

「ですが、お嬢様。我々はヴィクター・イルリウスの所在を知らされておりません。これから、どのように動きますか?」

「お父様がヴィクター・イルリウスの所在を我々に教えなかったのは、その方がいいと判断したからでしょう。であれば、ヴィクター・イルリウスを探そうとする行動が、すなわちカリストの利になると予想した、ということになりますわ」

というか、ソフィーの父マクシミリアンからの依頼は『グロリアスと関わりを持つこと』であり、ヴィクターとの婚約を締結するのは今後のソフィーの自由を確保するためなので、同一目的ではないのだ。

「じゃあ、まずは領都に向かおうか。ボクとしては獣人がなにか商売をしているようだったら、興味があるから見てみたいところだね」

と、己の欲求に正直なアコである。

そして彼女はそれでいいとソフィーは思っている。

「ええ、そうしましょう。ですがひとまずは領都で拠点となる宿を確保するか、もしくは屋敷を借りてもいいかも知れませんわね。急ぐ仕事でもありませんし、お父様から借りた護衛騎士たちにも順番に休暇を与えるべきですわ」

カリスト公爵領を出発して半月以上、騎士たちは休みなしで護衛を続けている。公爵家が誇るカリスト領騎士団から選抜した公爵令嬢の護衛だけあり、誰もが任務に忠実で、真面目で、有能だった。

が、人はそれだけを続けられる生き物ではない。

延々つき合わせてしまえば、いずれ何処かで綻びが生じる。

「お父様からの依頼と、私の婚活ですわ。せいぜい慎重かつ大胆に行きましょう」

なんとなく格好いいっぽい言葉を口から吐き出してみれば、アコは楽しそうに頷き、エリオットはそれでこそというふうに頭を下げた。

なんだかなぁ、と――ちょっとだけ思った。本当に、ちょっとだけ。

◇◇◇

領都というものは領主の所在地であり、その領において最も栄えている街とは限らない。大農園を誇るレガリア公爵領などは、領都よりも商業区域になっている都市部の方がよっぽど栄えているくらいで、領主それぞれの執政次第だ。

ティアント領においては領都が最も栄えている場所ではあるのだが、領都の立地が領の端にあった。

これは領の成り立ちに由来しており、そもそもが魔境とロイス王国を明確に区切るための土地がティアント領だからだ。あるかも判らない獣人による侵略、あるいはエスカードを避けた魔族の侵略、魔境の魔物の氾濫、そういったものに備えた土地であり、貴族である……まあ、元々は。

ともあれ、ティアント領都はかなり魔境に近い位置にあり、思っていたよりも移動に時間がかかった。

かけた甲斐はあったな、というのがソフィーの感慨である。

ティアント領に入ってすぐに見かけていた獣人の数はどんどん増えていき、大通りを馬車で進むだけで多くの獣人を目にすることができた。

犬、猫、牛、ほかにもぱっと見ただけではよく判らない種族の獣人たちが、当たり前みたいに人族に混ざって生活している。

ソフィーたちはひとまず旅人がよく利用するであろう宿を取り、情報収集に時間を当てた。宿はどうみても近年になって建てられたもので、客の大半は領外からの商人や、職を求めてやって来た者だ。

無論――というべきか、公爵令嬢であるソフィーは自分の足で情報を集めて回ることはしない。執事であり秘書であるエリオットを走らせ、護衛騎士をきっちり配置した状態で、宿の中で茶を嗜んでいた。

まあ、メイドがいないので自分で淹れた茶だけれど。

情報収集の結果次第になるが、とりあえずはエリオットが『カリスト公爵令嬢の執事』として動き回ることで、なにかしらの反応が得られるはずだ。

それはティアント領主が挨拶にやってくる、ということかも知れないし、あるいはヴィクター・イルリウスがソフィーのご機嫌伺いに来るかも知れない。可能性としては薄いが、クラリス・グローリアの手の者……グロリアスの者が、かつて同級生だったソフィアーネ・カリストの動向を探りに来るかも知れない。

いずれにせよ、こちらが動いた以上は、なにかが反応する。

こ(・) と(・) が起きるまでは茶でも飲んで時間を潰していればいいのだ。

このあたりは、ソフィーが根っからの公爵令嬢である証だった。他者が自分に対してなにかしらの反応をする、ということを当然と認識しており、そしてそれは増長した自意識でもなんでもなく、純然たる事実なのだ。

なにかをすれば、誰かしらがなにかの反応をする。

ソフィーからしてみれば、それはソフィーが公爵令嬢であろうがなかろうが、当然のことだった。もしもソフィーがマクシミリアンの娘でなければ反応をする相手や反応そのものが変わってくるだけで、誰かがなにかの反応をする、それ自体は変わらない。何故なら世界はそういう形をしているから。

池に石を投げれば波紋が立つ。

それ自体は、不変の事実だ。

誰が投げた石か、どんな池に投げるのか、どのように投げるのか、池の持ち主は誰なのか――そういった条件は異なるが、結局のところ、石を投げねば波紋は立たない。そして、ソフィーは石を投げた。

「では、どのような波紋が立つことかしら?」

自分で淹れた茶を優雅に飲みながら、ソフィーは小さく微笑んだ。

◇◇◇

最初に立った波は、ティアント領主でもなければグロリアスでもなく、まして婚約予定相手のヴィクター・イルリウスでもなかった。