作品タイトル不明
177話「間断/共」
砦の上から人々の営みを眺めてみれば、私、クラリス・クリミナル・グローリアとしても、ある種の感慨を覚えないわけにはいかなかった。
そもそもは人族と戦うための道具だった。
城だとか砦なんかは役割としては戦いの道具であり、当面の役割を終えてしまえばランドマークになりうるが、結局のところはやはり戦いのための道具だ。
今はこうして砦の周囲に人族を招き入れるための区域が出来てきて、その広場でグロリアスの獣人と人族の商人が通貨を使って商品を遣り取りしている。人族から物を買っていることもあるし、逆にグロリアスの商人から人族の商人が物を買っている光景も見られる。
かつて『反獅子連』に襲撃されたスーティン村のオークを――というか、厳密には囚われた妖狐セレナを――助けに行った頃から考えると、今こうしているのが、なんだかあまりにも不思議ではないか。
なんでこんなことになったのだろう?
これは後悔というよりは、純粋な疑問として思う。
私としてはかなり場当たり的に面白そうな方向に舵を切っていただけなのだが、いつの間にやらこんなことになってしまった。
そして――グロリアスの連中は、楽しそうにしている。
ならば切った舵は、今のところ間違ってはいなかったのだろう。
今のところは。
「どうした、クラリス。珍しく感慨にでも耽っているのか?」
人々の営みを眺める私に、ユーノスが言った。
そういえばなにかの感慨に耽るというのは、私としては珍しいかも知れない。
「これまではいちいち感慨に耽るような暇がなかっただけの話だな。ユーノス、おまえは知らんだろうが、私は花や月や星を眺めてうっとりすることもある美少女だぞ。砦の下の光景に、思うところのひとつやふたつ、あるに決まっている」
「おまえが創った光景だ。好きなだけ眺めればいい」
「私だけで創った光景だったら感慨なんか生まれないさ」
オークのモンテゴが私に懐いている理由も私にはよく判らないし、カタリナやキリナが私に憧れを感じているのも、正直言ってよく判らない。
私としては限りなく好き放題やっているだけなのだが、どういうわけかいろんなやつらが私に好意を向けてくれる。
好き放題やっているということは、他人に好かれなくてもいいやということなのだが――実際のところは、なんだか あ(・) べ(・) こ(・) べ(・) だ。
「だからみんなおまえが好きなんだろう」
さらりと当然のように言うユーノスに、私は思わず振り返ってしまう。
こいつは私と一緒にいることがかなり多いが、口数が多いタイプではないので、私にあれこれ言ってくることが少ない。一応というか、ユーノス・グロリアスがクラリス・グローリアの言動を楽しんでいるということは、理解してはいる。それについてはユーノス本人から何度か言われているし、私のやることなすことをユーノスは否定したことがない。
「おまえもか?」
と、小悪魔チックに微笑んでやるが、ユーノスの方も負けじと笑みを返してきた。恥ずべきことなどひとつもないとでもいうような、楽しげな笑み。
それは、私が他人に向けて意識的によく見せているのと、同じ笑い方だ。
「当然だ。おまえのようなふてぶてしいガキと一緒にいて、おまえの描く未来を最前席で眺められる。こんなに楽しいことはない」
「まるで珍獣だな」
と、私は大仰に肩を竦めるしかなかった。
クラリス・グローリアがいつの間にやらこんなふうになってしまったのと同様、ユーノス・グロリアスもまた、いつの間にやらこんな有様だ。
「いやぁ、全くの同感ですねぇ! 私としてもクラリス様の描く未来の予想がつかなすぎて、こんなにも楽しいだなんて思っていませんでしたとも!」
と、ユーノスの後ろあたりからひょっこり顔を出した九尾の妖狐カイラインが、ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべてそんなことを言った。
いや……まあ、たぶん本音なのだろう。
こいつはこいつで、前獣王ランドール・クルーガを殺した後のことなんか、なにも考えていなかっただろうから。ユーノスたちがエスカードの魔族戦を逃げた後のことなんか、なにひとつ見えていなかったのと、まあ近いは近い。
そういう連中に、私は未来を与え続けて来た、というわけだ。
なんか楽しそうな方向に適当に舵を切り続けて、今のところは大きなやらかしもなく、みんな大なり小なり楽しそうにしている。
そりゃあ、悪い気分じゃない。
だからといって有頂天を続けられるほど楽観主義でもないのだが。
「この先はどうなるか判らんぞ」
「いえ、ある程度は判りますとも。クラリス様も、ある程度は理解しているはずです。例えば――グロリアスにおける商売を完全許可制にしたのも、私としては今になってようやく理解できましたが、クラリス様は最初から理解していた」
違いますか? とカイラインはニヤつきながら首を傾げる。
どっかの第二王子よりはちょっとマシなのが、むしろ若干ムカつくのだが、こういうやつの存在は、ある意味ではありがたいとも思う。こういうやつばっかりなのは絶対に嫌だが、他のやつらと違う方向から物事を見られるやつは、必要だ。
そう――やや遺憾ながら、今となってはこいつは必要なのだ。
「カイライン。おまえは商売を完全許可制にした理由はなんだと思ったんだ?」
「搾取構造を生まないためです」
回答は端的で、冴えていた。
が、ユーノスはちょっとよく判らないといった顔をしていたので、私は顎をくいっと動かして追加の説明を求める。黒い九尾の妖狐は、待ってましたとばかりに頷き、続きを口にした。
「たとえば――金貸しだとか、個人単位での基金ですとか、そういう回りくどい商売が生まれてしまうと、金に支配される者が出てきてしまう」
「金貸しは理解できるが、基金とはなんだ?」
「人族の商売の形態のひとつですよ。ある大きな物事を実行したいが、個人の金ではできない。こういう場合に、実行したい物事を同じくする者、あるいは物事が実行された後の利得を計算した者たちが共同で金を出し合い『物事の実行』を進めるという金の使い方です」
「なるほど。合理的ではあるな。問題はなんだ?」
「『ある大きな物事の実行』が、物事の進行権を持つ者の裁量によって方向性を決められること。あるいは大口出資者の意向によって『物事の実行』の方向性を歪められてしまうこと。結果、合意して出資したはずの者たちが満足しない『物事の実行』に結びつくことになる。金なんか出すべきではなかった、といったところですかね。もちろん出した金は返ってきません。この金を返してもらうために必要なことはなにか、判りますか?」
「必要な……そうだな、事前の取り決めだとか」
「そんなもの、知らん顔すればいいでしょう」
満面の笑みで約束を破る仮定の話をするカイラインである。
ほんと、いい性格をしている。
さすがにユーノスも苦笑を洩らして頷いた。
「そうだな。確かにそうだ。道理が通らないことは、世の中では当然だったな。であれば答えはひとつ。約束を守らせるための武力的背景だ。約束を破るとどうなるか判っているな、と相手に示すこと」
暴力。
ランドール・クルーガが敷いた最古の法は、結局のところ全ての法の根底にあるのだ。約束を破って貸したものを返さないガキ大将には、 お(・) っ(・) か(・) な(・) い(・) か(・) ー(・) ち(・) ゃ(・) ん(・) の拳骨が必要というわけだ。かーちゃんがモンスターペアレントであれば、もう泥沼だ。そんなものは、あまりにも面倒くさい。
「まあ仰る通りですね。その武力を行使して全てを押し通すのは愚の骨頂ですが、それでも押し通させないための武力が必要だ。クラリス様も、だからこのような砦を建てさせ、獣王プラド・クルーガを呼びつけて対話に持ち込んだ」
「今のところは、金を『便利な引換券』としておきたいわけか」
なるほど、と頷くユーノス。
どの程度まで理解したのかは判らないが――意外とユーノスは感覚派なので――科白そのものはドンピシャだった。
「うちの連中には、まだ早い」
が、いずれは金に使われる者が出てくるだろう。通貨というものが流通してしまった以上は、たぶんそうなる。
もちろん、このファンタジー世界では個人が有する武力の質が地球のそれとはまるで異なっているので、全く同じ様相にはならないだろうが、似たようなことにはなるはずだ。現にロイス王国では、借金によって他貴族の言いなりみたいになっている貴族家なんて珍しくもなかった。
「だが、今のところは、楽しそうにしている。それは事実だ」
私がそうしていたように、ユーノスもまた砦の上から人々の営みに目を向け、にんまりと口端を持ち上げた。
きっとこいつも、こんなふうになるとは思っていなかったのだろう。
それはニヤニヤと厭らしく笑う九尾の狐も同じこと。こんな 現在(いま) になるなんて、カイラインの頭脳をもってしても予測不能だっただろう。
「さて――それではクラリス様。今後起きうる事態はどのようなものが……いえ、言い方を変えましょう。クラリス様はなにを予測していますか?」
かつてはその頭脳で『反獅子連』を唆した妖狐が、そんなことを言う。
難しい命題だが、一応というべきか、考えていることはある。
「長期的には、いずれロイス王国からの介入がある。この調子だと何年か後にはなると思うがな。今はヴィクターの坊ちゃんが壁になっているが、ティアント領からロイス全土にグロリアスのあれこれが漏れ出して、そのうち、厄介な誰かの目に留まる。これはおそらく避けられない」
こんなふうに砦を建てて自分たちの居場所はここだと叫び、人族を向こうに回して凌ぎきった時点で、その未来が避け難いのは判っていた。ティアント領と、いうなれば相互利益関係になってイルリウスを巻き込んだのは、こちらが整うまでの時間稼ぎという意味合いもある。
こうなってしまったからには、グロリアスを大きくする必要がある。
約束を破られないためには武力が必要であるのと、まあ近い。
おまえたちから奪うという相手には、おまえたちには奪わせないと言えるだけの武力が必要だ。これは本心から言うが、全く愚かな事象である。わざわざ他人から奪わなくたって、土地も時間も有り余っているというのに。
なのに、いつだって、どこでだって、奪いたがるやつがいる。
この世界にも――あっちの世界にも。
なんでそんなに浅ましいんだよ。
どうしてそんな醜悪でいられるんだ?
私には全く理解できない。
「それから、こないだの孤児院の件は偶然みたいなものだったが、今度は必然として内側からの瓦解を狙ってくるやつらが増えるはずだ。恐るべき獣人や魔人種たちを真正面から相手にするよりは、内側から壊した方が損が少ないからな」
「金を『便利な引換券』に留めておくのも、それが理由か」
「それも理由、というべきだな。頭がよくて性格の悪い商売人に、たとえばモンテゴあたりが騙されて金の奴隷なんかにさせられたら、私は怒り狂うぞ」
「そのときは俺も共に怒り狂うだろう」
真顔で言うユーノスに、私は思わず笑ってしまう。
「人族でいうところの騎士団のような組織が必要になってきますね。クラリス様からある程度の権限を委任された武力組織が治安維持を務める……うふふふ、本当にグロリアスは大きくなってきた。どうです、クラリス様。人族の領域から、まだ人材を流入させるのは、考えていますか?」
「それは成り行き次第だな。こっちから『来て下さい』は、莫迦のやることだ。そもそも私の方からこっちに来いって言ったのは、せいぜいヴォルト・クラウスくらいのものだ。他のやつらはだいたい成り行きだぞ」
「うふふふ! なるほど、彼はクラリス様の好みの男性でしたか」
「おまえよりはな」
呆れて肩を竦めるが、その反応はカイラインを喜ばせるだけだった。
「これまでと同じように、ということであれば、立場や居場所を失った連中を拾う形でもいいだろう。ヴィクターのやつに仕事を振ってやってもいいかも知れん。こちらの利を見て、向こうは向こうで勝手に利を得るはずだ」
「なるほど……んー、悪くないかもな。既得権益に絡んでない優秀な人材なんか、たぶん探せばごろごろ見つかるだろ。ちょっと話を振ってみるか。スラックにも声をかけていいかも知れんし、レクス・アスカにも振ってやるか」
あの女豹が人族の人材をどのように見てどのように扱うのかは、ちょっと興味が湧くテーマだ。たぶん料理人とかを欲しがるだろう。
かつての『私』は――未知の未来なんか欲していなかった。
だって現代日本に暮らすアラフォーのおっさんにとっては『未知の未来』なんてもの、言い換えれば『お先真っ暗』に等しいじゃないか。
あまりにうんざりするような人間関係。
理不尽と理不尽と理不尽が肩を組んでマイムマイムを踊るような日々。
それでも――今日と同じような明日に不満こそあれ、ぶっ壊れてしまえだなんて、思っていなかった。独りで、虚しく、ただ生きているだけだとしても、真っ暗な未知の中に飛び込んで泳ぎたいなんて、思っていなかった。
さしたる価値もないと判っている 現在(いま) を、そうと知りつつ守り続けることを、私は否定しない。愚かかも知れないが、愚かであってなにが悪いとも思う。
浅ましく醜悪でさえなければ、愚か者は許容されていい。
されるべきだ、とまでは図々しくなれないが……結局のところ愚者の否定は自己否定になる。一分の隙もなく賢い者なんて滅多にいない以上、ほとんどの者はある意味で愚者だ。であるなら、許容しないことを選びたくない。
無論、そんな毎日を守り続けたところで、素敵なことなんて起こらなかった。けれども――そこまで不幸だとも、思っていなかった。
独りで、愚かで、虚しくて……それでもいいじゃないか。
そういうやつを、私は否定しない。
かつての『私』は、そうだったのだ。
そして、そんな『私』を、私は恥じていない。
だって、他人に迷惑なんかかけていなかった。そりゃあ、全くとは言わないが、それでも可能な限り、他者は尊重して生きていた。
まあ――そういうのは、もういいんだけど。
けれども、だ。
かつての『私』から賢しげに楽しげに見下しながら奪っていったような連中と、同じようなやつらが、やっぱりこの世界にも存在していて。
そういうやつらに配慮して譲ってやる気が、今はまるでしない。
抗うことによって生じる不利益を考えて、諦念混じりに笑うなんて、してやるものか。せいぜいふんぞり返って嘲笑してやる。
かつての『私』には、譲れないものなんて、ほとんどなかった。
今は――いっぱいだ。
譲りたくないものが、こんなにもたくさん。
こんな私に光を見出すおまえたちのことは、ぶっちゃけあんまり理解できないけれど、そんなおまえたちのことを、愛しく思っている。
かつての『私』としてではなく――クラリス・グローリアとして。
「おい、ユーノス。あれを聞かせろ。私たちの流儀、あっただろ」
砦の上から人々の営みを眺めて、私は言う。
このとき私はユーノスを見ていなかったし、カイラインの方だってもちろん見ていなかったが――二人がどんな顔をしていたかは、見るまでもない。
ふっ、と笑みの吐息を洩らしたユーノスが、私の頭に掌を乗せて、言う。
「『笑って進め』だ。それが俺たちの流儀だ。おまえが示した、俺たちの生き方だ。好きにやれ、クラリス。俺たちは、笑って歩くおまえと共に在る」
「言ったな? 私は、本当に好きにするぞ」
そんなふうに重ねて訊けば、ユーノスのごつごつした手が、私の頭をぐりぐりと遠慮なく撫でてきた。やたらと雑で、ひどく温かい手。
「そうしろと言っている。そんなおまえと歩くのが、俺たちは好きだからな」
◇◇◇
そうして、日々は流れていく。
目も眩むような忙しさと、耳を疑うような楽しさで。
――あっという間に、二年が経った。