軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

165話「癒やしの聖女⑤_03」

ミゼッタたちがミュラー伯爵領に戻ってから十日。

婚約者であるエックハルト・ミュラーが戻って来た。

彼についてミゼッタが知っていることは、それほど多くない。

出会った頃のエックハルトは、真面目で、少し的外れな誠実さを持つ少年だった気がする。歳はミゼッタと同い年で、今年でもう十七になるはずだ。

順序としてはミュラー家が農村で治癒士のようなことをしていたミゼッタを見出し、クラリス・グローリアとエックハルト・ミュラーの婚約を取りやめさせて、ミゼッタをミュラーの婚約者に仕立て上げた。それからクラリスを『貴族のニセモノ』として火刑に処し、火にかけたはずのクラリスが当時のミュラー伯爵を殺害して何処かへ去って行った。

その現場を見ていたイルリウス侯爵家当主、レオポルド・イルリウスが、エックハルトとミゼッタに利用価値を見出した。

そこから、ミゼッタはレオポルドの意のままにロイス王国の貴族社会で名を売ることになり、実際に名を売ってみせた。ミゼッタの治癒魔法は――当時はあまり自覚していなかったが――比類する者がないほど強力で、様々な貴族家が召し抱えていた治癒魔法使いが匙を投げたような患者を片っ端から癒やしていったからだ。

エックハルトの方はといえば、ミゼッタとは別の形で『名を売って』いたらしい。そのために金髪の少年剣士ジャック・フリゲートを破格の待遇で雇い入れ、エスカード辺境領における魔族戦においてジャックは魔族の首級をとってみせた。

その後、ミゼッタの旅がティアント領へ差しかかる際にジャックとノヴァが合流し第二王子殿下の戯れにつき合わされ――そして、ミゼッタはクラリス・グローリアと出会った。彼女は獣人の領域で自分たちの勢力をつくり上げていた。

もちろんというべきか、その間も別にエックハルトは遊んでいたわけではなかった。クラリスが『グロリアス』を築き上げていたように―― よ(・) う(・) に(・) 、という言い方が正しいかはさておき――エックハルトもまた、自分の戦力を拡大していた。

ミュラー伯爵領に戻って来たのは、エックハルト・ミュラー個人というよりは。

エックハルト率いる『エックハルト傭兵団』のような集団だったのだ。

◇◇◇

「もう随分と長い間、きみに会っていなかった気がするな。久しぶりだね、私の婚約者。きみのことをいつも想っていたよ」

初めて会ったときとそう変わらないやわらかな微笑を浮かべながら再会したエックハルトは、表情こそ見覚えがあったものの、その存在感や雰囲気はかなり様変わりしている印象を受けた。

なんというか……そう、世間擦れした、とでも表現すべきか。

貴族家を巡りって貴人を癒やして回ったミゼッタであるから、爵位による貴族の雰囲気もなんとなく判るようになった。

最初に会った頃のエックハルトは、伯爵家の次男としてはかなりまともな育て方をされたのだと今なら理解できる。村娘であるミゼッタを見下すような真似をしなかったのは、伯爵家の貴族としては異例といってもいい。名が売れる前のミゼッタを見下さなかった貴族は、体感だと一割未満だった。

「お久しぶりでございます、エックハルト様」

使用人兼教育係のカルナとニオミに叩き込まれた『令嬢の仕草』で会釈してみせる。たぶん、そういうミゼッタを見るのは初めてのはずだ。

が、エックハルトはそんなミゼッタにさほど興味を示さず、甘い微笑を浮かべたまま、これまでのことについて知りたがった。

ミゼッタのことが知りたい……のでは、ない。

情報共有を求めているのだ。

ああ――と、ミゼッタは察してしまう。

彼も彼なりに、なにかしらを得て、失い、変化したのだ。

ミゼッタがそうだったように。

「ティアント領での経緯については……ミュラー伯爵も同席していた方がよろしいかと思います。僭越ですが、エックハルト様もお疲れでしょうし、まずは入浴して、お食事をなさってはいかがでしょうか?」

「む……それも、そうか。確かに、淑女と逢瀬するのに相応しい格好ではなかったかも知れない。すまない、ミゼッタ。どうも最近は貴族のお坊ちゃんとして振る舞う機会がなかったものでね、無作法を許して欲しい」

微笑み直すエックハルトの、表情自体は以前と同じだ。

でも、雰囲気が違う。端的に言うなら、何度か修羅場を潜った人間の匂いがするのだ。レオポルドにもそれはあったし、あるいは第二王子殿下にも、ジャックにもノヴァにもある。自分と他人の生死に、明確に関わった者の雰囲気だ。

「エックハルト様。私も、エックハルト様のことを聞きたく思います。これまでなにをされていたのか、私は、なにも知りませんでしたので……」

「そうだね。我々はお互いのことを知らなすぎる。きみが言うように、入浴して、食事をして、それから兄上を交えて話そう。町できみがやっていたことも、聞かせてくれるんだろう?」

微笑に、ほんのわずかだけ棘が混ざる。

この男が『癒やしの聖女』を無警戒に身内扱いしていないのを察して、ミゼッタはむしろ嬉しくなってしまった。貴族の自分が元村娘の少女から愛されて当然だなんて、傅かれ、言いなりになって然るべきとは、今のエックハルトは思っていないのだ。

名を売った甲斐があった。

ようやく――ミゼッタは婚約者と同じ目線で向き合える。

◇◇◇

夕食後に談話室に集まったのは、ミゼッタ、エックハルト、そしてエックハルトの兄である現ミュラー伯爵、ヴィルハルト・ミュラー。それからヴィルハルトの婚約者であり、前ミュラー伯爵の死から一年が経過した折には結婚式の予定が入っているマルグレーテ・アコード。それから何故か斥候役のノヴァと、少年剣士ジャック・フリゲートも。

ジャックの方は相変わらずの図太さで、メイドが用意した茶を飲んだり用意された菓子を摘まんでいたが、ノヴァの方はかなり居心地悪そうだった。

そしてエックハルトは、そんな二人にあまり気を払わなかった。ジャックを窘めることもしなければ、ノヴァの緊張を解すようなことも言わず――その場の面々を見回してから、するりと当然のように口を開いた。

「こうして一堂に会するのはもしかすると初めてかも知れないね。マルグレーテ義姉様も、随分とご無沙汰しておりました。兄上も、心配をかけたかも知れないけれど、今のところは、上手くやっているつもりだ。噂は届いている?」

「あ、ああ……おまえにばかり大変な思いをさせてすまない」

ヴィルハルトが少し戸惑うような素振りを見せたのは、自分が知っているエックハルトと眼前のエックハルトの差異のせいだろう。

ミゼッタとエックハルトのつき合いなんて、ほんのわずかなものだったが、ヴィルハルトは長年を共にした兄弟なのだ。あの誠実で優しかったエックハルトが、なにかしらの修羅場を潜ってきた、傍目にそれが判ってしまうのは……兄としては、喜ばしいことではないだろう。

「大変じゃなかったといえば嘘になるけど、結局は身から出た錆さ。こういうふうに錆が出るとは思ってもいなかったけど――父の選択と、その選択を受け入れた私と、それを善しとした我が家の責任だ。そういえば、母上は?」

「王都の屋敷に行っている。行っているというか……まあ、もう戻っては来ないだろう。引き継ぎは済ませているから、領地運営に問題はない」

そういえば、母上は……か。

薄情だと切って捨てるには、いろいろ見過ぎてしまったミゼッタである。口から吐き出した言葉が内心を表しているだなんて、そんな簡単なわけがない。

「そうか。それでは、まずは私の話からしよう」

ミゼッタがレオポルドの駒として動いている最中、当然ながらエックハルトもレオポルドの駒として動いていた。

当時は理解していなかったが、エックハルトが言っていたことは事実だった。レオポルドの駒として動くことが、レオポルドの利になり、自身の利になる。レオポルドだけが利を貪るようなことには、ならなかった。

エックハルトの場合、ロイス王国中で起きている細かな揉め事に首を突っ込んで回っていたそうだ。

ミゼッタ自身がヴィクター・イルリウスの案内に従って貴族家を回っていたように、エックハルトも当初はイルリウスの手の者に導かれるまま、どこぞの貴族家を困らせている山賊を退治したり、あるいは貴族の本家と対立している分家の両者に介入してイルリウス侯爵家の利を得るよう立ち回ったり、『エックハルト』という旗を振りながら、目についた戦力を召し抱え、いつの間にやらロイス王国の便利な傭兵団のようになっていたという。

いくつかの揉め事に介入したことで、エックハルト個人と貴族家との繋がりもできて、次第にイルリウスの先導なしで立ち回ることが増えた。

クラリス・グローリアは「ロイス王国は平和だ」と言っていたらしいが、なるほど、確かにエックハルトが介入した争いのほとんどは、放っておいたところで現状はなにも変わらなかっただろう。

誰かが損をして、誰かが得をする。

そんなことは世界中の全ての場所で行われているし、そんなものに横槍を入れて解決して回っても、大した影響はないと言える。

だが、それでも確かに助けられた者がいて、助かった民がいて、敵として殺された者がいる。『平和』とは、そのような中でなお社会が十分に機能していることを言うのかも知れない。ティアント領にブリッツ殿下がもたらそうとした『混沌』が訪れれば、あの地の社会は十分に機能しなくなっただろう。

では、なんのためにエックハルトはそんなことを?

もちろん当初はイルリウス侯爵家の利得のためだ。レオポルドが助けたい者を助け、貶めたい者を敵に回し、エックハルトの社会的立場を損なわないように先導していけば、『揉め事を解決するエックハルトを支援するレオポルド卿』という図式が生まれる。一度生まれてしまえば、レオポルドの手を離れたとしてもエックハルトの功績の幾ばくかはレオポルドに回ってくる。

そうして誰かに「さすがはイルリウス侯爵」なんて言われたなら、あのカマキリみたいな男は「あの若者が頑張ったに過ぎません。私の助力など微々たるもの」とでも言ってのければいい。

ともあれ、そんなふうにしてエックハルトは彼自身の戦場を――平和な戦場を渡り歩き、エックハルトの戦力を構築していった。

その『傭兵団』を率いてミュラー家に戻って来たわけだが、これで得られたエックハルトの利は、大きく分けて二種類だ。

レオポルドが利を得たように、エックハルト自身もまた介入して助けた相手に恩を売り、知己を得た。個人的な繋がりが生まれ、その相手はエックハルトに助けられている。である以上、彼らは『グローリア伯爵家に対し非道を行ったミュラー伯爵家』の噂話には乗れなくなる。

単純に、ミュラー家の信頼回復に一役買ったわけだ。

そしてもうひとつは、エックハルト個人の戦力が得られたこと。この『平和』なロイス王国において、実戦経験豊富な実用部隊は実のところ、かなり珍しい。イルリウス領の黒甲騎士団ですら大きな実戦の経験はそれほどなく、部隊を小分けにして出張のようなことをさせていると聞いた。

だからというべきか、何年かに一度訪れるエスカード辺境領における魔族戦は、ロイス王国の戦力を披露する貴重な機会であり、あまり楽しい話ではないが、戦力を減らす機会でもある。実際、エスカードの魔族戦でミゼッタが助けられなかった者だっていた。死体が運び込まれても治しようがないからだ。

さておき――戦力を得て、エックハルトになんの得があるのか。

当然ながら、ナメられなくなる。これは貴族社会において、本当に 莫(・) 迦(・) ら(・) し(・) い(・) こ(・) と(・) だ(・) が(・) 、 莫(・) 迦(・) に(・) な(・) ら(・) な(・) い(・) 優位点だ。

さらに言うなら、現在のエックハルトは領主の弟であり、エックハルトの傭兵団は領騎士でもなんでもないのだ。ということは、領主の判断ではなくエックハルト個人の裁量で戦力を動かせることになる。しかもこの個人は、レオポルド・イルリウスが導いた個人であるときた。

手を貸して欲しい貴族だっているだろう。

イルリウスの伝手を使うのもいい。これまでエックハルトが介入して知己を得た貴族の伝手だって構わない。実力を示して回った成果だ。

こうなると、いよいよ『グローリア伯爵家に対し非道を行ったミュラー伯爵家』という評判は、鎮まらざるをえない。

「なるほど……本当に、苦労をかけたな、エックハルト」

話の区切りがついたところで、ヴィルハルトが感慨を吐き出すように言った。

エックハルトの語りは貴族の若者らしくなく、自慢げなふうでも苦労を強調するふうでもない淡々としたものだったが、その平坦な説明が逆にヴィルハルトに弟の苦労を想像させたのだろう。

「大変ではあったけど、それはいいんだ。兄上の方は、どうだい? グローリア家との関係は……どのようになっているか、訊いても?」

「意外なほど大人しいというか……なにも言ってこないし、なんの接触もない。昔のような関係ではいられなくなるだろうが、商売上の交流はそのまま続いている。これは両家の商売というよりは、商人同士の交易だから、関知していないと考えるべきか……グローリアの伯爵がなにを考えているのかは、ちょっと判らない」

「まあ、こちらも父を殺されているからね……」

とはいえ、その原因がミュラー家にあるのは自明だ。そしてミュラー家の謀略に、グローリア家も乗ってしまったのも、事実ではある。

「では、次にミゼッタ。きみの話を聞かせてくれ。レオポルド卿の指示に従って動いていた話、それから、ジャックとノヴァを派遣したティアント領でのこと。そして我が領に戻って来てからの、きみの 慈(・) 善(・) 事(・) 業(・) についても、ね」

また微笑を浮かべたエックハルトが、ミゼッタへ視線を向ける。

それでようやく――彼の笑みが、ブリッツ殿下のニヤニヤ笑いと同種のそれだと理解が及ぶ。とりあえず微笑んでいるだけの、仮面だ。彼の語った戦いが、彼にそのような仮面を被らせたのだろう。

ふぅ、とミゼッタは息を吐く。

あまり知っているとは言えなかったが――本当に、ミゼッタが知っているエックハルト・ミュラーと同一人物とは、考えない方がいいだろう。

甘っちょろさが、ない。

伯爵家のお坊ちゃんでは、もうなくなったのだ。

「判りました。これまで私がなにをして、なにを見て、なにを知ったのか――聞き苦しいところもあるでしょうが、話します」