軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第13話 フィーネの一日

——ナカムラさんが、隣領との交渉で三日間留守にしている。

朝。

目が覚めた。いつもより少し早い。窓の外がまだ薄暗い。

枕元のメモ帳を開く。昨日ナカムラさんが書いてくれた「留守中の業務リスト」が挟んである。

一、噴水のルーン石の状態を確認すること。

二、南区の排水溝の定期清掃の日程を住民に告知すること。

三、台帳の未登録者がいないか、アルノルドさんに確認すること。

四、何か問題が起きたら、自分で判断してよい。ただし、判断の根拠をメモに残すこと。

四番目の項目に、小さく線が引いてある。ナカムラさんが特に大事だと思ったところには、いつも線を引く。

(判断の根拠をメモに残す。——わかりました、ナカムラさん)

顔を洗って、髪を結ぶ。赤毛を一つに束ねると、首の後ろがすっきりする。母の形見の髪留めで留めた。たいしたものは持っていないけれど、髪留めだけは母から受け継いだ。手洗いの水盆に映る自分の顔を見た。琥珀色の瞳が不安げに揺れている。

頬にまだ昨日のインクが残っていた。こすって落とす。

……落ちない。三日間落ちない。もう顔の一部になりつつある。

◇ ◇ ◇

午前。執務室に座った。

最初の仕事は、住民からの陳情の受付だ。

ドアを開けると、もう三人並んでいた。

「フィーネ様。うちの屋根が漏れてるんですが」

「はい。——えっと、場所はどちらですか」

「南区の通り沿いです。角の家で」

メモ帳に「みなみく、かどのいえ、やねのあまもり」と書く。

「確認しますね。修繕の優先順位はナカムラさんが——あ、いま留守なので、えっと——」

(待って。四番目。「自分で判断してよい。ただし、判断の根拠をメモに残すこと」)

「——確認は今日中にします。屋根の状態を見て、緊急なら予備費から修繕費を出します。予算案の柱二、民生費の住居修繕の項目です」

自分でも驚いた。ナカムラさんの言葉が、口から出てきた。

住民が目を丸くした。

「……フィーネ様。失礼ですが、少し変わられましたね」

「え? 変わりましたか?」

「前は『すみません、わかりません』ばっかりでしたから」

(そうだった。三ヶ月前の私は、住民の陳情に「すみません」としか言えなかった。——でも今は、予算案がある。台帳がある。根拠がある)

「まだ全然わからないことだらけですけど、調べられるようにはなりました」

二人目の住民は、井戸の水位が下がっているという相談だった。場所を確認し、メモ帳に「きたくのいど、すいいがさがっている。げんいんをしらべる」と書いた。「原因」という字を書こうとして、うまく書けなかったので簡易文字にした。

三人目が一番難しかった。隣家との境界線争いだ。

「フィーネ様、あいつの柴がうちの庭にはみ出してるんですが」

「ふざけるな、あの柴は先代からうちのものです」

二人のおじさんが執務室で口論を始めた。

(どうしよう。ナカムラさんならどうするだろう。——『記録』だ。記録があれば、事実がわかる)

「あの、お二人とも。台帳に住居の境界が記録されているので、確認してもいいですか」

台帳を開いた。ナカムラさんが聴き取りの時に、各住居の境界も記録していたのだ。課税の公平化のために各家の敷地面積を調べた「簡易的な地籍図」も作って、台帳に挟んであった。

「……台帳には、柴はトーマスさんの庭の側にあると記録されています」

「ほれ見ろ!」

「だ、だが、柴の根がはみ出しているのは事実ですよね。切るのではなく、枝を切り詰めて、はみ出しを解消するのはいかがでしょう」

二人とも渋々頷いたが、最終的に「領主様がそう言うなら」と納得した。

(できた……! 台帳があったから解決できた。ナカムラさん、私、やれました)

嘘じゃなく泣きそうになったが、堪えた。領主は住民の前で泣かない。——それはナカムラさんに教わったんじゃなくて、自分で決めたことだ。

◇ ◇ ◇

午後。噴水のルーン石を確認した。

光がやや弱くなっている。交換時期が近い。

メモ帳に書く。「るーんせき:こうかんじき、ちかい。よびのざいこ:かくにん」

倉庫で在庫を確認した。ルーン石の予備は確かにある。ナカムラさんが棚卸しした時に「今使っているルーン石は、あと半年は持ちます」と言っていた。それが切れたら予備に交換。予備があるから、しばらくは大丈夫。——合ってる。

(棚卸しって、こういうことだったんだ。「今あるものを全部数える」。数えておけば、いつ足りなくなるかわかる)

メモ帳に「たなおろし=いまあるものをぜんぶかぞえる→いつたりなくなるかわかる」と書いた。

前にも同じことを書いた気がするが、大事なことは何回書いてもいい。

その横に、「☆まいにち、ぜんぶかぞえる」と書き加えた。☆印は、「とくにだいじ」の印だ。ナカムラさんは教えてくれなかったけど、大事なことには印を付けたほうがいい気がした。

(ナカムラさんなら、これを何て呼ぶんだろう。「優先度」とか、そういう難しい言葉があるのかもしれない。——でも、私はただ「忘れたくない」と思っただけだ)

◇ ◇ ◇

夕方。アルノルドさんが来た。

「フィーネ様。ナカムラは戻ったか」

「まだです。明後日の予定です」

「そうか。——一人で大丈夫か」

「大丈夫です。……たぶん」

アルノルドさんが笑った。初めて見る笑顔だった。

「『たぶん』が付くあたり、嘘がないな。——何かあったら呼べ。俺は畑にいる」

「はい。ありがとうございます、アルノルドさん」

◇ ◇ ◇

夜。執務室で一人、帳簿を整理した。

今日の業務記録を書く。

「午前:陳情三件受付(屋根修繕・井戸の水位低下・隣家との境界線争い)。午後:ルーン石確認(交換時期近し)。夕方:アルノルドさんと未登録者の再確認(新規ゼロ)」

最後に、一行追加した。

「判断の根拠:予算案の柱二・民生費を参照。棚卸し在庫との照合で緊急度を判定」

——ナカムラさんが見たら、なんて言うだろう。

「合格です」と言ってくれるだろうか。

たぶん、「概ね適切ですが、境界線争いの処理をもう少し詳しく書いてください」と言う。そういう人だ。

猫の木彫りをポケットから出して、デスクの上に置いた。倉庫の棚卸しで見つけた、レイガスさんの置き土産だ。雑な作りだけど、なんとなくお守りみたいに持ち歩いている。

「おやすみなさい、お父さん」

窓の外で、噴水の水音がしていた。

月明かりが昼間より明るい。今夜の月はいつもより大きい気がする。ナカムラさんなら「公転軌道の関係でしょう」と言うだろうけど、私にはわからない。わからなくても、月がきれいなのは確かだ。

明日も一人だ。明後日、ナカムラさんが帰ってくる。

——もう一日、がんばろう。