作品タイトル不明
第73話 作られた大義名分と、空き箱の撤退準備
大西洋の深海に潜む原子力潜水艦の中で、G4(臨時四ヶ国協調体制)の新世代エリートたちが『極東制圧シナリオ』を正式に可決してから数週間後。
表の世界の空気は、急速に、そして意図的に濁り始めていた。
『――次のニュースです。国連安全保障理事会において、特定の民間企業による過度なエネルギーおよび通信インフラの独占が、世界的な安全保障上の重大な脅威となっているとする非難決議案が提出されました』
『欧米の主要メディアは一斉に、イージス・イノベーションズ社が途上国のインフラを人質に取り、不当な政治的圧力をかけているとする調査報道を発表。さらに、同社が国際法の監視を逃れた南太平洋の私有地において、未知の大量破壊兵器を開発しているという疑惑も浮上しています――』
都内の超高級タワーマンション。広大なリビングに設置された大型テレビから、アナウンサーの緊迫した声が流れていた。
「……なんか、最近パパの会社の悪いニュースばっかりだね」
ダイニングテーブルで朝食のトーストをかじっていたサチコが、心配そうにテレビ画面を見つめて呟いた。彼女の足元では、六歳になったユウキがAIロボットのプログラミングに夢中になっている。
「学校のママ友たちの間でも、少し話題になっているのよ。宗一くん、本当に大丈夫なの?」
結衣もまた、コーヒーを注ぐ手を止め、不安げな視線を私に向けてきた。
「心配ないよ、結衣、サチ。出る杭は打たれるというやつだ」
私は、極めて穏やかな、家族を安心させるための父親の笑顔を作って答えた。
「イージス社が世界のエネルギーと通信を便利にしすぎたせいで、昔のやり方で儲けていた古い企業や政治家たちが怒っているだけさ。彼らがメディアにお金を払って、嘘のニュースを流させているんだよ。……すぐに法務部が対応して、火消しをする」
「ふーん。まあ、パパの会社がそんな悪いことするわけないもんね。ユウキ、おもちゃ片付けて! 小学校行くよ!」
「はーい!」
サチコはあっさりと納得し、ユウキの手を引いて慌ただしく玄関へと向かっていった。
結衣も「気をつけてね」と二人を見送り、日常の家事へと戻っていく。
バタン、と玄関のドアが閉まった瞬間。
私の顔から柔和な笑みが完全に消え去り、絶対零度の冷気だけが残された。
家族には「ただの嫌がらせ」だと説明したが、事態はそんな生易しいものではない。
テレビから流れるあの報道は、四大勢力が国家の総力を挙げて仕掛けてきた、私を社会的に抹殺するための『 情報戦(プロパガンダ) 』の始まりに過ぎないのだ。
私はジャケットを羽織り、足早に六本木のイージス・イノベーションズ本社へと向かった。
* * *
「――ボス。欧米および中露のメディア・コントロールは、完全にG4のシナリオ通りに進行しています」
地下深くに広がるサイバー・コントロールルーム。
特注のレザーチェアに腰を下ろした私に、橘玲奈が手元のタブレットを操作しながら、氷のように冷たい声で報告した。
壁面の巨大モニターには、世界中のニュースチャンネルやSNSのトレンドデータが、リアルタイムで解析され表示されている。画面はどれも、イージス社を非難する真っ赤なキーワードで埋め尽くされていた。
「彼らが各国の主要メディアや通信社に投じた『裏金』のルートは、我が社のAIがすべて追跡・特定しています。ダミー財団を経由して流れた資金は、この一週間だけで数千億円規模。……これほどあからさまで大規模な世論操作は、歴史上類を見ません」
玲奈は、美しい顔に明らかな軽蔑の色を浮かべた。
「『イージス社は人類の敵』『神盾宗一は世界を支配しようとする独裁者』。……彼らは事実と嘘を巧妙に織り交ぜ、大衆の恐怖を煽り立てています。そして、そのプロパガンダを背景にして、国連という表の舞台で我々を『国際テロ組織』として認定させようと動いているのです」
「…… 大義名分(ストーリー) 作り、というわけか」
私は、冷めたコーヒーを口に運び、モニターに映る各国の首脳たちの白々しい演説映像を見下ろした。
「G4は、南太平洋のニヴルヘイムへ向けて『数百万発の飽和特攻』を仕掛け、日本を四分割するという狂気の軍事作戦を立案した。だが、いかに超大国といえども、何の大義名分もなしに他国の領土や民間企業を武力で蹂躙すれば、国際社会からの猛反発を受け、自国民からも支持を失う」
だからこそ、彼らはまず『物語』を作る必要があるのだ。
神盾宗一は、恐るべき大量破壊兵器を隠し持ち、人類を奴隷にしようとしている悪魔である。我々大国が武力を行使するのは、その悪魔から世界を解放するための『聖戦』なのだ、と。
「滑稽なものだ」
私は、喉の奥で低く笑った。
「彼らがでっち上げている『イージス社は宇宙や深海に未知の兵器を隠し持っている』という疑惑は、皮肉なことにすべて『事実』だ。……だが、私がその武力を行使するのは、彼ら大国が私の家族に牙を剥いた時だけだ。自分たちから私の領域を侵そうとしておきながら、私をテロリスト呼ばわりするとはな」
『ヒャッハー!! 全くだぜボス! あいつらの被害妄想と自己正当化には吐き気がするぜ!』
暗号化通信の分割画面で、南太平洋の要塞ニヴルヘイムにいるDr.クリス・ウォーカーが、腹を抱えて嗤った。
『だが、世間の馬鹿どもはあいつらの作ったニュースを鵜呑みにして、俺たちを悪者だと信じ込み始めてる。……連中の情報操作能力だけは、大国って呼ばれるだけのことはあるな』
「大衆は常に、わかりやすい敵と正義を求めるものだからな」
私は、モニターに表示されるSNSの暴言やデモ活動の映像を、無表情で見つめた。
前世の2065年。
大国どもが日本を焼き払った時も、彼らは同じ手口を使った。
「日本が資源を独占し、世界経済を不当に操っている」「日本政府の暴走を止めるため、治安維持軍を派遣する」。
そんな見え透いた嘘で国際社会を丸め込み、正義の面をして私の祖国を蹂躙したのだ。
歴史の修正力は、彼らに全く同じ 台本(シナリオ) をなぞらせている。
「ボス。このまま彼らのプロパガンダを放置すれば、国連での『テロ組織認定』は避けられません」
玲奈が、CFOとしての懸念を口にする。
「もし我が社が国際テロ組織と公式に認定されれば、特許ライセンスの強制無効化や、G4が『イージス排除の多国籍軍』を合法的に結成する大義名分を与えてしまいます。……我々の持つ真実のデータと、彼らの裏金の証拠を公表し、情報戦で 反撃(カウンター) を仕掛けますか?」
玲奈の提案は、表の経済と情報を支配する企業としては極めて真っ当な戦術だ。
我が社の握る情報を世界中のネットワークにばら撒けば、G4の首脳陣を一瞬にして失脚させることは容易い。
だが、私はゆっくりと首を横に振った。
「いや、反撃はしない」
「……よろしいのですか? それでは、彼らのシナリオ通りに事が進んでしまいます」
「進ませてやればいい」
私はレザーチェアから立ち上がり、壁面に広がる世界地図を見下ろした。
「彼らが欲しいのは、我々を攻撃するための『免罪符』だ。情報戦で彼らの面目を潰しても、彼らは強引に国連を動かし、最後には武力で押し切ろうとするだろう。……ならば、彼らに最高の 舞台(シチュエーション) を用意してやろうではないか」
私は、暗号化通信のもう一つの画面に視線を向けた。
「ヴィクトル。地上の動きはどうだ」
『――ボスの予測通りです。情報戦の激化に呼応するように、日本国内でも不穏な兆候が表れ始めています』
ヴィクトル・イワノフが、冷徹な声で報告する。
『G4の工作員たちが、メディアや野党の政治家、さらには日本政府の一部官僚に対して猛烈なロビー活動(裏工作)を行っています。……「イージス社を切り捨ててG4側につけば、日本の安全と権益は保障する」と。彼らは、我々の足元である日本政府を内側から切り崩そうとしています』
「……なるほど。前世でもそうだったが、外堀を埋められた途端に尻尾を振る連中は、必ず出てくるものだ」
私は冷たく目を細めた。
日本政府は、イージス社の提供する無限のエネルギーと富に完全に依存している。だが、彼らは根本的に事なかれ主義の化石たちだ。世界中から「日本はテロリストを匿っている」と非難され、超大国の軍事力が太平洋に集結する恐怖に直面すれば、彼らが自己保身のために私を裏切る可能性は極めて高い。
「ボス。もし日本政府がG4に屈し、自衛隊や警察を動かして我々の本社やご家族の確保に動いた場合……どう対処しますか?」
玲奈が、最悪のシナリオを口にする。
「裏切るのなら、それも良し。私が護りたいのはこの国の政府ではなく、私の家族の命だけだ」
私は、デスクの上に置かれた家族の写真を一瞥し、極低温の意志を声に乗せた。
「玲奈、ヴィクトル、クリス。……我々はこれより、すべての『表の空き箱』を捨てる準備に入る」
「空き箱……ですか」
玲奈が、私の意図を即座に理解し、口元に冷酷な笑みを浮かべた。
「そうだ。G4が多国籍軍を結成し、数百万発の飽和特攻を仕掛けてくるというのなら、日本国内に留まるのはリスクが高すぎる。自衛隊や警察までが敵に回れば、いかにシャドウの防衛網でも、家族を完全に守り切ることは難しくなるからな」
私は、南太平洋に浮かぶ孤島要塞『ニヴルヘイム』の座標をモニターに表示させた。
「国連のテロ認定が下り、日本政府が我々を裏切るその瞬間。……私と家族、そして君たちヴァルハラの中枢メンバーは、ニヴルヘイムへと完全退避する」
「了解いたしました。……日本の金融機関に預けていた数百兆円の流動資産は、すでにスイスとケイマン諸島のオフショア口座を経由し、彼らの手が届かないブロックチェーン上の仮想空間に完全に隔離されています」
玲奈の指が滑らかにキーボードを叩き、無機質な電子音がコントロールルームに響き渡る。
「イージス社が保有する特許データ、顧客情報、そして深海プラントの制御コードも、すべて物理的に 消去(パージ) し、ニヴルヘイムの量子スーパーコンピュータへと転送します。……日本政府やG4がこの六本木本社ビルに踏み込んでも、彼らが手にするのは完全に中身が空っぽになったただのガラスの塔だけです」
「見事だ。彼らは自分たちの裏切りが、自らの首を絞める結果になるとは夢にも思っていないだろうな」
私は、窓ガラスに映る自分の冷酷な顔を見つめながら、静かに告げた。
「大国どもは、私が孤島に逃げ込んだと知れば、狂喜してその全戦力を南太平洋へと差し向けてくるだろう。……彼らが人類の総力を挙げて、私という特異点を排除しに来るその時に」
私の脳裏に、軌道上で私の命と直結して静かに回る『神の 雷(トール・ハンマー) 』の威容が浮かび上がる。
「私は、彼らの希望も、大義名分も、そして国家という存在そのものを、 宇宙(そら) から物理的に粉砕する」
私が命を懸けて完成させた、絶対報復システム。
そして、クリスが構築した無限のプラズマ迎撃網。
彼らが正義の御旗を掲げて放つ数百万発の暴力が、すべて無に帰すその瞬間、彼らは本当の『絶望』を知ることになるのだ。
『――監視プロトコル、フェーズ5へ移行。世界各国の世論誘導データ、および国連決議案のトラフィック解析を継続中』
サイバー・コントロールルームに、無機質なAIの電子音声が静かに響き渡る。
世界中のメディアが作り出す偽りの正義も、大衆の熱狂も。
一切の感情を持たないイージス社のスーパーコンピュータにとっては、ただの『処理すべき変数』に過ぎない。
歴史の修正力に抗うための、極東の悪魔の完璧なシナリオ。
すべてを空き箱にして『聖域』へと退避するその日に向け、絶対零度のカウントダウンが、狂奔する世界の裏側で静かに、そして無慈悲に時を刻み続けていた。