作品タイトル不明
第53話 通信途絶の真実と、泥を這う大国のトップたち
西暦2028年、秋。
イージス・イノベーションズの『神の 目(オーディンズ・アイ) 』による解析の結果、大国の首脳陣による極秘会合の場所が、スイス・アルプス山脈の奥深くに位置する『シャトー・デ・エーデルワイス』であると特定されてから数日後。
東京、六本木ヒルズ。
イージス本社の地下に広がるサイバー・コントロールルームで、私は特注のレザーチェアに腰掛け、巨大なモニターに映し出された世界地図を冷ややかに見つめていた。
「――ボス。Dr.クリスが開発したナノ・ドローン『ベルゼブブ』の輸送部隊、無事にスイス国内へ潜入を完了しました。作戦決行日である三週間後、彼らが古城に集結するタイミングに合わせて、ドローンを城内へ放ちます」
暗号化通信のモニター越しに、ヴィクトル・イワノフが報告する。
「ご苦労。……だが、ヴィクトル。一つ解せないことがある」
私は、手元のマグカップに入ったコーヒーを口に運びながら、静かに問いかけた。
「いかに彼らがスイスの古城という『密室』を用意しようと、彼らはアメリカ、中国、ロシア、欧州連合を代表する最高権力者たちだ。彼らが自国を離れ、スイスへ向けて物理的に移動する過程で、なぜ我々の監視網(神の目)に一切の『デジタルの痕跡』が引っかからなかったのだ?」
「……おっしゃる通りです。私もその点が疑問でした」
ヴィクトルは火傷の痕が残る顔をしかめ、手元のコンソールを操作した。
大国のトップが動けば、必ずフライトプランが作成され、護衛のSPたちが無線のやり取りを行い、外交ルートでの事前交渉が行われる。それら地球上のあらゆる通信は、イージス社の衛星網を介して完全に我々の監視下にあるはずだ。
「彼らがどれほど暗号化通信を使おうと、通信が発生したという『パケットの痕跡』自体は残る。それが月に一度、数時間完全に『途絶』するというのは、現代の国家運営において異常すぎる」
隣に立つ橘玲奈が、CFOとしての鋭い視点で分析を加える。
「ええ。そこで我々は、過去三回の『空白の期間』における、彼らの物理的な移動ルートの全容を、アナログな手法を交えて徹底的に洗い直しました」
ヴィクトルの言葉と共に、メインモニターに四つのルート図が表示される。
「その結果……我々は、彼らの常軌を逸した執念を目の当たりにすることになりました」
ヴィクトルが最初に拡大したのは、アメリカ大陸から大西洋を横断するルートだった。
「アメリカのCIA長官の移動ルートです。……彼は会合の日、自分のスマートフォンやスマートウォッチはおろか、ペースメーカー等の医療機器の通信機能すらも物理的に破壊し、ペンタゴンの執務室に置き去りにしています。そして、顔を変装し、護衛のSPすらも全員切り捨て、たった一人で民間人に紛れてワシントンを脱出していました」
「なんだと?」
私は思わず眉をひそめた。世界で最も命を狙われている諜報機関のトップが、護衛をつけずに単独で動くなど、自殺行為に等しい。
「移動手段は、政府専用機ではありません。彼は身分を偽造し、ニューヨーク港から出港する『民間貨物船のコンテナの中』に隠れて大西洋を横断し、欧州へ上陸していました。コンテナ内は電波遮断シートで覆われ、GPSによる追跡は一切不可能です」
「……コンテナの中に引きこもって移動したというのか。あのプライドの塊のような大国の権力者が」
玲奈が、信じられないものを見るように絶句した。
「アメリカだけではありません」
ヴィクトルは次に、ユーラシア大陸のマップを拡大した。
「中国の国家安全部(MSS)トップは、北京から特別列車を使うと見せかけ、途中で影武者とすり替わっています。本人はチベットの山岳地帯を抜け、旧式のジープと『徒歩』で国境を越え、陸路で中央アジアを経由して欧州入りしていました。……ロシアのFSB高官に至っては、現代の航空管制システムに引っかからないよう、電子機器を一切積んでいない『旧ソ連時代の複葉プロペラ機』を使い、超低空飛行でレーダー網を掻い潜ってスイスへ飛来しています」
「そして極めつけは、欧州連合の安全保障トップです。彼はスイスへの入国記録を残さないため、登山客に偽装し、冬のアルプス山脈を文字通り『雪中行軍』で歩いて越えて古城へと向かっていました」
モニターには、各国のトップたちが泥にまみれ、雪にまみれながら、必死の形相でスイスの古城を目指すシミュレーション映像が流れている。
それは、現代のスーパーハッカーやAI監視網が絶対に予測できない、極限まで『アナログ』に振り切った移動手法だった。
彼らは理解しているのだ。デジタルな機器を一つでも持ち歩けば、あるいは電波を一度でも発すれば、その瞬間にイージス社の『神の目』に捕捉され、自分たちの行動が完全に筒抜けになるということを。
「……なるほど。だから『空白』が生じたのか」
私は、モニターの映像を見つめながら、低く息を吐き出した。
国家の最高権力者たちが、冷暖房の効いたファーストクラスや政府専用機を捨て、貨物船のコンテナに隠れ、山を歩き、旧式のプロペラ機で命懸けの移動をする。
彼らがそこまでして守りたかったのは、他でもない『誰にも知られずに顔を合わせる』という、たった一つの目的のためだ。
「彼らは、本気ですね」
玲奈が、畏怖と嫌悪の入り混じった声で呟く。
「国家の威信も、自らの命の危険すらも投げ打って、泥を這ってでもイージス社を排除するための密談を行おうとしている。……彼らをそこまで駆り立てているのは、我々に対する底知れぬ恐怖と、それ以上の『憎悪』です」
「ボス。いかがなさいますか」
ヴィクトルが、通信越しに静かな殺気を放ちながら問いかけてくる。
「彼らの移動ルートがアナログであると判明した以上、道中で彼らを『事故に見せかけて』始末することは容易です。コンテナごと海に沈めるか、プロペラ機を山肌に激突させるか。……スイスの古城に集結する前に、彼らの命を刈り取りますか?」
暗殺。
それが最も確実で、効率的な手段であることは間違いない。大国のトップたちの首を挿げ替えれば、彼らの計画は一時的に頓挫し、再び権力闘争の混乱に陥るだろう。
だが、私は手元のコーヒーカップを置き、静かに首を横に振った。
「……いや。手は出さない」
「よろしいのですか? 彼らの執念は異常です。放置すれば、必ず我々の脅威となる決断を下します」
「彼らが泥を這い、命懸けでスイスの古城に集結しようとしているのは、人類の闘争本能……すなわち『歴史の修正力』が彼らを背中から押しているからだ」
私は、窓ガラスに映る自分の冷酷な顔を見つめながら、静かに語った。
「ここで彼らを暗殺したところで、大国のシステムはすぐに新しいトップを補充する。そして、暗殺されたという事実が彼らの憎悪をさらに煽り、より凶悪で統制の取れない形での報復を生むだけだ。……小手先の暗殺で『歴史』は変えられない」
前世で私の家族を焼き尽くした、大国同士の結託。
今世でも、彼らはイデオロギーを越えて手を結ぼうとしている。その抗いようのない運命の流れを、私は真っ向から受け止める覚悟を決めていた。
「彼らには、古城へ集まってもらおう」
私は立ち上がり、壁面に広がる世界地図を冷酷に見下ろした。
「彼らがどれほど泥を這い、アナログな移動で監視の目を逃れようと、最後に辿り着くその密室には、すでにクリスの開発した『神の 耳(ベルゼブブ) 』が待ち構えている。……彼らが死に物狂いで準備した『反撃のシナリオ』を、我々は特等席で一字一句、最後まで聞かせてもらうのだ」
「……そして、彼らが国家の総力を挙げて立ち向かってきたところを、叩き潰すのですね」
玲奈が、私の意図を理解して悪女の笑みを浮かべる。
「そうだ。彼らが人類の総意として最大の軍事行動を起こす、その瞬間に……宇宙から絶対的な力を見せつける。彼らの誇りも、執念も、すべてが圧倒的な無意味であると骨の髄まで教え込んでやるのだ」
大国どもは、自分たちが極東の悪魔の監視を出し抜いたと信じて疑わないだろう。
コンテナの暗闇の中で、あるいは雪山の吹雪の中で、彼らは「この苦労の果てに、イージス社を排除できる」という希望に胸を膨らませているはずだ。
「存分に希望を抱くがいい、大国ども」
私は、モニターに映るスイスの古城の位置を示す赤い光点に向けて、冷酷な宣告を下した。
「お前たちが最も高い希望の頂に達した時……私が、お前たちを絶望の底へ物理的に突き落としてやる」
三週間後の密会に向けて、大国たちの執念と、極東の悪魔の冷徹な罠が、静かに交錯しようとしていた。