軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第52話 アナログな防壁と、歴史の痕跡を追う神の目

沖縄のプライベートリゾートでの短い家族旅行を終え、私は一人、専用のステルス・ジェットで東京へと帰還した。

「パパ、またお仕事? せっかくの旅行だったのに」

「すまない、サチ。世界中がパパの会社を必要としているからね。……次のお休みには、サチの行きたいところにどこへでも連れて行くよ」

空港で見送ってくれた娘の少し不満げな顔をなだめながら、私は柔和な笑顔を作っていた。だが、東京の六本木ヒルズ、イージス・イノベーションズ本社の地下深くに足を踏み入れた瞬間、私の顔からは一切の温もりが消え去っていた。

アメリカ、中国、ロシア、欧州連合。

かつて敵対していた超大国たちが、イデオロギーの壁を越え、アナログな密談で結託を始めている。歴史の修正力が、再び私の家族を脅かす『最悪の同盟』を生み出そうとしているのだ。

その事実が、私の冷え切った魂にドス黒い殺意の炎を燃え上がらせていた。

「――お待ちしておりました、ボス」

サイバー・コントロールルームの重厚な防音ドアが開くと、橘玲奈と、モニター越しのヴィクトル・イワノフが私を出迎えた。

部屋の壁面を覆う巨大な世界地図には、無数のデータの波がリアルタイムで投影され、ヴァルハラの誇る情報網『神の 目(オーディンズ・アイ) 』が地球上のすべての脈動を監視している。

「ヴィクトル。大国共の首脳陣が潜伏する『ネズミの巣穴』は特定できたか?」

私は特注のレザーチェアに腰を下ろし、単刀直入に尋ねた。

『はい、ボス。結論から申し上げますと、次回の彼らの極秘会合の場所と日時を、九十九パーセントの確率で特定いたしました』

ヴィクトルは、顔の左半分の火傷の痕をモニターの光に照らされながら、冷酷な笑みを浮かべた。

「ほう。彼らはデジタルな通信を一切遮断し、徹底的にアナログな手段で移動していたはずだが。どうやって見つけ出した?」

『デジタルな通信を断とうとも、国家の最高権力者が物理的に移動する以上、必ず現実世界に「痕跡」が残ります。我が『神の目』のAIは、その微細な痕跡のすべてを統合解析しました』

ヴィクトルが手元のコンソールを操作すると、メインモニターに世界中の様々なデータグラフが展開されていく。

『まず、各国の軍事動向です。過去三回の「空白の期間」において、アメリカのデルタフォース、ロシアのスペツナズ、中国の特殊部隊などのトップエリートたちのシフトに、不自然な「訓練名目の不在」が重なっていました。彼らは首脳陣の極秘の護衛として動員されていたのです。

次に、航空局のデータ。四大勢力の政府専用機ではなく、彼らの息のかかったダミー企業のプライベートジェットの飛行ルートを洗い出しました。

さらに、決定的なのは「物資の流れ」です』

「物資、だと?」

『ええ。国家のトップが集まる以上、それなりのもてなしが必要です。フランスの特定シャトーからの超高級ワインの出荷、スイスの警備会社による最新鋭のジャミング装置の大量発注、さらには特定の山岳地帯における軍用レーション(糧食)の不自然な消費。……これら地球上で発生した何億という無関係に見えるデータを、量子コンピュータが結びつけました』

モニターの地図が拡大され、ヨーロッパのアルプス山脈、その奥深くの険しい山肌にポツンと立つ一つの城が赤くハイライトされた。

『スイス・アルプス山脈の奥深く。中世の古城を改装した超高級プライベート・シャトー、『シャトー・デ・エーデルワイス』。

三週間後。この場所で、四大勢力(G4)の影のトップたちによる、四回目の、そしておそらく「最終的な決議」を行う極秘会合が開かれます』

「見事だ、ヴィクトル。……デジタルを捨てれば逃げられると思い込んでいる化石どもに、情報網というものの真の恐ろしさを突きつける完璧な仕事だ」

私は、モニターに映るその孤立した古城を見つめ、低く笑い声を上げた。

どれほどアナログな手段に頼ろうと、彼らは現代社会という巨大なシステムの一部でしかない。私が地球全体に張り巡らせた『神の目』から逃れることなど、最初から不可能だったのだ。

「しかしボス、場所が特定できたとはいえ、この古城のセキュリティは現代の基準から見れば『絶対の密室』です」

隣に立つ玲奈が、CFOとしての冷静な視点で懸念を口にする。

「シャトーの周囲は、各国の特殊部隊によって何重にも物理的に包囲されています。上空は完全な飛行禁止空域。そして城内には、最新鋭の 電磁波妨害(ジャミング) 装置が稼働しており、外部との通信は一切不可能です。さらに、会議室の壁には鉛と銅のメッシュシールドが施され、窓ガラスにはレーザー盗聴を防ぐための微振動システムまで組み込まれています」

玲奈はタブレットをスワイプし、城の構造図を表示させた。

「彼らは我々のサイバー技術を恐れるあまり、徹底的にデジタルを排除した中世の城塞を作り上げました。インターネットに繋がっていない以上、ハッキングで中の会話を傍受することは不可能です。我々の誇るサイバーチームでも、この物理的な壁は越えられません」

「……なるほど。ネットワークが通じない完全な密室、か」

私は顎に手を当て、モニターの図面を冷ややかに見つめた。

「彼らも必死だな。自分たちの無力さを自覚し、殻に閉じこもるカタツムリのようだ。……だが玲奈。ネットワークの壁が越えられないのなら、物理的に目と耳を送り込めばいいだけの話だ」

「物理的に、ですか? ヴィクトルの『シャドウ』を潜入させますか? しかし、四ヶ国のトップエリートが護衛する城に生身の人間が忍び込むのは、あまりにもリスクが……」

「人間の目など使わない。……クリス、準備はできているな?」

私が別の暗号化回線を開くと、モニターの右半分に、南太平洋の要塞ニヴルヘイムにいるDr.クリス・ウォーカーの顔が映し出された。

『ヒャッハー!! 待ってたぜボス! アナログな引きこもり共の度肝を抜く、俺の最新のオモチャの出番だな!』

クリスは相変わらず血走った目で狂喜し、画面の前に小さなガラスケースを掲げてみせた。

『見な、ボス! ヴァルハラのオーバーテクノロジーの結晶、超小型生体模倣ドローン……通称『ベルゼブブ』だ!』

カメラがガラスケースの中をズームアップする。

そこにいたのは、一見するとただの「ハエ」か「蚊」にしか見えない、数ミリ程度の微小な虫だった。だが、よく見ればその羽や複眼は、極めて精巧に削り出されたチタン合金とナノガラスで構成されている。

「ナノ・ドローンですか……。ですがクリス、いくら小さくても、城内には強力な電波ジャミングが敷かれています。遠隔操作用の電波は確実に遮断され、ただの鉄屑になって墜落しますよ」

玲奈が訝しげに指摘する。

『ハッハッハ! 玲奈ちゃん、俺を誰だと思ってる! 現代の軍隊が使ってるような、原始的な電波通信なんか使うわけねえだろ!』

クリスは鼻で笑い、得意げに解説を始めた。

『このベルゼブブは、電波じゃなくて『量子レーザー通信』を使って、低軌道上にいるイージス社の衛星と直接リンクするんだ。肉眼じゃ絶対に見えない極細のレーザー光線でデータを送受信するから、城内を満たしている電磁波ジャミングなんて、文字通り『ただのそよ風』と同じで一切干渉できねえのさ!』

「量子レーザー通信……。ジャミングを完全に無効化するということですか」

玲奈が驚愕に目を丸くする。

『その通り! おまけに、こいつの動力は空気中の微小な温度差を利用した熱電変換モジュールだ。バッテリー切れの心配もねえ。鉛の壁だろうがなんだろうが、換気口のわずかな隙間から侵入して、ターゲットの頭上のシャンデリアにでも張り付けば、連中の密談は一字一句、超高音質で俺たちのサーバーに筒抜けってわけだ!』

「素晴らしいぞ、クリス」

私は、クリスの狂気的なまでの技術力に、心からの賛辞を送った。

「これで、彼らが頼りにしている『絶対の密室』は、我々にとって完全にガラス張りの劇場と化す」

四大勢力のトップたちは、自分たちが誰にも見られず、歴史の分岐点となる重大な決定を下していると信じ込んでいる。

だが実際には、彼らの謀議はすべて、極東の悪魔の特等席でポップコーン片手に鑑賞される滑稽なショーに過ぎないのだ。

「ヴィクトル。クリスの開発したナノ・ドローンを、スイスに潜伏させているシャドウの別働隊へ極秘裏に輸送しろ。……三週間後の会合当日、彼らが城に集結したタイミングで、ドローンを城内へ侵入させる」

『御意。空調ダクトの構造はすでに把握しております。確実に、彼らの頭上に神の耳を配置いたします』

ヴィクトルが、恭しく首を垂れた。

「頼んだぞ、ヴィクトル、クリス」

私が通信を切ると同時に、世界各地に散らばる『ヴァルハラ』のネットワークが音もなく起動した。

南太平洋の要塞では、微小なナノ・ドローンが厳重なカプセルに収められ、ステルス輸送機へと積み込まれる。そしてスイスの雪山では、暗視ゴーグルを装着した『シャドウ』の工作部隊が、誰にも気づかれることなく白銀の闇へと溶け込んでいった。

アナログな防壁に引きこもった大国たちへ向け、見えざる死神の羽音が、確かな死の気配を纏って飛び立っていた。