作品タイトル不明
第13話 侯爵夫妻の品定め
オレオ侯爵家の厳かな奥の間。
そこに集まっていたのは、現侯爵夫妻、そして嫡男のスティーブだった。テーブルの上には、スティーブが密かに集めたバルモン伯爵家の財政破綻の証拠、そして娘カサンドラの 醜聞(スキャンダル) が記載された書状が置かれている。
「……やはり、この婚姻は白紙にする他ないな」
重厚な声を響かせたのは、スティーブの父であるオレオ侯爵家当主ミカエルだった。その厳格な顔には、バルモン伯爵家に対する深い失望と侮蔑が刻まれている。
元々、親同士の約束で結ばれた仮初めの婚約だったが、侯爵夫妻はかねてよりカサンドラのあまりの高慢さに眉をひそめていた。
夫妻がバルモン伯爵家に完全に「失望」し、見限る決定打となったのは、半年前の王宮主催のチャリティ茶会での出来事だった。
その茶会は、孤児院や貧困層への支援を目的とした、貴族の義務を果たすための格式高い場だ。侯爵夫人も同席する中、カサンドラはあろうことか、自分が持参した寄付金――実家が借金まみれであるにもかかわらず、見栄のために用意した大金の額を自慢げに誇示し、あまつさえ、給仕をしていた平民の少女を大声で罵倒したのだ。
『まぁ、薄汚い手で私のお茶に触らないで頂戴! これだから、恵まれない血筋の人間は教育がなっていなくて嫌になりますわ。私の寄付金のおかげで干からびずに済んでいる自覚を持ちなさい!』
静まり返る茶会で、ヒステリックに平民を貶めたカサンドラ。
高貴な者ほど義務を重んじる『ノブレス・オブリージュ』という貴族の根本的な美徳を、彼女は一切持ち合わせていなかった。オレオ侯爵家の名を汚しかねないそのあまりの浅はかさと下品さに、侯爵夫人ナタリアはその場で頭痛を覚え、バルモン伯爵家との縁切りを密かに決意していたのだ。
「バルモン伯爵家は我が家の財産を目当てに、娘の不貞に目をつぶってまで婚姻を強行するつもりだったようだ。……だが、我がオレオ侯爵家に、あの不誠実で傲慢な女を迎え入れる席など一席もない」
侯爵夫人は冷ややかに微笑むと、隣に座るスティーブに視線を向けた。
「それで、スティーブ。バルモン伯爵家との婚約を破棄した後、あなたに意中の相手はいるの? まさか、カサンドラのような女に懲りて、一生独身でいるつもりではないでしょうね」
「まさか。私には、すでにこの生涯を懸けて娶りたいと決めている女性がいます」
スティーブは一切の躊躇なく答えた。その切れ上がった瞳に宿る熱に、夫妻は小さく目を見張る。
「ほう。王太子の懐刀として、浮いた話の一つもなかったお前がそこまで言うとはな。どこの令嬢だ?」
「令嬢ではありません。イザベルの専属侍女であり、オレオ侯爵家が誇る最も優秀な侍女、メリッサです」
その名を聞いた瞬間、侯爵夫妻の顔に驚きはなかった。むしろ、深い得心と、そして弾むような喜びの笑みが広がった。
「まぁ! メリッサなの!?」
侯爵夫人が歓声をあげるように両手を合わせた。
夫妻は、娘の専属侍女であるメリッサを、常日頃から高く評価していた。
学園を首席で卒業した彼女の才覚は、侯爵家の裏方の管理において遺憾なく発揮されていた。複雑な領地報告書の整理、夜会の完璧な手配の補助、さらには我が儘に育ちがちだった娘のイザベルを、非の打ち所のない気品ある淑女へと導いたその手腕。
それだけではない。メリッサはどれほど手柄を立てても決して驕らず、常に控えめで、周囲への気配りを忘れない、本物の気高さを持っていた。
「メリッサなら大賛成よ! あの子が我が家に来てくれたら、どれほど素晴らしいかしら。お茶会のたびに、あの子の教養の深さと気立ての良さを見て、我が家の嫁になってくれないかしらと、密かに思っていたのよ」
「うむ。身分は子爵家の出とはいえ、彼女の実績と品格は並の上級貴族の令嬢など足元にも及ばない。一応、遠縁の養女にして格差を埋めるという選択肢もあるのだが……メリッサの優秀さを見る限り、わざわざそんなことをしなくても良さそうだな。オレオ侯爵家の未来を任せるに、これ以上の適任はいないな」
侯爵も満足そうに深く頷いた。バルモン伯爵家との婚約破棄という不祥事の処理の最中だというのに、オレオ侯爵家はすでに「最高の嫁」を迎える歓迎ムード一色になっていた。
「しかし、スティーブ。メリッサには、確か第一騎士団に婚約者がいたはずではなかったか?」
「それについては、何も問題ありません。その男が、バルモン伯爵家のカサンドラと不貞を働いている張本人ですから」
スティーブが冷淡に言い放つと、夫妻の空気が一瞬で氷結した。
「……何だと?」
オレオ侯爵は、信じられないものを見るように目を見張った。
「バルモンの娘が、我が家を踏み台にしようとしているだけでなく、よりによってメリッサの婚約者と不倫を……?」
「はい。あの男は二年間もメリッサの給与を搾取し、カサンドラと逢瀬を重ねていました。メリッサ自身も、すでにその不実の証拠を完璧に揃え、決別を終えています。我が家に仇なすバルモン伯爵家、そしてメリッサを傷つけた不届きな騎士。二人を同時に、言い訳の利かない地獄へ叩き落とす『舞台』が必要でした」
スティーブの言葉に、侯爵は怒りに震える拳を机にドン、と叩きつけた。しかし、すぐにその顔に冷徹な当主としての笑みが浮かぶ。
「なるほど、スティーブ。お前が近々催される我が家主催の夜会に向けて、妙に慌ただしく動いていたのは、その二人の化けの皮を剥ぎ取るための罠を編んでいたからか」
「はい。父上、母上。夜会にて、オレオ侯爵家の威信にかけて、あの二人に逃げ場のない地獄を見せてやります」
「よろしい。徹底的にやりなさい。そして、傷ついたメリッサの心を、お前が責任を持って全力で幸せにするのだ。いいな?」
両親からの力強い大賛成と、全面協力を得たスティーブ。
ダリルとカサンドラが知らないうちに、彼らの破滅は、オレオ侯爵家全体の「総意」として確定した。
完璧な決別の夜会まで、あとわずか。
何も知らない愚か者たちが、最後の高笑いをあげる時間が近づいていた。