作品タイトル不明
第一章 ~『事実確認』~
「神官長」
状況を見ていた第二王子レナードが立ち上がる。
大きな声ではなかったが、神殿にいた者たちの注目が一斉に王族席へ集まった。
「過去一年分の魔力供給記録を出してくれるかな」
「魔力供給記録、でございますか」
「ああ。祭壇と補佐席、それぞれから流れた魔力は、魔石に記録されているはずだよね」
神官長の表情が曇る。
「確かに、記録は残されております。しかし通常、祈りの後に確認するのは、王都結界へ供給された魔力の総量のみでございます」
「供給元ごとの割合は確認していなかったと?」
「聖女候補が祈りを主導し、補佐官が不足分を支える。それを一つの儀式として扱っておりましたので……」
神官長は言いにくそうに言葉を切った。
セレーネは、聖女候補に選ばれた際の適性試験には合格している。聖杖を光らせ、浄化を行える聖なる力を確かに持っていた。
だから神殿も、儀式が成功している限り、誰がどれほどの魔力を供給しているのかまでは深く確認してこなかったのだ。
「けれど今、聖女候補の祈りは二度失敗した」
レナードは光を失った聖杖へ目を向ける。
「王都結界にも乱れが出ている。供給元を確認するには十分な理由だと思うよ」
「……おっしゃる通りでございます」
神官長が控えていた神官たちに命じると、二人が慌ただしく神殿の奥へ走っていった。
記録を待つ間にも、参列者たちのざわめきは収まらない。
セレーネは聖杖を胸元に抱き、俯いていた。カイルはそんな彼女を庇うように傍へ立ち、何度もアリアへ咎める視線を向けている。
だが、アリアは補佐席へ戻らなかった。
やがて神官たちが、魔力波形が記された紙の束を抱えて戻ってくる。
神官長はそれらを受け取り、直近に成功していた祈りの記録を開いた。
最初は淡々と数値を追っていたが、やがてその目が一か所で止まる。
「これは……」
「何が記されている?」
「祭壇中央から供給された魔力は、全体の一割にも届いておりません」
「では、残りは?」
「ほとんどが祭壇近くの補佐席の魔石を通じて供給されています」
神殿のざわめきが一段と大きくなった。
「その一度だけがそうなのかい?」
「確認いたします」
神官長は次の記録を開き、その次にも目を通す。
ページをめくるたび、指先に力が入っていった。
「こちらも同様です。祭壇中央からの供給量は一割前後。残る大部分が補佐席から流れています」
「補佐席から流れた魔力の持ち主は分かるかい?」
「魔力波形を照合いたします」
神官長は別の記録紙を取り出し、刻まれた紋様を重ね合わせる。
やがて、神官長は顔を上げた。
「……アリア様の魔力と一致しております」
つまり、祭壇のセレーネと三名の補助役が流した魔力をすべて合わせても、アリア一人の供給量には及ばなかったのだ。
「残りの記録もすべて確認してくれるかな」
「承知いたしました」
神官長は古い記録まで遡り、一枚ずつ数値と魔力波形を確かめていく。
神殿に紙をめくる音だけが響いた。やがて神官長は祭壇の中央にいるセレーネへ顔を向けた。
「過去一年、ほぼすべて同様の結果です。王都結界へ供給された魔力の大半は、アリア様のものでした」
「つまり、セレーネの祈りだけでは、結界を維持できなかったということだね」
「……そのように判断せざるを得ません」
皆の視線が、祭壇の中央にいるセレーネへ向かう。
これまで聖女候補として称賛されてきた祈りが、実際にはアリアの魔力によって成立していた。
その事実を前に、参列者たちの表情から期待が消えていく。
「お、お待ちください」
セレーネは胸元に聖杖を抱き、震える声を絞り出した。
「確かに、アリア様の補佐は受けていました。ですが、実際に祈りを捧げていたのは私です。私が祈りを導いたからこそ、結界が発動したのではありませんか」
セレーネの瞳に涙が浮かぶ。
その姿を見て、数人の貴族が判断を迷うように顔を見合わせた。
セレーネに聖なる力があることまで否定されたわけではない。聖女候補に選ばれたこと自体は、偽りではなかったからだ。
だが、レナードは表情を変えなかった。
「君に祈りを発動させる力があったことは、否定しないよ」
「でしたら――」
「けれど、アリアの魔力がなければ、王都結界を維持できなかったことも事実だ」
レナードは神官長の持つ記録へ視線を移す。
「これを補佐と呼ぶには、アリアが担っていた割合が大きすぎる」
「そ、それでも私は聖女候補です。アリア様は、あくまで補佐でしょう?」
セレーネは縋るようにアリアを見た。
「補佐官が聖女を支えるのは、当然の義務ではありませんか」
その一言で、セレーネへ向けられていた同情が引いていく。
先ほどアリアが、客人として招かれただけだと説明したばかりだった。
正式な辞令も契約もなく、報酬すら受け取っていない。善意で自分を支えていた相手に対し、セレーネは感謝するどころか、当然の義務だと言い切ったのだ。
「先ほどの話を聞いていなかったのかな」
レナードの声から、それまでの柔らかさが消える。
「アリアは正式な補佐官ではない。聖女認定式へ招かれた客人だ」
「ですが、これまで何度も補佐を……」
「彼女の善意でね」
セレーネは答えられず、唇を噛んだ。
「アリア、君にも聞きたいことがある」
レナードは祭壇から視線を移し、柱の脇に立つアリアを見据える。
「では、なぜ君は正式な役目でもない補佐を続けていたんだ?」
「セレーネ様は体が弱く、幼い頃からカイル様を慕っていたと聞いていました。私がカイル様の婚約者になったことで、兄を奪ってしまったような負い目を感じていたのです」
「それで、彼女を支えようと?」
「はい。いずれ家族になる相手です。祈りの補佐くらいなら構わないと考えていました」
セレーネの肩が揺れる。
「ですが、私の善意は、セレーネ様には届かなかったようです」
「どういう意味だい?」
「彼女は、私に嘘を吐いていました」
神殿内の空気が張り詰め、セレーネの指が、聖杖へ食い込んだ。
「最初は、疑うつもりなどありませんでした。ただ、不思議だったのです。セレーネ様の体調が崩れる日は、なぜか私とカイル様が約束をしている日と重なることが多かったものですから」
「偶然ですわ」
セレーネがすぐに口を挟む。
「体調が悪くなる日を、私が選べるはずがありません」
「私も、最初はそう考えていました」
アリアはセレーネから目を逸らさない。
「ですが、同じことを不審に思っていたカイル様のご両親から、グランツ家の主治医を紹介していただきました」
「父上と母上が……」
カイルの顔にも困惑が浮かぶ。
「そして、カイル様が傍にいなければならないほど重い病はないと分かりました」
神殿のざわめきが広がる。セレーネは聖杖を抱く腕に力を込めており、先ほどまで作っていた儚げな表情はもう保てなくなっていた。
「はっきり申します。セレーネ様は体が弱いわけではありません。カイル様に心配されるために、体調不良を装い、皆を騙していたのです」
「違いますわ!」
セレーネが叫んだ。
その声は神殿の天井に跳ね返るほど鋭く、今までの儚い聖女候補とは違っていた。
「私はただ……お兄様と一緒にいたくて……」
言い切る前に、セレーネは口を閉ざした。
だが、放たれた言葉は戻らない。
カイルの顔が強張った。
「セレーネ……僕とアリアの約束がある日を知っていて、君はわざと……」
カイルの問いに、セレーネは視線を逸らす。そして瞳に涙を滲ませた。
「お兄様は、ずっと私が一番だったのに……あなたが婚約者になるから……」
言葉が途切れ、神殿に沈黙が広がる。さすがのカイルもセレーネの言葉が嘘で、アリアが正しかったのだと理解した。
「アリア、僕は知らなかったんだ!」
「そうですね。ですが、それは同時に、あなたが知る努力をしなかったことも意味します」
「そ、それは……」
「少し疑えば分かったはずです。それでもカイル様は、義理の妹だからと許し続けました。そして、私が後回しにされました。だからレストランの一件で、婚約を白紙に戻し、セレーネ様の補佐もやめたのです」
カイルは何も言えずに黙り込む。一方のセレーネも聖杖を抱えたまま、祭壇の上で立ち尽くしていた。
「ここまでだな……」
レナードはカイルとセレーネを一瞥してから、神官長へ向き直る。
「ここまで記録と証言が揃っている以上、セレーネを聖女として認めることはできない。神官長も同じ考えでいいね?」
「はい、異存はございません」
話を聞いていたセレーネの膝が折れる。
聖衣の裾が石畳に広がり、抱えていた聖杖が手から離れ、床に乾いた音を立てる。先ほどまで彼女に向けられていた期待はもうない。あるのは、失望と疑念だけだった。
「お待ちください、殿下! セレーネは悪気があったわけではありません。体が弱く、それで仕方なく――」
「君は、先ほどの話を聞いていなかったのか?」
レナードの視線がカイルを射抜く。
「彼女は体調不良を装い、アリアの魔力を自分の功績として扱っていた。これで悪意がなかったと?」
「ですが……」
「罪は、償わなければならない」
レナードの意思の固さを感じ取り、カイルは言葉を失う。
王子の裁定に逆らえる者はいない。セレーネは床に座り込んだまま、震える手で聖杖を拾おうとするが、指先は何度も空を掴むだけで何も得られなかった。
「それから、カイル。君にも責任は取ってもらう。なにせ君は王都結界を実質的に支えていたアリアを軽視した上に、セレーネの虚偽を見抜けなかったわけだからね」
「殿下、私は……」
「私情を優先し、判断を誤った。少なくとも、騎士としての能力がないと私は判断する。本日をもって、君を護衛任務から外す。騎士としての処分については、改めて騎士団と王家で審議する」
「そ、そんな……」
カイルの顔が絶望に染まる。そんな中、彼は縋るようにアリアへ目を向ける。
「アリア、僕が悪かった。今度こそは君を優先する。だから僕との婚約を――」
「駄目です。私は何度も待ちました。何度も譲りました。そのたびに、あなたはセレーネ様を選んだのですから」
その言葉で、カイルはようやく失ったものの大きさに気づいたのか、その場に立ち尽くす。だが、アリアはもう彼を見ていなかった。