軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

99.嬉し涙へ

「──追いかけないのか」

エレーナが見えなくなったところで、襟首を掴まれたままだったアーネストは尋ねる。

「今レーナはなんて言っていた?」

滲み出ていたものは消え去って、呆然と、走っていった方向を見つめている。

「──慕っていたと」

「では何故逃げていく?」

「そりゃあお前の〝慕う人〟が自分だと思ってないからだろ? すれ違ってるぞ。はっきりと言えばよかったのに言わなかったからなお前も 」

エレーナ嬢のことになると馬鹿だなぁとアーネストは付け足した。

「ほら、このまま彼女が帰っていったら俺との婚約が成立する。いいのか ヘ(・) タ(・) レ(・) 王子殿下」

「うるさい黙れ。天と地がひっくり返っても、そんなことはさせない」

パッと手を離してリチャードはエレーナを追いかけて行った。

「…………まったく世話の焼ける2人だ」

放り出されたアーネストは芝生に座って溜息をついた。

◇◇◇

「レーナ待って!」

(なっなんで殿下が追いかけてきているの?!)

もう少しで庭園を抜ける、というところでリチャードはエレーナを視界に捉えた。

止まるつもりはない。スカートを捲し上げて裾を踏まないようにする。

「待てませんっ! 殿下こそ放っておいてくださいませ!」

ここまで来ると人がいる。周りの貴族たちが何事かと振り返って、王子殿下から泣きながら逃げるエレーナを凝視していた。

「言わないといけないことがあるんだ」

足の速さでは勝てない。追い付かれるのは確定だろう。こんな人がいるところで振られるのは堪らない。ならば。

くるりと方向転換し、人の居ない方にとにかく走る。

王宮の裏手の、ヴォルデ侯爵と出会った森の中ではなくて、丘の方をかけ登った。

あと少しでてっぺんというところでエレーナは石につまづく。綺麗に頭からずっこけたので、顔を上げると鼻がひりついた。

「ううぅ痛い」

「捕まえた」

起き上がろうとしたところを、大きな影が塞ぐ。トンッと自分の腕ではないものが、顔の横を通り過ぎた。

覆いかぶさったリチャード殿下は荒く息を吐き出す。それがかかるくらいの距離で、エレーナの心臓が早くなる。

「放っておいて下さいと言ったのに…………」

エレーナは涙を未だに零し続けていた。しゃくり上げている。

「レーナ、先程の話だけど」

「聞きません。私は返答を求めている訳では無いのです。ただ、そうだったんだと伝えるだけで終わりで、昨日、明日私が何をしても許してくださいとお願いしたじゃないですかぁ」

言っていることが支離滅裂だ。これではリチャード殿下に何も伝わらない。

ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて自由だった両手で隠す。

しかし直ぐに両手を取られて、地面に組み敷かれた。

「泣き止んで欲しい」

「抑えられません。出てきてしまうんです」

今も怖いですと小さく呟けば、リチャード殿下は目を伏せた。

「……怖がらせたことは謝るよ。だけどレーナ、僕は──」

「言わないでっ! もう分かります。殿下の慕う方は他にいるのに未練がましくなっていた私が悪いんです。ごめんなさい。だから……何も言わないで」

他に好きな人がいるから……と言われたら、それこそどんな失態をリチャード殿下の前でしでかすか分からない。

嗚咽が酷くなる。視界は涙で歪んで何も見えない。空の色と黒い影だけが色として認識される。

「ほんとに、あの、」

「いいよもう。──いつまで待っても気が付いてくれないことは分かった」

不貞腐れたかのような声色。

「え」

次の瞬間、ぐっと唇に柔らかいものが押し付けられた。仰天して涙が引っ込む。歪みが消えるとまつ毛とまつ毛が触れ合うほどのところにリチャード殿下がいた。

「その泡を食ったような表情、可愛いね。レーナは全部が可愛いよ。泣き顔、笑顔、怒った顔、しょげている顔、全部僕以外の誰にも見せたくないくらいに」

己の唇に移った紅をぺろりと舐めて笑い、エレーナの唇に指を滑らす。

突然の告白にエレーナは戸惑いを隠せない。

手袋越しに伝わるリチャード殿下の体温。意識しなくても触れられたところが熱い。

(泣き顔が可愛いって何? 新手の悪口? 誰にも見せたくないってそんなに酷いの?)

「レーナ、君は誤解しているよ」

両手離して彼は立ち上がった。

「なに……を?」

固まって起き上がれないエレーナの隣に移動してしゃがむ。

下に腕を入れたかと思うとグッとリチャード殿下との距離が縮まった。それだけで吃驚するほどエレーナの心臓は早鐘を打つ。

「僕が好きなのは今、目の前にいる人」

そう言って額を近づけてきた。コツンッと音がして2人の額がくっつく。殿下がふっと笑ったかと思うと、またエレーナの唇は奪われる。バクバクと心臓の音がうるさい。

「で、ですが……わた……し、しかここには」

エレーナはこれまでとは違う意味で涙が出てきそうになる。

「最初に出会った時から一目惚れだったんだ。──小さい頃からずっと好きだよ。他の誰にも渡したくないくらいには」

何が起こっているのか分からない。唯一分かるのは、彼に抱き抱えられているということで。俗に言うお姫様抱っこ状態だ。

「ずっと?」

頭が回らなくて単語でしか尋ねられなかった。それでも殿下はエレーナの聞きたいことを汲み取る。

「そうだよ。出会った瞬間から」

「私を?」

「君以外にだれがいるの。僕の心をいい意味でも、悪い意味でも乱すのはレーナだけだ」

気を緩めたようにリチャード殿下は笑う。そうなると胸の高鳴りを抑えることができなかった。

「エレーナ・ルイス公爵令嬢」

そっとエレーナを降し、跪く。

「は……い」

「泣かせ、悲しませてしまった自分には、こんなことを申し込む資格がないかもしれない」

そこまで言って、暫し黙り込む。

「──それでも手放せないほど、諦めきれないくらい愛しているんだ。だから私と──婚約していただけませんか」

そう言ってまだエレーナの顔に残っていた涙を優しく拭う。

差し出された手、ずっと願ってきた。欲しかった。その手を取るのは自分がいいと思っていた。

「私……でいいのですか?」

まだ信じられない。殿下が自分のことが好きだなんて。そんな素振りなかったじゃないか。

「他の誰でもない、レーナだから僕の妻になって欲しい」

エレーナの不安を、疑いを、払拭するようにキッパリとリチャード殿下は告げる。

「わ、私は……殿下に他に好きな人がいると思ってっ! こんな想い消さなきゃって、無駄なのだからと」

また視界がぼやける。

「いつ僕が他の人が好きだと言った?」

「だってぇ、何も、今まで、そんなこと言って下さらなかった」

自分のことを棚に上げて責める口調になってしまう。

「気がついてくれるかなと思ったんだ」

「分かるわけないじゃないですかぁ」

「──自分からデビュタントの令嬢にダンスを申し込んだのはレーナだけだよ?」

「あれ……は、リチャード殿下は優しいから私を助けてくれたのかと」

「それ以外にも先日の舞踏会があるよ。ファーストダンスに誘った」

「それはっ殿下の慕う人が舞踏会に居なくて、代わりに私を選んだのかと」

「踊るのは強制ではない。踊る相手がいないなら踊らないよ」

「だって、だって、そんな」

立ち上がったリチャード殿下の胸を、握った拳で思わずポカポカと叩く。

「もっと早く、言ってくださればいいのにぃ」

そうしたら、こんな苦労をしなかった。こんな悲しまなかった。無理に婚約者を探そうなんて思わなかった。両思いなんて誰が想像出来るというのか。

「ごめん。僕だってこれでも自信がなかったんだよ」

声を上げて泣くエレーナの背中をリチャード殿下は優しくさする。

「満足したかい? 他にも言いたいことがあるなら、悪口でも罵倒でも何でも受け止めるし、全部聞くよ」

そっぽを向いて耳を塞ぐ。

ここに来るまでの約二ヶ月間以外でも沢山泣いたし、悩み、後悔した。少しぐらい意地悪してもいいだろう。

無視して庭園の方に戻ろうとすれば、リチャード殿下はエレーナを自身の腕の中に閉じ込め、耳元で甘く囁いた。

「──婚約、してくれますか。僕の可愛いレーナ」

(……反則すぎるわ)

たった一言だけなのに、自分にとっては効果絶大で顔が赤くなるのを止められない。耳まで真っ赤な気がする。

答えなんてとっくのとうに出ていた。彼だってそれは分かっているのに。ふくれっ面になったエレーナを見てクスリと笑う。それは小さい頃からずっとエレーナだけに向けられていた表情だった。

「返答してくれないと困るんだけどなぁ。どっちだい? まさかしてくれないの?」

小さい子と視線を合わせるかのように、リチャード殿下は屈んで、俯いているエレーナを下から覗き込む。

「…………」

ふるふると首を横に振る。

「──じゃあ、してくれる?」

答える代わりに大きく何度も頷き、ギュッと首に手を回して抱きつけば、腰に腕を回され、足が地面から離れる。

「…………私がこれまで泣いた理由は全部リチャード殿下のせいです。擦り付けるなと言われても、ぜんぶ、ぜーんぶリチャード殿下のせいです」

「うん」

拗ねるように言う愛する人が可愛くて仕方がないとばかりに、リチャードはエレーナを見つめる。そして彼女の顔にかかっていた天鵞絨の髪を耳にかけてあげた。

「だから────その分幸せにしてくださらないと許しません」

涙目になりながらエレーナはリチャード殿下を睨みつける。しかしリチャードにとってそんな様子の彼女は可愛い以外の何物でもないので、笑みがこぼれただけだった。

「言われなくても。僕の一番大切で、愛している相手はレーナだから」

強く吹いた風によって周りに咲いていた花弁が宙に舞い、想いが通じ合った二人の姿を隠したのだった。