軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

初めての夫婦喧嘩

シャンティとギルフォードは二度目の式を挙げ、晴れて夫婦となった。

仮初夫婦の時とは違い、二人の間に隔てる壁はない。もともと夫婦仲は大層良かったが、式を挙げてからは目のやり場に困るぐらいラブラブだ。

これはもう、明日にでも赤ちゃんができちゃうかも!?

子供部屋はどこにしよう。おしめは今からたくさん用意しておこう。使用人たちはワクワクしながら吉報を待ち望み、料理長は早くも離乳食レシピを考え、執事のドミールに至ってはヨルシャ国で一番高級な家具屋にベビーベッドの見積もりを依頼している。

季節は晩冬なのに、ディアス邸だけはウキウキ春爛漫状態だ。けれども──

「もういいです!私、実家に帰らせていただきます!!」

シャンティのこの一言で、ディアス邸は真冬に逆戻りしてしまった。

怒りマックスのシャンティの声は、廊下まで響いてしまい、すぐさま使用人たちは「なんだ、どうした!?」と、仕事を放り出してディアス夫婦の寝室にわらわらと集まる。

しかし扉をノックする勇者はいない。使用員たちは、遅れてやって来た執事のドミールに縋るような眼差しを向ける。

「わかった。ここは私に任せなさい」

正直、夫婦喧嘩の仲裁なんてやりたくもない。そんな本音を心の中でぼやきながら、ドミールは軽く扉をノックして夫婦の寝室に足を踏み入れた。

普段のシャンティとギルフォードは、パンケーキにこれでもかとハチミツをぶっかけたような甘い空気をまき散らしているが、今の二人の間にある空気は最悪だった。

シャンティは黙々と荷造りをしており、ギルフォードはそれを阻止したいがどうしていいのかわからずオロオロしている。

そんな二人は、入室したドミールに全く気付いていない。少し悩んで、ドミールはわざとらしくオホンッと咳ばらいをした。

「あ、ドミールさん、ちょうど良かったです。馬車の手配をお願いします」

最初に気づいたシャンティがそう言った途端、ギルフォードが鬼の形相でドミールを睨んだ。

ダメだ。絶対に馬車を用意するなよ!そう無言で訴えるギルフォードには、誰もが恐れる軍人の威厳はどこにもなかった。

「もしかして……馬車の用意は急だと難しいですか?」

黙ったままのドミールを見て、シャンティは申し訳ない顔をする。

どこまでもお人好しのシャンティにドミールの胸は痛むが、この機を逃すほど彼は愚かではない。

「奥様、大変申し訳ございませんが……その通りでございます」

慇懃に腰を折ったドミールに、シャンティは「あ、いいんです!気にしないでください」と優しい言葉をかける。

更に胸を痛めるドミールの横で、ギルフォードはうっかり露骨に安堵の息を吐いてしまった。

それをしっかり見てしまったシャンティのクリクリの瞳が吊り上がる。

「ギルさん言っておきますが、私、明日は実家に帰らせていただきます」

「……そ、そんな。俺が悪かった!頼む!!ここにいてくれっ」

この世の終わりのような顔をするギルフォードを無視して、シャンティは再び荷造りをし始める。これは、ヤバい。

突如やってきた離縁の危機にドミールは途方に暮れてしまうが、ここでふと疑問に思う。そもそもこの夫婦喧嘩の原因はなんなのだろうと。

「恐れながら奥様……ご主人様はいったい何をしでかしたのでしょうか?」

ドミールが恐る恐る尋ねた途端、シャンティは待ってましたと言わんばかりに荷造りの手を止めて立ち上がった。

「聞いてください、ドミールさん!ギルさんったら、私の不貞を疑ったんです!」

「……と、申されますと?」

「今朝、ギルさんに起こされていきなりこう問われたんです。”フェルディナンドとはどういう関係だ?”って!」

「は、はぁ……」

「フェルディナンドは、昔故郷で飼っていたヤギの名前なんです!昨日ヤギのチーズを食べたから、夢に見ただけなのに!あんないい方しなくても……!まるで私が浮気してるみたいじゃないですか!!それにフェルディナンドは……女の子なんですよ」

憤慨するシャンティには申し訳ないが、夫婦喧嘩の原因が引くほどくだらない理由だった。あと雌ヤギにフェルディナンドと名付けるのもなかなか奇抜なセンスだ。

そんなことを頭の隅で思ったドミールは、どんな表情を浮かべていいのかわからない。

これが使用人だったら「しょーもなっ」の一言で済ますことができるが、さすがに主の奥方に向かって暴言を吐くことは許されない。

ドミールは、無言のままギルフォードに視線を向けた。

己の狭小さを白日の下にさらされたギルフォードは、言葉では言い表せないほど情けない顔をしている。

「夫婦喧嘩は犬も食わない」というが、年長者であるドミールはこれを放っておけるほど非情な人間ではない。とはいえ夫婦は、こういう危機を乗り越えて絆を深めていくものだ。

だから適度なアドバイスをギルフォードに与えて、ここは立ち去るのがベストである。しかし、その適度なアドバイスというのがなかなか難しい。眉間を揉みながら、ドミールはウンウンと唸る。

その姿に罪悪感を覚えたお人好しのシャンティは、今日は大人になってあげることにした。

「はぁーもうっ、仕方ないですね。ギルさん、今回だけは忘れてあげます」

腕を組んでギロッと睨みながら吐いた言葉は、ギルフォードを許す言葉だった。すぐにギルフォードの瞳に輝きが戻り、シャンティの肩を優しく抱き寄せた。

「ありがとう、シャンティ。もう二度と君にあんな失礼なことを言ったりしない。約束する」

真摯な言葉を紡ぎながら、ギルフォードはシャンティの顎に手をかけて仲直りの口づけをしようとしたが──

「ギルさん私、お願いがあるんです」

「……ん?」

口づけをかわし、ニコッと笑ったシャンティの目は笑っていない。嫌な予感がする。

ゴクリと唾を吞んだギルフォードに、シャンティは残酷な言葉を吐いた。

「今日から3日間、寝室は別々でお願いします」

「な……!」

死刑宣告を受けたような顔をするギルフォードだが、実家に戻られるより量刑ははるかに軽い。そうわかっていても、なかなか頷けない。

そんなギルフォードに、シャンティは追い打ちをかける。

「駄目ですか?」

「駄目ではないが……他のじゃ駄目か?」

「駄目です」

「……そうか」

絶対に譲らないと目で訴えるシャンティに、ギルフォードは勝てるはずもない。

「わかった。3日……3日だけだぞ。約束だからな」

必死に念押しするギルフォードに、シャンティは更に笑みを深めた。

「それはギルさん次第です」

「っ……!!」

ギルフォードは、もう頷くことしかできなかった。

それから月日が流れ、ギルフォードはドミールにあの日のことをこう語った。

「寝室を3日も別にされたのは、生きてて一番辛い日々だった」と。

<おわり>