作品タイトル不明
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無事、結婚誓約書の欄を埋めて、まあまあ話のわかる司祭にそれを提出して「あいよっ」と受理されれば、シャンティとギルフォードは名実ともに夫婦となることができた。
つまり互いに胸にしこりを抱えたまま触れ合う必要は無くなったのだ。
堂々と、どこにいても、大々的にイチャイチャできる許可を得たのだ。
これまで”偽装の”とか”代理の”という前置きがついていたのに、あれだけイッチャイチャしていたのに、正式な夫婦となった今、この二人はどこまで熱を上げるのだろうか。
少なく見積もっても、王都ユリンシアは連日熱帯夜になるだろう。
ただでさえ夏真っ盛りで暑いというのに。
ここは王都の住民にたいして「ご迷惑をおかけします」と、菓子折りの一つでも持って回るべきだ。ついでに身近にある怖い話を披露して、涼を取ってもらうのも一つの手段である。喜ばれるかどうかは、別の話ではあるが。
とにもかくにも、近隣の皆様への配慮は大切である。
なぁーんていう心配はいらなかった。
シャンティとギルフォードは現在、肩透かしを食らう程すれ違う生活を送っている。
*
「奥様、ドレスの試着のお時間ですっ」
「あっ、は、はいっ」
「奥様、マナー講師が到着されましたっ」
「はいっ。ちょっとお待ちいただいて……あ、いや、試着しながら講義を聞くので、先生も応接室にお通ししてくださいっ」
「奥様、えっと宝石商の方も……来ちゃいましたっ」
「お、同じく、応接室にぃ」
次から次へと顔を出すメイドに対して、シャンティをせっせと指示を出す。奥様と呼ばれることに甘酸っぱいと思う余裕すらなく。
そんなシャンティは現在、屋敷のボールルームにいる。そしてダンス講義真っ最中であったりもする。
「……シャンディアナ様」
「へ?」
「大変申し上げにくいのですが……」
「なんでしょうか、先生」
「先ほどからずっとわたくしの足を踏んだままでございます」
シャンティは、目の前で顔を引きつらせているダンス講師から野うさぎのように飛び跳ねて距離を取ると、深々と頭を下げた。
「し、失礼しました!」
膝小僧に額がくっつく勢いで腰を折ったシャンティに、ダンス講師は慌てて顔を上げてくださいと懇願する。
ちなみにこの講師、筋肉隆々ではあるが女性である。
誰がそんな講師を選んだのかと言えば、んなもんギルフォードしかいない。そしてその理由は、言わずと知れたもの。
ということはさておき、ダンス講師はオロオロしているシャンティに向かい、にこっと微笑んだ。
「どうぞお気になさらず。それに、ダンスも上達しておられます。1曲の間に足を踏む回数も格段に減りました。ご主人様は、体格に恵まれておられますし、痛みに強いご職業でもあります。ですからシャンディアナ様が足を踏まれても動じることはないでしょう。これなら当日も、素敵なワルツを皆さまに披露できます」
息継ぎをせず一気に言い切ったダンス講師の肺活量が気になるところだが、それより上達を認められたことでシャンティの顔はぱっと輝いた。
「ありがとうございます!頑張ります!!」
「はい。夜会まであと10日。わたくしも精一杯ご指導させていただきます」
シャンティとダンス講師は、距離を置いたまま互いの熱意を確かめ合った。
さて、シャンティとギルフォードがすれ違いの生活を送っていると先ほど伝えたけれど、つまりこういうことなのである。
軍が主催する夜会に参加することになったシャンティは、毎日毎日、ダンスの稽古に励み、社交界のマナーを覚え、夜会用のドレスを作るためにマネキンと化している。
対して軍人であるギルフォードは、連日夜会の為の準備に追われている。
少佐という役職は高い地位であり、沢山の部下を持つ。が言い換えると、上には中佐や大佐といった癖のあるお偉いさんがいる中間管理職なのだ。
だから上司からの無茶ぶりともいえる指示を受け、脳筋率高めの部下にわかりやすいよう指示を出さなければならない。
そして自らもフォローにまわり、任務を着々とこなしている。でも、軍としての機能は平常通り保たなければならない。外交が待った無しなのは、どこの世界でも同じということで。
つまりシャンティも、ギルフォードも、身体を3つか4つ持ちたいと思う状況なのだ。
もっと詳しく説明すると、シャンティがベッドに入る頃はギルフォードはまだ帰宅しておらず、最悪、同じベッドで眠ることすら叶わないし、食事だって独りぼっちで取ることの方が多い。
ただギルフォードはシャンティを愛している。べったべたに惚れこんでいる。寂しさ度合いからいったらギルフォードのほうがずっと上だった。
そんなわけで仕事の合間に強引に帰宅して、シャンティとちょっとだけスキンシップを取って、また職場に戻る。その間わずか5分。
そのギルフォードの対応に、シャンティは雑だと不満を覚えるどころか、少々荒々しい仕草にキュンキュンしてしまっていたりする。
だからシャンティは、できるかぎりのことをしようと、頑張っている。愛する夫の為に。
それに新妻としてギルフォードの職場の人たちにお披露目してもらうのだから、恥をかかせるわけにはいかない。
せめて短い間だけでも、楚々としたご婦人を演じなければならないと強く自分に言い聞かせていたりもする。
……本音としては、田舎者の自分は華々しい場に興味は無いし、一生縁が無くて良いと思っている。端的に言ってしまえば、行きたくない。
けれど、嫌だ嫌だといったところで、夜会に参加するのは妻の義務である。
断る権利は、結婚誓約書にサインをした時点ではく奪されている。
とはいえ、本当のところシャンティはそこまで頑張らなくても良かった。ギルフォードはシャンティにそういった社交性など求めていないし、無理をする姿など見たくはなかった。
つまりここまで自分を追い詰めているのは、シャンティの意思だった。
でもまったく辛くはなない。ギルフォードに片想いしていた時の辛さにくらべたら、痒い程度。
自分が頑張ることで好きな人の役に立てるなら、やる気などじゃんじゃん溢れてくる。
そんなふうに決意を新たにしたシャンティがぐっと拳を握った途端、侍女のサリーが顔を出す。
「奥さまぁー、皆さん応接室に揃いましたぁー。そろそろ、移動をお願いいたします」
「はい、今いきますっ」
シャンティは、ダンス講師に離席の挨拶をすると、小走りに応接間へと向かった。