作品タイトル不明
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突然だがヨルシャ国は、一夫一妻である。
そんなわけで、ギルフォードが女性にだらしない人間でなければ、婚約者と名乗れるのは世界で一人だけ。
あと、当たり前のことだが、婚約者というのは、結婚を誓い合った仲である。
ただギルフォードは、結婚式当日に花嫁に逃げられた過去を持つ男でもある。そしてシャンティは、すったもんだの挙句、そんな彼の代理の妻である。
目の前にいる女性は、今、間違いなくギルフォードの婚約者と言った。かなりドヤ顔で。
つまり、この女性に虚言癖がなければ、シャンティは結婚式にトンズラをかましたギルフォードの花嫁と対峙しているわけであり……。
シャンティはどうして良いのかわからず、思わずその場にしゃがんでしまった。
視界には心地よさそうに初夏の風に身を任せ、我関せずといった感じで空を向いて咲く花が移りこむ。
「……あのう、このポピーの花って食べれるのご存じですか?」
そう言いながら、シャンティは次々に手折ってみる。黄色、オレンジ、白、赤、ピンクと順番に。
「そ、そんなこと知らないわよ。良いから早くギルフォードを呼んできてちょうだいっ」
自称ギルフォードの婚約者は、シャンティの不可解な行動に若干引き気味ではあるけれど、それでも主張を曲げることはしない。
同じくシャンティも現実逃避をやめることはしない。
「でも、この花って確か催眠作用もあるんですよね。だから食べれるけど、食べちゃマズいのか」
「ちょっと、あなた聞いているの?!」
「……でも、麻酔薬や睡眠導入薬にもなるんだっけ」
「はぁ?」
「食用と、薬用の違いって見た目でわかりにくいそうなんですよね。だからうっかり食べたら、そのまま目を覚ますことはないのかもしれないのか……」
そんな物騒なことを呟いたシャンティだけれど、別に誰かの口に放り込んでみたいわけではない。むしろ自分が食べてみようかなどと自暴自棄になっているだけ。
ただ傍から見たらそうは思えない。心の中に疚しさを抱えていれば特に。
虚ろな目で「ふふふ……」と低い声で笑うシャンティを、ギルフォードの自称婚約者は禍々しいものでも見る目つきになって後ずさる。
「なんなのよ……まったく……」
───これだから軍人屋敷は。
そう言いかけて、慌てて口を閉じた。と同時に、絵に描いたような夢見る乙女のような表情を浮かべた。
なぜなら、彼女にとって、お目当ての御仁が姿を現してくれたから。
「ここで何をしている、コラッリオ殿」
ついさっきまでベッドで美しい寝顔をシャンティに惜しみなく見せていた軍人は、大股でこちらに近付いて来る。
ちなみにこの男、10分前までベッドで熟睡していたなど微塵も感じさせないほど、パリッとしていた。
軍服ではなく私服であるが、いつも通り前髪も丁寧に後ろに撫でつけられ、寝ぐせの「ね」の字も見当たらない。
そしてその表情は不機嫌でもなければ、ご機嫌でもない。そこにあるものを適切に処理しようとしているそれ。所謂お仕事モードである。
ただシャンティは、お仕事スイッチが入ったギルフォードを見たことがない。
だからこれだけしかわからなかった。立ち上がりながら、それを小さな声で呟く。
「そっかぁ……ギルフォードさん……眠気すら吹き飛ぶほど、婚約者さんにに会いたかったんだ……」
風も吹いていないのに、シャンティが手にしている花だけ小刻みに震えていた。
***
ギルフォードの別邸は広い。そして庭も広い。本邸の庭も広いけれど、ほぼほぼ訓練場になっているので、庭としては別邸の方が断然広い。
そんなわけでギルフォードと突然押しかけてきたコラッリオは、場所を移動した。屋敷内の応接間ではなく、別の庭に。
そこでギルフォードは結婚式当日に逃亡した花嫁の言い訳を聞くなり、謝罪を聞くなり、今後について話し合ったりするのだろう。
そして、こういった場合、代理妻は席を外すもの。
だからシャンティはギルフォードから「君は、ちょっと散歩でもして来てくれないか」とか「先に朝食を食べていてくれ」とか「とりあえずどっかに行っておいてくれ」的な指示を受けるものだと決めつけていた。
いやもしそんなことすら気が回らないなら言われなくても、邪魔にならないようにするつもりでいた。
なのに、シャンティはギルフォードの隣にいる。
もっと正確に言うと、3人でいる。
青々と茂った芝生に木製の素朴なテーブルセットは、カントリー調で可愛らしい。急ぎ用意されたテーブルクロスは、貴族御用達の真っ白なものではなく、薄水色のギンガムチェック。
その上にこれまたシャンティの家で愛用しているような庶民的な小花が描かれた茶器が一式。あと、朝食を兼ねて焼き菓子とサンドウィッチが綺麗に盛り付けされて並べられている。
ああ、美味しそう。
そういえば、外で食事をいただくことは、これまでなかったな。
青空の下で食べるお菓子は、きっと格別の味だろう。
うん、美味しそう。そう、美味しそう。
いや、間違いなく美味しい。んなもん、食べる前からわかっている。
でも……でもね、今はちょっと無理。
シャンティはこくりと唾を呑んだ。それは食い意地からくるものではなく、この場の空気がとても居たたまれないものだから。
そりゃあ、そうだ。
今ここには、結婚式当日に花嫁に逃げられた花婿と、結婚式当日にトンズラかました花嫁と、それらの事情で代理妻を演じる羽目になったシャンティがいるのだから。
こんな状況で、がっつけるような図太い神経など、シャンティは持ち合わせていない。
けれどギルフォードは、こんな状況なのに、代理の妻を同席させる不可解な神経を持っていた。