作品タイトル不明
慄け! ディッペル城①
昼食からしばらく経った、夕方というには少し早い頃。
わたしは一人、ダリオ侯爵のもとへ向かった。
深呼吸をし、気持ちを一度フラットにしてから、精いっぱい眉間にしわを寄せる。鏡の前で表情確認――よし、『心苦しそうな顔』が出来ている。
……演技に自信なんかはない。けど大丈夫よ、あの大舞台でも立派に演じたじゃないのと自分を鼓舞する。むしろわたしが演じられた側だけども!
ここが一世一代の大勝負。わたしはもう一度深呼吸すると、扉をノックした。いかにも不安そうに揺れる声を作って。
「侯爵様、失礼いたします」
「ん、ああ……マリー様ですか。どうなさった」
扉を開いてくれた侯爵は、言葉遣いは丁寧だったけど、面倒くさそうなのが表情で見て取れた。わたしは愛想笑いのような、卑屈におびえる目を作り、上目遣いで侯爵を見上げた。
「実は、アルフレッド様のミュージアムになる予定のあの古城に、不審な者を見かけまして……」
「不審な者?」
「はい。白い服を着た小柄な男でした。浮浪者かと思って、わたし、侍従に相談してしまったんですけど……今になって思うと、あれはもしや小柄な男ではなく、女だったかもしれないと」
「それって……まさか!」
侯爵の顔色が変わる。飛び出していったエラの行方はまだ分かっていない。わたしは神妙に頷いた。
「わたしも彼女にはいろいろと思うところはありますが、不幸を望んでいるわけではありません。無事に街道に出て馬車で帰ったなら、追う気はありませんでした。しかしもしも路銀も無く、この森から出られなかったとしたら……」
「そ、それは確かに、そうなるとあの古城に潜むしかないでしょうが。しかしあそこには食料になるような物は、何も」
「はい、さすがに女一人、こんな森の中で冬を越せるとは思えません」
「う、うむ……うむう」
「どうにかエラを救えないか、わたしはキュロス様やルイフォン様に相談したのですが……勝手に出て行った女など放っておけと言って……」
わたしは目を閉じ、首を振った。
「侍従達も、彼女を好ましく思っている者はおりません。もうエラを助けられるのは、侯爵様しかいないのです」
「う、うぐう……」
「わたしも協力します。取り返しのつかないことになる前に、彼女を助けに行きましょう」
ダリオ侯爵は激しく顔をしかめ、どうにかわたしだけで行かせようとしたり、キュロス様をわたしが説得するよう懇願して来たけれど、それは不可能だと突っぱねた。
「ご存じの通り、わたしは貧しい田舎領主からグラナド城にもらわれた身。キュロス様がもしエラを始末しろとおっしゃったならば、止めることができないんです。言ってきくような男でもありません」
わたしはそこで、片手で目元を擦った。指先には水をしみこませたスポンジを忍ばせていた。目元でちょっと握ると、透明な涙のしずくがぽとぽと落ちてくる。
「侯爵様、エラはきっとあなたを待っています。……どうか彼女を助けてやってください」
何度かのやりとりの末、侯爵は不満げながらもやっと首を縦に振った。
鬱蒼とした森を、ダリオ侯爵と二人きりで歩き進む。繁みにはキュロス様とウォルフガングが潜んでいて、わたしを護ってくれていたけど、知らないフリ。侯爵が彼らの気配に振り向きかけたら、「足元に蛇が! ああ木の根でした」など声をかけ、注意を逸らしておいた。
やがて、昨日来たばかりの古城が見えてくる。
……曇り空の下だと、もうこの時点でかなり雰囲気がある。古びた石造りの城門、外壁についた黒カビジミも、血痕に見えてしまうほど。鉄製の重厚な扉は、閂が錆びつき、軋んでいる。開くとギギギギィーと酷い音がして、それがまた不気味さを増していた。
「では侯爵様……入りましょうか」
わたしが囁くと、後ろにいたダリオ侯爵は「うううむ」と低い声で呻き、一歩後ろに下がった。
「や……やはりまた機会を改めないか? せめてもっと明るい時間に」
「何をおっしゃっているんですか。こうしている間にもエラは一人、空腹をこらえているかもしれないのに――」
土壇場でごね始めた侯爵をどうにか説得していると、ぽつっ、と額に水滴が落ちてきた。
「雨だわ」
そう呟いた途端、雨は急速に粒を大きくし、勢いを強めていく。しめたっ。わたしはダリオ侯爵の袖を掴み、ぐいっと強引に引っ張った。
「きっと夏のスコールですね、大丈夫すぐに止みます、城内でやりすごしましょう」
「えっ、で、でも」
「早く、びしょ濡れになっちゃう! うちの娘が風邪をひいたら許しませんよっ!」
「は、はいぃっ」
ダリオ侯爵は飛び上がるようにして、古城へと駆け込んでいった。
ギギィイイ――バターン!
わざと、大きな音を立てて扉を閉める。
それは仲間達への合図でもあった。階段の上に一瞬だけ、ゆらつくカンテラの炎が見える。
それぞれの持ち場で、準備できているという合図だ。彼らはすでにそれぞれの役割を分担しており、廃病院のあちこちに潜んでいる。
城内はカーテンが閉め切られ、ほとんど真っ暗闇になっていた。侯爵はますます不安げに震えた。
「く、暗いな。昼間なのになぜこんなに暗いんだ」
もちろんわたし達がすべての窓を暗幕で塞いだからだが――わたしはわざと大きく、首を傾げた。
「本当、おかしいですね。昨日わたしはすべてのカーテンを開いておいたはずですが……」
「エラが閉め切ったというのか? なんのために」
「さあ。あるいは――エラさん以外の何者かの仕業、かも」
「…………え?」
「この暗さで歩き回るのは危険ですね。わたし、灯りを取ってまいります。侯爵様はこの場所でお待ちください」
侯爵が硬直している隙に、わたしはその場を後にした。
独りぼっちになったダリオ侯爵……階段を上りながらそっと振り返ると、彼の顔には明らかな不安と恐怖が浮かんでいた。薄暗闇の中で怯える侯爵の様子が手に取るように分かって、わたしはちょっと笑ってしまった。
やがて侯爵は動揺を隠せなくなり、何度も周囲を見回していた。
効いてる効いてる、と嬉しくなったけど、あんまり放置しすぎると帰ってしまうかも? それじゃいけない。怖がらせるのは、ここからなんだから。
この大掛かりないたずらが、侯爵にどれほどの大きな影響を与えられるか、わからないけど……やれるだけやってみよう。愛する夫、キュロス・グラナドを護るために。
「おーい、まだ燭台は見つからないのかぁー!?」
侯爵が少し震える声を大きく上げた、その時だった。
ドォンッ!
突然何かが壁にぶつかるような音がした。
「ひいっ!何!?」
震え上がる侯爵。
するとそんな彼の背後、扉のほうから、何かガサゴソ……ガサガサ……と枯れ葉を揺らすような音がする。
「だ、誰だ。誰かいるのか? 出てこい!」
侯爵の問いに答える者はいない。だが子供の泣き声が聞こえてくる。
小さな――だがよく響く声で――。
「…………いたいよう。痛いよう……ぼくの足、どこぉ……?」
「ひいっ!?」
侯爵は悲鳴を上げ、走り出した。
「ま、マリー様、マリー様。どこにいったんですかマリー様ぁ!」
はい、すぐ近くにおります。先ほどのセリフはわたしです。
実は玄関のすぐそばで布を被っているだけのわたしを探して、建物の奥に入っていく侯爵。その進む先々で、家具がガタガタ揺れ始めた。これは後からこっそり追って入って来たキュロス様とウォルフガングの仕業。
次々に起こる怪奇現象。侯爵は歩を進めるたびに恐怖に駆られ、絶え間なく続く恐怖体験に悲鳴を上げたり、怒鳴りつけたり、無言で逃げたり、誰に聞かせるでもない独り言を大きな声で叫んだり。
「何も見えない聴こえない知らない知らない!」
壁から突然現れる影、床にまかれた謎の液体、窓の外から見える亡霊の顔。
「ぎゃー!」
と……これらは全部、わたし達が用意したドッキリアイテムでしかないんだけども、侯爵は全部に大きく反応してくれた。正直ちょっと、面白いくらい。
「やめてくれ! 助けてくれ!」
と何度も叫びながら、侯爵は廊下を駆け抜け、ついには城の深部へと追い詰められた。
よし――ついにクライマックスだ!
わたしは合図を出した。
侯爵が階段を上った先、バルコニーに待ち受けていたのは、二人の霊だった。
長く伸ばした白髪を垂らし、豪奢な服装に身を包んで、大きな体をだらんと脱力させた老人。その横には美しく、陰鬱な雰囲気のある貴婦人……亡きアルフレッド公爵とローラ夫人の亡霊だ。
――もちろん、中身は人間だけど。
「あ――アル、フレッド……!」
ダリオは呟いたきり、声も出なくなったらしい。ヒュウヒュウと風の音だけを、開けっ放しの口から漏らしていた。