作品タイトル不明
泣き女の憂鬱
ダリオ・アフォンソの逃亡先は、結局すぐに判明した。
屋外へ逃げ出す時間もなく、広い御屋敷とはいえ城塞ほど巨大な施設ではないのだから当然のところ。食堂を出てすぐ向かいにある、厨房に駆け込んだらしかった。
しかし残念ながら、ちょうどそこには四人の武闘派男性が、昼食作りの真っ最中。それも包丁や肉叩きなど、各々に凶器を持って立っていた。
駆けこんできた闖入者を、一斉に振り返る男達。ダリオ侯爵はその時点で腰を抜かし、へなへなと座り込んだという。
――というわけで。
男性陣によって無事、食べられるものが並んだ食卓を囲みながら、わたし達は半眼になって侯爵を睨んでいた。
侯爵はどこ吹く風――とは、さすがにいかなかったらしい。だらだらと汗を流し言葉を詰まらせながら、せっかくの食事にも手を付けず、ひたすら弁解を繰り返していた。
「べべべ別にワタクシ、逃げたわけじゃないですしっ? ただ厨房から、いい匂いがしてきたので、覗きに行っただけですしっ」
「ほう、そうだったのか。その時はまだ、俺達は野菜を切っている最中で特に匂いはしていなかったはずだがな」
侯爵の右隣で、キュロス様が囁く。珈琲を持つ侯爵の手がブルブル震えて、盛大にコーヒーが零れていた。
「いやあその。い、インスピレーションで……なんにせよ、エラが古城に居たこととワタクシが逃げ出したことに関連性は何もございませんよ、ははははは」
逃げ出したって言っちゃってるし。
目が泳いでるし。珈琲が零れすぎて半分くらいになってるし。
「もう全部白状しちゃえばいいのに。別に、彼女を別荘に連れてきたことは罪にならないし。想定外のメンツに慌てて逃がした、って、この場に居る全員にバレバレだよ」
ルイフォン様が言い、わたしとキュロス様、トマス、チュニカ、ウォルフガング、ついでに赤ん坊のリサまでもが「だぁだぁ」と頷いていた。
さすがに誤魔化し切れないと悟ったか、黙り込む侯爵。
「本当に、ダリオ様は悪くありません」
エラは床に座り込んだまま、ぼそぼそと弁明をしていた。
「私は、以前グラナド城で失態を犯しました。せっかくメイドに採用していただいたのに、みんなとうまくやっていくことができず、それでリサ様の乳母に抜擢されたのに、マリー様には嫌われ、リュー・リュー様にも仕事を奪われて……」
その言い方に、なんだかムッとする。なにがどう、と説明するのが難しいけれど、やはりエラの言葉にはどこか、他人を責めるような気配がある。
「そんな中、ダリオ様にはまたお側においてもらえたのですけど、あの五人の女性達とまたうまくいかなくて……私、また仕事を押し付けられたり服を破られたりして。それを見かねたダリオ様が、屋敷から逃がしてくれたのです」
それは、ありそうな話ではあった。でもちょうどわたし達が着いたタイミングで? それに食料も持たずに女性を一人、森に放り出すのが優しさのわけがない。
どう考えても苦しい言い訳だった。
さらに追及しようとしたが、エラがワアッと泣き出した。
「ごめんなさい、本当に私って駄目な娘です。もう決してマリー様を不愉快にさせるようなことはしません、だから、屋根のある場所にいさせてください。寝床は床でも、倉庫でもいいから……」
「エラ……」
ダリオ侯爵が同情で顔をくしゃくしゃにして、泣いている彼女を抱きしめ、背中をポンポン叩いて慰めていた。
「大丈夫だよエラ、ここにいる皆さんはなんだかんだいって根はやさしい人たちだ。泣いているおまえを死の森に追い出すことは無いさ」
「なんだかんだ?」
「根は?」
キュロス様とルイフォン様は同時に顔に苛つきを見せた。わたしは「死の森って、平和で綺麗な森だけどなあ」と、あんまり関係ないところに引っかかっていた。
ダリオ侯爵は己の失言に気が付かなかったらしい。自分も涙を浮かべながら、キュロス様達のほうを大仰な仕草で振り向いた。
「いいでしょう、キュロス様?」
「まあ、そもそもこの屋敷はダリオ侯爵の物だし、エラはその侍従。俺は干渉する権利は無いですよ」
ぶっきらぼうに言い放つ。
ルイフォン様もしぶしぶといった表情で口をつぐむ。
わたし達はこれ以上、侯爵を追及することができない。もしここで、エラを連れてきた理由を問い詰めても、侯爵は絶対に吐かないだろう。なにか適当な理由を付けて逃げるのは明らかだ。
そしてそれを、とことん詰め切れはしないのが、侯爵の地位でありキュロス様の立場である。これまでのイヤガラセの数々も、ダリオ侯爵自身が「うっかり、偶然、申し訳ありません」と言い張る以上、断罪できない。
いっそもっとわかりやすく、あからさまに敵対してくれたら。ダリオ侯爵が、キュロス様の生命を脅かすような攻撃をしてきたならば、ルイフォン様が騎士団長の権限を持って即逮捕まで出来るのに。
キュロス様の身に被害が出ないのは何よりだけども、この決定打に欠ける感じ、非常にもどかしい。キュロス様も同じ気持ちのようで、不機嫌というよりは面倒くさそうに額を押さえ、嘆息した。
「エラが屋敷に滞在し、侯爵殿の世話をするのは自由で結構。だが、それまでです。マリーやリサはもちろん、うちの侍従達にも接触しないでいただきたい」
「も、もちろんです」
「それなら構わない」
そう言って、キュロス様は彼女に背を向けると、こちらに歩み寄って来た。わたしの腕の中にいるリサを撫で、頬にキスをしてから、抱き上げる。
背の高い父親に抱き上げられるのが大好きなリサは、きゃっきゃと笑い声を上げながら、キュロス様の頭をペチペチ叩いた。
彼はされるがままペチペチされながら、嬉しそうに笑った。
「リサ、だんだん力が強くなってきたなあ」
さっきまでとは打って変わった、明るく優しい声で言う。わたしも微笑んで、頷いた。
「それでも、だんだん学習はしてきたみたい。やめて痛いって言えばやめますよ」
「そういえば最近、髪を引っ張られることがなくなったな。父親が痛がっているの理解したか?」
「そうかも。そろそろまた、髪を伸ばせるかもしれませんね」
「マリーは、俺の髪が長いほうが好きか?」
「んー……どちらでも。でもわたし、キュロス様の髪が好きです。真っ黒でまっすぐで、艶やかで本当にうらやましいくらい。そんな素敵なものがたくさんあればあるだけ嬉しいです」
「そうか、では無くならないよう頭皮の健康に気を配っていかねばな」
「あると嬉しいけど、無くても大丈夫ですよ。顔が格好いいので」
わたしが笑って言うと、彼も大笑いした。
その場の緊張も緩んでいく。特にエラを連れてきたトマスは、すわ一触即発かと覚悟していたのだろう。和やかな雰囲気のわたし達を見て、ほお、と息を吐いていた。
そんなわたし達の様子を、エラはじっと、無言で見つめていた。