作品タイトル不明
ないしょの気持ち
エラ・フックスの返事を待たず、わたしは踵を返した。
大急ぎで食堂に戻り、そして愕然とした。さっきまでそこにいたはずの、ダリオ侯爵が居ない!
ああっ逃げられた! いつの間に!? どこ行ったのっ!?
厨房までキュロス様達を呼びに行こうかと思ったけれど、そうしている間にエラを逃がしては元も子もない。わたしは肩を落としながら玄関へ戻った。
「とりあえず二人とも、入って……」
トマス達を屋敷に入れ、玄関の扉を閉めた。
トマスのベルトは、エラ・フックスの白い手首に結ばれていた。そうして彼女を捕まえて、 驢馬(ロバ) でも導くように、屋敷の中へ引き入れるトマス。エラの表情は、なんというか――神妙にしている、というのか。前髪で顔のほとんどが隠れるほどに俯いて、唇を結び、黙り込んでいた。
「古城の中に、隠れていたんですよ」
トマスは吐き捨てるように言った。
普段、人懐っこくて明るい彼だけど、その表情を苦々しいものに歪めている。
「鍵が開いていたので、中まで入ってみたんです。そしたら、灯りのついた燭台があって。誰かいるんじゃないかと思って、呼びかけたけど返事が無くて……」
トマスはそこでなんだか嫌な予感がして、古城中を探索してみたらしい。すると最上階、
一番奥の部屋のクローゼットに体を丸めて、このエラ・フックス嬢が隠れていたとのこと。
驚き、なぜここにと尋ねてもエラは震えるばかりで答えない。長々と尋問するわけにはいかず、かといって放置も出来ず、仕方なくここまで連行して来たということだった。
捕まえられているエラよりもトマスのほうが困ったような様子で、大きくため息を吐いた。
「まさか人を捕縛する機会があるとは思ってもなかったから、手枷なんて持っていなくて。かといって女の人の手を捩じ上げたまま、森を歩くわけにも。それでちょっと乱暴だけど、こうしてベルトで繋いだんです」
わたしは彼女の手首の状態を確認した。革のベルトはしっかり結ばれてはいたけれど、ちゃんと余白があり、鬱血もしていない。これなら跡も残らないだろう。
ひとまずそのことに安堵して、わたしはエラの正面に立ち、一度、深呼吸した。
そして彼女の覗き込むように、身をかがめる。
わたしは男性の平均並みに背が高い。このくらい思いっきり腰を落とさないと、うつむいたエラの顔を見上げることはできなかった。相変わらず、ボリュームのある髪を長く伸ばし、顔の半分を隠したエラ。分厚い前髪の隙間から、紫がかった瞳がわずかに覗く。その目はあちこちに視線を泳がせていて、ひどく怯えているようだった。
わたしは、そんな彼女の目をじっと見る。
……きっと顔を逸らしたい――いや、わたしに逸らして欲しいでしょうね。分かるわ、わたしもそういう人種だから。
だけど許さない。わたしは彼女の顔を凝視したまま、毅然と言った。
「お久しぶりね、エラさん――エラ・フックス侯爵令嬢。また会えることになるとは思っていなかったわ」
「……あっ……は、はい……どう、も……」
ビクビクと体も声も震わせて、エラは小さな声を出し、頷いた。
「話してもらっていいかしら。どうしてあなたがここにいるの? わたし達はダリオ侯爵から、あなたは本国で留守番させていると聞いていたのだけど」
「え……と……その。……わ、私が勝手に、馬車に忍び込んで……」
「ではなぜ古城に潜んでいたの? あそこは廃墟で、アルフレッド様のミュージアムにすると聞いて、わたし達は来たばかりなんだけど」
「あ、それ、は……私は、ダリオ様の侍女、なので……その。お手伝いに……」
「お手伝い? だったらどうしてこっちのお屋敷ではなく古城の方に?」
「……それは……。…………」
黙り込むエラ。それで許したりはしない。さらに問う。
「それも、やってきたトマスを迎えることなく、むしろ隠れたりして。まるでわたし達が来た時のために、待ち伏せていたみたいじゃない?」
「ま、待ち伏せなんてそんな。私は、ただ古城の埃取りを。後からグラナド城の皆さんが埃を吸い込まないように、掃除をしていて……あの古城は長らくほったらかしになっていたから、掃除をしないと。マリー様には、赤ちゃんもいるし」
「……そう」
わたしは頷いて、退いた。
普通、主付きの侍女は掃除なんかしないけど、彼女の気質を考えれば不自然ではない。
トマスをお迎えせず奥の部屋に隠れたというのも、人見知りだとか言って、逃げられるだろう。これ以上追求することは難しい。
わたしは彼女の尋問を諦めると、後ろに下がり、物理的に距離を取った。
「だとしたら、乱暴に連れてきてしまって申し訳なかったわ。だけどわたしはトマスを叱らない。その理由、あなたは身に覚えがあるわよね?」
「……は、はい……」
相変わらず小さく震えて、今にも消えてしまいそうなか細い声。
その時、突然すごい音量で、グーという音が聴こえた。途端にエラはお腹を押さえ、前かがみになる。わたしは目を丸くした。
「エラさん、お腹空いてるのっ?」
思わずさん付けで呼んでしまった。彼女はみるみるうちに赤面し、ますます体を縮めた。それでもまたグーグーと大きな音が鳴る。どうやら相当な空腹らしい。
もしかして彼女……わたし達が屋敷についた時にはここに居たのでは? それで、大所帯で押しかけて来たのを見たダリオ侯爵が、慌てて裏口から追い出した、とか。
そうすると彼女、早朝からひとりで古城に潜んでいたことになる。もちろんお弁当を持ちだす暇など無く。
改めて見ると、エラの服装はおよそ森歩きには適さない、白いワンピースドレスだ。足元はサンダルで、むき出しの指先は森の土や枯れ葉で薄汚れている。
そんな格好で、おなかをグーグー鳴らしているのだから、思わず同情心がわく。
トマスも同感らしく、気まずそうに目をそらし、嘆息した。
「こんな状態じゃ、尋問も出来ませんよね。マリー様、そこの食事って今日の夕食ですよね? 僕のぶん残ってますか」
トマスの指は、食卓に並んだままの副菜を差していた。
「えっ。あ、うん。あの席がトマスの――」
と、一度頷いてから、慌てて首を振る。
「いえいけないわ、たしかに食べてもいいはいいんだけども、食べないほうがいいと言うか、みんなもう食べない予定というか……」
「ああみんなもう食べ終わったんですね。それにしては副菜がみんなそのまま残ってますね? メインディッシュがよっぽど美味しかったのかな」
トマスは言いながら椅子を引くと、エラをその席に導いた。
「じゃあこれ、食べてください」
えっ。わたしが止める前に、またエラの腹の虫が大きく鳴いた。だが彼女はブンブンと髪が広がるほど首を振って、
「だ、大丈夫です私。そんな、トマスさんの分をいただくなんて。それもこんな美味しそうな料理、もったいない。私なんて失敗作のゴミとかで十分です」
そう言いながら、エラさんは椅子に腰掛けた。両手にフォークとスプーンを持って、ごくんと咽喉を鳴らしている。
……わたしは一応、止めてあげた。
「エラ。あのね、そのごはん美味しくないの。あなたの言う通り失敗作なのよ。やめたほうがいいと思うわ」
すると、エラは悲しそうな顔をした。紫の眼に涙を湧かせたと思ったら、両手で顔を覆い、わあっと泣き出す。
「ごめんなさいごめんなさい、そうですよね、私なんて飢え死にしたほうがいいですよね。マリー様は私のこと嫌いですもの」
「……えーと。そんなこと言ってないんだけど」
「ああごめんなさい、でも私せっかく親切にお声をかけてくれたトマスさんのお気持ちをないがしろにするなんてできなくて。すみません、マリー様はお嫌でしょうけども、トマスさんのために、お許しください……でないと私、トマスさんにまで嫌われてしまう……」
自分の手の中でシクシク泣きながら話し続けるエラ。チラっと横を見ると、トマスが「もうすでに嫌いですが」って顔をしていた。
トマスもまた、以前エラがグラナド城にやって来た時、ひどく振り回された人間の一人だ。特に料理に関しては、彼が弟と一緒になって街を駆けずり回って材料を調達し、振舞った料理を台無しにされた経緯がある。
……その料理を作ったのはわたしなんだけども。
「マリー様はきっと不愉快でしょうし、私も心苦しいですが……トマスさんのために、いただきますね」
そんなことを一人で喋りながら、チュニカの手料理にスプーンを突っ込むエラ。
わたしは止めなかった。
そして、
「おごぅっふ」
人間とは思えないような声で呻き、エラは悶絶した。
……ちょっと、胸がスッとしちゃったのは、ここだけの話である。