軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ ケトルブルグ港 『また新たな旅へ』

「吸うかい?」

「……そうだな、貰おうか」

「うんうん、いいことだね」

アトモスフィア家の縁側から、庭園を眺めて二人。座ることすらせず、立ち呆けて月夜を眺めていた。

改めての、再会。二百年前にもあったこの光景に、シャノアールはシガレットをくわえて指で火を点けた。大きく息を吸って、煙を吐く。延びて広がって暗闇に溶けていく紫煙を眺めながら、彼は嬉しそうに口角をあげた。

「あの時は、断られたからね」

「せっぱ詰まってたからなぁ……あまり余裕は、無かったのかもしれねえな」

「今はあるということだね。それは、素晴らしい。このボクにとってもね」

妖鬼であるシュテンは、当然指に火をともすことなど出来ない。

シガレットを貰うと同時、シュテンの元に差し出されるシャノアールの人差し指。

すまねえな、と一つ礼を言ってから、シュテンは同じように先端に火を点けた。

「……指で火を熾すとか、やってみてえなぁ。俺も」

「体内の、筋力に回している魔素を循環させて、指先に集めることが出来れば可能じゃないかな。結局、練習あるのみさ」

「なるほど、魔素の循環か」

ぐー、ぱー、と手のひらを握って開いて、一つ頷く。魔法は妖鬼には使えないものだなどと言われていて、自分もそうだと思っていたから試したことすら無かった。

だが確かに、やってみなければ分からない。

「ふぅ……いいもんだな、シガレットってのも」

「そりゃあ、良かった」

シュテンも煙を吐き出すと、月を眺めているシャノアールは楽しげだ。酒と似たようなもので、やはり勧めたものを気に入ってくれるのは嬉しいのだろう。そんな彼をちらりと横目で見て、独り言のような小声で、呟いた。

「一つ、聞いていいか」

「ん? なんだい?」

「どうやって、生き延びた。二百年もの、間」

「それを聞くのかい。そんなに難しいことではないよ、このボクにとってはね」

シュテンの記憶の中で、シャノアールは確かに言っていた。アスタルテとの戦いに加わるその直前、『契約によって生き延びた』と。その契約とは、いったい何なのか。

少しばかり嫌な予感がするのをこらえて、口にした。ここまで生きてくる為に、彼はなにを犠牲にしたのだろう。なにを、引き替えにしたのだろう。

「……"語らない聖典"、というものを、きみは知っているかい?」

「いや……ちょっと待てよ……?」

脳内で、検索を仕掛けるシュテン。"語らない聖典"などという仰々しい名前のものだ、もしゲームの中にあれば覚えているのではないだろうか。一縷の望みをかけて思考するも、やはり思い出せることはない。

「……いや」

「そうか。"語らない聖典"とはすなわち、真理に到達するような魔導を行使出来る者のみが読み解くことが出来る魔導書だ。生命の延ばし方くらい、それに載っているんだよ。……聖典とは名ばかりで、ただのデータでしかないから、一度頭に流れ込んできたら消えてしまうんだけどね。"語らない聖典"……本の形をなし得ない、暴力的な情報の羅列。であるから、覚えていることはあまりないよ、このボクでもね」

「お前は真理に到達するような魔導を行使した年齢が、そのナイスミドルな感じの歳だったってことか」

「そういうことだね」

肩を竦めるシャノアールは、二百年前よりも少し老けて見えた。といっても三十代半ば程度の未だ若々しさを感じる年齢だが。昔のさわやかさが減った代わりに、少し賢そうな雰囲気と老練さが増したように見える。

「じゃあ、何かを引き替えにとか、犠牲に、とか、そういうことはないんだな?」

「……ないよ。きみが気にするようなことは何も。はっはっは、そんな危ないことをわざわざするわけがないじゃないか、このボクが」

「……そうか。なら、いいんだ」

「うむ、そうだね」

鷹揚に彼はそう言って、すでに短くなっていたシガレットを右手の炎で消し飛ばした。その仕草がやたら手慣れているのは、二百年前と何ら変わることはない。

「シュテンくんは、このあとどうするんだい?」

「ん? もうそろ行くかな。地上に戻って探してやらにゃならん奴も居るし、俺の旅の目的はどうやらここにはもうなさそうだ。魔王城も見学させて貰ったしな」

「……そうかい。ま、またいつでも遊びに来るといい。きみもそう簡単には死なないだろうし、もちろんこのボクもね。寿命はまだまだ長いさ」

「そりゃそうだな。……また、遊ぼうぜ」

「ああ。……ユリーカとヴェローチェには、顔を見せていかないのかい?」

「いや、さすがに挨拶してくさ。世話になったしな」

「そうか。うん、そうしてくれ。あの子たちも喜ぶ」

「立派なお父さんだな」

「お爺さんだけどね」

どこからどう見てもそんな歳には見えないお爺さんに、シュテンは笑う。

そして大きく伸びをすると、シャノアールに背を向けた。

「さぁて、寝るか。明日からはまた旅の空だ」

「ああ、おやすみ。また明日」

縁側を歩いて、えっちらおっちらと庭の側面を進んでいく。

廊下の角を曲がるところまで行って振り返れば、シャノアールは未だ月を眺めてぼんやりとしていた。その目が何を思っているのかは分からないが、

『……ないよ。きみが気にするようなことは何も。はっはっは、そんな危ないことをわざわざするわけがないじゃないか、このボクが』

ふと彼の言葉を思い出して。

「……お前なら、やりかねないんだよ」

そう一つ、聞こえないように呟いてから、その廊下を曲がった。

と。

「……おう、起きてたのか」

「……まぁ、ね」

ちろりと舌を出して、彼女は笑った。相変わらずの可憐さで、なんだか可愛らしいピンクのパジャマ姿。

「あれ、あの灰色のだぼっとした奴は?」

普段から寝間着はずっとあれだっただろうと、ふと思ってシュテンは問いかける。

少なくとも過去に行く前はそうだった。過去に行った時は、野宿ばかりだったので仕方がないとはいえ……スウェットのような灰色の上下が、彼女の寝間着だったと記憶している。

そんなシュテンの問いに対し、ふと唇に人差し指を当ててユリーカは少し逡巡してから。

「……可愛いでしょ?」

「や、まあそうだが」

「野暮ったいのより、可愛い方がさ。……可愛いから。へへ、何言ってるんだろうね」

「お、おう」

ぱちくりと、目を瞬かせて。ちょっと頬を染めながら、ユリーカは照れくさげに笑った。相変わらずアイドル特有の可愛らしさを全面に押し出して、それなのに何故か一人の女の子として可愛らしい。

シュテンは一瞬あっけに取られて。彼女の表情が曇ったことで我に返った。

「……行っちゃうんだ」

「あー、聞いてたのか」

「聞かなくても、分かる。全部終わったもん……行っちゃうって、前から分かってた」

「まぁ……そうな。それに関しちゃ、言ってあった」

「……斧、教えてあげるって言ったのに」

「あー、そうだったな」

「あたし、追いかけられないのに」

「……そりゃ、しゃあないな」

「……どうしても……もう、行くの……?」

「そうだな」

いつの間にか、着流しの裾を掴まれていた。

俯いた彼女の顔はもう見えない。けれど、その震える小さな手が、否応なしに彼女の感情を伝えてくる。最後の言葉はまるで溶けて消えるように、掠れて薄れるようにして聞こえなかった。だが、結局根本は変わらない。

シュテンには、探さなければいけない自分の眷属も居るし、やらなければならない仕事もある。それに、

『殺すべきは、"鬼神の影を追う者"、きみだ』

アスタルテ・ヴェルダナーヴァという化け物がいつまたシュテンを殺しに来るかわからない。そんな状況で、彼女たちを巻き込む訳にはいかない。せっかく家族がそろった暖かな場所を、壊す気にはなれなかった。

「……悪いな、ユリーカ」

「……だったのに……!」

「ん?」

諭すように、ぽんと頭に乗せた手が払われた。

いや、払われたというよりは、勢いよくあげられた顔によって弾かれたというべきか。その一瞬の虚を突いたユリーカの言葉は、シュテンを一瞬硬直させるには十分すぎた。

「好きだったのに!!」

「――っ」

息を、飲んだ。

薄々、気づいてはいた。もしかしたら、彼女は、と。

けれどもやはり正面切って向けられた、涙ながらの訴えは、想像していた以上に胸に刺さるものがある。行き場を失った右手が泳ぎ、掴まれた裾で身動きを取ることも出来ない。そんな、逡巡の間にも、ユリーカの溢れだした感情は止まらない。

「好きになっちゃったんだもん!! しょうがないじゃん!! どうしようもなく好きなんだもん!! バカで、変で、勢いだけで生きてるあんたのことが……大好きなんだもん!! 嫌に決まってるじゃない!! このバカ妖鬼!!」

「…………悪ぃな、本当に。楽しかったぜ」

「っ……!! そういうこと、言うんだ!? あたしが、どれだけ……っ!!」

くわ、と見開かれた瞳は真っ赤に充血していて。同じく赤くなった頬が、自分がどれだけのことを言われているのか否応にも意識させられる。

楽しかった。

その一言に、魔界に流れ着いてからの日々が集約されている。

意識を取り戻してはじめて出会って。楽しげな笑顔と、周囲を纏めあげる力の裏にあった影を知って。やんちゃに構ってきたり、料理上手だったり、やたら強かったり。

過去に飛んで、多くの苦難を乗り越えて。手作りの道具を貰って。悩み、励まし、それでも愉快に突破した二百年前。

たった一月にも満たないほどの日々に詰め込まれたイベントの密度は、尋常ではなく色濃くて。

だから、ユリーカは。

「……楽しかった!! あたしも楽しかった!! だから、いやなの!! シュテンが、届かないところに行っちゃうのが!! なんで、あたし……なんで……太陽なんて……無ければ……いいのに……!!」

「でも、太陽が無かったとしても、お前はついてこないだろ?」

「……配下の軍があるもん……それは絶対……出来ない。けど……!! けど……、なんで……嫌だぁ……!!」

自分でも、整理出来ていないのだろう。

泣きじゃくりながら、仕舞にはシュテンの胸に顔を埋めて。

涙に濡れてしみこむ水を感じながら、シュテンは穏やかに笑う。

「使命感があって、ちゃんと頑張ってまっすぐで。お前さんがそういう奴だって知ってるから……いったん、お別れだ」

「……二度と戻ってくるなバカぁ!!」

顔を埋めたまま、彼女は叫ぶ。

もちろんその言葉が本心だとは、シュテンも思ったりはしない。

出会いも別れも、旅の常。寿命は互いに長いのだから、また会えると信じて疑わず。

「そいつぁ、わかんねえな。また、ひょっこり顔出すぜ」

だから、シュテンの態度は変わらない。

「……ばか……ばかぁ……」

ぐすぐすと、泣き続ける彼女を、シュテンはただただ泣き止むまで待っていた。

どんなに夜が更けようと、どんなに時間が経とうと。

そして。

「シュテン……」

「あん?」

泣き止んだのか、と。しばらくの後にかけられた声に、無防備に下を向く。

すると、顔を上げたユリーカはそのままシュテンの首後ろに両手を巻き付けて。

「……んっ」

「っ……!?」

少女のものとは思えない膂力で引き寄せられたかと思えば、唐突に彼女の顔が目の前に。目を見開くシュテンとは反対に、彼女の赤くなった目は閉じられたまま。

「……ぁ」

「お、おま、おい」

引き離されると同時、慌ててシュテンは自らの口元に手を当てた。

ユリーカは、ちろりと舌を出して。

「初めて、だからね」

「お、おい!」

そのまま、勢いよくその三対の翼で家の中に入っていった。

呆然とする、シュテン。

そのまま、振り返って夜空を眺めて。

月に向かって、呟いた。

「今日は、眠れそうにねぇな……おい……」

見送りに、ユリーカは現れなかった。

シャノアールは笑顔で手を振って見送り、ヴェローチェは少し考えてから「今回は姉に少し遠慮しておきますー」と一言なにやら呟いていた。

使い慣れた鬼殺しを担ぎ、あの少女が作ってくれた三度笠を被ってシュテンは魔界をあとにする。

向かう先を公国に定めて、シャノアールの手配してくれた船に乗り。

あっさりと、公国の港町であるケトルブルグ港に到着した。

「……楽しかった魔界も、あっという間だったなぁ」

船の中ではひたすら眠っていた。

昨夜全く眠れなかったのだから仕方がない。公国の漁船に偽装されたその船から飛び降りて到着した港はすでに夕暮れで、それでも日の光が懐かしい。

「いやぁ、久しぶりの地上だぁ……!!」

ぐ、と伸びをする。周囲の人間が避けているのにも気づかずに。

そしてそんな中、一人の青年がふらりとシュテンの方に近寄ってきた。

桟橋の中、人混みをのらりくらりと回避して。

「や、そこの鬼のお兄さん」

「あん?」

へらっと笑った、短髪の青年。シュテンよりも少し漆のような黒い髪。

鉄紺の瞳は細められて、どこかのんびりとした雰囲気の彼。

「やー、強そうじゃああらんせんか。この町にゃあ、何もありはしませんで」

「いや強盗みたいな言い方すんなよ。ただの観光だっての」

「ほうほう、観光……。なるほど」

青年は相変わらずのんべんだらりと気の抜けたコーラのような雰囲気のまま、顎に手を当てて思考して。ふと、指を立てた。

「そういうことでしたら、一つお願いがあるんで」

お願い。

突然の申し出に疑問符を浮かべるシュテンに対し、青年は何でもないようなことのようにしてこう言った。

「 吸血鬼捕獲(ヴァンパイアハント) に、興味ぁありませんでっしゃろか」