軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

赤水の邪霊

一見するとそれは、川スライムとそっくりだった。

大きさは空樽ほどで球形な部分を除けば、ほぼ差異はないように思える。

ただ一点だけ、誰にでもすぐに分かる決定的な違いがあった。

その水の球は、ちょうど大人の顔のあたりの高さに音もなく浮かんでいたのだ。

さらに勢いを増した雨粒が、頭上から絶え間なく落ちてくる。

だが不思議なことに、赤い球体の表面には飛沫どころか波紋一つ浮かんでいない。

まるで地面に落ちそこねた大きな雨の雫かのように、それは異様な存在感を示したまま宙に静止していた。

生き物が変異した他のモンスターとは一線を画するその見た目に、トールは思い当たる節を声に漏らす。

「まさか、……赤水の邪霊か?」

「そのまさかだぜ、トールのおっさん。いいか、ゆっくり下がれよ……、絶対に見つかるなよ」

「いや、どうも手遅れらしい。気づかれたようだぞ」

さっきまではなかった棘状の突起が、球体の表面に無数に浮かび上がっていく。

どうやら先ほどのディアルゴの闘気を<復元>したのを、感知されてしまったようだ。

覚悟を決めたトールは、静かに剣の柄に手を伸ばした。

血流し川の狩り場で恐れられている脅威といえば、赤殻大蟹の鉄さえ断ち切る鋏や暴れ河馬の大暴走を挙げる冒険者が多い。

だが川での経験が長い連中が口を揃えていう一言は、圧倒的に決まっていた。

「水の塊が浮かんでいたら、絶対に近づくな。あれは最悪だ」

赤水の邪霊とは、降雨時の血流し川流域で発生が確認されるモンスターである。

分類は精霊系で、属性は水。

この精霊系というのは生き物由来ではなく、自然現象が瘴気と組み合わさることで生まれる存在だと言われている。

そのため外見は独特の形態となるのだが、なぜか上位種は人型になるという奇妙な矛盾があったりもする。

自然現象からの発生なので捕食衝動などは持ち合わせていないが、その代わり厄介な性質を保有していた。

人が持つ闘気や魔力に反応して、襲いかかってくるのである。

そして精霊系モンスターの厄介な特徴として、通常の武器による攻撃がほぼ通用しないという点があった。

元が空気や水なので、多少形を変えるだけでは効果がないのだ。

唯一、倒せる方法は、精霊核と呼ばれる部位を破壊するしかない。

攻撃系の魔技であれば、魔力同士が干渉しあい動きを止めることは可能である。

だがこの血流し川の狩り場で活躍する赤鉄級は、中枝レベルにようやく達するレベルである。

攻撃系で使い物になるのは、炎使いの<火弾>や<熱線>、<激発炎>くらいしかない。

しかしながら相手は水の変化であり、その相性は限りなく悪い。

なので出会った場合の結論は一つだけと言われていた。

ひたすら逃げろ、である。

そして万が一、絡まれた場合も似たような結論だ。

雨が止むまでひたすら耐えろ、である。

だがそちらの場合は、限りなく難しい話でもあった。

なぜなら――。

不意に赤水の邪霊の表面に現れていた突起の一本が、物凄い速さで真っ直ぐに突き出された。

伸びゆく水の棘が、撃ち出された矢のような速さでトールに迫る。

鞘走る鉄剣が、最大の切れ味を以って迎え討った。

先端を斬り落とされた水の棘は、目標を失って引き戻される。

追撃をしようと前に出かけたトールの目に、新たに伸びてくる二本の棘が映った。

すかさず防御を高めたマントがひるがえる。

しかしあっさりとマントを突き抜けた棘の一本が、そのままトールの太ももを貫いて地面へ縫い付けた。

さらに三本の棘が少しの間もおかず、とどめを刺すように襲いかかる。

スッと息を吐いたトールの腕が目にも留まらぬ速さで動き、鉄の刃が鮮やかに空を斬りとる。

迫りくる棘たちは一瞬で水飛沫に代わり、一息置いて足に刺さっていた棘が形を失った。

太ももの血を止めながら、一歩下がったトールは油断なく剣を構える。

「お前たちは手を出すな。かばいきれん」

「ムチャだぜ、おっさん!」

「くっ、おい、下がるぞ」

水の棘の射程は十歩以上。

しかも鉄鎧並みの強度を誇るマントさえ軽々と貫く威力があり、さらに複数同時に撃ち出すこともできる。

親指ほどの太さしかないが、急所を狙われたら簡単に終わってしまうだろう。

近寄って武器を振るう隙など皆無な相手だ。

攻めあぐねるトールの耳に、前触れもなく弓弦が揺れる音が響く。

天幕にいた翠羽族のタパとタリの仕業だ。

加速した矢は水棘の迎撃をかいくぐり、次々と邪霊の本体へ突き刺さる。

だがわずかな身震いも見せず、水の塊は己を貫いた矢を地面へ落としながら無音で天幕へと動き出した。

「逃げろ!」

トールの叫びと同時に、大量の水の棘が撃ち出された。

とっさに後ろへ飛ぶ二人。

寸前までタパたちが居た場所に、鋭い棘が何本も突き刺さった。

水の棘がテントの木組みを撃ち抜いたせいで、天幕が自重に耐えきれず傾きながら倒れる。

その音に、竈の後ろで居眠りしていたムーが目を覚まして起き上がった。

無理やり起こされた寝ぼけ眼の子どもは、空中に浮かぶ奇妙な赤い球を目をこすりながら見上げる。

新たな獲物に気づいた赤水の邪霊から、水の棘が容赦なく放たれた。

「――ソラ!」

「うん!」

胸元に凄まじい勢いで水の棘がぶち当たったムーは、派手に宙を舞ってから地面に落ちた。

そのままコロコロと転がって、土手近くのテントにぶつかってようやく止まる。

そして固唾を飲むトールたちの視線を浴びながら、子どもは勢いよく立ち上がって腕を交互に振りながら怒り出した。

「もう、びっくりした! ムーになにする!」

「大丈夫か? 幼い子!」

「怪我はないか? 幼い子!」

駆けつけた双子に抱えられて引っ張られていく子どもの様子に、トールは長い息を吐いた。

そしてソラの<反転>に気づいて、こちらへ向かってくるモンスターを睨みつける。

トールの奥歯がガリッと音を立てた。

「ソラ、全力で行くぞ」

「……う、うん」

鉄剣をぶらりと垂らしたまま、トールは邪霊へスタスタと歩きだした。

間髪を容れず、水の棘が放たれた。

剣が閃き、音もなくその先端が斬り離されて飛ぶ。

続いて三本。

同様にまたも斬り落とされる。

あと五歩の距離に入ったとたん、水の棘がさらに数を増した。

同時にトールの剣も、凄まじい速さで空を斬る。

だがさばききれず、数本が肩や足を貫き胴をかすめる。

しかしトールの歩みは止まらない。

穿たれた体を<復元>しながら、一歩一歩近づいていく。

そして本体が剣の間合いに入ったその時。

数え切れないほどの水の棘が、トールへと襲いかかる。

その瞬間を待ちわびていたのは、トールだけではなかった。

――<反転>。

――<反転>。

――<反転>。

――<反転>。

連続で放たれた魔技が、棘の軌道を変え互いにぶつけあうことで攻撃の空白を作る。

トールの体がスッとその隙間に入り込んだ。

刃がうなり、水塊を両断する。

さらに二つ。

それをまた二つ。

縦横無尽に動く刃が、空中でモンスターを細切れに刻み込む。

やがて弱点を打ち抜かれたのか、赤い水を撒き散らしながらモンスターは空中へ溶けていった。

気がつくと雨はやんでいた。