作品タイトル不明
宝玉蟻
通路の床だけでなく、壁や天井までも走り抜けて蟻どもが迫る。
白光に浮かび上がった大きな虫たちは、不規則にタイミングをずらしながら、波のように切れ目なく次々と姿を現した。
対するは、二振りの剣を下げた赤毛の剣士ただ一人。
もっともその燃えるような色の髪は、竜の頭部を模した兜の下に隠されてしまっていたが。
黒い塊と化したストラッチアは、蟻の群れを前に微動だにしない。
身じろぎを忘れた獲物に対し、モンスターは容赦なく襲いかかった。
一匹目が剣の間合いに入り込んだ瞬間、無造作に黒い刃が宙を薙いだ。
刈り取られた雑草のごとく、たった一振りで先頭の蟻の体はバラバラになりながら宙を舞う。
次いで、もう一匹。
さらに、もう一匹。
黒い剣士が刃を閃かすたびに、切断された破片が地面へと散らばる。
足元に転がってきたその頭部を、トールはしげしげと見つめた。
造形は確かに昆虫そのものだ。
ただし大きさが違う。
およそ、蟻の体長は大人の腕の長さほどもあろう。
だが、今さらそんなことで驚くはずもない。
それよりも強く目を引くのは、変わったその外見であった。
分断された蟻の部位は、薄っすらと透き通りながら夕焼け色の光沢を放っていた。
宝石と同等の輝きを秘めた甲殻を持つ、このモンスターの名は宝玉蟻。
その身体は、鉱石と非常によく似た成分で構成されているらしい。
現在、ストラッチアが相手にしているのは、働き蟻に相当する琥珀蟻と呼ばれる種だ。
甲殻の硬度は低いが非常に数が多く、さらに面倒な体質を有していた。
軽くつま先で蹴ってひっくり返そうと試みたが、蟻の頭部はなかなか動こうとしない。
理由は、その切り口から溢れ出る黄味がかった体液である。
べたつくそれのせいで、地面と離れにくくなってしまっているのだ。
この蟻どもは琥珀そっくりだが、そのものではない。
ゆえに見た目を安易に信じ込むと、痛い目にあう。
琥珀蟻は粘着質の液体を体内に溜め込み、甲皮が破損すると外部へ放出して獲物の行動を止める役割を担っているのだ。
先ほどトールが剣を抜こうとして止められたのは、そういった理由からであった。
当然、赤毛の剣士も、そのネチャネチャの液体を嫌ほど浴びているのだが――。
「ほう、凄いな。あんなに綺麗になくなるのか」
「隊長の剣も鎧も結構な食いしん坊ですし、あの程度だったらぺろりですよ」
得意げに横から口を挟んできたクガセの言葉通り、黒い鱗鎧や刃には変わった現象が生じていた。
付着したはずの蟻の体液が、みるみる間に消えていくのだ。
「確か腐屍龍の素材なんだっけ?」
「ええ、めちゃめちゃ倒すのたいへんだったんですよ。えっへん」
廃棄された地下監獄の迷宮主の一匹、腐屍の龍ゾルダマーグ。
その二つ名から連想される通り、死してなお瘴気によって動かされる不死系のモンスターである。
腐った龍の身体は際限なき飢えに蝕まれており、触れた物を吸収する特質を持つ。
そのため外皮や牙を使った装具には、余計な付着物を吸い取る性能が残っているのだ。
おかげでいくらモンスターを切っても血糊が残らず、強酸や煮えたぎる体液を浴びてもへっちゃらとなる。
もっとも、うっかり装着中に出血すると、延々と吸収されてしまう羽目にもなるが。
「なかなか良さげだな。牙とか余ってないのか?」
「な、何言い出すんですか、おっちゃん! あの剣一本で白金貨十五枚ですよ!」
「ほう、結構するんだな。だが、ないと言わないってことは、余っているのか」
「そりゃ短いのなら残ってますが、それでも白金貨三枚はするですよ……」
驚いた顔のまましゃがみこんだクガセは、琥珀蟻の頭部に手を伸ばした。
そして二本の触角の中央にある角状の部分を、指先で強引にへし折ってみせる。
もぎ取られた突起の先端は、少女の指先で鮮やかな輝きを放った。
「これ一個、大銅貨一枚です。牙が欲しいなら、この蟻ん子二十四万匹分ですよ。その意味が分かってるんですか?」
呆れたように溜め息を吐きながら、クガセは腰帯に下げた革袋に触角の尖端をしまう。
宝玉蟻の見た目は宝石そっくりなのだが、やはり鉱物ではないため時間の経過で劣化してしまう。
そのため大きな価値は認められていない。
だたし例外があり、その額の第三の触角と呼ばれる部分だけは変質しにくいため、蟻玉と呼ばれて一部の好事家に人気があった。
「ああ、ちょっと多めだが相手できない数じゃないな。それに下へ行くと、もっと高い蟻も出てくるんだろ」
「……まったく、本気で言ってるなら面白いおっちゃんですね。白札下げてそんな大口叩く人、初めてですよ」
大仰に肩をすくめたクガセは、転がってくる蟻の頭部から次々と宝玉を回収しはじめる。
「ほらほら、早いもの勝ちですよ。のんびりしてるとなくなっちゃうですよ」
「よし、たっぷり集めるか」
「負けないですよ! あっ、あと高い蟻ならもう来てるっぽいですよ」
そう付け加えた少女の隣には、優雅に宙へ腕を差し出す副隊長の姿があった。
その右手は中指に引っ掛ける形の長手袋で覆われており、手の甲の部分には真っ赤な炎晶石が輝いている。
「炎樹の赤き実りよ――<火弾>」
いきなりの詠唱とともに、子供の頭部ほどもある火球がニネッサの指先から生まれた。
ほとんど溜めもなく撃ち出された火の玉は、前に立つ黒鎧の男を越えて通路の奥へと飛んでいく。
一拍子遅れて轟音が響き、次いで熱い風が強く吹き寄せてきた。
土埃などが収まったあとに現れたのは、ドロドロに溶けて壁や天井にへばりついた蟻どもの残骸であった。
下枝スキルの魔技とは思えない威力だが、完枝状態かつ装具や特性での増強があるからだろう。
さらに琥珀蟻は、熱に弱いというのもある。
だからこそ炙り出すには、直火は最適の手段なのだ。
一撃で全滅したかと思われた蟻の群れだが、よく見ると原型を留めているのが一匹だけ残っていた。
ギチギチと顎を鳴らしながら、何とか向きを変えて逃げ出そうとしている。
その甲皮の琥珀色はところどころが剥げ落ちて、下から乳白色の殻があらわになっていた。
そこで赤毛の剣士は、ようやく足を前に動かした。
一瞬で距離を詰め、頭部を一振りで切り離す。
勢いよく転がってきた蟻の頭をいち早く足で踏んづけたクガセは、勝ち誇った顔でトールに振り向いた。
この白い外殻を持つ蟻は乳石蟻。
侵入者に気づくと、琥珀蟻を際限なく呼び続ける習性を持つ。
このモンスターの面倒な点はそれだけではなく、甲皮の色を自在に変えて違う蟻に成りすます性質をもっているのだ。
乳白蟻の宝玉を自慢げに掲げるクガセの鎧の袖を、近寄ってきたラムメルラが引っ張って通路の端へ連れていく。
二人の少女はまたも顔を突き合わせて、こそこそと話し始めた。
「なに仲良くなってんのよ、クー」
「で、でも……」
「でもじゃないわよ、分かってるの?」
「やっぱり、なんかほっとけないですよ」
「そうやって、結局あとで辛いのは自分なのよ。きっぱり割り切って無視しなさいって」
「ねぇ、置いてっちゃうよ?」
ニネッサの呼びかけに慌てて振り向いた少女たちは、そこで会話を打ち切って追いつこうと小走りで駆け出した。
それぞれの思惑の中、一行はダンジョンのさらなる奥へと向かう。
一方その頃、ダダンの境界街では――。
「きょうのトーちゃん、うんちながいな」
「トールちゃんなら、今日はだいじな用事で朝からお出かけだよー」
「むぅ! ムーをわすれるなんて、あわてんぼうだな!」
「なんかてーいん一人だから、みんなお留守番だって言ってたよ」
「あやしい。きっとうわきして、おいしいもの食べてるにちがいない!」
「まさかー。こんなかわいい奥さんがいるのに?」
「あぐらかいてると、いたいめにあうって、じいちゃんがいってたぞ」
「えー」