軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

攻略の理由

「カレン、体は本当に大丈夫なのかい?」

錬金釜を雪で洗っていたカレンは、ユリウスの問いに一瞬だけ躊躇った後に口を開いた。

「ここにいるだけで辛いです。ただ寒いだけ以上に……存在しているだけで辛いっていう感覚ですね」

カレンは正直に弱音を吐いた。

恐らく、魔力を持たない人にとってのこの世界はこんな感覚なのではないだろうか。

そう思わせる辛さにカレンが白い溜め息を吐く。

カレンの答えにユリウスは眉を顰めた。

「カレン、私たちは正式な発表はまだだが、もう婚約したも同然の間柄なのだよ。隠し事はやめて、正直に教えてほしい」

「えっ!? ユリウス様はわたしが辛くないのに辛いと言ってると思ってるんですか!?」

カレンはまさかそんなはずはないとびっくり顔でユリウスを見上げた。

そんなカレンに、ユリウスもまた目をまん丸に見開いた。

「まさか! そうではないよ、カレン。 その程度(・・・・) の辛さではありえないはずだと思ったのだ」

カレンの答えを聞いて、ユリウスはカレンの辛さが軽すぎると思ったらしい。

「君にそんな誤解をさせるということは、もしかして私を心配させまいと何らかの我慢をしているということはないのかい?」

「ダンジョン慣れしているユリウス様の前で隠し事をしても、後々バレる確率は高いじゃないですか? だから、十分に辛い気持ちを打ち明けたつもりなんですけど……」

しょんぼりとした顔をして言いながらも、錬金釜を洗い、柄杓の手入れをするカレンのテキパキとした動作はよどみない。

弱音を吐きつつも余力を残すカレンの動きに、ユリウスは釈然としない面持ちで顎に手をやって言う。

「君が先程作ったのは万能薬だろう?」

「はい」

失敗したらただのカレー。成功したら万能薬。

どちらにしろ美味しい夕食だったはずだ。

「リヒトは気づかずに食べていたが、私は魔力酔いをしていたから、それが落ち着いたことであれが万能薬と気づけた。魔力を使い切ったばかりの体で万能薬まで作った君の体は、本当に『辛い』以外の問題もないのかい?」

「……確かにわたし、魔力を使い切っていましたね? 寝ているうちに回復したのかな」

「君が寝ていたのはほんの一刻程度だよ」

それは使いきった魔力が完全回復するにはあまりにも短い時間である。

ブラックドラゴンと対峙していた時には気が昂ぶっていたからあまり気にしていなかったが、気配を消すために魔力を使い切った後は、そういえば体が重かったような気もする。

もう一度魔力を使い切って気配を消し、逃げることはできないだろうと思うくらいに。

だから戦闘前にブラックドラゴンと交渉して、見逃してもらった。

「……言われてみれば不思議ですね。辛いは辛いんですけど、結構元気かもしれません」

それどころか、目が覚めた時より元気になっている。

魔力を使い切って消耗しているはずの体で魔力を使ってポーションを作り更に元気になるのは、言われてみればおかしなことである。

「カレンはもしかすると、ブラックドラゴンを倒した報酬で階梯を昇りかけているのかもしれない」

「わたし、討伐に参加していませんよね!?」

カレンは最初のブラックドラゴンの咆哮で気絶していただけの人間である。

だが、ユリウスは首を横に振った。

「女神か、あるいはブラックドラゴンが君を認めたのかもしれない」

カレンは不思議な気持ちで自分の両手を見下ろした。

とても寒いし手はかじかんでいる。

だが雪で錬金釜を洗っていても、このダンジョンに入ってすぐの頃のように指先の感覚がなくなることがない。

「カレンの体が魔力で満ちているのだろう」

「魔力酔いしてるって感じはしないのに……」

「それだけ、君の体が消耗しているということでもある」

錬金釜と柄杓を洗い終え、次に皿洗いに取りかかろうとしたカレンの手からユリウスは皿を取り上げた。

「ユリウス様??」

「錬金術道具の手入れを邪魔するわけにはいかないが、それ以外に関しては私に任せて君は休むように」

「いえいえ、こういう雑用はわたしの仕事ですから――アッ、届かない!」

ユリウスがカレンから取り上げた皿を高い場所に掲げてしまうと、カレンが背伸びをしても手が届かない。

「私が皿を洗い終える前に身支度をして寝床につくことだね。身支度が終わらないようなら私が君の背中を拭くのを手伝おう」

「遠慮しますッ!!」

カレンは素速く後退した。

寒い環境だから体の汚れや匂い自体はあまり気にならないものの、お湯を絞った布で手早く拭くくらいのことしかできないこの環境下でユリウスに体を拭かれるなど言語道断である。

九階層で薪を集めて戻ってきたリヒトは、ユリウスとカレンの攻防見ると、薪を置いて九階層に繋がるダンジョン門に戻っていった。

「俺は九階層でルミーと寝るぜ。おまえらは好きなだけイチャつくといい」

「こんなとこでイチャつきませんからいらぬ気づかいは無用ですよ!?」

気まずそうに言うリヒトにカレンは声を荒らげたものの、リヒトはとっとと九階層に退散していった。

ユリウスと二人きりになったカレンは、ユリウスが手早く洗い物を片付けていくのを見て慌ててお湯の準備をはじめた。

何とかユリウスの手が空く前に身支度を調えたカレンは、焚火の側の寝床につく。

横になったところでユリウスの外套を羽織りっぱなしだったことに気づいたカレンはユリウスを見上げた。

「ユリウス様はわたしに外套をくれちゃって、寒くないんですか?」

「私はこの程度なら大丈夫なのだよ、カレン。エーレルト領都の二十階層はもっと寒かったからね」

「……でも、今も寒いことに違いはありませんよね?」

ユリウスの外套はダンジョン二十階層の環境にも耐えられる特別製だ。

この外套にまんまるにくるまっているととても温かかった。

だから、カレンは外套をユリウスに向かって開いた。

「一緒にくるまったらもっと温かそうですよ、ユリウス様」

ユリウスはカレンの言葉に軽く目を瞠ったあと微笑んだ。

「いいのかい?」

「ダンジョンに入ってから一番念入りに体を拭きました」

体を拭いてみてわかったのは、まだ体のどこにも凍傷らしい凍傷がないこと。

どこもひび割れていないし、裂けていないし、変色もしていない。

本当に、この体は階梯を昇りかけているらしい。

カレンがゴロゴロしながら待っていると、片付けを終えたユリウスも身支度を終えてカレンの隣に体を横たえた。

カレンはそのユリウスの体に外套をファサッとかけてその肩にくっつく。

ユリウスはくすりと笑って外套の中でカレンを抱き寄せた。

カレンが思った通り、二人で外套にくるまれば更に温かかった。

ユリウスの胸板に頬を寄せても緊張することもなく、安心したカレンの体から力が抜けていく。

そんなカレンに、ユリウスは笑いを含んだ声で言う。

「これほど近づいても、もう脳が溶けてはくれないのだね。少し寂しくもあるな」

カレンはちらりと笑うユリウスを見上げたあと、その胸に額を押し当てた。

「付き合うと、すぐに夢中になってしまうんです。脳ミソが溶けちゃったみたいに他のことは何にも考えられなくなっちゃう。わたしのすべてが相手によって左右されるようになる……これを恋愛脳って呼んでたんですけど、多分、恋愛は関係なかったんです」

「カレン?」

「家族のために生きるのが嫌になって、でも、自分のために生きる方法がわからないから彼氏のために生きることで、上手くいかない自分の人生から逃げていただけ」

「……一体、君の人生のいつの話だい?」

エーレルト伯爵家はカレンの半生を調査した。

ユリウスもカレンの家庭の事情に通じている。

だから、カレンが人生のどこでそんな逃避を繰り返していたのかわからないだろう。

「前世の話です」

カレンは目を閉じたままぽつりと言った。

「わたし、前世の記憶があるんです」

「……なるほど」

ユリウスは何事かを得心したように呟いた。

何かを問い詰めたり聞き出そうとしない、ユリウスの静けさがありがたく、カレンは気づかぬうちに詰めていた息を吐いていく。

ユリウスはカレンの告白については何も言わずに別のことを言った。

「幼い頃、私は人里離れた森の中の小さな家で、母と二人で隠れて暮らしていた。しかし父に見つかってしまい、私は攫われ、ちょうどこのあたりに捨てられた」

カレンは答える代わりに外套の中でユリウスの肩から腕を辿って手を探し、長く冷たい指先を見つけて握りしめた。

「当時、戦う術を知らなかった私はありとあらゆる力を振り絞り、このダンジョンから抜け出したところを保護された。すぐに家に帰ったが、そこに母の姿はなく、代わりに私のダンジョン脱出を聞きつけた父が私を迎えに来た。ダンジョンから自力で脱出した私の力を見込んで、正式に息子とするためにね」

「……そんなことがあったんですね」

「もしかしたら、私以外にもこのダンジョンに捨てられた兄姉がいたのかもしれなくてね」

カレンは動揺して強くユリウスの指を握りしめた。

その反応に動じることなく、ユリウスは穏やかな声音で続ける。

「父に聞いたことはない。だが私をここに捨てる父は手慣れていたから、いつかこのダンジョンに再びやってきた時には墓を作ろうと思っていたのだ。ここに眠る者などおらず、すべては私の杞憂かもしれないのだが。よかったら、もしかしたらいたかもしれない私の兄姉の冥福を君にも祈ってもらえないだろうか?」

「……任せてください」

ユリウスがこう言うということは、きっと本当にいたと確信しているのだろう。

存在すら不確かな子たちのために、そのうちの一人になるかもしれなかった幼い頃のユリウスのために、カレンは泣きそうになって声を殺した。

涙声で答えるカレンをユリウスは微笑んで抱きしめた。

「前世と来世が本当にあると知れたから、彼らの次なる生が幸せなものであるようにと女神に祈る甲斐があるよ」

そう言って、ユリウスはぐずぐずと声を殺して泣き始めたカレンの髪を優しく梳いた。

やがてカレンが涙を流しながら眠りにつくのを見届けると、その涙を拭ってユリウスも静かに目を閉じた。