軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

心模様

◇【十河綾香】◇

「先日はありがとうございました、おじいさま」

十河綾香は、スマートフォン越しに通話をしていた。

相手は十河グループ現会長――つまり綾香の祖父である。

修学旅行の移動中、バスが自然災害に巻き込まれた。

”バス会社やバス運転手が守られる形にしてほしい”

綾香のその頼みを祖父は二つ返事で了承。

自分なりにのちに調べてみると、それらは確かに実行されていた。

祖父にその動きは把握されていたらしく、

”綾香も、裏を取るようになったか”

そう喜んでいた。

ちなみに、今日の電話は別件である。

「ええ、もう私は問題ありません――はい、大丈夫です。いつまでもショックを受けているわけにもいきませんから」

ショックは帰還前にもう十分すぎるほど受けている。

しかし平然としすぎているのも不自然。

だから周囲に対し、表向きはショックを引きずっている風をしばらく装っていた。

(三森君ほど器用に演じることは、できないけど)

だいぶ世間も静かになっただろう、と祖父が言った。

含意(がんい) のある言い方だった。

祖父はおそらく豊富な人脈を使い、話題の沈静化に動いた。

十河グループ。

政財界やマスメディアへの影響力は綾香が思う以上に、大きいのかもしれない。

”あの事故以来、何か変わったか?”

予測を確定したいような調子で、祖父が綾香に尋ねた。

綾香は動じることなく、微笑む。

「そうかもしれません」

その後、祖父はまだ行方不明中の生徒について触れた。

祖父は川に落ちてそのまま流された可能性を示唆した。

川をくだった先は、海。

”行方不明者たちは海まで流されたのではないか”

それが現在、最も有力な説とされている。

「……叶うなら、生きていてくれたらと思っています」

そう……別の意味で――

生きていてくれたら、と思う。

ややあって、祖父が切り出す。

それで今日はなんの用だ、と。

綾香は自分の感情をコントロールし、応答する。

「修学旅行前に確かおじいさま、東京都内で今度大きなパーティーがあるとおっしゃってましたよね? 定期的に開かれているパーティーで、おじいさまが以前から私を誘ってくださっていた」

次の言葉を待つ祖父の沈黙。

「次回、出席させていただけたらと思っているのですが」

黙考らしき間があってから、わかった、と祖父が短く答えた。

さらに祖父は尋ねた。

以前みたいに 見(・) 学(・) でいいんだな、と

いえ、と綾香は答える。

「今回は見学ではなく――」

通話口の向こうで、空気に変化があったのがわかった。

「 十(・) 河(・) グ(・) ル(・) ー(・) プ(・) 会(・) 長(・) の(・) 孫(・) と(・) し(・) て(・) 、おじいさまから直々に皆さまへご紹介いただけますか?」

『……、――驚いたな。出席の意思があるだけでも驚いたが……ああいう場所へ出て行って”十河グループ会長の孫”として扱われることに、以前は乗り気じゃなかっただろう。どういう風の吹き回しだ?』

「風向きが、変わったのかもしれません」

『……らしくねぇ言い方を、するようになったな』

気づけば、祖父の話し方にも変化が出ている。

「いいえ、おじいさま」

ふと、あの世界にいる”彼”を思い出して言う。

「以前よりいくらか視界の方がクリアになった――それだけの話ですわ」

数秒、通話口の向こうに無言の時間が生まれた。

やがて――祖父は笑った。

『……くく、ふははっ! そうか……おまえもなかなか、 い(・) い(・) 声(・) を出すようになった。いいだろう。おれがまだ現役でいられるうちに、手を貸せることは貸してやる――そういうことだな?』

「寛大な祖父を持って、孫として嬉しく思います」

『もしかしたら綾香は、おまえの親より見どころがあるかもな』

「せっかくの立ち位置ですから。学びたいと思います――色々なことを」

くく、と。

通話口の向こうで再び祖父が笑う。

思わず漏れ出た笑い、という感じだった。

「おじいさま?」

『いや……なんだか、懐かしい気分になってな』

「懐かしい?」

『あいつ……若い頃のおまえのばあちゃんと、久しぶりに話したような気がした。なんだかな……少し似てきたのかもしれんな、あいつと』

「大好きなおばあさまに似てると言われるのは、光栄です」

今度祖母の墓に挨拶に行く予定だと、綾香は伝えた。

『へぇ……あいつのことは忘れてるか、死んだのがショックであえて考えないようにしてるのかと思ってたがな。葬式ん時も綾香は、心ここにあらずだったしなぁ』

「あの時は申し訳ありませんでした。ですが今は……視界が晴れたことで向き合う覚悟ができた――そんな感じです」

『けどなぁ綾香、あいつに似なくていいところもあるぞ?』

「似なくていいところ? なんでしょう?」

『できれば喫煙は、やめとけ』

「ふふ……今のところ、嗜む予定はありません」

『あいつは最後まで、あれをやめられんかったからなぁ。武術やらを嗜む人間がやるもんじゃないし長生きできねぇぞと、若い時からおれも口酸っぱく言ってたんだが……あいつめ、まるで聞きやしなかった』

「ですがおじいさまは、無理にやめさせはしなかったのですね?」

『くく……止められるかよ、あのおてんばを。それにまあ……嫌いじゃなかったしな。あいつが煙草を吸う姿……いやに、サマになっててなぁ。ああ、そうだ……、――嫌いじゃあ、なかったんだ』

「無念ではあるが後悔はない――と?」

くはは、と祖父が笑う。

『上手いことも、言うようになったな』

おじいさま、と綾香は微笑みまじりに言う。

「本当に、お好きだったんですね……おばあさまのこと」

『この歳になるまで、あれ以上の女にはついぞ出会わなかった』

「……おばあさまが、うらやましいです」

『綾香はまだいないのか、そういう相手は』

「残念ながら」

『はは、急ぐことはねぇさ。まだ若いんだしな……、――なあ、綾香』

「はい」

『事故の話を聞いた時……正直、気が気じゃなかった。あいつに続いてまさかおまえも先にいなくなるのか、ってな……だから――よく、無事に戻ってきてくれた』

その日、綾香は喪服姿で墓地を訪れていた。

「ご挨拶に伺うのが遅くなってすみませんでした、おばあさま」

祖母の墓参り。

立派な墓だ。

あいつは大層な墓なんざいらんと嫌がったがな、と。

祖父は電話越しに、そう笑っていた。

「自分に何ができるかも、どんな風に償いができるかも……まだ、模索中です。それでも……私なりにやれそうなことを、やっていきたいと思っています」

急ぎすぎず。

自分に合ったペースで。

そのあと綾香は目を閉じ、長く手を合わせた。

目を閉じている間、色んなことを心の中で亡き祖母に語りかけた。

やがて綾香は合わせた両手を離し、墓石に向かって言った。

「また、来ます」

柄杓(ひしゃく) の入った手桶と傘を持って墓の前を離れる。

通路の両脇に敷き詰められた砂利の隙間から、花が咲いていた。

今も”捜索中”になっている生徒。

もう少し落ち着いたら、彼らの親族にも会いに行こうと思う。

クラス委員長として。

立場もあって一応、学校での彼らの姿をそれなりに見ている。

話すことができる。

彼らの話をしながら、話を聞く。

これだけで少し気持ちが楽になったりするかもしれない。

――もちろん必要とされていそうであればの話だ。

不要だと直接言われるなり、綾香が不要と判断した場合はやらない。

押しつけはしない。

文字通り”余計なお節介”であればする必要はない。

するつもりも、ない。

ただ――求められていると判断できたなら。

気持ちに納得や区切りをつけられるくらいの時間。

それを、自分なりに寄り添うことができたらと思う。

(三森君のところは、聖さんに任せた方がよさそうだけど)

それと戦場浅葱の家は、

(確か、鹿島さんが訪ねるつもりだって言ってたわね……)

それから小山田翔吾の家については、もう少し考えるべきか。

彼の家族との関わりについては、聖に一度相談してからにしようと思う。

桐原拓斗は――確かに、記憶はないようだ。

しかし他の生徒に比べると、少し様子がおかしい気もする。

(もしかすると……)

小山田翔吾が行方不明中なことが、意外とショックなのだろうか?

(そこも今度、聖さんに相談してみようかな)

そんなことを考えながら石畳を歩き、手桶と柄杓を水場に返却した時だった。

(あ……)

雨が降ってきた。

今日は朝から曇天で、今にも泣き出しそうな空模様だった。

傘を開く。

しかし――綾香は、その傘を持った手を下げた。

顔を、空へ向ける。

頬や額に糸のような雨があたる。

ぱたぱたと、雨が顔や手にあたって跳ねる。

ほどなくして、全身にかすかな水気を覚えはじめる。

「…………」

”悪天候”

”天気が悪い”

雨が降る日はこう言われる。

けれど――そんなに悪いことばかりだろうか?

台風や大雨なら頷けなくもない。

しかしこの程度の雨であれば、悪いことばかりでもない。

そう思う。

湿った空気には土や草の匂いがふわりとのっている。

墓地が山に近いせいだろうか?

どこかで――蛙が鳴き出した。

ふと、幼い頃に祖母の生家へ行った時のことを思い出す。

(あの家で過ごす時間……雨の日も好きだったな。何もかも古かったけど……なんだか”懐かしい”って気がして……とても、落ち着く家だった。静かで……雨の音や……虫や蛙の声……たまに通り過ぎる、軽トラックの音……)

この世界に戻ってきて、思ったことがある。

何かに急かされている――と、そう感じることがある。

早く、早く、と。

生きることを、何かに急かされているかのような。

だけど……あの祖母の家は違った。

穏やかな静寂と、自然の奏でる色んな音が辺りを包んでいて。

時間ってこんなにゆったり流れることもあるんだ、と。

そう驚いた記憶がある。

それから――あの世界と比べても。

なぜだかこちらの方が不思議と、時間の忙しなさを強く感じる。

世界中で、たくさんの人たちが何かに焦燥している感じ。

急いで生きろと、急き立てられているような……。

立ち止まることを――許さない空気。

だからこそ今のような時間が、場所が、必要だと感じる。

「……私は」

戻ってきた。

この世界に。

だけど以前とはもう、何かが違っている。

変わったのはやはり自分の方だろうか?

だとすれば。

見方を……感じ方を変えるだけで、やっぱり世界は変わる。

少なくともそれらは、変えることができる。

だから――

雨の日だって悪くないと、今は思える。

ふと……指を前へ突き出し、小さく呟く。

「ステータス、オープン」

もちろん、あのウィンドウが出てくるはずなどない。

どこか遠くへ思いを馳せる気持ちで目を閉じ、綾香は微笑んだ。

畳まれた傘を手に、石段を一つ一つ降りる。

駐車場に着くと、十河家お付きの運転手がにこやかに待っていた。

「なんだか嬉しそうでございますね、お嬢さま」

「はい」

「ここ半年くらいでしょうか? 雰囲気が、お変わりになりました」

「多分、もっと最近の変化です」

綾香はそこで、自分の服がけっこう濡れていることに気づく。

「……すみません。シート、濡れてしまうかも」

かまいませんよ、と運転手は微笑んだ。

「お嬢さまの気持ちが、晴れやかなのであれば」

くすっ、と綾香は笑いを漏らす。

「上手いですね」

「恐縮です」