軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

トーカの理由

えっ、と反応する十河。

俺は暫し黙ったあと、

「……セラスのことがある。ま、こっちの世界の方が居心地もよさそうだしな」

すると聖が、

「後者の方は、本心じゃないみたいだけど?」

そうだったな。

聖も、嘘が見抜けるんだった。

「言うなれば……俺なりの事情、ってとこか」

「それはたとえば――あなたがこっちの世界で人を殺したことと、関係ある?」

「こっちでやった殺しについて後悔のある殺しはない。十河のような罪悪感や自責の念もない。俺は自分の判断に従って、死んで当然と思うべき相手を殺しただけだ。ただ……」

『アンタは”それ”をやることに――躊躇が、なさすぎる』

聖。

動揺する俺が珍しい、みたいなことをおまえは言ったが。

面には出さなかっただけで――おまえの妹にああ言われた時。

俺は、動揺した。

同(・) じ(・) な(・) ん(・) だ(・) な(・) 、と自覚できた。

「殺しが関係してるってのは……当たらずとも遠からずかもな。ただ、さっき言った通り俺側の事情だ。ごく個人的で、感情的な」

聖はどこか叱るような目つきで、

「その穢れた手では……例の叔父夫婦の隣には、いられないとでも?」

「ん……微妙に違うが、似たようなもんか」

すると十河が卓に両手をつき、椅子から腰を浮かせた。

「三森君、それは――」

「いいんだ、十河。俺のごく個人的な問題だって言っただろ? それに――確かに、セラスとの約束もある」

十河は黙り、浮かせかけた腰を下ろした。

聖がタイミングを見計らって、

「いいの?」

「……別に、よくはねぇさ」

「でしょうね」

「ただ――叔父さんたちのことを考えるなら、この方がいい。つまり…… 俺(・) が(・) 、耐えられそうにない」

呆れた調子で聖が、

「真面目すぎるわよ、あなた」

「違うな。現実主義で……少し、臆病なだけだ」

十河は俺たちの会話がいまいち飲み込めていない顔をしている。

まあ――遠回しな会話ではある。

ふぅ、と息をつく聖。

そして、彼女はカーテンの開いた窓の外を見た。

部屋には柔和な光が射しこみ、覗く空は穏やかに晴れている。

やがてぽつりと、聖が言った。

「 Amazing(アメイジング) Grace(グレイス) 」

「?」

「私個人としては……あなたの場合、それなりの 恩寵(おんちょう) があってもいいと思うけれどね」

「…………」

よくは、わからなかったが。

聖なりに気を遣ってくれた発言だったのか。

……にしても。

叔父さんたちのことになるとやはり俺は――

こんなにも、脆いか。

さらに気を遣ってか、聖が話題を変えた。

「ところで……私と樹、十河さん以外に記憶を残す人はいるの?」

「ああ……他は、鹿島だな」

昨日の夜、ロキエラたちと話したあと俺は鹿島と会った。

そう、あいつは頼まれているのだ。

死に際の戦場浅葱から、彼女の母親のことを。

だから答えを予想しながらも一応、その意思を確認した。

俺がそのことを話すと、

「なるほど。そういう事情なら、鹿島さんも記憶を保持しないとだめね」

ちなみに十河は浅葱の死もすでに誰かから聞いているようだ。

鹿島経由で聞いたか、あるいは聖を通したのかはわからない。

が、それをもう知っている反応をしている。

初めて知ったなら、もっと違う反応をしているだろう。

「ロキエラとしては、さすがに十人を超えると許容できないかもって話だった。だとしても、鹿島を含めて四人。問題はない」

聖が、さらに質問する。

「念のため聞くけれど、帰還したら勇者のスキルは?」

「スキルも消えるそうだ。スキルについては何をしても保持できない」

「ヴィシスも研究していなかったの?」

「神族の力は元々備わっているものだから、消えないと考えてたみたいだな。一方、俺たちの女神の加護……つまり勇者のスキルは借り物みたいなものだ。ステータス補正も」

「借りたものは返す、と。まあスキルの能力やステータス補正そのままに元の世界へ戻ったら、それこそ大変なことになってしまうものね」

世間に露見した際どうなるか、知れたものじゃない。

「だから勇者の能力基準で考えると、元の世界に戻ったら無力になるに等しい」

十河の極弦とやらも、ステータス補正あっての力だというし。

「失う――というより、元の状態に戻ると言った方が正確ね」

「だな」

そこで室内に、沈黙がおりる。

……さて。

となると最後に一つ、話し合わねばならないことがある。

否――意思を確認しなければならない問題が、残っている。

二人ともそれについては意識しているだろう。

それで――と。

切り出したのは、聖。

「桐原君については、どうするの?」

「今、桐原は【フリーズ】状態のまま馬車でこの王都に向かってる。保管してあったミラからだから、到着には時間がかかる」

「あの状態のまま送還するとしたらどうなるの?」

「スキルと同じくちゃんと【フリーズ】も消えて、元の世界に戻る」

「そして、この世界での記憶も消える。当然、彼のスキルもよね?」

「テーゼによれば」

「……そうね。こちらの世界にいる神族に、確認手段はないものね」

聖は思考に沈んだ様子を見せたあと、続ける。

「けれど……仮に記憶とスキルを保持できたとしても、向こうの世界でも大暴れ――そういうわけにも、いかないでしょう。まず金色の魔物がいないから、スキルで操って大軍勢を作るのは無理。となれば、孤立無援に近い。そもそもスキル使用の際の発覚リスクそのものが大きすぎるから、隠れて使うくらいしかできない。公になるレベルで発覚すれば、さっき言ったように世間が大騒ぎになるでしょうから。それから……仮に桐原君がスキルによる抵抗を試みたとしても、いずれMPの問題で詰むから長期戦も難しい。交代制で戦えない時点でどこかで睡眠を取らなくてはならないし……であれば人海戦術で外堀を埋めるように――いえ……それ以前に、長距離狙撃を用いればどうとでも……」

……そこまでシミュレートするのか。

けどまあ、確かに。

元の世界の方がむしろ不自由かもしれない。

こちらで当然だったことがまさに”不自然”になる。

だから大抵のスキルはその存在が 浮(・) く(・) 。

となると聖の真偽判定スキルの方がよほど溶け込みやすく、便利だろう。

十河を一瞥し、俺は言う。

「この世界で【フリーズ】が解除されるのを待って、解除されたら始末するって手もある。あるいは――火山とか海に、あのまま沈めちまうとかな」

解除された瞬間、お陀仏ってわけだ。

……自分には発言権がないとでも思ってるのか。

ある時点から十河は、明らかに口数が乏しい。

その十河が、ようやく俯きがちに口を開いた。

「……三森君」

「今のはあくまで俺の意見だ。今のおまえが俺たちの意見に耳を傾けてくれているように――おまえの意見も、聞く」

すでに十河には、必要な材料を与えた。

あとは――こいつがどうしたいか。

十河が「私は……」と話し始める。

「元の世界に戻った桐原君が、この世界にいた頃と同じようになるとは――危険になるとは、限らないと思うの。可能性は、低いと思う」

「……俺を納得させるだけの材料はあるか?」

十河は訥々と、喋り出す。

「この世界に来てから……クラスメイトが明らかに何人か、おかしくなったと思わない? 私も含めて」

「極限状況に置かれた一部の人間が豹変する、ってのはよくある話だ。が、そういう状況で元々の本性が炙り出されただけかもしれない。他の連中の場合、おまえみたいに露骨に洗脳された印象はないがな」

「……たとえば、なんだけど」

十河の肩に、力が入る。

「私たちの本質……もしくは、本性……三森君の言った”元々の本性”が、この異世界に召喚された影響で引き出された――っていう気も、していて」

そこで、聖が口を挟む。

「召喚そのものに、そういう効果があったんじゃないかということ?」

「うん。もっと言えば……本性を隠していたり、自分の本性に自覚がなかったりした人が……それを引きずり出されたというか……剥ぎ取られたというか。だから……そうじゃなかった人は、影響が少なかったのかな……って」

聖が椅子に深く座り直し、なるほど、と腕を組む。

「全員が”変わった”わけではなく、その条件に当てはまったクラスメイトだけ本性が前面に出てきた――出てくるようにされた」

「聖さんや樹さんはあまり変化があったようには見えなかった……それは……裏表が薄い、もしくは、無意識に自分の本性を押さえつけていない人だったから、ってことなのかもしれない……とか」

……十河は指摘していないが。

仮にその考察が正しいとすれば。

小山田翔吾も――その部類に入る気がする。

意外とあいつは、召喚前とほぼ変わっていなかったのではないか。

ただ他の”変わった”ヤツらについては――

確かにいくらか、異常をきたしていたかもしれない。

「――――――――」

とすると。

俺(・) も(・) 、か。

ずっと疑問として頭の隅にあった違和感。

その正体――、……。

聖は、今の俺の様子に気づいたらしい。

が、あえて聖はそれに触れず話を続ける。

「変化が大きかった人と、そうじゃない人が混合していたから……つまり全員が全員でなかったから、召喚の影響とまでは思わなかった――まあこういう仮説も、なくはないわね」

言いながら、聖の視線は俺を捉えている。

「…………」

おかしいとは、思っていた。

”三森灯河”

そう、俺の名前は。

正確には、

”みもり と(・) う(・) か(・) ”

と、読む。

しかしステータス表示は、

”トーカ・ミモリ”

単に、この世界ではそう変換されるのだと思っていた。

いわゆるエラー的な”誤訳”のようなものなのだと。

が……

誰(・) だ(・) ?

元の世界の時点で俺を――”トーカ”と、呼んでいたのは?

そう、それは……

『―― てめぇトーカぁあああッ! 勝手に存在してんなよおらぁあ! ――』

『―― トーカ、なんかそのうちあんた”事故”で死ぬかも ――』

あ(・) い(・) つ(・) ら(・) だ(・) 。

実の親――あのクズどもは。

自分でつけた名前もまともに呼ばずに。

ずっと”トーカ”と。

そんな感じに、呼んでいた。

共に暮らし、俺を”とうか”と正しく呼んでくれた人たちの記憶。

そのほとんどは。

叔父さんと、叔母さんだ。

……なるほど。

召喚によって。

剥ぎ取られた―― 外(・) さ(・) れ(・) た(・) 、か。

ならば。

召喚直後すでにその変化は、俺に起きていて。

廃棄遺跡の中で――

魂喰いとの戦いの中で。

俺が本性を剥き出しにし、

自覚していったのは、ただの偶然ではなく。

必然だったとも、考えられるのか。

……だとしたら。

やはり、皮肉なもんだ。

召喚の影響があったから。

だからこそ――生き残れた。

俺がその影響で”あいつら”になったから。

他者を踏み 躙(にじ) ることができる人間に、 戻(・) っ(・) た(・) か(・) ら(・) 。

『アンタは”それ”をやることに――躊躇が、なさすぎる』

何かを察してはいるようだが。

聖はやはりあえて俺の変化には触れず、話を進める。

「邪王素の影響を強く受けた魔物は金眼化し、狂暴になるんだったわね。だけど歪んだ狂暴性の素質が元々なかった魔物は金眼化しない。たとえば三森君の仲間のスライムは、影響外にある魔物よね」

十河が、自分の中で何かが繋がった顔をした。

聖は続ける。

「大魔帝も、その大魔帝から生み出される魔物も金眼だったから、金は不吉な色なのかもしれない。そして、まさにヴィシスも金眼だったわけだけれど――でも、ロキエラさんやテーゼさんも金眼でしょう? 金色(こんじき) そのものが邪悪なら、その二人も邪悪になってしまう」

加えて、桐原も分類するなら”金色”の勇者である。

しかしロキエラに限っては――違う、と感じる。

少なくとも俺の”邪悪”に鋭敏な嗅覚は、反応していない。

聖は腕を組んだまま思索的に卓上を見つめ、

「古来から現代へ至るまで、金という存在や概念はとても興味深いわ。めでたい色でもあるし、神聖な色でもある」

「ま……寺とかに行くと、金色のもんが多かったりはするよな」

「色だけでなく、物質面でも特異な位置にあるわ。金本位制の時代はいわずもがな、現在でも重要な位置づけの貴金属であり続けている。マテリアルとしても、いわゆる安全資産としても。ただその一方で……人を狂わせてしまう存在でもある。歴史的に見ても人々は金を求めてきた――時に争い、奪ってでも手に入れたがった」

「フィクションの中じゃドラゴンすら魅了してるしな」

そうね、と聖はかすかに微笑む。

「本来は縁起のよい色であり、物質的にも高い価値があるのだけれど――同時に、不幸の呼び水になる存在でもある。人をおかしくさせる、魔力のようなものがある」

それが金、と聖は締めた。

俺は聖の意図を探りつつ、

「 金(・) 眼(・) の女神ヴィシスのせいで、クラスメイトの連中はおかしくなってた側面もある――と、そう言いたいのか?」

「というより、私なりの考察というか……理屈をくっつけてみただけ。証明は難しいから、あくまで仮説であり解釈でしかないけれど」

「どうかな。俺からすると、十河への援護射撃にも聞こえたが」

ちょっと不服そうな半眼で、三森君、と聖が俺を睨む。

「意地悪」

いや、と俺は口の端を歪める。

「責めてるわけじゃないさ。ちょっと前から聖が十河に甘めなのは気づいてたしな。で、話を戻すと……つまり十河は、記憶が消えて元の世界に戻った桐原拓斗なら、そんなに危険な存在じゃない……そう言いたいんだな? 桐原がおかしくなってたのは、召喚の影響だと。ただ――」

「私の理屈だと、あれが桐原君の本性であることに変わりはない」

十河が自ら、それを指摘した。

……そうか。

俺が言うまでもなく、理解しているのなら。

話を聞く価値は、ある。

「おまえは――桐原を、どうしたい?」

「知りたい」

「なるほど」

繋がるわけか。

ここで。

さっきの話と。

「桐原拓斗という人間を、知りたいわけか」

「……うん」

十河は視線を上げ、

「私は――桐原君がどういう人間なのかを知るために”観て”みたいの。記憶もスキルも消えて元の世界に戻れば……桐原君は”観察”しやすくなる」

「本当に邪悪な存在なのか――見極めたい、と?」

こく、と。

十河が頷く。

「そして……もし本当に邪悪なら、私にとっては学びの対象にもなると思う」

俺のように”決めつけ”ができない。

まさに……生真面目な、十河綾香らしい向き合い方ではある。

「俺はこっちの世界で始末しちまうのも ア(・) リ(・) だとは思うが……何度も言うように、ヴィシス戦はおまえがいなければ負けてたかもしれない――いや、あの状況に限っては敗色濃厚だった可能性は高い。つまりさっき言ったように……おまえは、結果を出してる。過去にした失敗の清算以上に、貢献した」

だから、と俺は言う。

「今の十河綾香には自分の意見を通す権利がある」

俺はそこで、聖に話を振る。

「聖はどうだ? 今の十河の意見に、賛成か?」

「そうね……賛成というより、あなたの言うように――ヴィシス戦の功績を考えれば、彼女には自分の意見を通す権利がある。そういう意味では、私も賛成ね」

そういえば、と聖に問う。

「おまえは一時期、ある程度までは桐原をコントロールできてたんだよな?」

「といっても、ある時期までよ?」

「たとえば――記憶が消えて、召喚前の状態に戻ったあとの桐原なら?」

「それなら……できなくもない、かもしれないけれど」

……なら十河を守る予防策は取れそうか。

何より……元の世界に戻れば”今”の桐原拓斗ではない。

否――今の桐原拓斗では、いられない。

聖が聞く。

「けれど、三森君はそれでいいの?」

「小山田の時と違って、桐原の時は俺が最初からセラスのそばにいられたからな。そりゃあ始末しちまった方がいい気もするが……実を言うと、ほぼ俺は遺恨がないに等しい。廃棄直前の態度や言動だけで考えるなら、他のクラスメイトの大半も同じだしな。だからそこについては……俺としてはもう、どうでもいい。つーか……氷漬けのまま200日以上スキルが解けるのを待つくらいなら、俺個人としては、この世界からさっさと消えてくれた方が楽でいい」

それでもまだ問題は、残っている。

「遺恨っつーと、俺以外に強い恨みを持つのがいるとすれば――桐原が殺したのはまず、大魔帝か。これは恨みに思うヤツは今特にいないだろうし、俺も別になんとも思わない。だからここで問題になるのはやはり――白狼騎士団と、その団長の件だろう」

彼らは、桐原に殺されている。

「マグナルの人たちね。今、この王都にその団長の兄である白狼王が向かっているんだったかしら」

「薄情に聞こえるかもしれないが……俺は、白狼騎士団やその団長ってのと会ったことはない。だから、そこまで特別な感情は湧かないってのが正味なところだ。つーかどっちかというと、面識がある聖の方が思うところはあるんじゃないか?」

「そうね……大魔帝軍の大侵攻の時、共に戦った人たちだから。ヴィシスを中心とした神聖連合の一翼を担っていたとはいえ、決して悪い人たちではなかった。けれど――恨みに思うほどかというと……難しいわね。こう言うと、私も少し薄情かもしれないけれど」

十河の意思を退けるほどの思い入れはない、と。

「となると……今は亡き白狼騎士団と縁の深い人間たちがどうするか――どうしたいか。桐原が元の世界に戻れるかは、ここ次第だろう」

十河、と呼びかける。

今、十河は再び居住まいを正し俺と向き合っている。

「その人たちとはおまえが話せ……そして、自分で説得しろ。 お(・) ま(・) え(・) 自(・) 身(・) の(・) 言(・) 葉(・) で(・) 」

うん――と。

十河は、返事をした。

覚悟を決めた表情で。

「わかった」

「必要なら俺も、同席はしてやる」

「……ありがとう、三森君」

鼻を鳴らし、俺は微笑む。

「にしても……本当に――お人好しだよな、うちのクラスの委員長は」

十河はまた俯き、膝に両手を乗せた。

「…………ごめん」

「謝罪は、耳にタコができるくらい聞いた。もう、十分だ」

さて。

この話は――ひとまずここまでか。

トノア水をひと息に呷り、俺が席を立とうとした、その時だった。

「聖さんも、三森君も――すごいよね」

面を伏せたまま、十河が呟いた。

「今、二人が話しているのを聞いて……私にかけてくれる言葉も含めて……二人がどんなにすごいのか、改めてわかった気がする」

しみじみとした面持ちで、十河は続ける。

「三森君は、私がいたからヴィシスに勝てたみたいに言ってくれるけど――そもそもの前提条件として、三森君や聖さんがいたから勝てた。三森君が大枠を作って、聖さんが細かな部分を埋めて……私だって、聖さんがいなかったら……」

思い出しているのは、どの時のことだろうか。

もしかしたら、あの時のことか。

桐原にとどめを刺そうとした俺を――止めた時の。

「……私は委員長だから、クラスメイトのみんなを私が守らなくちゃと思った。がんばってみんなをまとめて、守るんだって――でもそのためにはもっと強くならなくちゃいけない……言うことを聞いてもらうには……私の意思を通すには、もっともっと強くならなくちゃいけないんだ、って思った。だけど……ご覧の有様。逆に迷惑をかけて、暴走して……足を、引っ張ってしまった」

俺と聖は、黙って聞いていた。

今の十河には何か強く切実なものがあった。

聞いて欲しい――そんな、切実な気持ちが。

「なのに……どうしてなのかな、って。どうして……どうして二人とも――私を、責めないの?」

十河の肩に再び、力が入ったのがわかった。

「あまつさえ、私のわがまますらこうして聞いてくれて……受け入れてくれて。本来なら、むしろ私はもっと責められていいはず――いいえ、私はもっと責められるべきだと思う。なのに――ううん……三森君や聖さんだけじゃなくて、みんな……どうして、そんなにも――優しいんだろう、って。不思議で」

「……十河さん」

聖はしかし、十河の名を口にしただけだった。

高雄聖にしては珍しく――どう声をかけたらいいのか。

考えあぐねている風である。

十河は視線を膝の上に落としたまま、

「とにかく……申し訳ないと思うばかりで。私が、その……もっと、しっかりしていたら……死ななくていい人だっていたんじゃないか、とか……そう思うところも、あって。私も、最初から三森君とか聖さんみたいにやれていたら……とか。だから、私……」

十河は、淡々と言葉を紡いでいる。

しかしそれは――その直後に起こった。

滔々と静かに話していた十河の表情が突然、 く(・) し(・) ゃ(・) り(・) と崩れた。

「 私ッ――――どうしてもっと……うまく、やれなかったのッ――かなぁぁあ、ってッ……、―――― 」

抑えていた感情が、ついに決壊したみたいに。

ボロボロと涙を流し。

十河綾香は、激しく嗚咽し始めた。

今の声も。

ひどく頼りなく……細くて、消え入りそうな――

けれど、必死にかき集めて、どうにか編み上げたような声で。

十河綾香はまるで深い反省でも示すみたいに。

面を伏がちにしたまま膝の上に両手を置いて。

肩を激しく上下させながら何度も、しゃくりあげ――

泣いていた。

ふと、思う。

綺麗に泣く――なんていうのは。

フィクションの中で誰かに”魅せる”ためにするものであって。

こうして心から、なりふり構わず泣いてしまう時は。

人は――こんな風に、泣くのだ。

泣き、じゃくるのだ。

誰に”魅せる”でもないのだから。

ぽたぽたと。

とめどなく涙が、悔いの雨だれのごとく落下している。

嗚咽の影響で呼吸が乱れるほど――

十河綾香は激しく、泣き続けていた。

自責。

自罰。

自省。

後悔。

謝罪。

様々な感情が攪拌され、

そして、感情の渦の中で暴れ回っているのだろう。

聖は――何も言わず、ただ十河の肩に手を添えている。

沈黙を片手に、寄り添っている。

ふぅ、と。

俺は息をつき、腰を浮かせて席を立つ。

「……あの時。桐原にとどめを刺そうとする俺を、おまえが止めにきた時……」

十河綾香。

かつては最大の障害になると、そう思ったこともあったが――

「俺には”助けて”と……そう言ってるようにも、見えたぜ」

ピクッと。

十河の肩が反応する。

「何もかもを自分で背負い込もうとした結果、それで視野を狭めたのは確かに悪手だったかもな。ただ……あの森で再会する前の、俺の記憶にあるのは――」

そう、

「魔防の白城の外で、共に戦うクラスメイトや仲間たちを必死で守ろうとする十河綾香と……それから……」

目(・) が(・) 覚(・) め(・) て(・) も(・) 、やはりこいつは”十河綾香”なのだ。

「あんな状況でもクソ女神に食ってかかって、三森灯河を破棄させまいと庇ってくれた――責任感の強い、そして…………どこまでもお人好しな、クラス委員長の姿だ」

だから多分。

今……俺は少し、ホッとしている。

「おまえはさっき……自分がもっと責められないとおかしい、みたいに言ったがな」

横切る時、十河の肩に手を置く。

「それ以上に――感謝してるヤツがいるってのも、忘れてやるなよ」

すると十河は。

吐き出すように――さらに、嗚咽を強くした。

ただしそれは、悔いるものとは違う種類の嗚咽に思えた。

――、……見えちまうものなんだよな、十河。

おまえみたいな”出来そうなヤツ”ってのは。

あまつさえ”お嬢様”でクラス委員なんてポジションとなると。

普通の人間からすると、自分とは違う”任せられるヤツ”に見える。

そして……そう見られるから、おまえもそうあろうとする。

応えようとする。

確かに十河綾香は”持つ側”の人間かもしれない。

けど……だからといって、

”無神経に押しつけてもいいヤツ”

――ってわけじゃ、ねぇんだよな。

部屋を出る前に一度、振り返る。

聖と目が合う。

”あとは任せる”

視線で、そう伝える。

聖は意を汲み、小さな頷きで応えてくれた。

そうして部屋から出て――俺は後ろ手に、そっとドアを閉めた。