軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

192 剣を統べる

アルノルトの体術があまりにも見事で、歓声と拍手が響き渡る。けれども海のような青い瞳は、そんなことに一切の意識を向けない。

「ここまでやれば十分だ」

(あ……)

気が付けば、矢の風を切る音が止んでいる。

何人かの観客が、近衛騎士に捕らえられている光景が見えた。しかし、劇場内に点在していた殺気は、そのすべてが消えたわけではない。

(――来る)

矢の尽きた彼らが、今度は舞台を目指している。

ぴりぴりとした緊張感に、リーシェは剣を握り直した。一方のアルノルトは、視線を下に落とす。

アルノルトは、腰に帯びた剣の柄に手を掛けると、それを静かに握り込んだ。

そうして、ゆっくりと刃を滑らせるように、剣を鞘から抜き始める。

「――……!」

アルノルトの所作の美しさに、リーシェは思わず息を呑んだ。

鞘から現れた黒い刃が、舞台の照明を反射して輝く。

その光がアルノルトの顔を照らし、長い睫毛が強調された。鞘に刃が滑っていくさまは、澱みがなくて清廉だ。

彼の姿勢は真っ直ぐで、重心がまったくぶれていない。どんな位置から斬りかかられても、容易に反応できるだろう。

それでいて、余計な力は入っていなかった。いっそ気怠げなほどなのだが、その緩慢さが危うい色気を帯びている。

ただ剣を抜くだけの振る舞いが、あまりにも周囲の目を惹き付けてやまない。

これを演目だと思っている観客たちも、舞台上のアルノルトに視線を奪われ、声を発することすら出来なくなっていた。

「…………」

鞘に刃が滑るときの、鈴のように美しい音が止む。

アルノルトが緩やかに瞬きをし、切っ先を鞘から抜き払ったその瞬間、足下の花びらが舞い上がった。

(……きれい……)

どうしても魅入られてしまうものの、すぐに意識は切り替わる。

ローブで姿を隠した十名ほどの敵が、一気に舞台上へと迫って来たのだ。リーシェも剣を構えながら、敵の動きを注視した。

(統率が取れている! 油断が無いわ。アルノルト殿下がお強いのを、向こうも十分に理解した上での陣形……)

アルノルトの強さを読んでいる以上、敵も強い。そんな中、アルノルトが一歩だけ前に出る。

リーシェから見えるのは、アルノルトの後ろ姿だ。ローブの男たちが上がってくるのと同時に、リーシェもアルノルトに並ぼうとした。

けれど、そのときだ。

「――――……」

(っ!?)

アルノルトが、切っ先を滑らせるように振り払う。

真横へ一直線に斬ったのだ。それだけで、先陣だった五人が頽れた。

なにが起きたか分からなかったのは、見ていた観客ばかりではない。

すぐ傍で見ていたリーシェにすら、あまりの速度で分からなかった。そんな訳はないと分かっているのに、音すらしなかったように錯覚する。

舞台で舞い上がった花びらだけが、アルノルトが剣を振るった証左のようだった。

(本当に、なんて技巧の剣技なの……!!)

リーシェは思わず絶句する。考えてみれば、アルノルトが敵と直接剣を交える姿を、味方として目の当たりにするのは初めてだ。

後に続いた敵たちが、倒れた仲間を見て陣形を変える。動揺することなく、すかさず対応してきた彼らに対し、アルノルトは眉すら動かさない。

「……」

そしてまず、敵の一撃目を弾く。

この五人の敵は、アルノルトにひとりが斬りかかり、それを受けている間に別口が動くという戦法を選んだようだ。

だが、そんな作戦も無意味だった。

アルノルトはリーシェを背に庇いながら、難なく敵の剣を受け流す。片手で剣を交差させて敵をいなし、後ろに弾き飛ばした。

「くそ……っ!」

その直後、大柄な敵が襲い掛かってくる。

アルノルトはここでも表情を変えず、即座に重心を低くして受け止めた。鈍い音と共に剣を弾き、鮮やかにいなしたと思ったら、敵の間合いに踏み込んだ。

今度は肩甲骨ごと回すような、力強い振りの剣裁きだ。直後にその足を振り上げて、敵の腹に重い蹴りを叩き込む。

「……」

「ぐっ!!」

濁った悲鳴を上げた敵が、呆気なく舞台の上に沈んだ。わずか数秒で、十人ほどの敵が沈む。

(一瞬で、これだけの人数を動けなくするなんて……!)

敵の策が乱されるまでは、ほんの数手にも満たなかった。すべてに応戦したアルノルトは、最初の立ち位置からほとんど動いていない。

「なあ……! あの美しい男性役者は、一体いま何をしたんだ……!?」

「し……っ! いいから黙ってみていよう、公演中だ」

観客たちはこれが本物の戦闘だと知らず、高揚する一方だ。

とはいえ敵も、この五人で終わりではなかった。新手が客席のあちこちから現れ、舞台の上に集まってくる。

今度は十五人ほどだろうか。諜報員全員を炙り出すために、敢えて入場時の規制をしていないのだから、まだまだこの劇場にいるのだろう。

左右から同時に斬りかかられたが、アルノルトは右だけを相手にした。

アルノルトが左に反応しなかったのは、出来なかったからではない。

「……」

リーシェの剣が、襲ってきた敵の剣を受け止めたからだ。

(真っ向から止めるんじゃなくて、このまま……!)

刃の角度を利用して、敵の一撃を流す。腕力では男性に敵わない分、相手の力を逆手に取った戦い方を、過去の人生から積み重ねてきたのだ。

リーシェは舞うようにくるりと回り、敵の剣に回転の力を加える。すると手指の構造上、敵は力が入れられなくなり、強く握っていたはずの剣を取り落とした。

「な……っ!?」

その隙を狙って、敵の腹部にごく浅く切り込む。

リーシェとアルノルトの持っている剣には、リーシェの調合した薬が塗られていた。

エルミティ国からの道中で襲って来た盗賊が使っていた、あの痺れ薬と同じものだ。

敵が倒れたのを確認しながら、リーシェは短く息を吐いた。

「……」

それと同時に、アルノルトがこちらを一瞥する。

(……アルノルト殿下ほどの腕があれば、私の力なんて必要ない。アルノルト殿下だってきっと、下がっていろと私を叱るはずだわ。だけど、どうしても……)

アルノルトの傍で、一緒に戦いたい。

そんな思いを酌んだかのように、アルノルトが名前を呼んでくれた。

「リーシェ」

「っ」

傍にいるリーシェにしか聞こえない、小さな声だ。

けれども彼は、敵に視線を向けたまま、はっきりとこう口にした。

「――お前は、お前の自由にするといい」

「……!」

リーシェは僅かに息を呑む。

「……はい!」

そう答えて、ぎゅうっと剣の柄を握り込んだ。

そしてアルノルトの左に立つ。

意図無くそちらを選んだのではなく、アルノルトにとっては唯一の弱点、首筋の傷がある側だ。

「――……」

リーシェが左を選んだその理由を、アルノルトは見透かしたのだろうか。

少しだけ驚いた顔のあと、ふっと小さく笑って、リーシェに預けてくれたのが分かった。

(……アルノルト殿下は、私をただ甘やかして、守ろうとなさるだけではなくて)

アルノルトの隣に立つことを許され、リーシェに力が湧いてくる。

(私を信頼し、預けて下さる――……)

そのことを心から噛み締めて、震えるほどに嬉しかった。