軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

179 花嫁の幸せ(180話は目次の次ページ)

リーシェは慌ててディートリヒの腕を掴み、彼を引き止める。すると、離れた場所にいるアルノルトが、こちらを見て胡乱そうにしたので、くちびるの形で『ごめんなさい』と伝えた。アルノルトは公務中なので、あまり邪魔をするわけにもいかない。

「なんだ、なぜ止めるんだリーシェ!」

「…………」

アルノルトは、僅かに眉根を寄せた表情のままじっとこちらを見ていたが、すぐに再びオリヴァーへの指示を再開した。やはり気を散らしてしまったようなので、申し訳なく思う。

「お話は後にしましょう、ディートリヒ殿下。ここでは込み入った話も出来ませんし……」

「む……。まあそれも一理あるか……」

比較的すんなり納得してくれたディートリヒは、改めてアルノルトを見遣り、口を開くのだ。

「――あの男と、似たもの同士だな」

「ま、まさか、アルノルト殿下とディートリヒ殿下がですか?」

「違う、似ているのはお前だリーシェ! 子供の頃からお前はずっと、『王太子妃になるために』と生きていただろう? いつだって、それが自分の生きている意味だというような顔をして」

「!」

まったく思いも寄らない言葉に、リーシェは目を丸くする。

「個人としての幸福よりも、それを捨て去って公人としてあるように努めていた。遊びにも行かず、勉強の褒美に菓子をねだるでもなく、誕生日のパーティーも開かずに! 僕にはまったく理解できなかったぞ!? どう考えても好きなように遊びたいし、望まない勉強などしたくない!」

「……それは」

「お前はそんなことを一言も口にしないから怖かったぞ! あんなに我慢して我慢して、その果てに王太子妃になるというのならば……そんなものにはならない方が、お前にとっては幸せだと思っていたが」

彼の眉間には、珍しく皺が刻まれている。

「それなら、アルノルト・ハインの妃としては、幸せになれそうなのか?」

「ディートリヒ殿下……」

ディートリヒは、リーシェの元婚約者であり、正しくいまも幼馴染と呼べる人物だ。

子供の頃からずっと、リーシェがディートリヒのことを心配してばかりだった。だから、ディートリヒの方からこんなに心配そうな顔を向けられたのは、これが初めてだ。

そう思うとなんだかおかしくて、リーシェは苦笑した。

「この結婚で、私が幸せになれるのかとご心配いただくことは、これまでにも時折ありました。けれど、幸せとは誰かに与えていただくものではなく、自ら得るものですから」

そんなことを言いながら、扉の両横に立っている騎士をちらりと振り返る。

「アルノルト殿下の妻となることで、たとえどのような運命が訪れようと、死ぬ瞬間に『幸せな人生だった』と断言できる自信があります。……それに」

そのあとで、ディートリヒの方を向いて笑った。

「申し上げたでしょう? アルノルト殿下がどれほど夫として素晴らしい方であるか、ディートリヒ殿下に証明すると」

「……確かに、そう言っていたが……」

「ふふ」

リーシェはにこっと笑い、ディートリヒに言い切った。

「我ながら、これから不幸になりそうな花嫁が申し上げる言葉だとは、到底思いません!」

「むむう……!!」

ディートリヒは、しばらく何か考えていたようだったが、やがて悔しそうな表情で口を開く。

「む……? いや、待てリーシェ! 確かにここ数日で、アルノルト殿が皇太子としてどれほど優秀なのかはよく分かった!! だが、お前の言う、『どれほど素晴らしい夫なのか』という点については、別に一度も見ていないぞ!?」

「え……。あ、あれ……っ!?」

「ふはははははっ、油断だなリーシェ!! つまりお前の言う証明とやらは、まだ果たされていないのだ!! なにせ僕はここ数日、休憩も出来ずに公務の見学か、アルノルト殿に睨まれて怖い思いをした夜会に参加くらいしかしていないからな!!」

「本当に何しにこの国にいらっしゃったんですか!?」

けれどもディートリヒはそのあとで、こほんとひとつ咳払いをする。

「まあ、見学してきたような激務ぶりの中で、お前を婚約者として歌劇に連れて行ったのか……。それは驚愕に値する……。公務を頑張った日は、すぐに帰って何もしたくないのが普通だろう……? あの忙しさでそんな時間を作れるのは、一体どうなっているんだ……?」

「ディートリヒ殿下……」

そういえば、リーシェがディートリヒと再会したのは、シルヴィアが倒れた晩の歌劇場だ。あのときリーシェたちがそこにいた理由を、もしかしてオリヴァーが説明したのだろうか。

(……?)

リーシェはひとつ、気が付いた。

(改めて考えれば……あのとき、どうして殿下はあそこに……?)

「なあ。そ、その、リーシェ」

口ごもった様子のディートリヒが、何かを言おうとして俯いた。

「僕は、この国に来て……」

「……殿下?」

「い、いや、なんでもない! それより僕も王太子として、あちらに混ざってくるかな!! 学問に力を入れているエルミティ国の意見、アルノルト殿もきっと驚愕するに違いないぞ!」

「べ、別の意味で驚かせたりしないでくださいね……!?」

少し心配になるものの、リーシェはそれにはついていかない。

アルノルトに小さく手を振り、目で合図を送ると、近付いてくるディートリヒを見たアルノルトが思いっきり渋面を作った。

(ごめんなさいアルノルト殿下。ディートリヒ殿下をお願いします……!!)

心の底から謝ったあと、ふたりの騎士が守っている扉の方に向かう。

騎士のひとり、グートハイルの長身を見上げて、リーシェはそっと口を開いた。

「グートハイルさま」

「リーシェさま。……昨晩は、お見苦しいところを」

「とんでもないことです。お仕事のお話にもかかわらず、私の方こそお邪魔いたしました」

午後から合流したグートハイルたちについて、アルノルトはこんな風に口にした。

『諜報員の動きが疑わしい件で、俺の近衛騎士をあちこちに分散させている。公務で城下に出るにあたり、人手不足を解消するために、グートハイルと臨時の騎士を使うことにした』

この言葉が、表向きの理由なのは明白だ。リーシェが見抜いていることを、アルノルトも当然分かっているだろう。

(ひょっとしてアルノルト殿下は、シルヴィアが失恋した件で、私がグートハイルさまと話したがっていることを察して……なんて、そんなはずないわよね)

アルノルトはやさしい人だけれど、公私混同をすることはない。リーシェを甘やかすために人員を動かしたのではなく、何かしらの思惑があるのだろう。

リーシェの方だって、いくらシルヴィアのためだとしても、グートハイルの勤務中に私的なことを尋ねるわけにはいかないのだ。

(そもそもが、こんな場所で恋の話だなんて、グートハイルさまがして下さるとは思わないわ。それに、他の騎士の目もあるもの)

だが、そんな風に悩んでいたリーシェに向けて、グートハイルが口を開いた。

「リーシェさま。……シルヴィア殿のご様子は」

「!」

リーシェは目を丸くしたあとに、少し考えてからこう返した。

「元気そうに、振る舞っていました」

「……」

言葉の裏側にあるものを、グートハイルも察したのだろう。痛ましそうに眉根を寄せた彼を見て、リーシェは思わず言い繋ぐ。

「グートハイルさま。何か、私にお手伝いできることはありますか? もちろん、差し出がましくなければですが……」

「ありがとうございます。リーシェさま」

ここまでリーシェたちが交わした会話は、表面上だけ聞いていれば、恋愛の話だとは分からないものになっていたはずだ。

けれどもその直後、グートハイルははっきりと口にした。

「私はシルヴィア殿を愛しています」

「……!」

生真面目そうな男性から、一切の躊躇なく紡がれた言葉に、リーシェは目をまんまるくした。

扉を挟んだ向こう側に立っている騎士も、何事かと窺うように赤い瞳を向けている。だが、グートハイルはそのまま続けるのだ。

「かわいらしく、とても愛おしいお方です。私は彼女の笑顔を曇らせる人間を許せません。……そこには私自身も含まれる」

「……グートハイルさま」

「私の父が犯した罪を、シルヴィア殿にはすぐに話しました。――機密を他国に流した父の行為は、国を裏切るものであり、下手をすれば戦争で多くの人々を死なせかねなかった。それに伴う謗りは、息子の私だけでなく、妻となる女性や我々の子供にも浴びせられるものになると」

悲しそうに笑ったグートハイルは、父親の罪によって苦しんでいる張本人だ。

その苦しみを知っていて、冷遇という実害も受けている。そんな彼の言葉には、強い実感が滲んでいた。

「シルヴィア殿は、とても苦しそうな顔をなさっていた。……あの方は、戦災孤児ではないかと、私はそんな想像をしています」

「……グートハイルさま」

「シルヴィア殿は、そのようなことで私を拒むお方ではないでしょう。ですが、私が傍にいることで、彼女が心に負った傷が痛むかもしれません。未来では、もっと辛い想いをさせてしまうかもしれない。……私の存在で、彼女の笑顔を曇らせることは、許されないのです」

リーシェはぎゅっとくちびるを結ぶ。

こんなときに伝えるべき言葉が、どのようなものなのかは分からない。ふたりのことに干渉するのは、過ぎた口だという自覚もあった。

それでもリーシェは、グートハイルに告げる。

「シルヴィアは、『人間というものは、いつ死んでしまうか分からない』と話していました」

「……!」

その伝聞だけで、グートハイルはとても痛ましそうな顔をした。シルヴィアのことが大切なのだという感情が、ほんの些細な表情からも伝わってくる。

だからこそ、リーシェは続けた。

「私もその通りだと思います。ずっと遠い未来、将来の幸せも大切ですが、それでも」

泣いているシルヴィアが、震えていたことを思い出す。

「いま目の前に届く幸せも、同じくらい大切ではないでしょうか」

「――それは……」

グートハイルが言い淀んだ。

「……グートハイルさまも苦しいのに、申し訳ございません」

「……いえ。そのような、ことは……」

これ以上は困らせてしまう。誰かが決めた人生に、第三者が干渉することは出来ないのだ。

だから、リーシェは次の行動に移る。

「……上に行って、少し外の風に当たって参ります。そちらの騎士の方、護衛をお願い出来ますか?」

「は。承知いたしました」

グートハイルは俯いて、何かを考えているようだった。その横顔にはもう何も言わず、リーシェは部屋を出る。

詰所があるのは城壁の内側だ。そこから階段を使って上にあがれば、皇都を囲む城壁の上に出ることが出来る。

「――……」

夕暮れの中、夏の暑気を帯びた風を受けて、リーシェはひとつ息を吐いた。

ここからは、ガルクハインの街並みが見渡せる。以前、アルノルトと共にお忍びで来たことがあるが、詰所の上は一般市民の立ち入りが禁止された場所だ。

「聞きたいことがあるの」

一緒に来た騎士に声を掛けると、彼は背筋を正して言った。

「リーシェさまの仰せであれば、何なりと」

「他の人は近くにいないのだから、騎士の演技はしなくていいわ」

呆れつつもそう言って、赤い瞳の騎士に告げる。

「――ラウル」

「ははっ」

先ほどまでとは違う声で、騎士に変装していたラウルが笑った。