軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

178 遠くて近しい

***

「……絶対に……。絶対に、おかしいだろう……っ!!」

その日の午後、アルノルトの公務に同行していたリーシェは、元婚約者の呻き声に振り返った。

リーシェたちが訪れているのは、ガルクハイン皇都の城郭、街を囲む塀の中に作られた詰所の中だ。

資料を読ませてもらっていたリーシェは、詰所の隅で頭を抱えている彼に声を掛ける。

「一体何がおかしいのですか? ディートリヒ殿下」

「何がですかじゃない!!」

元気よく叫んだディートリヒは、びしいっとリーシェに指を突きつけると、もう片方の手でぐしゃぐしゃと自身の髪をかき混ぜた。

「おかしいのはもちろんアルノルト殿と、他ならぬお前だリーシェ!! 一体どうなっているというんだ!? 午後一番に僕が合流してからというもの、またしても公務からの公務に次ぐ公務!! 今日はお前が同行しているのだから、アルノルト殿も少しは休憩を多めに取るだろうと期待していたのに!!」

「……?」

「『この人はなにを言っているのかしら』という顔をするんじゃない!! なんなんだお前たちは、休む気はあるか? それとも常に働いていないと呼吸が出来なくて死ぬのか!?」

「そ、それは……!」

肩で呼吸をしているディートリヒに、リーシェはぎくりとした。

「先ほどの下水施設に商会ギルド、そしてこの詰所!! お前がどんどん意見を言う上に、アルノルト殿はすぐにそれを試そうとする! なんならお前が一緒に居る今日の方が、昨日よりもっと内容がきつくなっているほどだぞ!?」

(か、返す言葉も……!)

そしてリーシェは、少し離れた場所で、詰所の管理者である官僚と話しているアルノルトをちらりと見遣った。

アルノルトと官僚は、この詰所の資料管理の方法について、先ほどリーシェが提案した方法を検討しているのだ。

皇都に出入りする人々の記録を探すにあたり、これまでに時間が掛かっていた部分があるとのことで、リーシェは過去の人生で訪れたことのある巨大図書館のやり方を話した。

(確かに、午後の公務が始まってからもう五時間。ディートリヒ殿下には限界よね……)

劇場を後にしたあとのリーシェたちは、お忍びの外食で昼食をとったあと、グートハイルやげっそりした顔でやってきたディートリヒと行動を開始したのだ。

リーシェは予定通りにアルノルトの公務見学をしつつ、グートハイルの動向も探ろうと思っていた。しかし、アルノルトの仕事を見ているうちに、うっかりそちらにも夢中になってしまったのだ。

「ごめんなさい、ついうっかり……。私が質問や提案をすると、アルノルト殿下がすぐさま数段上の案に昇華させてくださる上に、現場で実用可能なお話がどんどん出てくるので楽しくなってしまって……!!」

「お前が楽しかったのは見ていれば分かる、だから怖いんだ!」

「ははは。アルノルト殿下とリーシェさまは、公務上の考え方がよく似ていらっしゃるのですね」

「オリヴァーさま……!」

詰所の隅で話しているリーシェたちの横を、従者のオリヴァーが通り掛かる。オリヴァーは笑っているものの、その頰が心なしかげっそりしているように見えた。

「申し訳ありませんオリヴァーさま。私が迂闊に差し出がましい提案をしてしまった所為で、お話がどんどん進んでしまい……」

「いえいえ大変ありがたい限りですよ。資料閲覧で時間が掛かる点については課題でしたし、早く試せば結果が出るのも早くなりますから。アルノルト殿下は仕事を持ち帰るのがお嫌いなので、出来ることはなんでもその場で実行なさいます。自分はそれに慣れていますので、問題ありません」

「し、信じられん、『仕事を持ち帰るのが嫌い』だと……? 今日やらなくても良い仕事は、どう考えても明日以降にやりたいじゃないか……!」

わなわなと震えるディートリヒに、オリヴァーが苦笑して口を開く。

「効率の良いやり方は人それぞれですから。我が主君のやり方をご覧になって、ディートリヒ殿下の参考になれば幸いというもの」

「む、むう……」

ちょうどそのとき、アルノルトがこちらを見て従者を呼んだ。

「オリヴァー」

「はい、ただいま参ります。――それでは」

オリヴァーは机上から資料を選んだあと、それを手にアルノルトのところに戻ってゆく。離れていくオリヴァーの背中を見て、ディートリヒが息をついた。

「主もとんでもないが、従者も常人離れしているな……」

「ディートリヒ殿下。お口が悪くならないようにご注意くださいね」

リーシェは元婚約者をたしなめつつ、今度は扉横の存在に視線を向ける。

(アルノルト殿下の仰った通り。何故かグートハイルさまが、今日のご公務に同行なさっているわけだけれど……)

長身の騎士グートハイルは、少し居心地の悪そうな様子を見せつつも、扉の横で護衛のひとりとして待機していた。

(グートハイルさまは、シルヴィアのことが好きだと仰ったのよね)

先ほどの、グートハイルが好きだと泣いていたシルヴィアを思い出す。グートハイルは彼女に向けて、『それでも恋人にはなれない』と言ったのだ。

(シルヴィアにそう告げたのは、あの方のお父君が罪人だったから? それとも、そのお父君の罪によって、グートハイルさまの将来が閉ざされているからなのかしら……)

リーシェにはやはり、昨夜のグートハイルが気に掛かる。城内の見回りをしていたという彼が、日頃誰も立ち入らない区域まで足を伸ばしていたのには、何か事情があるのではないだろうか。

(でも、なんとなく違和感があるのよね。……アルノルト殿下が警戒なさっていることといえば、ガルクハインを狙っている何者かがいることと、その存在からの諜報のはず。その件に、グートハイルさまが関係している……?)

そしてリーシェは、ひとつのことに思い至る。

(もしかして)

だが、頭にその考えが浮かんだことを、いまは顔には出したくなかった。

それを誤魔化すため、手元に広がった資料に目を通すふりをする。しかしリーシェは、目の前のディートリヒの様子に気が付いた。

「ディートリヒ殿下?」

「……」

ディートリヒは、金色の睫毛に縁取られた深いエメラルド色の瞳で、黙ってアルノルトを見つめているのだ。

「……アルノルト殿は、皇太子として非の打ち所がないとも言えるな。私欲を見せず、淡々と公務に打ち込んでいて、頭脳は優秀だ。おまけに剣技にも優れているんだろう? 軍神さながらの存在として、彼が参加した戦争は、騎士たちの士気が大いに上がるそうじゃないか」

(ディートリヒ殿下が、人を褒めるだなんて……)

リーシェは内心でびっくりした。ディートリヒがこんなに素直な賛辞を口にしているなんて、彼の心を射止めたマリーの他には、一度として聞いたことがなかったからだ。

「ディートリヒ殿下……?」

「だが、いくらなんでも完璧すぎる」

その言葉に、思わず目を丸くしてしまう。

「僕は、自分が何かをする度に、『僕の実力はこんなものではない』と思い続けてきた。当然だ、この僕が成し遂げることはすべて、華々しく誰もが認めるものではなくてはならないのだからな! とはいえ天才にも不遇の日々というものはある。思うようにいかない挫折の日々は悔しく、辛かったが……」

ディートリヒは、彼にしては真摯な声音で紡ぐのだ。

「アルノルト殿のように、『皇太子として、最初から完璧すぎる人間に生まれてきた』というのも、また別の辛さがあるのではないのだろうか」

「……!」

こんな意見が彼から出るなんて、リーシェは予想もしなかった。

「まあ、僕の方が辛いだろうがな! しかし、僕は未来の真の王。沢山の苦労をしてこそ、素晴らしい王になれるというも……」

「ディートリヒ殿下。アルノルト殿下がお辛いと感じられたのは、どういった点なのですか?」

「最後まで僕の話を聞け! ――ま、まあ、つまりだな」

リーシェに注目されたディートリヒは、少しそわそわしながらも咳払いをする。

「僕たちは、望んで王族に生まれたわけではない」

数日前に劇場で再会したときも、ディートリヒは『好きで王太子に生まれたわけじゃない』と泣いていた。けれどもいまの発言は、そのときとは違った意図を帯びているようだ。

「それでも王族、とくに太子というものは、滅私奉公を求められる。確かにこの身分を持っていれば、金銭的な不自由を感じることはないだろう。しかしそれと引き換えに、自分のすべてを国に捧げられないと、存在すら許されないのが僕たちだ」

「……」

ディートリヒのその発言について、リーシェは何か言う資格を持たない。

公爵令嬢として生まれ、王太子妃となるために厳しい教育を受けたといっても、王族とはやはり違うからだ。一国を継ぎ、いずれは統べる存在としての生き方がどのようなものなのかは、想像するしかないのだった。

「それでもみんな、なんとかして、一個人としての小さな喜びを見い出しながら生きている。僕にとってのマリーのようにな」

リーシェの脳裏に浮かぶのは、かつて出会ったことのある王族たちだ。

宝石を集めるのが好きな王もいれば、民との酒盛りを楽しみにしている王もいた。国の発展を喜びにする王子も、読書が大好きな王女も、妹を大切に思う王子のことも知っている。

「だが、ううむ、なんというのだろう……。アルノルト殿には、そういった人間味のようなものがまるで見えなかったというか……いや、あるのにはあるのだろうが。だがおかしいだろう? 公務中は食事を取るのが面倒だと言うし、街の景色にも目を向けない。目の前に与えられた役目をこなすこと以外には、なにも興味が無さそうだ。傍で見ていて心底怖かったぞ」

「ディートリヒ殿下……」

ディートリヒは次に、こんな言葉を呟いた。

それはまるで、リーシェに話しているというよりも、彼自身のひとりごとであるかのようだった。

「――アルノルト・ハインのやっていることは、人間としての幸福を全部捨てている」

「!」

その発言に、リーシェはどきりとした。

「僕にはそう思える」

「それは……」

ディートリヒにとってはきっと、単純な疑問だったのだろう。なにせ、皇太子と王太子だ。

アルノルトと近しい立場であるからこそ、アルノルトのストイックな振る舞いに対し、近しい目線で見ることが出来る。

けれどもリーシェには、ディートリヒにとっては何気ないのであろうその評価が、アルノルトの偽悪的な振る舞いを端的に表しているようにも見えた。

「……ディートリヒ殿下は、ふとした折に本質的なことを仰いますよね。そういえば昔も……」

「――よし! 本人に直接聞いてみるか、『そんな生き方は辛くないのか』と!!」

「えっ」

絶句したリーシェを前に、ディートリヒは背筋を正して胸を張る。

「うむ、そうしよう! 冷酷と噂される人間にも等しく手を差し伸べる。そんな正義感あふれる行いこそが、エルミティ国の次期国王たる僕らしさだからな!!」

「あわわわ!! お、お待ちくださいディートリヒ殿下!!」