軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

175 未来の姿を

(――まさか、未来がすでに変わりつつあるの?)

世界戦争回避のため、リーシェは必死に動いて来た。

少しずつ、ほんの少しずつ変わっている手応えはあったものの、それがこんな所に作用したというのだろうか。

(いいえ、分からない……! このやりとりは、過去六回のすべての人生でも、同様に繰り返されてきた可能性だってあるわ……!!)

それを判断する情報を、リーシェは一切持ち得ない。反射的にドレスの裾を握り締めようとして、アルノルトに気付かれる前にそれを止める。

(これが変化なのか、『繰り返し』の一部に過ぎないのか。好転か、悪化なのか、それすらも)

グートハイルは、顔を上げないまま尋ねた。

「何故、ですか?」

その声は、どうにか抑えようとしているものの、はっきりと震えている。

「やはり、父のことが原因なのでしょうか。我が家門に、この国と王室を裏切った人間がいるからこそ、殿下は……!!」

(グートハイルさまにとって、いまの騎士団は針の筵だわ。どんなに誠実に努めようとしても、周囲からは疑いの目を向けられる。ご本人ではなく、お父君が犯した罪のことで……)

リーシェは昼間、男装して潜り込むことで、その一端を確かに目にした。

(グートハイルさまにとって、正しく実力が評価されるアルノルト殿下の近衛隊は、唯一の居場所たりえるもの。だけど)

アルノルトの注ぐまなざしは、冷淡で排他的なものだった。

「それ以前の問題だ」

「……それ以前……?」

その張り詰めた空気に、リーシェの肩もびくりと跳ねる。

「国に命を捧げる? ――そんなことを美徳とする人間を、俺は必要としていない」

(アルノルト殿下……)

「どれほど実力があろうとも、戦場で自分の死を前提に動く人間に、作戦を預けられると思うのか。窮地において、それが最善と判断した末の行動ですらなく、戦地に赴く前からの結論を出している貴様に?」

「それは……」

アルノルトが近衛を指導する際、その方針は、『何が何でも生き延びて戦え』というものだ。

「……っ」

俯いたグートハイルは、ぐっと両手を握り締めると、リーシェたちに向けて改めて頭を下げる。

「浅ましい真似を、申し訳ございませんでした。――失礼いたします」

「グートハイルさま!」

一礼したグートハイルが東屋を出て、雨の夜景色へと姿を消す。リーシェは立ち上がりかけたものの、アルノルトに抱き寄せられて、動くことは出来なかった。

「追う必要はない」

「ですが……」

とはいえ、アルノルトが判断を覆さないであろうことは、リーシェにもよく分かる。

『腕が千切れても剣を振るう。足が砕かれても前進する。たとえ両目が潰れても、最後まで、敵に斬り込む道を探す。これは、そのための訓練だ』

以前、リーシェとの手合わせをした際に、アルノルトはこう言ったのだ。

『そうすることが、生き延びる道に繋がる』

(……国に殉ずる覚悟の戦士を、アルノルト殿下は良しとなさらない)

けれど、とリーシェは思いを馳せる。

最初に浮かんだのは、五度目の人生の出来事だ。狩人だったリーシェが、単眼鏡でアルノルトを見た際に、彼は自らの左胸を親指で示した。

まるで、『ここを狙え』とでも言うように。

そして、六度目の人生における最後の戦いで、剣を交えたアルノルトはどうだっただろうか。

(あの城で、殿下はずっとひとりきりだったわ)

強い騎士たちを、臣下として幾人も従えていた。それでも、戦いの最前線に彼が斬り込んできたときは、周りと連携することのない単身だった。

確かにアルノルトは強く、他の騎士など必要ないのかもしれないが、それが理由ではないはずだ。

(未来における、アルノルト殿下こそ)

アルノルトの横顔を見上げて、泣きたい気持ちになる。

(……死なないことへの強い意志なんて、ちっとも感じられなかった……)

そのことが、いまのリーシェにはとても恐ろしい。

リーシェは思わず手を伸ばして、アルノルトの袖を引っ張った。

「……アルノルト殿下……」

リーシェの左胸が苦しいことを、アルノルトは感じ取ってくれたのかもしれない。

「……どうした?」

「……っ」

眉根を寄せ、気遣わしげに頬へと触れられる。

リーシェの心の内側が、アルノルトへの心配でいっぱいになっていることなど、彼は想像すらしていないだろう。

(言葉には、出せない)

リーシェはアルノルトの袖を握り込んだまま、ほんの小さく首を横に振る。

そうして、俯いてから口を開いた。

「アルノルト殿下、なにとぞ、グートハイルさまのお言葉を。……実力と誠意がおありの騎士さまが、騎士団で冷遇されていることは、この国にとっても損失でしょう?」

「――……」

アルノルトは小さく息を吐くと、リーシェをあやすように言い聞かせる。

「俺が変えるべきは、根本だろう。グートハイルひとりを俺の元に動かし、逃がしただけでは、他の人間が同様の目に遭うことは避けられない」

「……殿下」

思わぬ言葉に、リーシェは顔を上げた。

「『正しい仕事をしている人間が、正当に評価される』状況を優先する。たとえ、俺の近衛にならずとも。――騎士団の体質を、そのように変えていくことこそが、必要なはずだ」

「……!」

その言葉に、胸が温かくなる。

アルノルトはリーシェを見ると、ほんの僅かに苦笑するような表情を浮かべた。

「……いつもなら、お前が考えそうな方法ではあるな」

「っ、そ、それは……! 確かに、最終的な理想形として、評価体制の変更などをご相談したかったのですが……!!」

アルノルトがいま言ったことを、リーシェも考えていた。けれど、それを受け入れてもらうには、今までのようにアルノルトの説得が必要だと思っていたのだ。

(私がこれまでお話ししたことが、少しずつ、アルノルト殿下のお考えに影響し始めているということなのかしら。……では、『グートハイルさまの近衛入りが拒まれる』という流れはやっぱり、過去の人生では起きていない出来事なの……?)

嬉しさと、同じくらいの戸惑いをいだくリーシェの隣で、アルノルトが面倒くさそうに呟いた。

「とはいえ、騎士団の主管は父帝だ。俺が自由にできる権限を持つのは、俺の近衛騎士だけだからな」

「お父君……」

「すぐにという訳にはいかない。だが、待っていろ」

アルノルトはそこで、リーシェを見下ろして小さく笑うのだ。

その笑みは暗く、どこか妖艶で、恐ろしさを感じさせるものだった。

「――そのうちに、叶えてやる」

「……っ!?」

殺気にも似た感覚が、ぞくりとリーシェの背筋を這う。

この感覚は、先ほどアルノルトの父に見つかった際の、あの言い知れない恐怖感によく似ていた。

「お前の言う通り、雨が止んだな」

「……アルノルト殿下」

「帰るか。あまり遅くなると、お前の眠る時間が減る」

立ち上がったアルノルトが、リーシェに向かって手を伸べる。

リーシェは僅かに躊躇ったあと、その躊躇いを気取られないように、アルノルトの手をきゅうっと握った。

(根本の流れは変わっていない。殿下はやはり、決行なさるおつもりなんだわ)

表情には決して出さないように、絶望的な事実を確信する。

(……父殺しによるクーデターと、それによる皇位の簒奪を……)

***

その日、夕陽が沈んですぐの時刻に、ひとりの青年がガルクハインの皇都を歩いていた。

彼はローブを纏っており、目深にかぶったフードで顔は見えない。

だが、彼はそれでも身をひそめるようにし、何度も周囲を窺っていた。

(まったく。どうしてこんな場所までこそこそと、赴かなくてはならないんだ……)

青年は、地下に作られた酒場の階段を下りながら考える。

(だが、仕方がない。あちらとしても、企みを気付かれないように必死なのだからな)

靴音が石壁に反響する。

彼は扉の前に辿り着くと、その金色の髪を隠すために、改めてフードを被り直した。

そして青年、ディートリヒは、ゆっくりと扉を押し開くのだった。

***