作品タイトル不明
166 かつての頭首の目的は
リーシェは、残る木剣を仕舞っていきながらも、背後のラウルに尋ねる。
「どうしてあなたがここに? ハリエットさまの護衛はいいのかしら」
「もうじき本物のカーティスも、ヴィンリースの街に到着するだろうからな。護衛には俺の配下たちがついてるから、皇都見学に」
「このお城、確かに見所はたくさんあるけれど……」
片付けを終え、ようやくそこで振り返る。
至近距離に立っているラウルは、意外なことに、ほとんど彼の素顔に近い顔をしていた。
「なるほどね。化粧でなんとなく、顔立ちの雰囲気を美少年って感じにしてるのか」
ラウルは顎に手を当てて、リーシェの男装をしげしげと眺める。
「だけど、男のふりをするには華奢すぎるな。胸は工夫して上手く押さえてるみたいだけど、訓練着はゆるゆる」
「う……。だって体を動かす以上、詰め物での誤魔化しようが無いんだもの……」
「ま、立ち振る舞いはなかなか良いんじゃないか? それに、長い髪を綺麗にまとめて、短髪の鬘の中に隠せてる。あんたの正体を知らずに見ている限りは十分、女顔で華奢な男に見えるよ」
「本当? ありがとう、ラウル!」
思わず嬉しくなってしまうが、流された訳では無い。
「…………それで?」
「ははっ、そう睨むなって! ちょーっと偵察に来ただけだよ。大丈夫、あんたの旦那さまの許可はもらってる」
「殿下が?」
「そう、『殿下』が。印刷技術を守るための兵力増強に、ガルクハインの騎士団を参考にしたいな〜っておねだりしたら、すーっごいどうでもよさそうな顔で『好きにしろ』って」
そう言って両手でピースサインを作ったラウルを見て、リーシェはちょっとだけ訝しく思う。
「アルノルト殿下が、騎士団の偵察許可を?」
「まあ、『殿下』の近衛騎士の訓練場には出禁なんだけど」
(……それなら、多少は納得できるかしら……)
未来のアルノルトが率いるガルクハイン騎士団は、世界随一とも呼べる力を持つ。それには、アルノルトによる訓練の功績が大きい。
いまの時点で、アルノルトの指導を受けているのは彼の近衛騎士だけだ。アルノルトにとっては、自身が編み出した訓練方法以外は、他国に流れてもそれほど興味が無いのかもしれない。
(でも)
リーシェは目を細め、ラウルに言った。
「ラウル、私ね。生憎、あなたやアルノルト殿下の嘘をすべて見抜けるような自信は無いわ」
「ふうん?」
「その代わり、すごく信用しているの。――あなたも殿下も、得られるものが少ない状況下で、わざわざ危険を冒したりしないということを」
「…………」
すると、ラウルは先ほどまでの胡散臭い笑みを止め、違った種類の微笑みを浮かべた。
「敵わないな、あんたには」
「……ラウル」
「分かったよ。でも、一個だけ約束。俺が喋ったこと、『アルノルト殿下』には内緒に出来るか?」
くちびるに人差し指を翳したラウルは、いつも以上に真剣な目をしている。
それを受けて、リーシェはこくんと頷いた。
「ええ。約束するわ」
「ん、おりこうさん。――あんたの殿下が警戒しているのは、他国の諜報だ」
その言葉に、リーシェは目を丸くした。
「この皇城に、諜報が入り込んでいるかもしれないということ?」
「どうだかなあ。ま、それを含めて目下調査中」
「アルノルト殿下が、あなたにその指示をしたのね」
「あんたら夫婦には借りがあるから、これくらいお安い御用ですよ?」
わざと軽薄な物言いをしているけれど、ラウルにとっては本心なのだろう。確かに、諜報員の存在を探りたいのであれば、優秀な諜報員であるラウル以上の適任はいない。
「それに。ファブラニア国に贋金造りを提案して、ハリエットを苦しめた存在がいるっていうんなら、俺にとってもこの調査は必要なものだ」
(利害の一致、ということね)
納得しつつも、リーシェはあることを思い出す。
それは、昨晩の出来事だ。
(不覚だわ。夕べ、夜会のホールへ向かう途中に、アルノルト殿下が仔猫を警戒なさっていた理由も……)
生垣から気配を感じた時点で、何かの動物であることは分かっていたはずだ。
それなのに、アルノルトはリーシェを背中へ庇おうとした。
『動物だからといって、それがお前にとって安全なものである保証は無い。そもそも獣に入り込まれる時点で、警備を見直す余地があるということだ』
あれはきっと、単純な可能性の話をしていたのではない。アルノルトは城内の安全を疑っており、だからこそ警戒していたのだ。
(些細な物音にも反応なさったのは、単純な条件反射じゃない。この城内に、諜報がいる可能性を踏まえていらしたから……)
見抜けなかったことが悔しくて、リーシェはぐぬぬと顔を顰めた。
アルノルトの真意を読み取れず、彼に協力できなかったばかりか、のんびりと守られてしまう有様だ。こんなことでは、アルノルトの戦争を止めるなんて出来るはずもない。
(それに。アルノルト殿下が、城内に諜報がいる可能性を疑っていらっしゃるなら、違った推測も立てなくてはならないわ)
脳裏に過るのは、グートハイルの存在だ。
(お父君が、諜報罪で処刑されたグートハイルさま。……アルノルト殿下が近衛隊の拡張をお考えだとしても、グートハイルさまが候補に上がっていて、それがこのタイミングなのは本当に偶然?)
さまざまな仮説を立ててみるものの、あくまで想像の範疇を出ない。
「悩んでるなあ、『ルーシャスくん』」
「……ねえラウル」
リーシェはそっと顔を上げ、至近距離から彼を見上げる。
「ラウルなら、私を全然違う顔に変えられる?」
「えーやだ。あんたの顔すげー可愛いから、ここから変えてやりたくない」
「本気で思っているわけじゃないのが、全部表情に出ているわよ」
へらっと笑ったラウルに抗議する。
なにせリーシェは、彼が付き合ってきた女性の顔立ちが、大人っぽくて妖艶な顔立ちの美女ばかりだと知っているのだ。つまり、リーシェは全く当て嵌まらない。
「はは、冗談冗談。真面目に答えると、顔を変えるには『道具』が必要なんだよ。元々の顔立ちに合わせて作る必要があって、あんたの分をすぐに用意するのはムリー」
(……叶えてもらえない空気だわ。狩人人生でも、私たちには教えてくれなかった技術だものね……)
恐らくは、他の人間に技法を教えられないのだろう。ラウルは『狩人』の頭首であり、先代から彼にだけ教えられたことも多いと聞いている。
「……なら、お願い。諜報員に関する情報が得られたら、私にも教えてほしいの」
「あんたの殿下に、内緒にしててくれるならな」
「もちろん。……どちらかというと私の方も、アルノルト殿下には内緒にしておきたいわ」
そう言うと、ラウルはやっぱり軽やかに笑うのだ。そして、小指をそっと差し出してくる。
「じゃあ約束」
「東方の国の文化ね。約束」
リーシェ自身の小指を、ラウルの小指にちょんと触れさせた。ラウルはふっと息を吐いたあと、後ろに一歩下がる。
「そうだ、ひとつだけ気を付けなよ。あんたの殿下と俺が情報交換するの、このあとの訓練場だから」
「え!! じゃあつまり、アルノルト殿下がいらっしゃるの!?」
「ははは、逃げるなら急げ急げー」
リーシェはさっと青褪める。今日の騎士団潜入は、テオドールに協力を仰いでいるものの、アルノルトには秘密のままなのだ。
「い、行かなくちゃ……! ごめんねラウル、また今度!!」
「はいはい。またな」
ひらっと手を振るラウルと別れ、慌てて倉庫を飛び出した。グートハイルには近付けなかったものの、それなりに有益な情報は得られたはずだ。
(急いで次に、移動しないと……!)
***
(……さて。こんなものかな)
ぱたぱたと、急ぎ足で倉庫を後にするリーシェを見送り、ラウルは大きく伸びをした。
(嘘をつくコツは、その嘘に真実を混ぜること。――それから、嘘を二重に仕掛けておくことだ。勘のいい奴に見抜かれたら、すべて正直に話しますって顔をして、最初の嘘だけを暴露すればいい)
それはつまり、変装で作った顔の下に、もうひとつ別の顔を隠しておくことにも似ている。
変装を解いたふりをして、二枚目の顔を見せるのだ。だが、ラウルが『二重の嘘』を使わなくてはいけない相手も、それほど存在していない。
(とはいえまさか、彼女には嘘が暴かれる前提で、『最初から二重に仕込んでおけ』なーんて指示されるとはなあ)
口元だけに笑みを浮かべ、ラウルは目を瞑る。
(彼女に話したことは嘘ではないけど、すべてを話したわけじゃない。――まったく、『アルノルト殿下』もひどい旦那だ)
とはいえ、こちらは命令に従うだけだ。
嘘をつくことに、罪悪感など感じない。そういう風に生きるのが、『狩人頭首』である人間の役目だ。
(でもさ。役に立ちたいのは本当だよ、『リーシェ殿下』)
とはいえ彼女はまだ、正式な皇太子妃ではないのだったか。
それを思い出し、再び大きな伸びをして、ラウルは報告へと向かうのだった。
***