軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

151 厄介ごとの発生です

リーシェはすぐさま立ち上がると、アルノルトを振り返った。望みを口にしなくても、彼は分かってくれているようだ。

「――お前のやりたいようにやれ」

「ありがとうございます、殿下……!」

心の底から感謝をしつつ、特別席を飛び出した。

二重扉の一枚目を押し開けると、その奥の扉も開いて廊下へと出る。

警備をしていた見知らぬ騎士が、驚いて短い声を上げた。リーシェは彼らに詫びつつも、辺りの気配を探る。

(階下にも、騎士の方々の気配しかないわね。……いまは、階段を普通に下りる時間も惜しい……!)

階下に向かう螺旋階段の手すりを掴み、手早く靴を脱ぐ。ドレスの裾をふわりと翻し、手すりに飛び乗った。

「うわああっ、リーシェさま!?」

騎士の声には振り向かない。手摺りを伝い降りるように、手早く階下まで下りていく。数十秒ほどで一階まで辿り着くと、そこには普段リーシェの護衛をしてくれている騎士たちがいた。

「リーシェさま、緊急事態ですか!?」

彼らは動揺しつつも、慣れてきた様子で声を上げる。

「ひとまず手に持っていらっしゃる靴をお預かりします、こちらへ!」

「ありがとうございます、カミルさん、デニスさん!」

走りながら、手にしていた靴をぱっと放った。身軽になったリーシェは、そのまま彼らに声を投げる。

「それとお医者さまを呼んで下さい、係員の方と劇団員さんと連携をお願いします! アルノルト殿下も動かれると思うので、どなたか四階の殿下のところへ!」

「はっ!」

瞬時に動き始めた近衛騎士たちと別れ、リーシェは止まらずに控え室の方へ向かった。

劇場内の見取り図は、廊下に貼り出されていたのを確認している。初めての場所に来たときは、非常時の脱出口などを確認しておく癖がついているからだ。

これはアルノルトも同様らしく、先ほどふたり同時にじっと廊下で立ち止まったため、臨時の警備に来ている騎士たちにぎょっとされた。

(控室は、この奥!)

扉の前に辿り着くと、普段なら劇場の警備がいるであろうそこは、無人の状態になっている。

「……シルヴィア! シルヴィア、しっかりしろ!」

「失礼します!」

リーシェが人だかりに声を掛けると、青褪めた劇団員たちがこちらを見た。

「薬学の心得が少々ある者です。お医者さまがいらっしゃるまで、応急処置を!」

「あ、ああ、お願いします……!」

狼狽しきった男性が、リーシェに場所を替わってくれた。

控え室の床に寝かされた歌姫シルヴィアは、美しい顔に華やかな化粧を施されているにもかかわらず、なお分かるほどに青白い。

「シルヴィアさん、私の声に何か反応を返せますか?」

「……っ」

顔を歪めたシルヴィアが、ほんの僅かにだが頷いた。

(意識はある。出血はなし。脈拍が早い……)

何よりも呼吸が浅いようだ。リーシェはなるべく穏やかに、シルヴィアを安心させるように尋ねる。

「頭痛はありませんか? いま、シルヴィアさんの右肩と左肩に触れていますが、どちらかに感覚がないと言うことは?」

「だい、じょうぶ……でも、息、苦し……」

「分かりました。少し待って下さいね」

リーシェは手近にあった小道具らしきストールを借り、それをシルヴィアの体に被せる。

ドレスの背中に手を回してリボンを解き、巻かれていたコルセットを緩め、ストールで目隠しをしたまま彼女を抱き起した。それを見て、劇団員が慌てる。

「ね、寝かせていなくていいんですか?」

「座った姿勢の方が、寝た姿勢よりも呼吸はしやすいのです。外傷などの状況にもよりますが……それより、シルヴィアさんに持病は?」

「無いはずです、ただ、ここ数日はどことなく調子も悪そうだった気が」

リーシェが抱き支えると、シルヴィアは少し呼吸が楽になったようだ。

「……っ、う……」

「大丈夫。……大丈夫ですよ。ゆっくり息をして、ご自分が楽に過ごすことだけ考えて」

とんとんと肩を撫でながら囁くと、それでほっと出来たらしい。浅くて忙しなかった胸の動きが、徐々に緩やかになってゆく。

(命の危険や、体に後遺症の残るような発作ではなさそうだわ。……とはいえここではなく、もっと安心できる場所で休ませながら治療をしないと)

舞台袖から続く控室は、客席からそう離れてはいない。そのお陰で、観客たちのざわめく声が聞こえてくるのだ。

ひとつひとつを聞き取れるほどではないものの、声色には驚きや戸惑いのほか、急に幕が降りてしまったことへの不満も混じっている。シルヴィアにとって、その声は毒だろう。

(ここからお医者さまが到着するのを待って、シルヴィアさんを落ち着ける場所まで連れ出して……それだと時間が掛かりすぎる。かといって、ここには薬も治療道具もないし……)

そのとき、控室の扉が開いた。入室してきた人物を見上げて、リーシェは彼の名前を呼ぶ。

「アルノルト殿下」

「で、『殿下』……!?」

周囲の面々がざわめいた。

中でも顔を青くしたのは、身なりの良い中年の男性だ。彼は恐らく、劇場関係者の幹部だろう。

アルノルトは控室の状況を一瞥したあと、リーシェに向けて口を開いた。

「病人を騎士に渡せ。俺たちの馬車まで運ばせる」

「でもお医者さまのご到着は……?」

「お前が診たのだろう? 必要な処置が済んでいるのなら、待つよりも連れて行く方が早い」

言葉から伝わってくる信頼感を受け取りつつ、リーシェは頷いた。

「ひとまず観客の皆さんに、席から動かないようにお願いしませんと。あの人数の一割でも廊下に出れば、シルヴィアさんを運ぶことが出来ません」

「既に騎士を通し、客席から立たないように通達済みだ。診療所までの馬車道が空くよう、騎士たちに通りの通行も制限させている」

(さすがはアルノルト殿下だわ……)

状況判断が的確で、なおかつ早い。リーシェが出来ればやっておきたかったことを、アルノルトが完璧に済ませてくれている。

「馬車までの運搬用に、簡易的な担架でも作らせるか?」

「いいえ。用意に時間が掛かるくらいなら、どなたかに抱えていただいた方が」

「分かった」

アルノルトは廊下の方に視線を向け、そこにいた騎士に声を掛けた。

「病人を、馬車まで運べ」

「はっ。仰せのままに、殿下」

返事をした騎士の姿に、リーシェは内心でぎくりとする。

入室してきたのは、未来でアルノルトの臣下となるグートハイルだった。

(どうして……)

いまの時点では、彼はあくまで別隊所属であり、アルノルトの近衛騎士ではない。

それなのに、彼がアルノルトのすぐ傍についていたのは、誰のどのような意図によるものなのだろう。

(アルノルト殿下が、グートハイルさまを伴って来たの? ……そうだとしたら、アルノルト殿下はもう既に、グートハイルさまを近衛隊へ移籍なさる予定なのかも……)

それはつまり、アルノルトが未来で父帝を殺し、侵略戦争を始める準備に近付くことになる。

リーシェが沈黙しているあいだに、大柄なグートハイルが身を屈め、シルヴィアの前に膝をついた。

「失礼いたします、歌姫殿。……無骨な男がお体に触れますが、ご容赦を」

グートハイルはそう断ると、まるで壊れ物を抱えるかのように、そうっとシルヴィアを横抱きにする。

その運び方は安定していて、シルヴィアが殊更に辛そうな様子はない。ひとまずは彼に託し、リーシェは床から立ち上がった。

「馬車まで連れて行け。詳細は俺の騎士たちに伝えてある」

「よろしくお願いします、グートハイルさま」

「お任せください。それでは」

息をつき、グートハイルの背中を見送った。

リーシェも馬車に同乗するかは悩んだものの、人が乗れば乗るほどに重さが増し、馬車の速度が鈍ってしまう。

付きっきりで応急処置が必要な病状ではなさそうだし、アルノルトが手配してくれた医者であれば、その腕も確かなはずだ。

(あとは、お任せした方がいいわね)

一方、シルヴィアのいなくなった控室では、そこに残ったリーシェとアルノルトに視線が向けられている。

身なりの良い中年男性が歩み出ると、引き攣った顔でアルノルトに一礼した。

「こ……皇太子殿下。本日は、当劇場へお越しいただきありがとうございました。支配人として、お礼とお詫びを……。終演後にご挨拶に伺う予定だったのですが、せっかくご足労いただいたにもかかわらず、このようなことになり……!」

「……」

「そ、それであの……失礼ながらお尋ね申し上げますが。シルヴィアの介抱をしてくださった、こちらの麗しき女性は、もしや……」

面倒臭そうな表情をしていたアルノルトが、リーシェの方を見ることもなく言う。

「――妃だ」

(まだ妃ではないのですが!?)

口には出せないままでいると、支配人と名乗った男性が一気に青ざめた。

「これはっ、たたたたたっ、大変なご無礼を!!」

ばっと音がしそうな勢いで、周囲がこちらに頭を下げる。だが、リーシェは慌てて首を横に振った。

「滅相もございません。それどころか、突然入ってきた私に応急処置を任せていただき、ありがとうございました」

人気歌姫の一大事に、見知らぬ人間が介入してきたのだ。警戒し、つまみ出されてもおかしくなかった。

このやりとりに興味がないらしきアルノルトは、つまらなさそうな表情で支配人に告げる。

「今後は常日頃から、劇場内で急病人が出たときのための備えをしておくことだな。――帰るぞリーシェ。今夜の公演は中止だろう」

「はい、アルノルト殿下」

返事をしつつも、やはり、グートハイルのことが気になってしまう。

(探ってみるべき? ……でも、私が特に理由もなく、グートハイルさまのことを尋ねるのは不自然だし)

悩みながらもアルノルトの傍に並ぼうとして、靴を履いていないことを思い出す。

すると、アルノルトも同じく気が付いたらしい。

「カミル」

「はい。リーシェさまのお履き物はこちらに」

「ごめんなさい。ありがとうございます、カミルさ……」

リーシェが手を伸ばしたその靴を、先にアルノルトが受け取った。

そうして自然な振る舞いで、傍にあった椅子にリーシェを座らせる。リーシェが驚いている間に、アルノルトはなんと、リーシェの前に跪いたではないか。

「っ、殿下……!」

そして、リーシェに靴を履かせてくれた。

当たり前のようなスマートさだが、これはとんでもない状況だ。あのアルノルトが膝をつき、女性に靴を履かせている。

「あの! 大丈夫です、じ、自分で履けますので!」

「いい。じっとしていろ」

「う……」

支配人をはじめとする劇場の人たちや、廊下にいた騎士たちが愕然としている。だが、アルノルトはまったく気にも止めていない。

「できたぞ」

そう言って立ち上がると、今度はリーシェに手を差し伸べる。

「……ありがとうございました……」

恥ずかしさと気まずさでぐらぐらしたが、お礼を言い、その手を取ってから椅子を立った。

(……前々から、私のすることに甘くはいらっしゃったけれど。ここ最近、ますます甘いというか、やたらと甘やかされているような……?)

そう思いつつも、控室を振り返る。一礼すると、呆然とリーシェたちを見ていた面々が、急いで礼を返してくれた。

廊下に出ると、四名ほどの近衛騎士たちが後に続く。アルノルトにエスコートされつつ、リーシェは彼の横顔をちらりと見上げた。

一体アルノルトは、どうしてこんなにリーシェにやさしいのだろうか。

「あのう、アルノルト殿下……」

尋ねてみようとしたそのとき、騒がしい声が聞こえてきた。

「ええい、だから通せと言っているだろう!」

「……?」

どうやら廊下の向こうの方で、騎士と誰かが話をしているようだ。

「ですから、緊急事態が発生しておりまして……! さるお方のご指示ですので、皆さまにもご理解いただきたく」

「緊急事態だからこそ、この僕が動かなければならないんだ! それが分からないとは……!!」

(観客の方が、お外に出たがっていらっしゃるのかしら? ……それにしても……)

リーシェはふと、妙な感覚を抱く。

「どうした?」

「いえ……。なんだか、この向こうから聞こえてくるお声に、やたらと既知感があるような気がして」

リーシェが進行方向に視線を向けると、アルノルトもそれを追う。

この廊下は、円形の劇場を囲うような曲線の造りになっていた。そのため、先の方をすぐに見通すことが出来ないのだが、近付くほどに声は鮮明になってゆく。

そうして正体に思い至り、リーシェはさっと青褪めた。

「まさか……」

「?」

訝しそうにするアルノルトの隣で、反射的に足を止める。

すぐに現実を飲み込めず、お陰で対処が遅れてしまった。視界の端に捉えたのは、きらきらと光る金髪だ。

「くそっ、何故に貴様らは邪魔をするんだ……!! この手だけは使いたくなかったが、正義のためなら仕方ない。ここはひとつ、僕の華麗なる剣技を……ん?」

(あああああ、目が合った……!!)

エメラルド色をしたその瞳が、はっきりとリーシェを見つけたのが分かる。

「――……」

それと同時、アルノルトの纏う空気が一瞬で冷えた。

近衛騎士たちがそれに怯え、びくりと体を強張らせる。だが、向こうにいる人物は気が付いていない。

(間違いないわ。いいえ、見間違いだと思いたかったけれど……)

「うわっ、何故ここにお前がいる!? ……ははあ、分かったぞ。やはり女神は僕の味方をしているんだな!? ええい離せ騎士よ、この僕を一体誰だと思っているんだ!」

(この、常に過剰な自信で満ち溢れた言葉。相変わらずね)

「リーシェ、見ていないでこいつらをどうにかしろ!! なあってば!」

「……何故ここに、はこちらの台詞です。あなたが何故、この国にいらっしゃるのですか?」

リーシェは額を押さえながら、大きな溜め息をつく。

「――ディートリヒ殿下……」

「ふふん」

そこには、騎士に押さえつけられながらも胸を張り、自信たっぷりな元婚約者の姿があるのだった。

「それはな。この僕が、僕だからに決まっているだろう!」

***