軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

134 早速実施いたします

その夜のこと。

アルノルトの執務室をノックしたリーシェは、部屋から出て来たオリヴァーの前に、一抱えのバスケットを差し出した。

「――オリヴァーさま。どうか、こちらをアルノルト殿下にお渡しください」

「ええと、リーシェさま。これは一体……?」

オリヴァーは微笑んでいるものの、その様子は明らかに戸惑っている。執務室にいるはずのアルノルトから、おおよその事情は聴いているらしい。

リーシェは少しだけむすっとした顔で、籠の中身を説明する。

「アルノルト殿下のお夜食用に、サンドイッチを作りました」

「夜食……」

オリヴァーは、困惑したような笑顔のまま、そっと首を傾げてみせた。

「……差し出がましいようですが。おふたりは現在、喧嘩をなさっているはずでは……?」

「ええ、仰る通りです」

こくりと大きく頷いたあとで、これまでの数時間を振り返る。

夕刻、アルノルトとの夫婦喧嘩を宣言してみたものの、リーシェは困り果ててしまったのだ。

夫婦喧嘩を実行するには、どんなことをすればいいのかが分からない。

ひとりで部屋に籠り、過去の記憶を引っ張り出すも、参考になる夫婦喧嘩が浮かばなかった。

(団長は家を追い出されていたけれど、アルノルト殿下にそんなことしたくないし。ローザさんの『実家に帰らせていただきます』も、私の実家では遠すぎるわ。『夫のシャツを全部裏返しに仕舞っておく』というのも見掛けたけれど、朝のお仕度の邪魔は出来ないし、それで大変になるのはオリヴァーさまだし……)

ぐるぐると考え、夕食は侍女たちの食事に混ぜてもらい、とにかく検討に検討を重ねた。

侍女たちは当然困惑していたが、リーシェが「アルノルト殿下と喧嘩をしたの」と説明すると、すべてを察した顔になって甲斐甲斐しく世話をしてくれたのである。

その末に思い付いたのが、この作戦だ。

「この中に入っているサンドイッチには、パンのところにソースで悪口がしたためてあります」

「……パンに。ソースで。悪口が」

「はい。殿下の馬鹿、と書きました!」

これならば、立派な夫婦喧嘩だと胸を張れる。

言いたいことは他にもあるが、ソースで書くのは大変だし、これで十分にリーシェの意見を思い出してくれるだろう。

「えーと……」

オリヴァーは微妙な顔をしたあと、何かを誤魔化すような咳払いをした。

そのあとで、ぎこちない笑みを作り直してから尋ねてくる。

「つまり。……リーシェさまは、我が君と夫婦喧嘩をするために、わざわざお料理をなさったのですか?」

「……」

くちびるをちょっとだけ尖らせたリーシェは、俯きながら説明した。

「私が作る夜食でも、具材を挟むだけのものであれば、大きな事故は起きないはずなので……」

「んんん……っ」

オリヴァーが右手で口元を押さえ、小さく肩を震わせる。

「オリヴァーさま?」

「いえ、失礼しました。……我が君も、今日は遅くまで公務をなさると仰っていましたから、夜食はきっとお喜びになるかと」

(ソースで悪口が書いてあるのに……!!)

思わず良心が痛み、しょげた顔をしてしまう。

料理下手なリーシェが作ったものよりも、もっと美味しいものを食べてほしくなったが、いまは喧嘩の最中なのだ。

自分にそう言い聞かせていると、オリヴァーが口を開いた。

「ところで。今回の夫婦喧嘩なるものについて、我が君はなんと?」

「……『分かった』と、それだけ仰って」

それから緩やかに目を伏せて、リーシェの頭を撫でた。

そのあとですぐに踵を返し、執務室に戻ってしまったのだが、撫でられたことは言わないでおく。

オリヴァーは顎に手を当てて、納得したように呟いた。

「なるほど、なるほど……」

「オリヴァーさま?」

「ああ、お気になさらず。本日は何時ごろにお部屋にお戻りいただくか、その段取りを考えようと思いまして」

従者の仕事は多岐に渡る。この夫婦喧嘩によって、オリヴァーにも影響が出ているのかもしれない。

「ごめんなさい。私の我が儘で、オリヴァーさまにもご迷惑をおかけします」

「滅相もない。今回は単なる『喧嘩』ではなく、『夫婦喧嘩』ということなのでしょう? であればなんら、問題はないかと」

「……?」

どういう理屈かは分からないが、オリヴァーは本心からそう言ってくれているようだ。

リーシェはほっとしたあとに、閉ざされた扉をちらりと見遣る。

それを察したオリヴァーが、こう尋ねてきた。

「我が君のご様子が気になりますか?」

「……はい」

「では、敢えて秘密にしておきましょう」

「!!」

があんと衝撃を受けたリーシェに対し、オリヴァーは微笑ましそうな顔をする。

「ご安心を。夫婦喧嘩の公平性を保つべく、リーシェさまのご様子についても黙秘しますので」

「お、オリヴァーさま……!」

「ほら、リーシェさま。どうやらお迎えが来たようですよ?」

オリヴァーの示した先に、リーシェの侍女たちがいるのは分かっている。

彼女たちは、リーシェが用意させた荷物を手に持ったまま、こちらの様子を窺っていた。

「うう……。では、これで失礼します」

「はい。夜食をお持ちいただき、ありがとうございました」

一礼したオリヴァーに見送られ、侍女たちの方に歩いていく。

離れた場所で待っていてくれた彼女たちは、心配そうにリーシェを見ていた。

「リーシェさま、大丈夫ですか?」

「ごめんね、大丈夫……。ふたりとも、このままハリエットさまのお部屋まで一緒に来てくれる?」

快く頷いてくれた侍女たちと共に、リーシェは貴賓室のひとつへと向かった。

扉の前に立ったリーシェは、侍女に持たせていた荷物を受け取ると、彼女たちにお礼を言ってから侍女部屋へと帰す。

廊下でひとりになったリーシェは、アルノルトとの『夫婦喧嘩』を一旦忘れ、扉をノックした。

「失礼します、ハリエットさま」

「は、はい……!」

か細い声が中から聞こえたあと、そっと扉が開く。

中から顔を覗かせたのは、ハリエットでなくエルゼだった。

「お待ちしていました、リーシェさま……!」

「ありがとう、エルゼ」

エルゼはちょうど一時間ほど前から、ハリエットの部屋に滞在しているのだ。

彼女に状況を聞こうとして、問うまでもないことに気が付いた。リーシェを見上げるエルゼの顔は、『早く見てほしい』と言いたげにうずうずしている。

その理由は、部屋の中央を見た瞬間にすぐ分かった。

「わあ……!」

そこには、可愛らしいナイトドレスに身を包んだハリエットが立っているではないか。

「い、いらっしゃいませ、リーシェさま……」

長椅子の前へ立ち、袖をもじもじと弄るハリエットは、真っ直ぐに背筋を伸ばしている。

ふくらはぎまでの丈であり、ほんのりとしたミント色のナイトドレスは、その金髪や瞳によく映えていた。

胸の下からの切り返しがふわふわと広がり、可愛らしくて似合っている上に、前髪は緩い編み込みだ。

つまりは顔が見えている。

本物のカーティスと同じ、オリーブ色の瞳を見詰めることが出来る光景に、リーシェは心の底からはしゃいだ。

「ハリエットさま、とっても素敵です!」

「うあっ、そ、そんなことは……いえ、あの」

反射でそうしてしまうのか、ハリエットが目元を両手で隠す。

しかし、すぐにおずおずと手を離し、リーシェに深く頭を下げた。

「ありがとう、ございます……その、エルゼさんを、お借りしてしまって。私の侍女に、色々と、教えて下さったみたいで……」

「いいえ、エルゼもとても楽しかったようです。彼女はお洒落が得意だし、とっても大好きなんですよ」

エルゼがこくこくと頷くが、ハリエットはやはり申し訳なさそうな顔をしている。

「それに、リーシェさまのドレスやバッグを、たくさんお借りしてしまいました……」

「そちらに関してもお気になさらず。明日以降の買い物のためには、欲しいものの傾向を絞っておいた方が楽しいですから!」

貴賓室の長椅子には、こんもりとドレスが積まれている。

今回の旅に持ってきているものだが、この旅程ですべてを着ることはない。

せっかく馬車で運んできたのに、袖を通さないまま持ち帰るくらいなら、ここでハリエットに試着してもらった方がいいのだ。

「そんなことよりハリエットさま。早速ですが……」

リーシェは、エルゼに抱えてもらっていた荷物に視線をやる。

「は、はい、気になっていました。あのう、そちらは……」

その荷物とは、大きな鉄鍋だ。

リーシェはにこにこしながらも、受け取った鉄鍋をテーブルに置く。そして、中からほかほかのタオルを取り出した。

これこそが、サンドイッチを作りながら厨房で用意し、加熱の頃合いを見て運んでもらったものの正体である。

「それではハリエットさま! こちらの長椅子に寝転がってください」

「ひへ!? え、ええっとでもそんな、リーシェさまの前で……!」

「こちらにどうぞ。はい座って、仰向けになって、お腹の上で両手を組んで……」

「ひゃわわわわ」

てきぱきと患者を転がす技術は、薬師時代に身に着けたものだ。

エルゼには廊下で待っていてもらうよう頼みつつ、長椅子に横たわったハリエットの瞼に、ほかほかのタオルを乗せる。

「ひあ……?」

ハリエットは、その感覚に戸惑ったようだ。

「な、なんだか不思議な、良い香りが……」

「中に薬草を包み、その薬草ごと蒸気で温めたタオルです」

タオルの布地は薄いものだから、薬草の成分がじわじわと染み出しているはずだ。

「この薬草は、筋肉の凝りをほぐすものでして。温めるとより一層の効果があります」

「き、筋肉……というと、目の辺りの、ということでしょうか……?」

「はい!」

このやり方であれば、皮膚から薬効を吸収すると共に、タオルの熱によって筋肉自体を温めることが出来る。

「目元の緊張がやわらぐと、それだけで随分と楽になりますよ」

それに、ハリエットの気にしている『無意識に眉を顰める癖』にも、それなりの効き目が見込めるはずだ。

「ふわあ……」

心地よさにとろけてしまいそうな、そんなハリエットの声が漏れる。

リーシェはくすっと笑いながら、もうひとつの調合薬を仕上げに入った。

「寛いだ心地になれますか?」

「と、とっても気持ちいいです……」

「よかった。ファブラニアに帰られても大丈夫なよう、薬草の種類や調合配分などは書き記しておきますね」

薬瓶の中身を調薬する音が、部屋の中にかちゃかちゃと響き渡る。

ハリエットはしばらく沈黙したあと、遠慮がちにそっと口を開いた。

「あのう、リーシェさま。し、質問をしても、よろしいですか?」

「はい、なんなりと! 薬草の育て方からタオルの温め方まで、私にお答え出来ることであれば!」

「では、その……」

目元にタオルを乗せたハリエットは、そっと尋ねてくる。

「婚約者さまと、何かあったのですか?」

「………………」

貴賓室は、しいんと静まり返った。