軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

116 避けたかった手口で接近します

***

アルノルトの食事中も、ずっと彼の傍にいたリーシェは、食後に少しだけ仕事をした。

執務室へ一緒に行き、アルノルトが公務の書類を処理する横で、婚姻の儀の準備を進める。

この日に行ったのは、招待客の最終確認だ。

リーシェの故国から届いた手紙には、あまり会いたくない人物の名前が記されていて、少し複雑な顔になってしまう。

とはいえもちろん、楽しみな知らせの方が多かった。

今世では初対面となるものの、過去人生ではリーシェの親友だったザハドからの手紙や、騎士人生で仕えていた国の王からの書簡もある。それを見れば、同僚だった騎士たちとも会えるらしい。

とはいえ、来賓の一覧を見たアルノルトは面倒臭そうな反応だ。

苦笑しつつも処理を終え、リーシェはこの日、最大の難関に挑むことになった。

「では、これよりお風呂に行ってまいります……!!」

「…………ああ」

やっぱり何故か複雑そうな顔をしたアルノルトが、リーシェの宣言に頷いてくれる。

「む、迎えに来てくださいね。侍女たちの前では三階の、最初に用意した部屋で寝るふりをしますから!」

「何があっても行ってやるから安心しろ。それより、肝心の風呂そのものは大丈夫なのか」

「はい。いつもはひとりで入りますが、今日は護衛の疲れを理由にして、侍女たちに洗ってもらうので……!!」

「……」

アルノルトは苦い顔のまま、「そうか」と返事をした。

侍女に嘘をつくのは気が引けるものの、アルノルトと一緒に寝ることが知られてはならない。

そうなればきっと、リーシェが幽霊を怖がっていることまで気付かれてしまう。明日の朝も「自分で支度をするので、ハリエットの侍女を手伝うように」と全員に伝えた。

一方でアルノルトの方は、オリヴァーにだけ事情を話したらしい。

「リーシェさま、失礼いたします。お風呂のお迎えに上がりました」

「ええ、いま行くわ」

ぐっと気合を入れたあと、アルノルトに「行ってきます」の視線を向けてから執務室を出る。

そして侍女たちと一緒に、城内にいくつかある浴室のひとつへと歩き始めた。

「先ほどはありがとうございました、リーシェさま」

「リーシェさまが『お化けなんていないから大丈夫!』って言ってくださったお陰で、みんな安心できました」

「……それはよかったわ! 今日はみんな、夜更かししないですぐに寝てね」

「はい!」

侍女たちとそんな会話を交わしながら、階下へと向かう。

その途中、大勢の人の気配があり、リーシェはそちらに目を向けた。

(……ハリエットさま)

この三階は、城内の東側にある客室棟と繋がっている。

ちょうどその連絡通路にあたる場所で、ハリエットが窓の外を見ているのだ。その後ろには、彼女の侍女たちが控えていた。

「こんばんは。素敵な月夜ですね」

「うあっ!?」

華奢な肩がびくりと大きく跳ね、ハリエットがわたわたと慌て始める。

彼女が見下ろしていた視線の先には、月の光に照らされる港があった。

「あの帆船は、シグウェル国の……」

「うあ、あの、はい……」

「あ! 丘を登ってくるあの馬車は、まさに兄君の乗られた馬車では? 無事に到着なさって、本当によかったです」

「あっ、ありがと、ございます……」

しゅんと俯いたハリエットは、そのあとでちらりとまた顔を上げる。

長い前髪のカーテンで、彼女の瞳は隠れていた。表情が窺いにくいのだが、リーシェのことが嫌なわけではなさそうだ。

ハリエットは再び窓の外を見遣り、小さな声でぽつりと呟く。

「……トロエットの、月の丘……」

「!」

その言葉は、リーシェにとっても心当たりのあるものだ。

(……なるほど。あのご家族と、あの国に生まれ育ったのであれば、ハリエットさまだってそうなるわよね)

若干の複雑な思いを抱えつつ、小さく苦笑した。

(この手はあまり、使いたくないものだけれど……)

だが、ハリエットと打ち解ける近道になるのは間違いない。

覚悟を決めて、リーシェは口を開く。

「……クラディエット冒険記の、終盤シーンですね」

「え……!?」

その瞬間、ハリエットがぱっと顔を上げた。

「姫君を乗せた馬車が、月明かりの丘を進んでいくシーンを連想されたのでしょう?」

「よ、読んでいらっしゃるのですか……!? つい先月、西の大陸に出回り始めたばかりの本なのですが……!!」

「はい。評判を耳にして、取り寄せていただいたのです」

これは真っ赤な嘘である。

実際は五度目の人生で、シグウェル国にいるときに読んだものだ。書物の国とも呼ばれるシグウェルでは、日々たくさんの本が作られていた。

「素敵な物語ですよね! お話の冒頭、英雄ジーンが凱旋する場面から格好良くて、光景が目に浮かぶようでした」

「そっ、そうなんです……!! 分かります、すごく。どの場面も情景豊かで、それでいて展開も起伏に富んで……!! あ、あの、差し支えなければリーシェさまのお好きな登場人物は……」

「それが本当に悩ましくて。主人公のジーンも魅力的で大好きですが、やっぱり気になるのはその師匠の――……」

「クレイグ将軍!!」

リーシェとハリエットの声が、ちょうどぴったり重なった。

少し離れた場所で、侍女たちが驚いた顔をしている。ハリエットは頬を紅潮させ、嬉しそうに言った。

「わ、私も好きです……! 冷徹だけれど的確で、ジーンを遠くから見守ってくれる剣の達人……!!」

「彼が登場するだけで、とても安心感がありますよね。ジーンとの会話も読んでいて楽しいですし」

「はい! こ、この先きっと続編で、将軍の過去も語られるはずで……! こ、今後もっと活躍してくれると思うと、楽しみで」

「………………」

リーシェはにこにこ微笑みつつ、慎重に言葉を選んでいった。

(私もまさか将軍が、次巻でジーンを庇って死ぬなんて思わなかったものね……)

リーシェは未来を知っている。

それはつまり、いまこの世界に存在する物語のうち、『まだ描かれていない先の展開』をも知っているということだ。

こうしてハリエットと話しながらも、絶対にそのことを悟らせないよう、慎重に会話をする必要があった。

(先の展開を一度でも知ってしまえば、知らなかったころには戻れないの……!! 読書が好きな人と、現在進行形で続いている本の話をするのは避けたかったけれど……)

とはいえこれは、ハリエットが唯一心を開いてくれそうな話題でもあった。

想定通り、ハリエットは先ほどまでよりはずっと緊張が解けた様子で、リーシェと会話をしてくれている。

そして、ごく小さな小声で言った。

「う、うれしいです。ファブラニアでは、架空の物語ではなくて、もっと実用的な書物に目を通すようにと言われていて……」

「ハリエットさまは、ファブラニアに花嫁修行に行かれてどれくらいになるのですか?」

「い、一年と、半年です」

「まあ、そんなに? では、兄君とお会いするのも一年半ぶりなのでしょうか」

「そ、そうなんです……! きっと兄もクラディエット冒険記を読んでいると思って、語らうのが楽しみで……」

そこまで言ったあと、ハリエットは大きな深呼吸をした。

「あ、あの、リーシェさま」

「はい、なんでしょう?」

「……家族に会わせて下さって、ありがとうございます」

紡がれたのは、やっぱり小さな声だ。

少し離れて待機する侍女たちには、きっと聞き取れていないだろう。恐らくは意図して絞られた声で、ハリエットは続ける。

「へ、変な意味じゃないんです……! でも、私。リーシェさまの結婚式がないと、自分の婚儀まで、こうして兄に会うことはできなかったと思います。それって来年で、すごく遠くて」

「……ハリエットさまは、花嫁修行中に里帰りはなさらないのですか? ファブラニア国とシグウェル国は、さほど離れていなかったような……」

「た。たとえ婚約者であろうとも、嫁ぎ先ですから……。お祝いや弔いごとがない限り、故国に戻るのは、恥ずかしいことです……」

リーシェがまばたきをすると、ハリエットはどこか切実な様子でこう言った。

「せ、せめて迷惑になりたくないのです。ただでさえ、花嫁修行をして一年半にもなるのに、私は全然駄目なままで」

「そんなことはありませんよ、ハリエットさま」

「いいえ、そうなんです。だって、役立たずな王女の使い道なんて、政略結婚しか残されてないのに……!」

小さな両手が、前髪の上から顔を覆う。

「国民の税によって生かされ、育てられてきたのです。国のために役に立たなければ、生きている意味どころか、生まれた意味もありません……」

「ハリエットさま……」

ハリエットの体は、よく見ると震えていた。

「ちゃんとしなきゃ。……ちゃんと、しなきゃ……」

それはきっと、侍女どころかリーシェにすら聞かせるつもりのない言葉だ。

(政略結婚をすることでしか、自分の役割が果たせないと考えていらっしゃる)

そして、その考え方には覚えがあった。

(昔の私と、おんなじだわ)

そうであれば、いまこの場でリーシェが告げられることはない。

自分の中にある可能性は、自分自身で見つけない限り、いつまでも手の届かない憧れだ。

いまのハリエットにとっては、他人の書いた物語のように遠く、現実味がないものなのだろう。

だから代わりに、彼女の慰めになるような言葉を告げる。

「――ハリエットさま。馬車が城門を潜りましたよ」

「!」

ハリエットが、窓からそっと眼下を見下ろした。

しばらくして馬車が停まり、中からひとりの男性が降りてくる。

ハリエットと同じ金色の髪は、短めに切り揃えられていた。

長身と、しなやかな細身の体。シンプルだが上品な造りの衣服に、正装としてのマントを身につけている。

その人物は、こちらを見上げると、ハリエットを見て安心したように微笑んだ。

「カーティスお兄さま……」

「……」

ハリエットがそう呼んだ男性の瞳を、リーシェは見据える。

煌々とした月明かりのお陰で、遠くてもはっきりと見て取ることが出来た。

(……なるほど、そういうことなのね)

男の瞳は、赤色だ。

(――――あれは、カーティス王子ではないわ)