軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

104 降り注ぐ雨

つまりはアルノルトが、巫女の血を引く人間なのだ。

リーシェの脳裏に、司教のシュナイダーに言われた言葉が蘇る。

『――アルノルト・ハインと結婚してはなりません』

教会がミリアを殺したい理由が、巫女の血を引くことに起因するのであれば。

巫女の血を引く子供が、新しく生まれてくることだって、阻止したいに決まっている。

(だからこそ、殿下は司教さまに対し、私を『飾りの妻にする』と仰ったのだわ……!)

リーシェとのあいだに、『巫女の資格を持つ世継ぎ』を成す意思がないと、そう示すためにあんなことを言ったのだ。

つまりそれは、アルノルトの妃となるリーシェに対し、教団が危害を加えないようにするための言葉だったのだろう。

(結局のところ、私を守るために)

そもそもが、アルノルトが大神殿に同行してくれたのも、教団を警戒してのことだったのかもしれない。

なのにアルノルトは、そんなことを一度も口に出さなかった。

「巫女が殺されそうになっているのは、恐らく父帝の所為だろう」

「……!」

アルノルトにとっては従兄妹にあたるミリアのことを、彼は淡々と口にする。

そうしてリーシェに背を向けると、上階に繋がる階段へと歩き始めた。この階にミリアたちの気配はなく、アルノルトもそれを読み取ったのだろう。

「お父君が、ミリアさまの暗殺に関わっていると?」

「関与しているのではない。だが、原因はあの男だ」

リーシェはアルノルトの後を追い、一緒に階段を上ってゆく。

アルノルトはこちらを振り返らず、言葉を続けた。

「ガルクハインは二十二年前、ドマナ聖王国への侵略をやめる代わりに、いくつかの条約を結ばせた」

「条約……」

ガルクハイン皇帝が、教団を擁するドマナ聖王国に攻め込まなかったのは、彼が敬虔な信徒だったからではない。

武力を盾に、秘密裏の盟約を交わしていたということだ。

聖王国と、ガルクハインに嫁がせた巫女姫、そしてその貴重な血を引くアルノルトが人質になっていた。

「その中には、『今後二十年間、巫女の資格を持つ人間が生まれた場合はすべてガルクハインに差し出す』というものがある」

「……では。ミリアさまの存在が隠されていた、最大の理由は」

「世間ではなく、我が国から巫女を守るためだろうな」

八階の入り口を過ぎ去り、九階までの階段へと差し掛かる。ともすれば息が上がりそうだが、それをアルノルトに聞かせたくなかった。

「父帝は、『条約が破られれば、教団を滅ぼす』と宣言した。巫女の存在そのものが、この条約に抵触する」

「それでレオは、教団がガルクハインに滅ぼされると……」

リーシェの言葉に、アルノルトがこちらを振り返った。

「……レオは、巫女の暗殺者ではなく護衛側だったか」

呟いたアルノルトに、さしたる感情は見えてこない。

彼はすぐさま前を向き、くだらなさそうに言い捨てる。

「教団も一枚岩ではないな。巫女姫を生かそうとする勢力と、ガルクハインに存在を知られる前に殺そうとする勢力で分裂しているらしい」

「……大司教さまがミリアさまを殺そうとするのは、ガルクハインに攻め込まれる理由を消すために?」

「『気づかれる前に殺せばいい』という考えは、あまりにも浅慮だがな」

アルノルトは、言い聞かせるようにリーシェへと告げた。

「祭典を再開させたのは、儀式を口実に巫女を呼び出し、護衛の目が届かない状況に追い込むためだろう」

「……っ」

心臓がどくどくと鳴り響き、嫌な眩暈を生み出した。

貧血めいた症状が、先ほどまでよりも悪化している。

運動量が増えた所為もあるが、明確な理由がほかにもあった。

(……なんて殺気なの……)

アルノルトに纏わりついている殺気が、本能的な恐怖心を刺激するのだ。

これは危険なものであり、一刻も早く離れなくては命が危ない。そんな警告を体が発して、じわじわと嫌な汗が滲む。

「森に罠を仕掛けたのも、近隣の狩人の仕業に見せ掛けて殺せないかを狙ってのことだ。禁忌の森に入り込むのは、幼い巫女だけだろうからな」

アルノルトは、九階への入り口で立ち止まる。

「――だが、お陰でお前まで命を落としかけた」

「……!」

アルノルトの低い声に、ぞくりとしたものが背筋を走った。

「殿下……! どうか、お心を鎮めてください。このままでは、不要な死人が出てしまいます!」

「不要? なぜ?」

目の前の扉に向かって歩きながら、アルノルトは言う。

「条約を破り、服従しない意志を見せたのは教団の方だ。こちらの命を狙ってくるのであれば、あちらを殺しても構わないだろう」

「一枚岩ではないのだと、たったいまあなたも仰ったはず……! ひとつの組織に所属する人々が、すべて同じ考えな訳ではありません!」

「……」

アルノルトは返事をしない。

その代わり、重厚な扉に向かって右脚を振り上げると、扉を一気に蹴り開けた。

「っ!」

その瞬間、雨のような矢が降り注ぐ。

リーシェが身構えるより先に、アルノルトが一歩踏み込んだ。右斜めに薙ぎ払われたその剣は、すべての矢をまとめて弾き飛ばす。

(……弓兵が、一斉に発射するのを利用して……!)

その大広間には、修道服を着た十数人ほどの人物が、背後の祭壇を守るように弓を構えていた。

彼らは動転しきっている。けれどもアルノルトの双眸は、気を失ったミリアを引きずって、祭壇に向かおうとしている男の姿しか見ていない。

「――追い詰めた」

その目はまるで、肉食獣のようだ。

「まさか、祭壇で巫女を殺す気でいるのか? ……滑稽だな」

アルノルトは、大司教を見据えて楽しそうに笑った。

「そんなもので行いが正当化されると、本気で思っているのか。馬鹿馬鹿しい」

「殿下……」

「お前はここにいろ。……オリヴァー」

「は。仰せの通りに」

「!」

いつのまにか、背後に従者のオリヴァーが立っていた。

(気付けなかった。これくらいの不調で、ここまで鈍るだなんて……)

リーシェはぎゅっと両手を握り締める。だが、アルノルトは止めるまもなく大広間の奥へと駆け出した。

追いかけたいのに、オリヴァーの手がリーシェの肩を掴む。振り払うほどの余裕がなく、リーシェはオリヴァーを振り返った。

「オリヴァーさま……! このままでは、殿下は大司教さまを……」

「殺してしまわれるでしょうね。ですが、ご安心を」

オリヴァーはにこりと微笑んで、優秀な従者の表情で言う。

「そうなった場合も、教団の元老院は大司教を切り捨てて終わりでしょう」

「それは……」

「巫女姫が存在していたことも、それを隠していたことも、暗殺騒動も。すべて死んだ大司教の罪として、皇帝陛下に謝罪を申し入れるのではないですかね。――そのあとはミリア殿をガルクハインに差し出して、『遅くなったけれど、これで条約通り』と片付けるはずです」

頭がずきずきと痛くなる。吐き気にも似た感覚が、胸の奥からせりあがった。

「きっと、遅かれ早かれこうなっていましたよ。教団が祭典を再開すると公表した時点で、皇帝陛下も興味を示されていたようですから。ミリア殿の存在を利用して、皇帝陛下が教団相手に戦争をなさるよりも、ずっと穏便な顛末ではないでしょうか」

「穏便だなんて、そんなわけは……」

「ですが」

オリヴァーが、完璧だった微笑みを消す。

そうして、どこか寂しそうな笑顔を浮かべてリーシェを見た。

「従兄妹であるミリア殿をお助けするために、何人も殺してしまったのでは、我が君の抱えるものが増すばかりですよね」

「……オリヴァーさま」

「出来ることなら、リーシェさまに救っていただきたいと思っています。――我が君が望んでもいないのに、差し出がましい願いではありますが」

「……!」

オリヴァーの手が、リーシェの肩から離れた。

アルノルトは、迫り来る修道士たちの矢を避け、剣で払いながら祭壇に向かっている。距離が近づく分、命中率も高くなっているはずだが、アルノルトはそれをものともしない。

(あの調子なら、殿下はすぐに祭壇まで辿り着いてしまう。だけど)

大司教の腕が、ミリアを祭壇の上に押し上げる。

アルノルトは疾いけれど、凶事の瞬間には間に合わない。

(まずは、お嬢さまをお助けしなくては……!)

リーシェは、先ほど拾った神具の弓を握り締めた。

これは、ミリアが使う予定だった巫女姫の弓だ。本来ならば祭典に使用する、神聖なものである。

(ごめんなさい、お嬢さま)

リーシェは深く深呼吸をした。

(大切な神具を、お借りします)

「リーシェさま……!?」

ゆっくりと矢をつがえたリーシェを見て、オリヴァーが目を丸くする。

「無茶です! ここから祭壇までかなりの距離がある、訓練された弓兵ですら当たるはずが……」

「今は、これしか方法がありません」

両足を肩幅まで広げ、大司教に向けて静かに構える。

狙うのは足だ。命に支障がなく、確実に動きを封じることが出来て、痛みの大きい部位。

そこを射抜けば、ミリアへの危害を止められる。

「リーシェさま!」

(ここは屋内で風もない。遮る木々や草がなく、標的は野生動物のように逃げ回らないわ)

努めて深呼吸を繰り返し、集中力を一気に研ぎ澄ませる。

そうすることで一時的に、周囲の音や声すら聞こえなくなった。

(だから)

弦をぎりぎりと引き絞る。矢をつがえた手を、耳の横まで引き切って、震えないように注意を払った。

(――五度目の人生において、狩人として生きていた時の『狩り』よりも、ずっと容易い)

蝶や鳥の飛ぶ位置を見て、今後の天候を読みながら動く必要もない。

木に登って身を潜める必要もなく、自分の気配を極限まで殺すこともせず、獲物の気配を辿りながら山を歩き続けなくても構わないのだ。

矢尻の先の大司教が、ミリアに向かって手を伸ばそうとする。

(――……今!!)

確信が生まれた瞬間に、リーシェは真っ直ぐに矢を射った。

びゅうっと風を切った一本の矢が、アルノルトの横を通り抜ける。一瞬こちらを振り返ったアルノルトが、すぐさま正面に視線を戻した。

そして、その直後。

「ぐあああっ!」

大腿部を押さえた大司教が、悲鳴を上げて壇上から転げ落ちる。