作品タイトル不明
第047話 白の名簿の初仕事
白の名簿が正式に使われた最初の案件は、辺境の火災だった。
北東の山間にある小さな村で、春の嵐による落雷が起き、村役場と名簿保管庫が焼けた。幸い死者は少なかったが、多くの住民が名札を失い、村の配給と医療名簿が機能しなくなった。
以前なら、王宮か領主が一方的に再登録しただろう。
今回は、エレノア条項に基づく救済手続きの試験第一号となった。
名簿院からは、ノア様、わたし、マルタ。王宮からはセレスティア王女の補佐官。兵士代表としてグレン隊長。救貧院自署名教室から、リリアも同行した。
村へ着くと、焼けた木の匂いが残っていた。
人々は疲れ切っている。名札を失った者は、自分の名前が証明できない不安で眠れていない。子どもたちは泣き、大人たちは領主の再登録を待つしかないと思い込んでいた。
わたしは広場に机を出した。
「名簿院です。本人確認を行います。焦らなくて大丈夫です。名札を失っても、名前はすぐには消えません」
最初に来たのは、老女だった。
「私の名札は燃えました。夫も死んで、呼んでくれる者が少ない。私はもう、名なしになりますか」
「いいえ」
わたしは彼女の手を取った。
「お名前を教えてください」
「マイラ。マイラ・エン」
「誰がその名をつけましたか」
「母です。もう遠い昔ですが」
「村で、あなたを呼ぶ人は?」
「隣の子が、マイラ婆と」
広場の隅から、少年が走ってきた。
「マイラ婆!」
老女の名の糸が光った。
わたしは白の名簿の救済札を開く。
エレノア条項に基づき、本人申告、周囲証言、第三者名簿師確認。三つの線を結ぶ。
マイラ・エンの名が戻る。
老女は泣いた。
「私は、まだ私ですか」
「はい」
その言葉を、一日で何度も言った。
名札を失っても、あなたはあなたです。
書類が焼けても、名前は一つの紙だけに閉じ込められていません。
あなたを呼ぶ声を探しましょう。
あなたが自分で覚えていることを聞かせてください。
リリアは子どもたちのために、絵や歌の控えを作った。グレン隊長は兵士たちと一緒に仮の配給名簿を整えた。マルタは受付を作り、怒鳴る領主代理を最後尾へ戻した。
領主代理は不満そうだった。
「こんな手間をかけず、村ごと再登録すればよいでしょう」
セレスティア王女の補佐官が冷静に答えた。
「村ごと再登録して、個人の名が入れ替わった場合、責任を取れますか」
領主代理は黙った。
白の名簿の救済手続きは、確かに手間だった。
一人ずつ名前を聞き、一人ずつ証言を集める。書けない人には印を、話せない子には反応を、亡くなった人には周囲の記憶を。時間がかかる。人手も要る。
でも、夕方には村の仮名簿が立ち上がった。
配給が再開し、医療院が薬を配れるようになった。家族を亡くした人の死亡記録も、乱暴にまとめず、一人ずつ確認された。
白の名簿は、支配の道具ではなく救済の道具になった。
その夜、村の集会所で休んでいると、ノア様が隣に座った。
「疲れたか」
「とても」
「だが、成功した」
「はい」
わたしは手元の救済札を見た。
白い紙に、たくさんの名前が並んでいる。どれも急いで書かれた字だが、確かに本人へつながっている。
「フェルゼンは、手間だと言うでしょうね」
「言うだろう」
「でも、今日の手間は必要でした」
「そうだ」
ノア様は少し微笑んだ。
「君のエレノア条項が、初めて人を救った」
その言葉に、胸が熱くなった。
エレノア。
奪われかけた名。
今は、名を奪わずに救うための条項として働いている。
母が聞いたら、どう思うだろう。
喜んでくれるといい。
集会所の外で、村人たちが互いの名前を呼び合っていた。
マイラ婆。ロイ。ティナ。ハル爺。ミナ。サム。
焼けた村に、名前が戻っていく。
その声を聞きながら、わたしは初めて、白の名簿を開いてよかったと思った。