軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

176.母と子

執務室を出て、母上――皇太后の寝所に一直線に向かった。

宮殿の廊下は地震の影響で、至る所で調度品が倒れているなどの軽微な被害が出ていて、それを女官らが始末している。

女官らは俺の姿をみると慌てて手を止めて、道をあけ頭を下げて俺を見送る。

至る所で被害が出ていて、いちいち「しなくていい」と言っていたらキリがないから、俺は素通りして一直線に母上のところにむかった。

母上の寝所は宮殿の離れにある、一回り小さい建物だった。

規模こそ小さいがそれは代々の皇太后が使ってきた物で、建物の様式や装飾など立派に皇太后の格式を保てるようになっているものだ。

その立派な作りの正門で、正装姿の女が立っていた。

女は40代半ばといった感じで、落ち着いた感じの出立ちと面持ちをしている。

女の名はビビアン。

皇太后の身の回りを世話する筆頭侍女である。

実権こそ一切ないが、「位」という意味では各州の総督に匹敵するのが筆頭侍女だ。

そのビビアンは俺を見るなり静々と頭を下げた。

「お待ちしておりました、陛下」

「ビビアン、母上は息災か」

「はい、皇太后陛下は無事です」

「屋根の瓦は落ちなかったのか?」

皇帝の執務室でも屋根の瓦が落ちてきた。

皇帝の部屋でさえそうなのだから皇太后の居場所でも似たような事が起きた可能性が十二分にある。

「落ちましたが、若い侍女が咄嗟に皇太后陛下を庇ったため、陛下にまったくケガはございません」

「その侍女はどうなった」

「頭を打って血が出ましたが、命に別状はないようです」

「侍医をつけてやれ。それから500、いや1000リィーンを褒美に与えておけ」

「かしこまりました」

ビビアンと色々話して、母上の寝所の様子を聞く。

どうやら被害の規模そのものは俺の執務室と大差はなく、母上をかばった侍女のケガが一番の被害という事になる。

大した事は無いとしってホッとしつつ、俺は母上の部屋の前にやってきた。

目配せすると、ビビアンが中に向かって口を開く。

「ビビアンでございます。陛下がお見えでございます」

「はいりなさい」

中からの返事で、ビビアンが丁寧に扉をあけた。

部屋の中は居間の作りになっていて、部屋の中心に天井から垂れ下がったすだれがある。

すだれの向こうでうっすらと、貴婦人然の女が一人座っているのが見える。

俺はすだれの前にいき、さっと片膝をついた。

「遅くなってすみません、母上」

「顔を上げて下さい、陛下。それよりも陛下は無事なのですか?」

「ご心配をかけました」

俺は立ち上がり、すだれの向こうの女――母上と向き合う。

すだれ越しだから実感は薄いが、たぶん目と目があっているはずだ。

「ケガは一切ございません」

「それは何よりです。それよりも忙しい時に呼び立てて申し訳ありません、陛下」

「とんでもございません。こういう時だからこそ母上の無事な姿をこの目で確認出来て安堵しました」

俺と母上はどこか他人行儀な話し方をした。

それをまわりにいるビビアンなどの侍女達はまったくおかしいとは思っていない、平然な表情をしている。

母と子ではあるが、同時に皇帝と皇太后という関係でもある。

普通の母子の様には振る舞えないのだ。

「時に陛下」

「はい」

「民間の被害はどの程度でありましょうか」

「有線逓信の第一報によれば、千戸の倒壊が出た地域もあるようです」

「有線逓信――陛下が発明した糸 伝(、) 話ですね」

「それを改良したものです」

「そうですか……千戸、は。かなりの被害ですね」

「はい、急ぎで詳細の把握と、救助再建の指示をしてきた所です」

「私の所の予算を削ってもいいのですよ」

「母上?」

いきなり何を言いだすのか、と俺はちょっと驚いた。

「陛下の事です、国庫のあとは内庫からも出すつもりなのでしょう」

「……」

内庫というのは俗称である。

皇族、特に皇帝や皇后など、皇帝の「家庭」の事は内務省の管轄になっている。

その内務省には国庫とは違う「財布」があって、それにはいろいろと呼び方があるけど、その一つが「内庫」だ。

それを指摘してきた母上。

ごまかす事も出来るのだが。

「……ご明察です、母上」

どうせバレることだし、俺は素直に認める事にした。

「あなたのことですからそうすると思っていました。またやせ我慢でもすればいい、というつもりなのでしょう」

「貴族の特権でございますから」

「それではそれに付き合います」

「その必要はありません母上。皇太后の生活は不自由ないように――」

「馬鹿なことを言わないで」

物静かに、しかしはっきりとした口調で、母上が俺の言葉を遮ってきた。

「息子が名君たらんとしている時に足かせになる母親がどこにいますか」

「母上」

「皇太后に関する予算を削れるだけ削りなさい。大丈夫、これでも多少のへそくりはあります。私のまわりにいる侍女達なら一年くらいはそれで維持できます」

「……わかりました。では母上」

俺は母を呼び、そこで一旦言葉を切って、まっすぐすだれを見つめた。

すだれ越しに目があったような気がした。

それを母上も感じたのか、さっきとは違う調子で「なんでしょうか」と聞き返してきた。

「母上の事を利用させて下さい」

「利用、ですか?」

「はい。皇太后が率先して予算を削り、民の為に痛みを感じること。それを宣伝に利用させて下さい」

「すごいですね、陛下」

母上は柔らかな、穏やかな声色でそう言った。

それは一瞬だけのこと、直ぐにまた皇太后に相応しい、落ち着いた威厳を感じさせる口調に戻った。

「政で、国事です。口は挟みません」

「はっ、ありがとうございます」

俺はそう言ってもう一度頭を下げてから、身を翻して母上の寝所を後にした。

執務室に戻ると、オスカーが面会を求めていると宦官が告げてきた。

直ぐに呼ぶように言うと、ほとんど間をおかずにオスカーがはいってきた。

第八親王オスカー。

俺の兄でもある彼は今や中年から初老にさしかかるかという年だ。

実年齢はそうだが、穏やかで優しげな面持ちは昔から変わっておらず、だからなのか今も実年齢よりも遙かに若く見えて、三十代の半ばといっても通るくらい若々しかった。

そのオスカーが入ってくるなり、片膝をついて頭を下げた。

「参内が遅れ、申し訳ございませんでした」

「構わん。顔を上げろ」

「はっ」

オスカーは言われたとおりに立ち上がって、俺とまっすぐ向き合った。

「オスカーの所に被害は?」

「おかげさまで特に。慌てた使用人がいらぬケガをしたくらいです」

「そうか。それよりもいいところにきた。内務大臣を兼任しているお前にやって欲しい事がある」

「すでに準備は調っております」

「うむ?」

「陛下のことですから、最終的にはまた内務省のサイフを使うと言い出すと思いましたので、今動かせる分の金を計算してきました」

「さすがに如才ないな」

「陛下とは昨日今日の付き合いではございませんので」

「母上もそう言った」

「おや?」

オスカーは意外そうな顔をした。

「だから余のやせ我慢にも付き合うと言ってきた」

「さすが皇太后様」

「というわけで、母上のところからも無理なく削っておいてくれ。その上で皇太后がそうしたと、さりげなく噂を流してくれ」

「よろしいのですか? 皇太后様は皇后様とは違って、余裕をもって貯蓄ができるほどの俸給があるわけではないのですが?」

「まわりもそう思うだろう」

「……と、言いますと?」

オスカーは真顔で俺を見つめ、聞いてきた。

「母上は政に明るくない。皇太后がそうして、余がそれを宣伝すれば間違いなく母上のまわりに金を持った人間が寄ってくる」

「ああ、そうですね、取り入る絶好の機会ですからね」

「そうだ」

「しかし、皇太后様は賄賂を受け取らないのでは?」

「直接金を渡すだけが賄賂か?」

「……違いますね。物納や度の過ぎた割引き。いくらでもできますね」

「正直母上はそこまで見抜けないだろう。が、それがどうした所で、母上の生活が困窮するようなことにはならん。むしろ普段より良くなる可能性さえある」

「そうですね。しかし、それでは皇太后様、いや、陛下がそれらの者に借りを作ってしまう事になるのでは?」

「構わん」

俺は即答した。

「母上の気が済む、世間には賢后の名声がつく、もしかしたら民が数百人は追加で救えるかもしれん」

そういって、オスカーをまっすぐ見つめながら更に告げる。

「それができるのなら、余がそういう者どもに借りの一つや二つを飲んでおくことになんの問題もない」

「それもやせ我慢……ということですね。すごいです陛下」

オスカーはそう言い、心底感動しているような、そんな表情をするのだった。