作品タイトル不明
二十六話 悪魔裁判⑤
「……冗談にしては、悪質ですよ」
ネログリフは俺の言葉が聞こえたのか聞こえていなかったのか、にっこりと俺に笑った後に同じ顔を観衆達へと向けた。
「確かに何やら妙な紙切れがあったようじゃが、すべての真実はリーヴァイ様の聖火の前に明らかになるであろう。その後でゆっくりと考えればよい。さてクロエ、早くしなさい」
そしてその表情を保ったまま、クロエへと俺を殺すように急かした。
この人は……ネログリフは、恐らく、このような事態が起きない限りは出てくるつもりさえなかったのだろう。
捕縛された俺の前にも姿を見せず、安い勝利宣言に浸ることもなく、俺がネログリフがどうなったのかを最後まで知ることなく終わることを望んでいたのだろう。
「ネログリフ……てめぇ……!」
俺が睨もうと、歯牙にも掛けない。
「ネ、ネログリフさん、どうしてですか! あ、あの紙……ハイル村長さんを助けたいって……」
ネログリフはメアに詰め寄られても、ただ微笑みを返すだけだった。
そうして近くにいる教徒へと顔を向ける。
「連れていきなさい」
「はっ!」
すぐさま教徒の一人がメアの身体を押さえ、ネログリフから引き剥がす。
「メアッ!」
「うっ、嘘! やだっ! アベル! アベルッ! そんな……あの紙見つけて、アベルの役に立てたって、これで全部解決したって思ったのに……」
クロエはネログリフへと目配せした後、偽聖火のトーチを持ち上げて俺へと構え直した。
「いや、無駄じゃなかった。ここでネログリフを引き摺り出せたのは大きい。あのままだったら小物を仕留めて大喜びして、大物を取り逃すところだった」
「……クロエ、早くしなさい。さぁ、リーヴァイ様のお力で暴くのだ。アベル殿が悪魔なのか、そうでないのかを」
ネログリフは俺をちらりと見た後、クロエを再び急かした。
「 প্রেত(光よ) আঁকা(描け) 」
俺は呪文を唱え、魔法陣を生成する。
「なっ!?」
ネログリフの表情がここに来てようやく変化した。
「 পাথর(石よ) পতন(崩れよ) 」
アログア石の手枷に光が灯り、次の瞬間には破裂して粉々になった。
「 দড়ি(縄よ) গলিত(解け) 」
俺を結んでいた縄が解け、身体が解放される。
辺りからどよめきや悲鳴が上がり、逃げ始める者も現われた。
「こ、こんなはずが! な、なぜアログア石の手枷が! だ、誰かが、誰かが裏切ったのか!」
クロエが嘆きながらその場から下がり、俺から距離を取った。
「さて、悪魔裁判を再開しようか。お前達のやり方に則ってやる。誰が根性のひん曲がった悪魔なのか、暴いてやろうじゃないか」
「アベルッ!」
メアが俺へと、俺の愛用している世界樹の杖を投げてきた。
俺はそれを受け止め、杖先をクロエへと向ける。
「 বায়ু(風よ) বহন(運べ) 」
「あっ!」
風を操り、偽聖火のトーチを宙へと浮かべる。
クロエが必死にそれを掴んでいたが、彼女の身体が少し浮いたところでトーチの持ち柄を揺らして振り払ってやった。
そのときの振動で弾かれたクロエは、肩から地面へと仰向けに倒れた。
「ま、まさか……!」
ネログリフが身を退きながら、指先を宙に浮いたトーチへと向ける。
「 পানি(水よ) আশ্লেষ(拡散せよ) 」
「無駄だ!」
俺は杖を振るい、ネログリフの描いた魔法陣を描き替えた。
ネログリフへと水の塊が降り注ぎ、それに押されるようにネログリフはその場に膝を突いた。
辛うじて首を持ち上げたネログリフが目を見開いて俺を見据える。
「ば、馬鹿な。実践的な魔法陣の描き替えなど……」
「リーヴァイ様とやらの心眼を見せてもらうぞ!」
杖をネログリフへと向ける。
宙に浮かんでいたトーチは聖火をネログリフへと傾け、杖の軌道を追うように勢いよく落下していく。
「ま、待ってくだされアベル殿! 勘違いしておる! ワシはただ……」
「さすがにもう引っ掛かるか! 人を散々馬鹿にしてくれやがって!」
「ネログリフ様っ!」
ネログリフが顔を手で覆い隠した次の瞬間、地に倒れていたクロエが、トーチを持つために置いた大杖を拾い直し、ネログリフへと跳んだ。
大杖がトーチを叩き落とした。宙でトーチがぐるりと回り、クロエの身体へと偽聖火が触れた。
火はあっという間にローブへと燃え移り、クロエの身体を焼いた。
「ああ、あああぁっ! あづい、あづ……!」
クロエが炎の中でのた打ち回る。
騒いでいたリーヴァイ教徒達が一斉に静かになり、場に気まずい沈黙が訪れた。
「う、嘘だろ」
「なんで……ネ、ネログリフ様?」
「聖火じゃない……? さ、さすがにそれは……」
教徒達の間に動揺が広がっていく。
ネログリフが主犯だったことからして、ほとんどのリーヴァイ教徒が領地の乗っ取り目的で来ていると想定していたが、どうやら教徒によって与えられていた情報量に大分差があったようである。
教徒の中には元村人も混じっているので、余計そう見えるのかもしれないが。
中にはすべて知っていた教徒も混じっているようで、顔を真っ青にして我先にと逃げていく。
「判決が出たぞ。悪魔はお前だったな、ネログリフ」
俺が杖先を向けると、ネログリフは固まっていた無表情を綻ばせ、寂し気に笑った。
「……うまく、行かないものですな。アベル殿よ」
「…………」
それを俺は、敗北宣告だと思った。
だが続けた言葉を聞いて、さすがに耳を疑った。
「まさか愛弟子が、悪魔と入れ替わっておったとは……。アベル殿はいつからお気づきで?」
「はぁ?」
ローブが燃えてのた打ち回っていたクロエも、驚愕の目でネログリフを見つめていた。
「聖火に焼かれたものは、その場で魔術を用いて息の根を止めるのが習わし……。見ておらんで、早く後始末をしなさい」
「……は、はい」
周囲の教徒達が、クロエへと杖を構える。
さすがに引いているようだが、それでも逆らうつもりはないらしい。
観衆達からも非難の声が上がっているが、耳にする様子はない。
「お、おい! そんなので今更誤魔化せると思ってるのか! 往生際の悪い真似を……」
「 পানি(水よ) বর্শা হাত(槍を象れ) 」「 পানি(水よ) বর্শা হাত(槍を象れ) 」
「 পানি(水よ) বর্শা হাত(槍を象れ) 」「 পানি(水よ) বর্শা হাত(槍を象れ) 」
四人の教徒が詠唱を始めた。
俺は即座に杖を振るい、すべての魔術を不発させた。
水の矢を弾けさせて威力を緩め、焼け苦しんでいたクロエの炎を鎮火させるのに転用した。
「お前達も何従ってるんだ! もう、全部終わったんだよ! 見てみろ、お前達を信用してる村人なんて、一人も残って……」
「 আম(我を) বহন(運べ) 」
「しまっ……」
どさくさに紛れて距離を取っていたネログリフが、魔術で姿を消した。
クロエと他の教徒に気を取られてしまっていた。
転移魔術は行き先にすでに魔法陣を刻んでおくか、魔術発動前に転移先の位置へと魔法陣を浮かべておく必要があるのだが、どうやらいざというときに備えてすでに転移先候補に魔法陣を記していたようだ。
「逃げる気か? でも、指定の座標は、そう遠いところじゃ……」
「逃げる? 貴様を生かしたまま、おちおち逃げられるわけがなかろう」
遠くからネログリフの声がした。
目を向ければ、やや離れたところにある教会堂の屋根の上にネログリフが立っていた。
「大人しくしておれば、死ぬのは貴様とあの小娘だけで済んだものの……。ここまで来てしまえば、村ごと消し去る他ないではないか」
ネログリフは言いながら袖をまくり上げて腕を突き出した。
「 লেবিতা(リーヴァイ様、) , সাহ(お力を) গ্রহণ(お借り) মাউস(いたします) 」
肘の部分に紋章が浮かび上がる。
マリアスのときと同じだ。リーヴァイの召喚紋だろう。
「最後の悪足掻きか。俺は前にマリアスを倒したんだぞ、力技で押し切れると……」
「 সমন(召喚) 」
広場の遥か上の空間が歪んで渦を巻き、その隙間が空間を侵食して大きな裂け目が現れた。
「嘘ですよね? ネログリフ様、弁明をしてください……。お、お願いです」
「ネ、ネログリフ様! そこまでは聞いておりません! 一体何を……」
あちらこちらから教徒が悲鳴や失望の声を上げる。
しかしネログリフはそれらにも、一切の感傷や反応を示さなかった。
「慄け、そして永遠に讃えよ! リーヴァイ様の半身たる、大いなる槍の力を! その力の前に朽ち果てることを、貴様らに与えられた最期の誉れとするがよい!」
蒼くごつごつとしたものが、空間の裂け目から這い出てきた。
空気が一変した。大気中のあらゆる精霊が、恐怖しているのだ。
明らかにあれは、これまで関わってきたものとは格が違っていた。
空の色が変わり、厚い雲が辺りを覆った。
呼び出した張本人であるはずのネログリフさえ、表情を強張らせていた。
「リ、リーヴァイ様! や、槍だけのはずでは! リーヴァイ様が降臨なされては、大邪神クゥドルの封印が大きく緩んでしまいます!」
『余が直々に出ねばならぬと考えたまでだ。此度の宴は、それだけの価値がある』
裂け目から姿を現したのは、蒼い巨大な腕だった。
指の間には水かきが付いており、爪は禍々しいまでに鋭く、その体表は鱗に覆われていた。
手の甲には、槍をシンボル化したものと術式を組み合わせたような紋章が浮かんでいる。
伝承に寸分狂わぬ、水の神リーヴァイの腕である。