軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十二話 豊後の秤

天文十五年(1546年)四月 下旬

府内の春は、阿蘇より柔らかい。

風はぬるみ、庭の木々にはもう薄く若葉が差していた。だが、大友館の評議の座だけは、少しも柔らかくはなかった。

上座にあるのは大友義鑑。

その左右には、臼杵鑑続、吉弘鑑理、入田親誠。

いずれも軽く扱える相手ではなく、だからこそ座の空気は柔らかくならなかった。

火鉢はもう要らぬ季だが、代わりに座の空気が熱を持っている。

阿蘇から戻った臼杵の報告をもとに、肥後をどう扱うかを決める場であった。

最初に口を開いたのは義鑑だった。

「申せ」

ただ一言。

だが、それで十分だった。

臼杵鑑続は膝の前に手を置いたまま、静かに答えた。

「阿蘇は、近ごろよく整っております」

入田親誠が鼻で笑うように息を吐く。

「整っておる、か。臼杵殿にしては柔らかい」

「柔らかくはございませぬ」

臼杵は顔色を変えない。

「田は増え、市は育ち、境目は静まり、鍛冶場もよく働いております。しかも、それぞれが別に動いておらぬ。筋としてつながっております」

義鑑は腕を組んだまま問うた。

「阿蘇惟豊がそうしているのか」

「惟豊もおります。宗運もおります。だが、いまの阿蘇の伸びは、それだけではありませぬ」

臼杵はそこで、ほんの一拍だけ置いた。

「若君にございます」

座の空気がわずかに変わった。

鬼童。

その名はすでに豊後にも落ちている。

だが、噂と報告が同じ言葉になると、重さが違う。

吉弘鑑理が低く言った。

「そこまでか」

「はい」

臼杵は短く答える。

「あれは、ただの六つの童ではございませぬ。

田も、市も、人も見ております。まさに鬼童にございます」

入田が口を挟む。

「童の口に惑わされすぎではないか」

「惑わされてはおりませぬ」

臼杵の声はあくまで平らだった。

「いまならまだ幼い。だが、いまのうちに骨を立てられれば、後には軽く噛めぬ家になりましょう」

義鑑はしばらく黙っていた。

阿蘇。

肥後。

その二つは、大友にとってただの隣ではない。

義鑑は天文十二年に肥後守護となり、肥後を自家の秩序の内に置く理をすでに持っている。阿蘇がそこで独自の筋を立て始めているなら、それは見過ごせぬ。

だが、見過ごせぬことと、いますぐ潰すことは同じではなかった。

「宗運はどう見た」

義鑑がそう問うと、臼杵は少しだけ目を伏せた。

「低う受けました」

「ふむ」

「従っているように見せる手は、まだ崩しておりませぬ。大友の威も立てる。肥後の秩序も軽んじぬと申しました」

そこで臼杵は顔を上げる。

「ですが、そのうえで言いました。阿蘇の地を守る筋は、阿蘇が決めると」

入田の目が険しくなる。

「不遜だな」

「不遜にございます」

臼杵は認めた。

「ですが、露骨な反逆ではない。礼を崩さず、筋だけを押し出して参りました」

吉弘が腕を組んだまま言う。

「宗運らしい」

その言い方には、少しばかり感心が混じっていた。

「下がるところは下がる。だが、地を手放さぬ」

「はい」

臼杵が頷く。

「ゆえに、いまの阿蘇は面倒にございます。頭を下げるだけの家ではない。だが、刃を抜かせるほど浅くもない」

義鑑は、その言葉をしばらく噛んでいた。

府内の座敷に、外の柔らかな春とは違う重たい静けさが落ちる。

先に動いたのは入田だった。

「ならば、いま叩くべきです」

はっきりしている。

「幼い芽は伸びる前に折る。肥後で勝手を許せば、やがて菊池筋も、名和も、相良も、皆あの方を見て動きます」

入田親誠は、義鑑の意を強く押し出す時にためらわない。

「阿蘇が阿蘇の地を守る、などと申すのは、言い換えれば大友の守護威を借りながら、その内で己の国を作るということ。今ならまだ押さえ込めます」

吉弘鑑理がそこで低く返した。

「押さえ込めても、安うは済むまい」

入田がそちらを見る。

吉弘は表情をほとんど動かさない。

「館一つ落とす戦では済まぬ。山も地もある。宗運もいる。若君の名も、もう兵の腹へ落ちている。勝てる勝てぬの話ではなく、どれだけ削られるかの話だ」

「削られては困るほど、いま豊後が脆いと申すか」

「そうは申さぬ」

吉弘の声は静かだった。

「だが、兵も銭も限りはある。肥後で無駄に消すより、もっと効く手があるということです」

義鑑が、そこで初めてはっきりと入田を見た。

「親誠」

「は」

「おぬしは、阿蘇を討って得るものをどう見る」

「肥後秩序の立て直しにございます」

入田はすぐ答えた。

「阿蘇を低く置き、国衆へ大友の威を見せる。それだけでも十分に得です」

「失うものは」

義鑑の問いは静かだ。

だがその静けさが、かえって怖い。

入田は少しだけ間を置いた。

「兵と銭」

「だけか」

入田は答えなかった。

義鑑が何を求めているか、わかっているのだろう。

阿蘇を叩けば、兵と銭だけでは済まぬ。

肥後にいる他の国衆も、こちらの意図を測る。

阿蘇を潰し切れぬ形で終われば、大友の威そのものが傷つく。

義鑑は今度、吉弘へ目を向けた。

「鑑理」

「は」

「軍としてはどう見る」

「今すぐ大戦にする利は薄いかと」

吉弘は迷わず言った。

「臼杵殿の見立て通り、阿蘇は整い始めております。勝っても削られましょう。しかも、向こうは今まさに内を固めている。そこへ正面から叩けば、かえって家中をまとめてやる形にもなります」

入田が舌打ちまではしないまでも、面白くなさそうに顔をわずかに歪める。

「ならば放っておくのか」

「放ってはおかぬ」

吉弘は切り返す。

「だが、刃を入れる前に中を緩める」

そこだ、と義鑑は思ったようだった。

臼杵もまた、その言葉を待っていた顔になる。

「阿蘇は何で立っておる」

義鑑が問う。

臼杵が答えた。

「田、市、鍛冶、山、そして人にございます」

「ならば、そのどれを切ればよい」

「全部を一度には要りませぬ」

今度は吉弘ではなく、臼杵が答えた。

「まずは家中。若君の新しいやり方に馴染めぬ者、宗運の締め付けを嫌う者、境目戦で損をした者。そこを揺らせば、あの家は自ら足を止めます」

入田が、ようやく少し機嫌を直したように言う。

「つまり調略ですな」

「はい」

臼杵は頷いた。

「表では忠節を求める。裏では不満を拾う。島津と近づいたという風聞も流せましょう」

義鑑の目が、そこでわずかに細くなった。

「島津か」

「阿蘇にその気があろうとなかろうと、風聞としては使えます」

臼杵は淡々としている。

「大友の内にあるべき阿蘇が、南へ顔を向け始めた。そう見せれば、肥後の国衆も構えます」

入田が続ける。

「人質、起請文、軍役。外からはそれで締めればよろしいかと」

「うむ」

義鑑はそこでようやく、いまの場の骨を掴んだようだった。

「阿蘇は、いままだ表向きは従う顔をしておる」

「はい」

「ならばその顔は使わせる。

だが中では、従うだけの家ではなくなっている」

「その通りにございます」

臼杵が頭を下げる。

義鑑は少しだけ庭の方へ顔を向けた。

春の光はやわらかい。

だが、その下で各家が何を考えているかは別の話だ。

「肥後は、軽い土地ではない」

誰に言うでもなく呟くように言う。

「菊池を立て、守護を預かり、ようやく秩序を形にした。そこへ阿蘇が己の筋で立ち始めるなら、見ぬわけにもいくまい」

入田が一歩進みかける。

「では」

「まだ討たぬ」

義鑑の一声で、入田の足が止まる。

場が、すうっと静まった。

「今は討たぬ」

義鑑は重ねた。

「だが、放ってもおかぬ」

臼杵と吉弘が、ほぼ同時に頭を下げる。

「阿蘇に圧はかけ続ける。

忠節は確かめる。

人質も起請文も視野に置く。

そして中を割る」

入田の目が少しだけ明るくなる。

それならば、己の役目がある。

「誰を使う」

義鑑が問うと、臼杵は即答した。

「境目衆、商人、流民、旧来の家臣筋にございます」

「不穏分子を拾う筋も必要ですな」

入田が付け足す。

「阿蘇からこぼれる者があれば、使えます」

守昌のような男が、まだこの時点で表に出ているわけではない。

だが、こういう家中の割れを拾う発想は、もう大友側の座にはある。

吉弘は、その流れを受けつつも釘を刺す。

「ただし、やりすぎて阿蘇を一つにするな。追い込みすぎれば、かえって宗運に家中を締められます」

そこは武辺の現実感だった。

「調略は、相手が自分で疑い始めるくらいがよい」

臼杵が小さく頷く。

「まことに」

義鑑は最後に言った。

「阿蘇は、いままさに立とうとしている」

皆が黙って聞く。

「立つ前に折る手もある。

だが今は、まず足元を掘れ。

立ちきれぬよう、土を緩めよ」

それが結論だった。

阿蘇はまだ討たない。

だが、立たせもしない。

外から圧をかけ、内を割り、風聞を流し、逃げる者を拾い、阿蘇が自分の重さでよろめくようにする。

義鑑は立ち上がらなかった。

だが、その場の誰もが、もう評議が終わったことを知っていた。

臼杵鑑続は、阿蘇で見た若君の目を思い出した。

地を見、腹を見、先を見ていた目だ。

(あれは、面倒だ)

そう思う。

だが、面倒な相手だからこそ、大友の座もまた本気で考えねばならない。

府内の春は柔らかい。

けれど、その柔らかさの下で、大友もまた静かに阿蘇を崩す手を選び始めていた。