作品タイトル不明
第十二話 若君、玻璃を生む
水飴は、もう若君が毎日鍋を覗かずとも回っていた。
門前では
「 阿蘇水飴(あそみずあめ) 」
と呼ぶ者もいれば、
「これたね水飴」
と若君の名をそのまま口にする者もいる。
最初は養生のため。
次は門前で少し。
いまでは子どもの口遊び、病人への見舞い、女たちの土産として、思った以上によく動いていた。
台所預かりの 志乃(しの) が作り手をまとめ、門前へ出す量を見て、 田代(たしろ) 宗傳(そうでん) が売れ行きを宗運へ上げる。
高森は若君を守り、北里は評判を拾い、光永は手順と数を記す。
つまり、もう“若君の思いつき”では終わっていない。
小さいながらも、きちんと商いの形になっていた。
だからこそ、 阿蘇(あそ) 惟種(これたね) は次へ進むことにした。
(飴は乗った)
(ならば次だ)
惟種は、呼べばすぐ来るようになった宗傳を、廊下の端へ呼び寄せた。
「宗傳」
「は」
「次をやる」
宗傳は、もう驚かない。
若君がそう言う時は、たいてい何か形になると学び始めていた。
「何にございますか」
「** 玻璃(はり) **だ」
宗傳の目がわずかに細くなる。
「透き通るもの、にございますか」
「そうだ。小さな玉、小さな瓶、まずはそこからだ」
「売り物」
「うむ。軽く、珍しく、上の者が欲しがる」
惟種は続ける。
「火と、砂と、灰と、釜が要る。頭にはある」
宗傳は無言のまま聞き、やがて一つうなずいた。
「宗運様へ上げます」
「うむ。まずは金になる話としてだ」
「承知しております」
返答は速かった。
それからが、さらに速かった。
宗傳が話を持っていったその日のうちに、 甲斐(かい) 宗運(そううん) 自身が若君のもとへ現れたのである。
襖が開く。
月代を落とした法体の男が、静かに入ってくる。
「若君」
「来たか、宗運」
「宗傳より聞きました」
宗運は、座るなり単刀直入だった。
「玻璃とやら、売り物になると」
「なる」
「理は」
惟種は答える。
「軽い。珍しい。割れやすいが、それゆえに扱いは限られる。だが上の者は欲しがる」
「ふむ」
「玉は飾りになる。小瓶は薬になる。神前にも出せる。舶来の品に見えるものが、こちらで作れれば利は大きい」
宗運は黙って聞いている。
「うまくいけば、水飴とは違う」
「違う、か」
「水飴は広く売るものだ。
玻璃は、高く売る」
宗運の目が、そこで初めて少しだけ強く惟種を見た。
理が通った時の顔だ。
「……なるほど」
「まずは小さく試す、いきなり大きくやる必要はない。玉ひとつでよい」
宗運はしばらく考え、それから、思いのほかあっさりと言った。
「やりましょう」
惟種は、少しだけ眉を上げた。
「よいのか」
「水飴で一度、若君のお考えは利を生みました」
「うむ」
「ならば次も、小さく試す価値はございます」
宗運はさらに続ける。
「場所は台所ではいけませぬ。火が違いまする」
「分かっておる」
「土と火を見る者が要ります。口の軽くない者を選びます」
「光永をつけたい」
「それがよろしいでしょう」
惟種は内心で、小さくうなずいた。
やはり宗運は早い。
止めるのではなく、通す前提で危ういところだけ削ってくる。
「高森は火の場の見張りだ」
「はい」
「北里は砂や石や灰を見る」
「はい」
「光永は書く。全部だ」
「承知いたしました」
宗運は少しだけ視線を細めた。
「若君」
「何だ」
「これは、飴より厄介にございます」
「分かっておる」
「ですが、理はあります」
「うむ」
「ゆえに、私も乗ります」
惟種は、その言葉に少しだけ息を呑んだ。
宗運がここまで言うのは珍しい。
それだけ、水飴が効いているのだろう。
(よし)
そうして、玻璃づくりは始まった。
思ったよりも、ずっと早く。
光永惟清は、惟種が口にする手順をひたすら書いた。
高森惟房は火の場で黙って人を動かした。
北里政久は、砂、灰、石、燃やすもの、使えそうなものを山野から拾ってくる。
宗傳は人と場所を押さえ、宗運は必要な手をすぐ回した。
惟種は、もっと手間取るつもりでいた。
釜を直し、火を見て、砂を選り、何度も割る。
ひどければ一季ほどかかるかもしれない。
そのくらいは覚悟していた。
だが、思った以上に、周りが動いた。
宗運が理を認めて押した。
宗傳が迷わず繋いだ。
光永が異様なくらい飲み込みが早かった。
若君が一を言えば、光永は二を書き、三を確かめ、四で直した。
そのうえで「若君、これは前と違います」「こちらの方が濁りが少のうございます」と返してくる。
(……いや、早くないか?)
惟種は、火の前で何度目かの試しを見ながら、思わずそう思った。
もちろん、失敗もあった。
濁る。
割れる。
泡が入る。
形が崩れる。
だが、それでも。
思ったより、ずっと早かった。
そして、一か月も経たぬある日。
光永惟清が、両手でそっと布を差し出した。
「若君」
惟種はその布を受け取り、開いた。
中にあったのは、指先ほどの小さな玉だった。
完璧ではない。
わずかに濁りもある。
気泡も、よく見れば入っている。
だが、光を通す。
飴色とも青ともつかぬ淡い色を宿して、たしかにそこに在った。
** 玻璃玉(はりだま) **だ。
惟種は、しばらく黙ってそれを見つめた。
火に透かす。
窓の光へかざす。
小さい。粗い。だが、間違いなく“できている”。
(……できた)
高森惟房は、それが何にどこまで価値があるかまでは分かっていない顔だった。
だが北里政久は、目を丸くしている。
「若君……これは」
「うむ」
「本当に透けてますな」
「透ける」
光永惟清は、珍しく少しだけ頬を赤くしていた。
自分でも興奮しているのだろう。
「若君のお言葉どおりにいたしました」
「いや」
惟種は、玻璃玉を見たまま言った。
「おぬしが早い」
光永は目を伏せる。
褒められ慣れていないのだろう。
宗傳が、静かに言った。
「若君」
「何だ」
「これは、宗運様へすぐにでも」
「うむ。見せる」
惟種はそこで、ようやく口元を少しだけ緩めた。
飴は甘かった。
玻璃は光る。
どちらも金になる。
だが、玻璃は飴とは違う。
あれは日々の小銭だ。
これは、上へ食い込む品だ。
(飴とは比べものにならぬかもしれん)
まだ小さな玉ひとつ。
それでも、惟種には分かった。
これはただの珍品では終わらない。
「宗傳」
「は」
「宗運へ」
「なんと上げましょう」
惟種は、光を透かす玉を見ながら答えた。
「若君、思ったより早く、玻璃を生んだ」
宗傳は、そこで初めて少しだけ笑った。
「左様にございますな」
惟種はもう一度だけ玉を光へかざした。
阿蘇の火。
灰。
砂。
そして、人の手。
夢で見たものが、またひとつ現になった。
しかも、思っていたよりずっと早く。
(……なんだこのスピード感)
心の中でそう呟きながらも、惟種の胸は静かに熱くなっていた。