軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ゲール外伝『生真面目衛生兵さんの奮闘記』

「……できました」

「おお、見事」

少女は、小さく歓喜の声を上げた。

彼女の手の前には、小さな薄い壁────【盾】の魔法が確かに形成されていた。

「呑み込みが早いな。流石はゲール、衛生部の若きホープ」

「……ありがとうございます」

「まぁ、儂の教え方が良かったのかもしれんが」

その少女の名前は、ゲールといった。

泣き黒子が印象的な、大人びた雰囲気の女性だった。

「【盾】の魔法は、誰かを守りたいという気持ちを強く持てる人間に発現するという」

「はい、ドールマン衛生部長」

「ゲール。お前は、誰かを守れる衛生兵になりなさい」

老いた兵士ドールマンはそう言うと、ゲールの肩を掴み。

「決して、儂のような衛生兵にはなるんじゃないぞ」

自嘲するような声で、そう言って聞かせた。

ゲールの一族は、代々軍の重役を務めるエリートであった。

「ゲール一等衛生兵と申します。これから衛生部でお世話になります」

「おお、君が噂の……」

彼女はそんなエリート一族の中でも、『神童』と持て囃された麒麟児だった。

貴重な回復魔法の適性を持ち、豊富な魔力量を誇り、頭の回転も速く、責任感も強い。

まじめな性格で努力を惜しまず、温厚な性格で同僚からの信頼も厚かった。

「ゲールさん、少し手伝ってくれないか。この患者は少し、骨が折れそうなんだ」

「お任せください」

ゲールは衛生部に入ると、すぐ頭角を現した。

彼女はメキメキと腕を上げ、数年も経つ頃には衛生部の中心人物となっていた。

「お前のような女が入ってきたからには、衛生部は安泰だ」

「恐れ入ります」

当時の衛生部長だったドールマンは、ゲールをよく可愛がった。

彼女を一番弟子と扱い、持てる医療技術の全てを彼女に伝えていった。

それは贔屓でも何でもなく、純粋に彼女の能力が高かったからこそだそうだ。

「衛生部長を継がせる奴を選ぶとしたら、ゲールしかおらんだろうな」

ドールマンは数年ほどのキャリアしかないゲールに、そこまで期待していた。

「ナイン上等兵です! 今年、士官学校を卒業しました」

ゲールが従軍して数年後。

一人の若い少年兵が、ゲールに挨拶に来た。

「姉さん、どうですか。似合っていますか」

「ええ」

ニコニコと屈託のない笑顔をゲールに向けるその少年は、彼女の実弟ナインだった。

軍人の一族である彼もまた、歩兵として前線に配属されてきたのだ。

「お国の為に、力を尽くす所存です!」

「ナイン、くれぐれも無茶をしちゃだめよ。自分が生き残る事を最優先に考えなさい」

「はい!」

ナインは素直で明るい少年だった。

そしてゲールに似て利発で、真面目な性格だった。

「後方に異動になるまで、しっかり生き延びなさい」

彼もまたゲールと同じく、士官学校を出た「エリート組」だ。

前線勤務を経験した後は、軍の中枢へ食い込んでいく手はずだった。

「安心してください姉さん。どうやら、損耗率の低い部隊に配置して貰えたみたいです」

「あら、そうなの」

「心配性な父さんが、手を回したのかもしれません」

彼は自慢でもするように、ゲールに自らが所属する部隊の名を語った。

その軍人の名に、ゲールも聞き覚えがあった。

「あの有名なエース、ガーバック軍曹の部隊だそうです!」

「あらあら」

────突撃狂で、部下を見殺しにする噂があるエース級ガーバック。

弟が口に出したその軍人には、あまり好ましくない噂が有る事で有名だった。

その名を聞いたゲールは、弟を心配そうな目で見つめたが……。

「あれ? どうかしましたか、姉さん」

「いえ、何でもないわ」

彼女の冷静な部分が、「余計な先入観を与えて、不和の原因になってはいけない」と口をつぐませた。

「頑張ってね、ナイン」

「ええ」

ゲールは実弟に何も伝えず、笑顔を作って誤魔化した。

それが、大きな後悔を生む事とも知らずに。

「ナイン! どうしたの、その怪我は」

「あはは」

その数日後。

ナインは、見るも無残な大怪我を負って衛生部に運ばれてきた。

「大丈夫なの? 骨も折れてるし、全身打撲……。待ってなさい、今治してあげるから」

「落ち着いて下さいゲール1等衛生兵、もう処置は終えています」

慌てたゲールが回復魔法を行使しようとしたら、鉄面皮な衛生兵に手を掴んで止められた。

ゲールはキっとした目で、その衛生兵を睨みつけた。

「まだボロボロじゃない」

「自然治癒で治る範囲です。回復魔法の適応は無いと思われます」

「でも……っ」

「姉さん、落ち着いてください。大丈夫ですから」

戦場で、回復魔法は貴重だった。

数日で自然治癒が見込めるような傷には使わないのが鉄則だ。

それはゲールも知っていたが、身内が傷だらけになっていると治したくなるのが心情である。

可愛がっている弟なら、猶更だった。

「それに彼は、見た目よりは元気でしょう」

「えっ」

「治療中、ずっと私の胸を見ていました」

「うぐっ!」

しかし、当の弟は美女衛生兵の胸に気を取られていたらしい。

気まずい沈黙が数秒ほど流れた。

「ち、違うよ、そう言う意味じゃなくて」

「ご心配なさらず、気にしていません。触ってこないだけ紳士だと考えます」

ゲールは脱力し、ナインは顔を真っ赤にしてアタフタと言い訳を続けた。

弟のそういう部分は、出来れば知りたくなかったのが本音だった。

「まぁレイリィの胸はおっきいものね。はぁ、心配するのが馬鹿らしくなってきた」

「ごめんなさいぃ……」

「では私はこれで失礼します、ゲール1等兵」

顔を真っ赤にしたナインは、一礼して立ち去るレィターリュに小声で謝っていた。

そんな弟に、ゲールはあきれ顔で体罰の理由を問うた。

「その、殴られたのは僕が悪かったんです。小隊長の指示を聞き間違え、1人だけ塹壕を逆走してしまって」

「はあ」

「それを敵前逃亡だと思われたみたいで、タコ殴りにされました……」

ゲールが話を聞いたところ。

ナインが重傷を負った理由は、ガーバックによる体罰だった。

聞く限り、ナインにも非がありそうな話ではあった。

「なかなかにガーバック小隊長は苛烈な人で。夜まで立たされた後、やっと治療許可を貰えました」

「誰にだって聞き間違えくらいはあるわ。流石にやり過ぎよ」

「僕は納得してますよ。……一応」

ナインは少しだけ曖昧な笑みを浮かべた。

内心ではちょっと思うところがあるらしい。

「まぁ、他人の胸を見る元気があるなら良かったわ」

「あまりそこをイジらないでください。その、凄い美人だったので思わず、というか」

「レイリィは倍率高いわよ?」

「そんなんじゃ無いんですって」

新米は殴られて育つもの。

そういった戦場の常識を知っていたナインは、文句を口に出さずに飲み込む程度の分別を持っていた。

「じゃあ今日はもう帰ります。ご心配をかけてすみません、姉さん」

「ええ、次は気を付けなさい」

ゲールも弟を暴行された事に複雑な気持ちはあったが、前線の事に関与する権力も筋もない。

彼女は少し不安そうな目で、弟を見送った。

その日から時折、ナインは顔面を腫らして野戦病院にやってきた。

新兵が体罰により、病院に連れて来られるケースは珍しくはない。

とはいえ、ガーバック小隊の体罰はかなり苛烈な部類であった。

「……また来てるの、ナイン」

「うっ。見つかってしまいましたか」

今日もナインは全身をタコ殴りにされ、見るも無惨な姿になっていた。

いくらそれが「新米兵士にとっての日常」であれ、ゲールは心中穏やかではなかった。

「流石にやり過ぎね。ガーバックには私から言っておくわ」

「良いよ姉さん、そんな過保護な。殴られてるのは僕だけじゃないし」

ゲールは何度か、ガーバックに苛烈な指導を避けるよう要請を出そうとした。

しかし、それを止めたのは他ならぬナインだった。

「そんな事したらむしろ殺されるし」

「ナイン……」

「悪目立ちしたくないんだ。頼むから余計な事はしないでおくれよ姉さん」

ナインはガーバックを酷く恐れている様子だった。

そんな彼の懇願を聞いて、結局ゲールはガーバックへの文句を飲み込み続けた。

「口を出さん方がいい」

「そういうものですか」

悩んだゲールはナインの事を、衛生部長ドールマンに相談した。

多大な功績をあげたドールマンは、未だに前線兵士に絶大な影響力を持っていた。

ゲールから注意するより、衛生部長である彼から注意してもらう方が良いと考えたのだ。

しかし、ドールマンから返ってきた言葉は淡白なものだった。

「儂も前線を経験したが、ある程度の体罰は仕方ないと思う」

「……」

「そのガーバック小隊は、部隊損耗率の低い小隊なのだろう?」

歩兵には歩兵のルールがある。

そこに、前線を知らないゲールが干渉するのはあまり良くない。

「損耗が少ないという事は、ガーバックが部下の教育に長けている証左だ。苛烈であれ、適切な指導を行っていると思われる」

「そういうものでしょうか」

「前線に、平時の常識を持ち込むものではない」

そう言ってドールマンは、ゲールの悩みを切って捨てた。

ゲールの心中は複雑だった。

ナインの事は心配だ。何度も酷い目に逢わされる弟を見て、ゲールは心を痛め続けた。

しかし、死なないで欲しい。ガーバック小隊の新兵損耗率が低いのもまた、事実だった。

別の部隊に再配置されて戦死されるよりは、幾分かましだ。

そんな感情の板挟みで、ゲールは悩んでいた。

心に折り合いがつかない中で、沢山の負傷兵の治療に追われて憔悴していく日々。

だがまもなく、ゲールは更に悩みを抱えることになった。

「姉さん。レィターリュさんと、つ、付き合いました」

「はあ?」

悩みの種であった弟が、後輩のレィターリュと付き合うことになったのだ。

休憩中のゲールはいきなりそう告げられて、報告に来たレイリィとナインを二度見した。

「どういうことなの?」

「こ、告白したら、上手く行きました」

かなりの衝撃だった。

どういう流れでそうなったのか、そもそも付き合う暇なんかあるのか。

平静を取り繕って問いただすと、弟は視線を外しながらボソボソと答え始めた。

きっかけは、怪我の治療だった。

ナインは体罰で怪我をした事を、姉に知られたくなかった。

なので衛生部に来た際には目立たぬよう、端っこの診察列に並んでいたようだ。

そして、その列を担当していたのはレィターリュ。必然的に何度も顔を合わせることになった。

そうして彼女に何度も治してもらっているうち、ナインの方がコロっと惚れてしまったのだという。

「ビシっとしていて、恰好が良くて、それでいて治療は丁寧で優しい。いつしか彼女の事しか考えられなくなって、ミスが増えて益々殴られるようになりました」

「……」

「このままじゃ良くないと気持ちの整理を付けるつもりで、玉砕覚悟で思いを告げたのですけど。何故か、その、構わないと言われて」

「……はぁ」

ゲールの目の前に座る弟は、全身を無残な傷だらけにしつつレイリィと手をつなぎ、幸せな笑みを零していた。

はっきり言って不気味だった。

「レイリィ。その、ナインと付き合うって本当?」

「はい。先日、恋人でも作ってみてはどうかと衛生部長に助言されまして、良い機会と考えました」

「……」

相変わらずレィターリュは無表情なまま、淡々とそう返答した。

彼女は、自分にも他人にも厳しい鉄面皮な女性だった。

そんなレイリィが恋人を作ったこと自体が驚きだったが。

「今まで、恋人とかは全て断ってなかったっけ?」

「恋人を作る事に興味を感じませんでしたので。しかし『生物である以上は生殖こそが生存意義』とドールマン衛生部長に諭され、納得した次第です」

「……」

恐らくレイリィは、男女交際というものを理解していなさそうだった。

生殖こそ生物の生存意義、という理由で付き合われるナインも可哀そうである。

そう考えたのでナインに思いとどまるよう説得しようとした、が。

「それと、ナインはかなり可愛い顔をしています。正直に申し上げて、私的にストライクでした」

「えっ」

「なので、交際を受け入れました」

唐突に、レィターリュがショタコンをカミングアウトしたのだ。

ゲールは絶句したが、ナインは嬉しそうな顔で照れている。

「そういう訳だから、姉さん」

「よろしくお願いします」

「頭が痛くなってきたわ」

そう言われてしまっては、説得のしようがない。

ゲールは二人の交際を許す事にした。

「レィターリュさんは、もっと笑った方が可愛いですよ」

「そうですか。努力しましょう」

「ここでイチャつかないでくれる?」

弟と後輩が相思相愛、両想いだというなら応援する以外の選択肢はなかった。

こうしてゲールに、新たな悩みが増えた。

ゲールの本音としては、この二人の交際をあまり好ましく思わなかった。

何故なら、ナインは士官候補生だからだ。

彼はゆくゆくは後方へ転属になり、指揮官として活躍する立場の人間である。

一方でレィターリュは、優秀な衛生兵。暫くは前線に居て貰わないと困る人材だ。

ナインが出世し後方勤務になった場合、レィターリュがついて行ってしまう可能性がある。

優秀な衛生兵を失うのは、病院的に苦しかった。

それに加え、ゲールはそこそこ弟を溺愛していた。

姉弟間で年が離れていたので喧嘩も少なく、ナインはよくゲールに懐いた。

そんな彼を、ゲールもよく可愛がった。

弟をレイリィに取られてしまう形なので、少しモヤモヤとした感情はあった。

「どう思いますか、ドールマン衛生部長」

「はあ」

「戦場は色恋に現を抜かす場では……」

彼女はしばらく、その話を直属の上司ドールマンに愚痴ったという。

なおドールマンは、生暖かい顔でゲールの話を聞き流していたようだ。

「ゲール、お前。衛生部長になってみるつもりはないか」

「え?」

ちょうど、2人が付き合い始め一月ほど経った頃だろうか。

衛生部長ドールマンが、回復魔法を使えなくなってきたのは。

「昨日、色々と頑張ってみたが。とうとう、一度も【癒】が発動しなくなってしまった」

「……そうですか」

魔力が枯れたのだ。

ドールマンは御年60を超える老齢だった。流石に、体にガタが来始めていたらしい。

「儂は後方に退こうと思う。……思ったより、その時が遅くなってしまったがな」

彼は元より魔力を失ったら、引退すると決めていたそうだ。

今後は後方で、新人育成に励むつもりだという。

そして彼は衛生部長の地位を、ゲールに譲ることにした。

「儂の代わりに衛生部をよく纏め、多くの命を救ってくれ」

ドールマンの人選は妥当と言えた。

能力的にも人望的にも、ゲールに匹敵する人物は衛生部にいなかった。

「私に出来ることであれば」

「任せたぞ」

ゲールは、ドールマンの手を取った。

彼女自身、自分が衛生部長を継ぐ覚悟は決めていた。

「色々と辛い事が、沢山あるだろう。迷いがあれば儂に手紙をかけ、相談に乗ろう」

「ありがとうございます」

こうしてゲールは、若くして衛生部長の地位に就くことになった。

それが彼女にとって、悪夢の始まりであるとは想像だにしなかっただろう。

ちょうどドールマンが引退した、数日後。

サバト軍により『タール川占領作戦』と呼ばれる、大規模な攻勢が行われた。

それは長い間オースティンとサバトの国境であった「タール川」を、サバト勢力下にしてしまおうという作戦だった。

この作戦に動員されたサバト兵は、20万人近かった。

サバトは数千隻の鉄甲船と数万発分の魔砲石が準備し、選りすぐりの精鋭がタール川沿線に集結したという。

当時のサバトの全資源を投入した、大規模な作戦だった。

もしタール川を占領されてしまった場合、オースティン側は苦境に立たされる。

たタール川を確保されるとオースティン側は水資源を失い、防衛面も大きな不利を背負ってしまうからだ。

サバトはいつでもオースティン本土へ攻め込めるのに対し、オースティンはタール川を越えねばサバト本土に手を出せない。

何としてもオースティンは、この作戦を食い止めなければならなかった。

「敵が、延々と河を越えて押し寄せてくる────」

オースティン兵は、まさに恐怖だっただろう。

何度殺しても、タール川を血で染め上げても、サバト兵は止まらないのだ。

船を沈めても仲間の遺体を浮き代わりに、死に物狂いで泳いでくる。

その鬼気迫る突撃に、そしてサバトの用意した物量に、オースティンは押されていった。

「早く、俺を戦場に返してくれ。仲間が、小隊長が、殺されちまう!」

その日の野戦病院は、いつも以上の修羅場だった。

前線兵は戦況の不利を感じ取っていたらしい。

普段であれば、治療に横入りする兵士などさほど多くないのだが……。

「すまん、俺は軽傷だ。腕を癒してもらえれば戦線に復帰できる。先に治療に当たらせてくれ」

「……チクショウ。俺は戦線復帰は難しいから譲ってやる」

早く戦場に戻れる者を優先して治療させようと、兵士同士の譲り合いが発生する始末であった。

「その代わり、絶対にサバトの連中を食い止めてくれよ」

「ああ、任せろ、すぐに戻る」

タール川を占領されたら、オースティンは負ける。

今まで戦ってきたことすべてが無駄になってしまう。

それを肌で感じているベテラン兵士が、数多くいたのだ。

「待って、貴方は治療が遅れたら死ぬ可能性が────」

「かまわん、軽傷なヤツの治療を優先してくれ! そして、前線に戻してやってくれ!」

……従軍経験が長ければ長い程、負け戦というモノに敏感だった。

普段なら治療に横入りされると激怒する兵士が、順番を譲るなどあり得ない話。

ゲールは前線で、ただならぬ事態が起きていると察した。

「ありがとう、衛生兵。じゃあ俺は、再び前線に行ってくる」

「無茶をしないでね、まだ完治はしてないんですから!」

ゲールは身を粉にして、彼らの治療を続けた。

彼らの鬼気迫る様相に、『本当に前線はまずいんだ』と理解したからだ。

ゲールは前線兵士たちの要望通り、戦線復帰が可能な軽傷な者の治療を優先した。

「次、さっきの兵士よ! あの人、治療が遅れたら死んでしまうんだから!」

「……その兵士は、先ほど亡くなりました」

「もう! もう!!」

結果、手遅れになる兵士が増えてしまった。

そうまでして助けた兵士も、再び前線に出てサバト兵に撃ち殺され、帰らぬ人となった。

ゲールとしては気が狂いそうになるような、命の選択だった。

かつてない程高く積み上がる、死体の山。

順番通りに治療すれば助けられたはずの、若い命。

「こんなのおかしいじゃない。こんなの、こんなのって!」

それはこの世の地獄だった。

少なくともゲールは、今まで体験したことが無かった地獄だった。

しかし、そこまでやってなお。

「────オースティン軍はタール川の防衛に失敗した」

「タール川付近から、オースティン軍は撤退。死傷者は、数え切れず」

「我々は、大きく後退する事になった」

その日の深夜に聞かされた戦報は、残酷な結末だった。

「俺はいい。足を失った俺はもう治らねぇ。だから、戦える奴を、優先して」

「もう戦いは終わったそうよ」

「嘘だ。嫌だ、俺達は負けてねぇ。まだ戦える、ちくしょォ……」

夜の野戦病院は、お通夜のような雰囲気だった。

サバト軍は数多くの犠牲を出しつつも、タール川の確保に成功してしまった。

「サバトの畜生ども、よくも。よくも……っ!」

「痛ぇ、痛ぇ。治療を後回しにしてたら、脚が黒ずんできやがった」

既にサバト兵は、タール川沿いに強固な防御陣地を作成し始めているという。

大きな被害を受けたオースティン軍に、その陣地作成を妨害する余力は無かった。

「腐ってる。俺の、両親から貰った大事な足が、腐ってきている」

「すみません、小隊長殿。すまん、新兵ども……」

治療を受ける兵士たちは、泣いていた。

唇を真一文字に、カチカチと歯音をならして、泥と涙で顔を汚して泣いていた。

「……秘薬を取ってくる。少し、治療を代わってもらえるかしら」

「はい、ゲール衛生部長」

ゲール自身も、疲れた体に鞭打って治療を続けた。

悔しかったし、それ以上に不安が募った。

オースティン軍は、負けてはいけない戦いに敗北した。

これからオースティンはどう戦っていけばいいのか。

もし負けてしまった場合、オースティン国民はどんな目に逢わされるのか。

悲壮な雰囲気の漂う野戦病院で、ゲールは兵士たちの嘆きを聞いて顔を青くしていた。

「……あら」

秘薬を取りに戻る途中。

ゲールは、レィターリュの傍を通った。

「どうしたの、レイリィ」

「……」

珍しいことにレィターリュは、激しく泣いていた。

泣きながらも歯を食いしばって、震える手で治療を続けていた。

鉄面皮だった彼女がここまで感情をあらわにしたのは、ゲールから見て初めてだった。

「何かあったの?」

「ごめんなさい、ゲール衛生部長」

「へ?」

ゲールに問いかけられたレィターリュは、ハッと息を呑んだ。

そして静かに、指先を震わせて、一人の遺体を指さした。

目を覆いたくなるほどの屍が寄せ集められる中に、その少年の遺体も積まれていた。

「ごめんなさい……」

レィターリュが指さす先には、虚ろな目でゲールを見つめるナインの姿があった。

「ナインは『僕を後回しにしろと』と、言ったのです」

膝から崩れ落ちるゲールは、レイリィの懺悔のような言葉を聞いた。

「前線が危ないから、僕が行っても役に立たないから。そう言って、彼は後ろの者に治療を譲り続けました」

「あ、あぁ」

「そしてつい、1時間ほど前でしょうか。ナインは言葉を発しなくなり、私のすぐ隣で冷たくなりました」

「あ、ああァ。ナイン……」

ゲールはよろよろと、自らの弟の骸へ歩み寄った。

ナインの瞳は濁ったまま、明後日の方向を向いて動かなかった。

「ナインは、すぐに治療すれば間に合っていたはずの傷でした」

「……」

「私が治療を後回しにして、見殺しにしました」

ポツリ、ポツリとレイリィは自白を続けた。

「私がナインを殺しました」

彼女の言葉を聞いたゲールは、獣のような叫び声をあげた。

それからのゲールは、鬼が憑いたようだった。

髪を振り乱し、身だしなみすら気にせず仕事を続けた。

鬼気迫る様子の彼女を恐れ、話しかける人は少なかった。

「ゲール衛生部長。今日、戦死者の告別式があります」

そんなゲールに話しかけるのは、レィターリュくらいのものだった。

「ナインの告別の時くらいは仕事を休み、出席してはどうでしょう」

「誰が。誰のせいでっ……」

「私です。ナインが死んだのは私のせい」

ゲールはレィターリュの顔を見るだけで、吐き気がするほど怒気を放った。

出来る事なら、弟を見殺しにしたレィターリュを殺してやりたいと思っていただろう。

「……行くわ。最期くらい」

「本日の14時です」

しかし、そのレィターリュも憔悴しきった顔をしていた。

傷ついているのはゲールだけではない。

そして、ゲールは部下に当たり散らす見苦しい真似をしないだけの分別はあった。

ゲールは色んな感情を嚙み殺し、告別式に出ることにした。

ただの儀式でしかないが、心の整理には必要なプロセスだと理解していたから。

戦場の告別式は簡素なものだ。

遺体が山のように積み上げられ、牧師の真似事をした兵士が簡単な言葉を述べ、やがて火をくべる。

儀式は、それだけだった。

ゲールはレイリィと並び、ナインの遺体の正面に立ってその冥福を祈った。

「貴殿がゲール衛生部長殿か」

式はつつがなく進行した。

ゆっくり炎に包まれていく遺体の周囲に多くの兵士が集まり、皆が悲嘆にくれていた。

「……貴方は?」

「ガーバック軍曹だ。お見知りおきを頼む」

そんな告別式の最中。

一人の粗暴な雰囲気の男が、ゲールに話しかけた。

「何の御用ですか?」

「貴女の弟の武勇伝を、伝えに。ナイン上等兵との約束だったのでね」

ガーバックと名乗った男は、まだ若い青年兵だった。

鋭い目つきで全身に傷跡のある、まさに『突撃兵』という風貌の兵士だった。

「貴女の弟ナイン上等兵は、優秀な兵士だった。恐れることなく2名の敵を射殺し、最期まで戦い続けようとした。お見事でした」

「……貴方が、ナインの小隊長ね。どうしてナインを守ってくれなかったのよ」

「命を守るのは俺の仕事じゃありませんのでね」

ガーバックはゲールの恨み節を、そう言って軽く流した。

その態度に、ゲールはカチンときた。

「じゃあ貴方の仕事って何なの!?」

「上官の査問に応えましょう。兵士の命を有効に使ってやるのが、俺の仕事です」

「有効に使う、ですって?」

「ええ」

ゲールは思わず口を荒げ、ガーバックに食って掛かった。

そんな彼女の問い詰めに、男は面倒くさそうに答えた。

「ナインは見事でした。俺の指示通り一人塹壕に籠って、1分ほど時間を稼ぎました」

「……貴方の、指示通り?」

「ヤツが命を張らなければ、味方が態勢を立て直す暇はありませんでした。結果、戦線がもう15メートルは後退していたでしょう」

ガーバックは鋭い目付きでゲールを見据え、

「ナインの命は、15メートルもの距離になったのです」

「……」

「貴女が軍人であるなら、弟の戦果を喜ぶべきでは無いですか」

そう、冷たく言い放った。

ガーバック小隊はギリギリまで、最前線でサバト兵を迎撃し続けたのだという。

味方が態勢を立て直し、最前線に戻ってくると信じていたそうだ。

しかし結局、サバトの猛攻に耐え兼ねて戦線は後退した。

その際にナインは負傷し、致命傷を負ったのだという。

「ガーバックが早々に撤退を判断していれば、弟は死なずに済んだ……」

もう、オースティンの敗色は濃厚だった。

そんな中でガーバックは最前線で孤立し、無駄に部下を危険に晒しながら戦闘を続けた。

「喜べ、ですって?」

弟の死の真相を聞いたゲールの激高は、止まらなかった。

要はガーバックが戦況判断を誤った結果、ナインは命を失ったのだ。

彼がゲールに『武勇伝を聞かせに』やってきたのも、それを誤魔化したかったからだろう。

「歩けば数秒の距離を稼ぐ代わりに弟を殺されて、喜べですって!?」

この日からゲールは、ガーバックの事を一切信用しなくなった。

人目もはばからず、罵倒するようになった。

……彼女の背景を知っている人は、皆その様子を痛ましそうに見るだけであったという。

しかしそれからもゲールは、衛生部長の仕事をこなし続けた。

ゲールはことあるごとにガーバックを懲戒するよう上層部に掛け合い、苦い顔をされてはいたが……。

彼女はガーバックに強い憎悪を抱いている以外は、優秀な衛生部長だった。

ゲールはレィターリュと、一応は和解した。

弟の仇という感情は無くならなかったが、彼女もまた深く傷ついていることは見て分かったからだ。

レィターリュはナインの遺言を真面目に守り、日課として毎朝鏡の前で狂った笑みを浮かべるらしい。

レイリィにとっても、ナインは大きな存在だった。

それを理解したゲールは、大人の対応として今まで通りに接し続けた。

……だが。

「人肌が恋しいのです。ナイン、ナイン……」

「ちょっと、酒臭いわよレイリィ」

とある非番の日。

ゲールは、レィターリュが酒におぼれている折に絡まれた。

「ううぅ、うぅぅぅ……。全てを忘れてしまいたい」

「貴女、実は絡み酒ね?」

酔っぱらったレイリィは、ゲールにひっついて離れなくなった。

それに辟易としたゲールは、相手にするのが面倒くさくなり、

「だったら男娼の店にでも行ってきなさいよ、面倒くさい」

「男娼……?」

「人恋しい娘は通ってるらしいわよ」

女性兵の間で流行っているという、近くの性風俗のある街へ連れて行ってしまった。

別に他意があった訳ではない。

ゲール自身そういう店を利用したことは無かったし、興味もなかった。

ただゲールなりに『レイリィには弟の事を忘れ、また元気に働いてもらおう』という発破のつもりだった。

「あはぁ~。此処、いいれすねぇ……」

「……」

しかし残念なことに、レイリィは風俗にドハマりしてしまった。

心の隙間を埋めるかのように、依存してしまった。

時折ゲールは、風俗街にレイリィを迎えに行かされることすらあった。

「人肌が恋しい。もっともっと、誰かに居て欲しい」

レイリィには元々素質はあったようだが、風俗に通って一気に才能を開花させてしまったらしい。

真面目だった女性がどんどん堕落していく様は、ゲールからして見るに耐えなかった。

風俗通いだけならまだ害は無かったのだが、

「今晩どうかしら~」

「ちょっと、レイリィ!」

とうとう、自制が効かなくなって。

レイリィは時折、患者に手を出すようになった。

「……」

性依存症。誰かと行為をしていないと不安になる、一種の精神病だ。

レイリィは、これに近い状態に陥っているらしい。

「ちょっと、環境を替えた方がいいわね……」

「はぇ?」

ゲールは少し悩んだあと、風俗の店が近くにない『南軍衛生部』へとレイリィを転属させた。

優秀なレイリィを失うのは痛かったが、このままでは彼女は壊れてしまうと考えたのだ。

「えっ、転属ですか? でも私、あの町の人と仲良くなってきたところで」

「うるさい、とっとと行きなさい。それと貴女はもう、風俗禁止」

「えええっ!?」

ゲールは安易に、傷心女性をそういう店に連れ込まない方が良いことを学んだ。

優秀だった部下が堕落していく様は、見るに耐えないものだった。

その原因の一端が自分にあるというのが、またやりきれない。

レイリィが堕落した弊害はそれだけではなく、

「ゲールさんをたまに風俗街で見かけるんですけど」

「あの」

「もしかして、その、売春もやってたりするんですか」

「……その」

「そうであれば是非。是非一晩だけでも────」

「はあ。この患者を摘まみ出しなさい」

ゲール自身の風聞に、面倒な誤解が生まれてしまっていた。

彼女の前でその話題を出した兵士は、衛生部を出禁になったという。

それがますます、噂が真実味を帯びてしまう結果となったのが何とも皮肉な話だ。

そんな噂にもめげず、ゲールは衛生部長として数年働き続けた。

オースティン軍は何とかタール川を奪還しようと、躍起になっていた。

タール川を奪還しないと、停戦すら受ける事が出来ない。

兵士達は死に物狂いになって戦ったが、少しずつ戦線は押されていった。

一方でサバトはタール川を確保したので勝利宣言をしたいところだが、オースティンは抵抗をやめなかった。

毎日のように小競り合いが発生し、その都度数メートルほど前線が前後し、多くの命が犠牲になった。

10年間。

兵士たちはこの無意味な陣取りゲームで、命をすり潰し続けていた。

終わる気配のない戦いに、兵士が辟易とし始めたころ。

ある日ゲールは、軍の上層部から一つの命令を受けた。

『ガーバック小隊が衛生兵を欲しがっている。派遣する人材を選定してほしい』

と。

衛生兵は貴重だ。そうホイホイと前線に送れるものではない。

ましてや、ガーバックの部隊は突撃部隊。衛生兵を所属させるなど、前例のない話だった。

「断固として拒否します。衛生兵が一人いれば、どれだけの負傷兵を救えるか」

「しかし、今までのガーバックの功績は計り知れない。また戦況的にも、彼を失う訳にはいかなくなってきている」

「駄目です、駄目。絶対に」

ゲールはかなり、しつこく上層部に食い下がった。

ガーバックと言えば、部下を平気で見殺しにする悪魔染みた突撃兵。

大切な自分の部下を譲り渡す気など起きなかった。

「……衛生兵であれば誰でも構わん。何とか派遣してくれないか」

「本当に、誰でも構わないんですね」

しかし、ゲールも軍人である。

上官の命令に食い下がる事はあれど、拒否する事は出来なかった。

どれだけ具申しても折れることはなく、ゲールは渋々ガーバックに差し出す衛生兵を選定する事となった。

「確か、今年の新人に……」

大切な部下を、ガーバックに手渡したくない。

しかし、命令には逆らえない。

そこで苦肉の策として、ゲールは入隊予定の新兵リストを取り出した。

『トウリ・ノエル二等衛生兵。孤児院出身で身寄りは無し。体格は小柄で、肉付きも悪い。おそらく虚弱。長期の任務には耐えがたし』

それが、ゲールなりの抵抗。

その年の新人で『入隊前の評価が低く身寄りもない』衛生兵をリストアップし提出したのだ。

「この娘には悪いけど……」

写真を見る限り、トウリ・ノエルは幼い子供のような風貌だった。

きっと華美な文言に騙されて、入隊してしまった哀れな少女だろう。

このような娘であればきっと、ガーバックも扱いに困るに違いない。

囮にすら使えなさそうな、何も知らぬ新兵なのだから。

「彼女を、ガーバック小隊に配属する衛生兵として推挙します」

「……おいおい。流石に、これは」

「衛生兵の人事権は、私にあります。彼女以外を差し出すつもりはありません」

ゲールは強引にその人事を押し通し、上層部も納得させた。

ゲールのガーバック嫌いは有名だったので、これ以上の説得は困難だと思ったからだ。

こうしてトウリ・ノエルはガーバック小隊へ所属する事になった。

「ごめんなさい、何も知らないトウリちゃん」

────そしてこのゲールの小さな『ガーバックへの抵抗』こそ。

のちにオースティンの命運を、大きく変える人事になったのだった。