軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

失敗と疑惑

ひんやりと気持ちいい。

おでこにのせられたひんやりするものは、ハンカチだとわかった。

目を開く。

見慣れた我が家の天井だ。

「ああ、よかった」

パトレアの声。

視界に、笑顔の彼女が現れる。

起き上がろうとした時、右肩の痛みに固まった。

「いった……痛い」

「無理は駄目です。ヴィクトルさんが診てくれて、ヌリさんが外れていたのを戻してくれていますけど、筋肉の炎症もあるし、しばらくはお休みですよ」

「……商売あがったりだ……て、なんであんたが俺の家に?」

「運んだのだ」

男の声だ。

視線を転じると、寝室の入り口に背の高いイケメンがいた。貴族の子弟かと思われる容姿の青年は、二十代中ごろから後半に見える。白いシャツに黒い上着、ズボンも黒い革製のものだ。

金持ちっぽい。

「ズボニール・ザヴィッチだ。よろしく」

え? 大司教?

「君にはパトレアが世話になった。安い報酬で無理をさせたと彼女が私に言うものだから、ギルドを通して君、他の傭兵たちにも追加金を払っておいたよ」

「助かるよ……」

「なに、礼を言うのはこちらだ。それに、こちらの司祭の愚かな心と行いで迷惑をかけた……また改めて話をしたいが、今は退散しよう……パトレア、彼が回復するまで君は世話をするように」

「はい」

「いえ、いらないよ。一人で……」

大司教が去ったと同時に、思い出したように尿意に襲われた。

ずっと寝ていたらしいから無理も……。

気になることを質問した。

「あのさ……俺、何日寝ていた?」

「丸一日です」

一日か……。

起き上がろうとすると、パトレアに止められる。

「駄目です」

「……小便がしたい」

「ああ、それならこれで」

尿瓶を見せられた。

「いや、さすがに遠慮する」

「教団では負傷した人のお手伝いをしていたことがあります。慣れていますので」

「いや、されたくないんだよ」

「大丈夫です。眠っている時に漏らされたから、すでに何度か処理をしていますので照れることはありませんよ。それにこれは恥ずかしいことではありません」

!!!!!!

??????

!?!?!?

「……漏らし……てた?」

「寝ながら……でも、恥ではありません。当然のことです。生きているんです」

ショックだ……。

うなだれると、ガシっと抱きしめられた。

「いたたた」

肩が痛い。

「ごめんなさい」

彼女は少し力を弛めて、俺の左肩に顎をのせると、耳元で優しい声を出す。

「エリオット……守ってくださってありがとうございます……助けてくれてありがとう」

「いや、最後はカミラが……」

「エリオット……ズボン、脱いでください。尿瓶を持っているので、こうしているとわたしに見られないから恥ずかしくないでしょう?」

……。

俺は尿意と同時に沸き上がる性欲に困る……。

「ちょっと……離れてくれ」

「大丈夫です。慣れていますから……ここが入り口ですよ……あれ? なんだか大きさが……」

やめてくれ!

本当に一人で大丈夫だ……ああ……もうだめ……。

尿意は我慢の限界を迎え、俺は自分のベッドの上で放尿してしまった……。

-Elliott-

十月十日。

ヌリもオメガも軽傷で済んで、なんだかんだと俺の右肩がいちばん長引いている気がする。

夕刻の支部には信徒はおらず、ヴィクトルも帰宅前の時間を利用して俺の具合を診てくれた。

炎症がまだあるので無理はするなと言われた。

安い報酬で怪我をしていたら割にあわない。

ただ、ザヴィッチ大司教が言っていたことは本当で、俺はヌリから結構な額を渡された。

三十万リーグ!

しかしながら、あの 神使(アンジェル) が相手だったのだから、倍以上でもいいのではないかという不満もある。

そんなことを思いながら、大司教の秘書だという長身の美人に案内されて、二階の応接室へ入った。

ザヴィッチ大司教が笑みを浮かべる。

「来てもらって悪かったね。彼女は秘書のジャンヌ」

「初めまして。もうパトレアとキスくらいはした?」

「……するわけがない」

俺は長椅子にどかりと座り、キスどころか小便をかけてしまったとは言わずに口を閉じる。

あの時は、さすがに申し訳ないことをしたから平謝りした。

彼女は怒らず、呆れず、掃除も洗濯も文句をいわずにしてくれた……。

感謝している。

「あら、あの娘が貴方をとても褒めるから、そういう関係なのかと思ったのだけれど」

黒い長髪を指でくるくるとしながら妖しい声を出す彼女を、ザヴィッチ大司教は「出ていってくれていい。用があったら呼ぶ」と言って室から追い出す。

「すまないね。悪い女性ではないんだ」

「用件は?」

「墳墓での出来事は他言無用で願いたい」

「もちろん、そのつもりだ。 神使(アンジェル) に襲われましたなんて、言った俺の頭が狂ってると思われる」

「……口外すると、教団として君を異端者にしなければならなくなる。恩人に対してそういうことはしたくない」

「教えてくれないか? 主神(アロセル) は本当に……なんというか、神なのか?」

ザヴィッチ大司教は無表情で立ちあがると、応接室の棚に置いてあった酒瓶を取り、グラスをふたつ、卓上に置いた。そして酒をそれぞれに注ぐと、俺が手を伸ばす前にさっさとひとつを掴み、一口で飲む。

二杯目を注ぐ大司教を眺めながら、注がれた酒を飲むと強い酒だとわかった。

「私は酔ったようだ……だからこれは酔っ払いが話すことだ」

「俺も酔った。酔いがさめたら忘れてるだろう」

大司教は目配せで感謝を伝えてきた。

「 主神(アロセル) の声を聞いたという最初の人間は、 神使(アンジェル) に誘われてその場所に立ったと言われている。彼は 主神(アロセル) から、世界の真理を告げられた。彼はこれを世に広めようとして、人々に語り続けた……」

「最初の男……ジェラルドだな?」

「そうだ。そして、次に 主神(アロセル) の言葉を、 神使(アンジェル) を通して聞いた男がいた。彼は父親が誰かわからない生まれで、母親は娼婦であったと言われているが、 主神(アロセル) に我が子だと認知されたことを周囲に話し、 主神(アロセル) の教えを広めようと語り続け、数々の奇跡をおこしてみせた……魔法の始まりだ……だが、どうして魔法なのか、考えたことはあるかい?」

「……ない」

「神に与えられた聖なる力であるなら、神聖魔法の正式な名称である聖法と呼ぶべきだ……しかし、魔の法だ。つまり、そういうことなのだ」

「……大司教猊下のお言葉ながら、にわかには信じられない。これでも俺はけっこうな経験をしてきている――」

前世から数えると、五十年以上は生きているんだ。

「――が、どうして魔を授けられて、神と認識するんだ?」

「これは教団内では禁忌なので、誰も研究調査をしていないからわからないが、その頃の人々が崇めていた相手というのは、現代でいう神とはまた違うものではないかと私は考える。しかしながら、今となっては同一だ。あらゆる書物で、区別がされていないのだから……問題は、君たちがそれを見てしまい、戦ってしまって、勝ってしまったことにある」

「……負けて死ねって?」

「いやいや、そんなことは思っていない。問題なのは、 神使(アンジェル) であっても人に負けるってことだ」

「……あんたは知ってるだろうが、あれはカミラがやったことだ」

「……やはり彼女か」

「パトレアとカミラ、あんたはどうして彼女が二人の人格をもっているのか知っているか?」

「彼女の個人的事情があるので話すことはしない。ただ、君はパトレアとカミラ、と言ったから訂正しておこう。カミラとパトレアだ」

「……?」

「主人格はカミラだ」

そういうことか……。

だからパトレアは、カミラである時の記憶がないのだ。

彼は続ける。

「ともかく、私は魔と神の違いなど関係ない。教団はこれからも 主神(アロセル) の教えを説き、信仰のために存在する組織でなければならない。それはつまり保守的であるべきだ」

「よくわかったよ。俺も別にあんたらにケチをつけたいわけじゃない。俺はただの傭兵だか――」

「調べた。クリムゾンディブロ……赤い悪魔と呼ばれる君は、剣技や体裁きだけでなく、魔法の才能に長けているそうだね? しばらくグーリットに?」

「俺はここの市民なんだ」

「傭兵にしては珍しい」

「よく言われる」

「どうして傭兵に?」

「……気付いたらなっていた」

大司教は笑うと、酒を飲み干して真面目な顔をつくって言う。

「ネレス・デスト……今、あらゆる手を使って捜索している。魔竜にご執心なので遠くには行っていないはずだ。それに、彼が奴隷を買った商会、いろいろと危ないことをしていた証拠も出てきて、警備連隊の事件捜査担当が動いていることも私のところに届いてきた。こちらでも繋がるかもしれない……ネレスを見つけ次第、倒す。手を貸してもらいたい」

「傷が癒えないと無理だし……報酬はちゃんともらう」

「もちろんだとも……東の戦場、長引いているから君頼みだ」

「あんたらも国家間の対立に興味あるんだな?」

「もちろん、お金が動くからね」

俺は、この世界でも信仰は金儲けに利用されていると知って笑うしかなかった。

ザヴィッチ大司教は空となったグラスに酒を注ぎ、言葉を続ける。

「ヴィクトルが最初、私がいるミラーノの地区本部へ告発する書類を送ってきた時、まさかここまで面倒なことになるとは思ってもみなかった……反省だよ」

「いや、パトレアを寄越したのは正解だった。普通の調査員では駄目だったと思う」

「まぁ……流用した金で 屍術(ネクロマンシー) の研究をしているという告発の内容だった……」

大司教が言葉を止めた。

俺は、口にグラスを運ぼうとしていた所作を止めている。

二人で沈黙し、ザヴィッチ大司教の言葉を俺は脳内で反芻する。彼もきっと、自分の発言の意味を考えているに違いない。

俺が尋ねた。

「彼はどうして、ネレスが研究しているものが 屍術(ネクロマンシー) だとわかった?」

「……彼は教団に入って長いから知識はあっただろう……聖法、邪法、魔法に関して自分で学習をしていたと聞いて……待て」

ザヴィッチ大司教は悩むような表情で口を開く。

「だが彼は協力的だ……邪法の方法など、 屍術(ネクロマンシー) を読んだことがあるなら知っているし、私もそうだ……どこで読んだ?」

俺はあの日、初めてこの支部へ来た時のことを思い出した。

「祭壇の下、地下室は何がある?」

「道具や資料をしまっておく倉庫だ。行ってみよう」

俺たちは同時に腰をうかし、応接室を出た。