軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

目に見えぬ渇望

災淵世界イーヴェゼイノ。災亀内部。

水のスクリーンに反応があり、イザークがピクリと眉を動かす。

イーヴェゼイノを覆う暗雲めがけ、光の矢が放たれていた。それは次々と雲に突き刺さり、災淵世界の護りを削いでいく。

「ハイフォリアさんがいらしたみたいね」

ナーガが水のスクリーンを切り替える。

銀泡の外に、ハイフォリアの銀水船がずらりと並び、狩猟貴族たちが矢を放っている。

彼女は、船団の中央に位置する船に魔眼を向けた。

「この船は、叡爵さんね。五聖爵最強の狩人をよこすなんて、約束を守るつもりはないって言ってるようなものじゃない?」

災人の意見を窺うように、ナーガが言う。

「息子の命令だろ」

ハイフォリアの船団を一瞥し、イザークは興味をなくしたようにそっぽを向いた。

「入ってくる勇気はねえ」

「目の前に餌があって、うちの住人たちの押さえが利くかしらね」

ナーガに背を向けたまま、災人は他人事のように言った。

「行きたきゃ行きゃあいい」

「あちらの目的は恐らく、イーヴェゼイノがハイフォリアに喰らいつく前に、あたしたちを狩り場に誘い込むことよ」

彼女はそう忠告する。

「災人さんなら、幻獣でも幻魔族でも止められるでしょう?」

「てめえでやんな」

ナーガがムッとした気配を漂わせつつも、笑顔でイザークに迫った。

「放っておいたら、ボボンガとコーストリアだって飛び出すわよ。止めないんだったら、今すぐ叡爵さんを滅ぼしてくれないかしらね」

「何度も言わせんな。やりてえ奴がやりゃいい」

「災人さんはイーヴェゼイノをどうしたいのかしら?」

とりつく島もないイザークに、ナーガは食い下がる。

「面倒くせえ女だな」

気怠げにイザークが言うと、その体からどっと冷気が溢れ、ナーガの車椅子を凍てつかせる。彼女は反魔法を使い、その冷気を振り払った。

「食らいたきゃ食らえ、怖けりゃ逃げろ。オレを動かしたけりゃ、力尽くでやりゃいい。その凶暴な脚は飾りかよ?」

「あたしが災人さんに勝てるわけないわよね?」

「理屈は聞いてねえ。てめえの渇望はなんて言ってんだ?」

肉食獣のような魔眼が、ぎろりとナーガを睨む。

諦めたように、彼女は深くため息をついた。

「……アノスの相手だけは、ちゃんとしていてちょうだいね」

釘を刺すように言って、彼女は< 転移(ガトム) >を使った。

ガルンゼストを追い払うか、幻獣たちを押さえるつもりだろう。

「なぜ動かぬ?」

災人へ俺は問う。

「しち面倒くせえ」

こちらに視線を向けもせず、イザークは言った。

ただぼんやりと水のスクリーンを見続けている彼に、俺は再び問う。

「オルドフが真の虹路を見つけてくると思っているのか?」

興味を引かれたように、イザークは俺を振り向く。

牙を見せて、奴は笑った。

「見つかったのかよ?」

瞬時に状況を察したか、災人はそう俺に問い返した。

遊び相手がようやく来るのだと聞いたような無邪気な声で。

「オルドフは来られぬ」

奴は笑みを携えたままだ。

しかし、どこか、その表情からは寂しさが感じられた。

「滅びんのか?」

「もって三日だ」

真顔になり、災人はしばらく口を閉ざした。

オルドフの死に、いかなる想いが去来したか、長い沈黙がひたすらに続く。

水のスクリーンには、銀水船に向かって災淵世界から飛び出していく災亀が映っている。

コーストリアや幻獣、幻魔族たちが甲羅の上に乗っていた。

「奴は来るぜ」

まるで独り言のように、災人は言った。

「それぐらいで諦めるようなタマじゃねえ。あの大馬鹿野郎はよ」

オルドフは最早動けぬ。

自分の口で喋ることさえ、至難の業だろう。

知らずとも、もって三日と聞いたならば、それに近しい容態であることは予想がつくはずだ。

この男が理解していないわけもあるまい。

だが奴は、それでもオルドフを待っているのだ。

どんな奇跡を起こしてでも、彼は来る。

イザークの揺るぎない瞳からは、そんな想いがひしひしと感じられる。

覚えがあるような気がした。

かつて、敵であった男を信じて待ち続けたことが俺にもあった。

「イザーク」

声をかけたその瞬間、災亀が激しく振動した。

激しい水流に揺さぶられているかのように、揺れはなかなか収まらない。

水のスクリーンを見れば、不定形な泥の塊のようなものが、水底から水上へ向かい、次々と浮上していた。

それらは皆、水面の氷をすり抜け、上空へ飛翔していく。

幻獣たちだ。

狩猟貴族――すなわち餌食霊杯が銀泡のそばにずっといるため、渇望に駆られて飛び出してきたのだろう。

それだけではない。

幻獣が起こす水流だけならば、災亀もすぐに対応するだろう。

現に魔法障壁が強化され、途中から水の干渉をほぼ遮断している。にもかかわらず、災亀はまだ揺れている。

いや、これは……災亀が揺れているのではない。

「……イーヴェゼイノが加速したか」

「餌食霊杯をぶら下げられて、我慢できなくなっちまったんじゃねえの」

くくく、と喉を鳴らしてイザークが笑う。

みるみるイーヴェゼイノは速度を上げている。

この分では、想定よりも早くハイフォリアに到着するだろう。

「ふむ」

幻獣たちは餌食霊杯である狩猟貴族に釣られ、飛び出していった。

そして、この災淵世界イーヴェゼイノもまた狩猟貴族らに飛びつくように、勢いを加速させている。

「この銀泡は一匹の獣だと言ったな?」

「それがどうした?」

「イーヴェゼイノが幻獣の本能を持っているなら、それはどこにある?」

イザークは答えない。

俺は言った。

「<渇望の災淵>だ」

「わかってんじゃねえか」

つまり、少なくとも<渇望の災淵>を滅ぼしてしまえばイーヴェゼイノは止まる。

「いいぜ。オレの前でそれがやれんならな」

災人は言う。

「渇望をなくした幻獣がどうなるかはわかんだろ」

噂と伝承が消えれば、精霊は滅びる。

そして幻獣は、精霊に似た生き物だ。

渇望をなくしたならば、幻獣は滅びるだろう。

ならば、<渇望の災淵>を滅ぼしたなら、イーヴェゼイノも無事にはすむまい。

「滅ぼさずとも止める手段はあるやもしれぬ」

「この世界が止まりてえと言ったか?」

「さて、それを聞くために、まず災淵世界と対話せぬことにはな」

は、と災人は笑い飛ばす。

「わかってんだろ。オレが災淵世界だ」

「そうは思えぬ」

虚を突かれたように、災人が目を丸くする。

「お前はオルドフを待っている。お前が渇望のままに生きているならば、このイーヴェゼイノがそれに反し、ハイフォリアを喰らおうとしているのは疑問だな」

ハイフォリアの主神、祝聖天主エイフェは自らの秩序と心が乖離していると言った。それと似たことがイーヴェゼイノで起きていたとて不思議はない。

ならば、その原因があるはずだ。

「イザーク。この世界の渇望は、本当に余さずお前のものか?」

「喉から手が出るぐれえ欲しい 物(もん) を、同時にぶっ壊してえと思うときもあんだろ」

冷気を吐きながら、イザークは言う。

「てめえは、てめえの渇望が思い通りになると思ってんのか?」

「ならぬ」

心は常に混沌とし、頭で考えたようには動かぬものだ。

理不尽を砕き、平和を欲し、愛を尊いと思うことさえ、意のままに操れるようなものではない。

「だが、それでも――いや、だからこそ、お前とは別のなにかが、この災淵世界を動かしていないとは言い切れぬ」

渇望が思い通りにはならないものだからこそ、それのみを抱えたイザークには盲点となる。

「オレが聖剣世界を滅ぼさねえと思ってるならおめでてえがなぁ」

「そのときが来れば滅ぼすだろう」

真顔の災人へ俺は言う。

「だが、今のお前がハイフォリアを喰らう渇望に突き動かされているとは思えぬ」

「理由になってねえ」

殺気だった視線で、イザークが俺を睨む。

「イーヴェゼイノの中は、黒穹から<渇望の災淵>の底まで知ってる。生まれたときからな。んなもんがあるとして、てめえなら探せんのか?」

その問いに、俺は答えた。

「真の虹路も目に見えぬ」

奴の獰猛な眼光が、俺に突き刺さる。

「この災淵世界に目には見えぬ渇望があったとて不思議はあるまい」

「いいぜ。案内してやるよ」

牙を覗かせ、災人は言った。

「真の虹路が見つかった後にな」

座ったまま、災人と俺は視線の火花を散らす。

言わんとすることは、よく理解できた。

「オルドフは来られぬ」

「来ると言ったはずだぜ」

奴が俺に指を向ける。

すると、そこに蒼き魔法陣が描かれ、膨大な魔力が集中した。

溢れ出す蒼き冷気によって、部屋中がたちまち凍てついていく。

「根拠はあるまい」

「話は終わりだ。探してえなら、喋ってねえで力尽くでやりゃいい。てめえの渇望はなんて言ってんだ?」

災人は獰猛な笑みを覗かせる。

「――ふむ。仕方あるまい」

指先を軽く捻れば、黒き粒子が螺旋を描く。

放たれた黒き火種が、ゆらゆらと災人へ向かう。

「遠慮なく探させてもらおう」

奴の指先に触れた瞬間、終末の火、< 極獄界滅灰燼魔砲(エギル・グローネ・アングドロア) >が牙を剥き、そしてその場の一切が炎上した――