軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

いと遠き日の誓い

それは、若き日のオルドフの記憶。

歴史の裏側に秘められた、遠い日の誓い――

「引けぇ、引くのだっ!!」

銀水聖海。

数十隻の銀水船が、帆をいっぱいに張り、全速力で疾走している。

聖エウロピアネスの祝福により、イーヴェゼイノの秩序を塗り替えようとしたハイフォリアの船団はあえなく撃退された。

どこまでも追ってくる災人イザークを背にしながら、彼らは絶望的なまでの撤退戦を強いられていた。

強大な力を誇る獣の王。不眠不休で獲物を追い回そうと疲れを見せず、その魔力が衰える気配すらない。

まるで巨大な災害が降りかかったかのように、多くの船が沈み、多くの同胞が死んだ。

それでも、必死の撤退を続けた狩猟貴族たちは、命からがらハイフォリアの領海まで帰ってきた。

「すでに祝聖天主エイフェはハイフォリアに帰還なされた!」

当時の叡爵アルフォンスが銀水船から指示を出す。

「銀泡の中まで引けば、災人とて迂闊に追っては来られ――」

「――災人接近っ!!」

銀海に魔眼を凝らしていた部下から、報告が上がった。

叡爵は冷静に部隊を指揮する。

「砲撃準備、弓を構えよ!」

銀水船の砲門に魔法陣が描かれ、狩猟貴族たちは弓に矢を番える。

「放てっ!」

「「「< 聖葉矢弾狩猟場(アジス・フレイヤ) >!!」」」

数十隻の銀水船から、光の葉が無数に舞う。

周囲に広がっていくその木の葉は、狩人たちのテリトリーを作り上げていく。

同時に放たれた矢と魔法砲撃は、祝福を受け加速し、追ってきた幻魔族の群れに降り注いだ。

だが――

「 温(ぬり) い」

気怠げに響いた声とともに、無数の 矢弾(やだま) が一瞬にして凍りついた。

「< 災冷寒獄(ペイズ) >」

イザークの体から冷気が溢れ出し、銀水船がみるみる凍てついていく。

帆が凍結し、後退する速度ががくんと半減した。

「火を放てっ! 氷を溶かすのだっ!」

「 遅(おせ) え」

アルフォンス叡爵は表情を険しくする。

彼の目の前で、凍りついた船が粉々に四散した。災人によって蹴り砕かれたのだ。

奴はそのまままっすぐ船を貫通すると、また別の船を落とす。今度は反動で跳ね返り、

二隻を破壊した。

まるでボールのように跳ね回り、災人は次々と銀水船を大破させていく。

「まだだっ!」

声を張り上げ、アルフォンスは部隊を鼓舞する。

「離脱した狩人たちを回収せよ! 必ずや聖王陛下が滅びの獅子を倒して駆けつける。それまで――」

「 甘(あめ) えな」

「な――」

一瞬の出来事だった。アルフォンス叡爵の至近距離に、獰猛な笑みを浮かべる災人の顔があった。

「 五聖爵(おなかま) が全員やられたわりに、頑張ったじゃねえの」

「……ご……はっ……」

叡爵の口から、血が吐き出される。

青き< 災牙氷掌(ガルムンク) >の手が、叡爵の体を抉っていた。

災人から溢れ出した冷気により、船はたちまち凍りつき、船内にいた狩人たちが氷像と化す。

「あばよ」

叡爵は災人の腕をつかむ。

「……貴様も道連れだ、災人。この至近距離では逃れられんぞ」

その体から、根源爆発の光が漏れ始める。未来の可能性を閉ざすことで、根源が有する全魔力をかき集めているのだ。

その様子を、災人イザークは冷めた 魔眼(め) で見つめた。

「それでなにが残んだ、てめえに」

「死ぬのが怖いか、災人。これが我が名誉、これこそ我が虹路っ! 天に代わり、我が正義の誅を下す! 滅べい、獣の王っ!!」

アルフォンスの魔力が爆発的に膨れ上がる。

「< 祝聖根源光滅爆(アギラ・ガヴエル) >ッ!!!」

一気に光が弾けた――が、しかし、それが真っ二つに切断される。

明滅していた光が弱まっていき、< 祝聖根源光滅爆(アギラ・ガヴエル) >が強制的に止まった。

その魔法が有する宿命が、断ち切られたのだ。

「……聖王……陛……下…………」

現われたのは、霊神人剣を携えた聖王オルドフである。

「我が同胞を放せ、イザーク」

「よう」

イザークは軽くアルフォンス叡爵の体を持ち上げ、船の外へ放り捨てた。

「待ってたぜ、オッサン」

オルドフは、まっすぐ災人に正対する。

イザークがなにかに気がついたように、オルドフの左腕に視線をやった。

ズタズタに引き裂かれ、血で真っ赤に染まっている。

回復魔法を働かせているが、効果も薄いようだ。

ちっ、と災人が舌打ちする。

「滅びの獅子がつけた爪痕はすぐには治らねえ。オレとやるには、腕一本じゃ足りねえのはわかってんだろ」

無造作に災人が距離を詰めていく。

「船団は壊滅。五聖爵は虫の息。頼みの祝聖天主も、てめえを庇ってボロボロだ」

至近距離で立ち止まり、その獰猛な顔を近づけた。

「で? 今日はどんな奇跡を起こすんだ?」

「私の負けだ」

イザークの表情に、苛立ちが混ざる。

「この首を持っていくがいい。それでこの場は引いてくれ」

「おめでてえ。んな約束を守ると思ってんのか? てめえは滅び、祝聖天主は滅び、ハイフォリアは哀れに滅びる」

牙を覗かせ、災人は笑う。

だが、オルドフの瞳に迷いはなかった。

「戦って滅びな。狩人らしくな」

「なぜ獣を狩らねばならぬのか、私は考え続けてきた」

災人は無言だ。

ただオルドフを睨んでいる。

「獣と相対するとき、我が前にはいつも虹路が見える。燦然と輝く人の良心、その正しき道が」

聞き飽きたといった顔をしながらも、災人は無防備なオルドフを殺そうとはしない。

「戦い続けてきた」

オルドフは背を向けた。

災人は、襲いかかろうとはしない。

ただゆるりと歩いていく聖王の姿を眺めていた。

「この良心に従い、獣を狩り続けてきた。獣は我らを食らい、銀水聖海に大災をもたらす。言葉を交わせども話は通じず、ただ狩ることだけが彼らへの祝福。その正しき道を私はまっすぐ邁進した」

彼は振り返り、再び災人と正対した。

そうして、霊神人剣を逆手に持ち替える。

「だが、獣を狩る度に心にはしこりが残った」

彼から魔力が発せられれば、災人へ向かう輝く虹路が現われる。

戦え、と。

獣を狩れと訴えるように、燦然と煌めいている。

その純白の道に、オルドフは聖剣を突き刺した。

「この良心は、本当に私のものか?」

まっすぐ彼は問いかける。

他でもない、宿敵たる獣の王に。

「イザーク。私が歩んできた道は、本当に正しかったのか?」

冷たい息を吐き、イザークは言った。

「くだらねえ。今更、泣き言でも言いてえのか」

「いいや、ようやく気がついた。ゆえに確かめるのだ」

オルドフは戦意に満ちた表情を向ける。

「この首を持っていけ、イザーク。これが私の戦いだ。狩猟貴族の誇りにかけ、最期まで真に正しき道を探したい」

「つまんねえな、オッサン。最後の最後でそれかよ。期待外れもいいとこだ」

災人はそう吐き捨てた。

抵抗しない獲物に、価値はないと言わんばかりだ。

「大体てめえが死んで、誰が確かめんだ?」

すると、オルドフは笑った。

「我が目の前に、相応しき者が立っている」

イザークは閉口した。

「貴様が自分は、獣ではないと悟ったなら私の勝ちだ」

災人は動かない。

オルドフの言葉を一蹴することなく、ただじっと考えていた。

「……おい」

乱暴な口調で災人は問う。

「なにに気がついたって?」

オルドフの言葉に興味を覚えたように、災人はそう問うた。

「――イーヴェゼイノの鳴動だ」

オルドフははっきりと答えた。

「恐らく災淵世界はハイフォリアを食らおうと動き始めるだろう。イーヴェゼイノと一体化している<渇望の災淵>こそがその元凶。幻獣や幻魔族たちは、災淵によって己の渇望を狂わせてしまう。災淵世界もまた然り。我々は聖エウロピアネスの祝福により、その渇望を鎮めようと試みた。だが――」

静かに息を吸い、彼は言った。

「私は、疑問に思ったのだ。渇望を鎮められるほどの祝福が祝聖天主にあるならば、我々狩猟貴族にも獣と同じ力が働いているのではないか?」

長年感じ続けてきた心のしこりが、疑念に変わったと言わんばかりに、オルドフは問いかける。

自らに、そして眼前に立つ宿敵に。

「獣の渇望は悪しき本能、狩人の理性は正しき良心。誰が決めた?」

再びオルドフは問う。

自らの心に、答えを探すように。

「今、ここにいる私の理性は、本当に私のものなのか。それを確かめることこそが、真の虹路を行くということ」

曇りのないまっすぐな瞳で、彼は災人を見据えた。

「イザーク」

名を呼んで、彼は更に問いを重ねた。

「今、ここにいるお前の渇望は、本当にお前自身のものか?」

は、とその言葉を災人は軽く笑い飛ばす。

「オレの渇望は、オレのもんに決まってんだろ」

イザークの全身から冷気が漂う。

それは、船一帯を飲み込み、周囲の銀海にまで広がった。

「だが」

彼はニヤリと笑う。

これまでの獰猛な笑みとは違い、それはひどく無邪気に思えた。

「真の虹路ってのは 面白(おもしれ) え。お前たち狩人が気が遠くなるほど 長(なげ) え間、間違え続けてきたってことだ」

災人の体が白く凍てつき、その秩序と魔力さえも凍り始めた。

「なにをしている?」

「寝んだよ。 眠(ねみ) い」

僅かにオルドフは目を丸くする。

「オレが眠りゃ、イーヴェゼイノも止まんだろ。真の虹路ってもんが本当にあんなら、その間にハイフォリアを変えてみな」

獰猛に笑い、イザークは牙を覗かせた。

「 目(め) ぇ覚めたら、会いに行くぜ。てめえが間違ってれば、今日の続きだ」

「正しければどうするのだ?」

くくっ、と災人の口から笑声がこぼれた。

「こないだ、うちで最高の酒を、最高の樽に仕込んだ。起きる頃にゃ、いい具合に仕上がってんぜ」

「私は下戸だ」

氷柱が完成し、漂う冷気から声が響いた。

「――呑め。大馬鹿野郎が」