作品タイトル不明
パブロヘタラの法
義眼(め) を見開き、苦しげな呼吸を繰り返しながら、コーストリアは自らの胸に突き刺さったヴェヌズドノアをじっと見つめている。
「契約通り、話してもらうぞ」
こちらに顔を向けもしない彼女に、構わず問うた。
「災禍の淵姫とはなんだ?」
コーストリアは悔しそうに唇を噛む。
そうして、ぼそっと呟いた。
「……なんで……手加減したの……?」
ゆっくりと顔を上げ、コーストリアは恨めしそうに俺を睨んだ。
「根源に刺せばよかった。刺して」
「なにを自暴自棄になっているか知らぬが、お前の命になど興味はない」
すると、彼女は嗜虐的な笑みを見せ、言った。
「それなら、命を押しつけてやる。絶対、君の思い通りにはならない」
コーストリアは日傘を握り、先程交わした< 契約(ゼクト) >の魔法陣へ向け、突き刺した。
「< 契約(ゼクト) >を破棄する」
魔法陣に亀裂が入り、そして粉々に砕け散る。
「……っ………………!!」
奴は糸の切れた人形のように頭から倒れた。
魔法陣と同様に、その体にも亀裂が入り、根源が崩壊を始める。
< 契約(ゼクト) >に背いたため、その根源が自らを罰し、命を終わらせようとしているのだ。
彼女は床に手をつき、最後の力を振り絞るようにまた俺に顔を向けた。
禍々しい滅びの魔力が、彼女の義眼からこぼれ落ち、そのガラス玉にも亀裂が入った。
「私は滅びる。君は災禍の淵姫のことがわからない」
一矢報いたとばかりに、コーストリアは微笑む。
「私の勝ち――」
コーストリアの体が粉々に砕け散る。
頭のおかしな女だ。
滅びを選択してまで、こんなに安い勝利が欲しいとはな。
「< 根源再生(アグロネムト) >」
粉々に砕け散った彼女が、逆再生されるかのように元通りになった。
「……………………え……?」
なにが起きたのかわからぬといった風に、コーストリアは呆然としている。
彼女の根源と紐づけられている< 契約(ゼクト) >の魔法陣も、また破棄する前の状態へ戻った。
「……どうして…………?」
「契約を破棄すれば、守らなくてもよいと思ったか」
俺はしゃがみ、コーストリアの目の前で優しく告げる。
「選択肢を二つやろう。今すぐ話すか、俺に屈服させられた後、靴を舐めながら惨めに白状するかだ」
屈辱を味わうかのように、彼女は表情を歪める。
< 契約(ゼクト) >を交わした以上、逃れることはできぬ。
たとえ滅びようとも、< 根源再生(アグロネムト) >にて蘇らせる。延々と苦痛を繰り返すのみだ。
いかに頭のおかしなこの女とて、そこまで無為なことはできまい。
コーストリアは奥歯をぎりぎりと噛みながら、吐き捨てるように言った。
「……イーヴェゼイノには、< 淵(ふち) >がある。< 渇望(かつぼう) の 災淵(さいえん) >が……」
「それで?」
「<渇望の災淵>には、渇望が集まり、災厄が生まれる。 昏(くら) く、淀んだ、その底の底の、遙か底。なにより深き深淵で、あらゆる災いが溶けて混ざり、一つになっている」
瞳を閉じたまま、コーストリアは説明を続ける。
「それは、滅びの災厄と呼ばれる。誰もその全貌を見たことがない。<渇望の災淵>に渦巻く濃密な災いが、侵入する者を蝕み、滅ぼしてしまう。深淵には、未だ誰も到達したことがない。外からは」
事実を突きつけるように彼女は言った。
「深淵の内側に、唯一つながっている者の名が、災禍の淵姫」
母さんが<渇望の災淵>につながっている、か。
とはいえ、母さんの根源の深淵を覗いても、特になんの魔力も感じられなかった。滅びの災厄と呼ばれるほどの代物ならば、抑えていようとも力が見えそうなものだ。
「具体的にどうつながっている?」
「子宮だよ」
嫌悪をあらわにしながら、彼女は言う。
「彼女の胎内が、<渇望の災淵>に続いている。正確にはつながるんだよ。その子供を、アーツェノンの滅びの獅子を孕むときに」
それで今は見えぬというわけか。
「転生してもか?」
ミリティア世界以外では< 転生(シリカ) >は使えぬ。銀水聖海における転生は、ほぼ新生に等しいはずだ。
二千年前、ルナと呼ばれた前世ならばともかく、今の母さんは自ら魔力も操れぬただの人間だ。
今世で、俺を産んだときにも<渇望の災淵>とやらにつながったようには見えなかった。
とはいえ、胎内で命が生じる前につながり、その後は消えるのだとすれば、俺には知覚できぬ。
「災禍の淵姫が、彼女の渇望がそれを成した。今、別人かどうかは関係ない。彼女はそういう幻獣に魅入られてしまったんだよ」
「幻獣とは?」
「< 契約(ゼクト) >は、災禍の淵姫についてだけ」
やり返してやったとばかりに、コーストリアはすました表情を向けてきた。
「なぜ母さんを狙った?」
「教えない」
< 契約(ゼクト) >で定めたのは、災禍の淵姫がなんなのか、という質問に答えることのみだ。
母さんを狙った理由については、その範疇にない。
「お前の胸に、理滅剣が刺さったままなのを忘れたわけではあるまい」
その柄へ、ゆるりと手を伸ばす。
「それ以上はお勧めしない」
後ろから、低く重たい声が響いた。
「やめておいた方が得策だと思うね。ミリティアの元首アノス」
手を止め、立ち上がって見れば、そこに二人の男が立っていた。
一人は、霊神人剣を取り返しにミリティア世界へやってきた聖剣世界の伯爵、バルツァロンド。
そして、もう一人は煌びやかな装束と白い鎧を纏った男だ。
金の刺繍が入った上質なマント。肩には剣の紋章があった。
狩猟義塾院の者だ。
バルツァロンドが控えるように立っているということは、奴よりも格上か。
「私はレブラハルド・ハインリエル。聖剣世界ハイフォリアを治める元首、聖王だ」
バルツァロンドを伴い、ゆっくりと奴はこちらへ歩いてくる。
教壇に上がり、俺の前で聖王レブラハルドは止まった。
「霊神人剣のことでは迷惑をかけた」
ふむ。少々意外だったな。
「十分に調べた結果、また泥棒呼ばわりされるものと思っていたが?」
「ハイフォリアの内部で、様々な行き違いがあった。すべては聖王である私の責、許せとは言わないが謝罪をしよう」
素直に非を認めるものだ。
「よい。それで? やめた方がいいというのは?」
俺は這いつくばっているコーストリアをちらりと見る。
「パブロヘタラの秩序に反する。途中までは授業の一環、そなたら二人の< 契約(ゼクト) >もほんの戯れと大目に見よう。しかし、そこから先は看過できない。学院間に発生した紛争は、銀水序列戦の結果において解決するというのはそなたも知っているはずだ」
「母の命が狙われていたとしてもか?」
「幻獣機関と魔王学院、両者がパブロヘタラに加盟した後にそれが起きた、というのなら、問題だ。我々、学院同盟すべてのね」
泰然と聖王は言った。
「あいにく加盟前の出来事でな」
「であれば、両者がパブロヘタラに入ったことで諍いはなくなった。彼女ら幻獣機関はそなたの母を狙うことはない。そなたも、それに備える必要はない。和解の成立だ。理解してもらえるね?」
本当にそうなら、過ぎたことは言わぬのだがな。
「ハイフォリアは、イーヴェゼイノと敵対していたと聞いたが、幻獣機関がパブロヘタラに加盟したことで、和解が成立したか?」
「勿論だとも。それがパブロヘタラの法だ。法は正義だ。守らなければならない。我々の感情はどうあれ、ね」
道理ではある。
「そなたが剣に手をかけていたら、オットルルーから警告があったはずだ。それ以上は、条約に則り処罰が下る、とね」
オットルルーを見ると、彼女は静かに口を開いた。
「戦意を放棄していただければ助かります、元首アノス。パブロヘタラの条約に反すれば、然るべき手続きに則り、ミリティア世界を処罰しなければなりません。それに応じていただかなければ、今度はパブロヘタラの武力をもっての対処が検討されます」
「今のところ気に入らぬのはイーヴェゼイノのみだ。他まで一緒に潰すつもりはない」
コーストリアに刺さっているヴェヌズドノアを消してやる。
「戦意の放棄を確認しました」
事務的にオットルルーは言い、次いで聖王を振り向いた。
「元首レブラハルド。本日、深層講堂を訪れる予定はありませんでした。なにかご用でしょうか?」
「一つ、大きな問題が起きてしまった。パブロヘタラの全学院に関係のあることだ」
穏やかな口調で聖王レブラハルドは言った。
「我ら聖上六学院が一角、 夢想世界(むそうせかい) フォールフォーラルが滅亡した」
誰もなにも言わなかった。
深層講堂は不気味なほどの静けさに包まれている。
突然のことすぎて、理解が及ばなかったのだろう。
ドネルドやリップ、ベルマスたちでさえ信じられないといった表情で、ただ絶句するばかりだ。
「確かですか?」
オットルルーが問う。
「念のため現地へ赴き、この 魔眼(め) で確認をした。それでも、信じたくはないね」
あまり狼狽した風でもなく、軽やかに聖王は言った。
「どの勢力の仕業でしょうか?」
「それがわからないのが大きな問題だ。今のところ手がかりは一つだけだよ」
レブラハルドは、球形黒板に魔力を送る。
映ったのは、シャボン玉が舞う幻想的な世界の光景だ。
夢想世界フォールフォーラルだろう。人々が穏やかに生活しているのが見える。
ふと、漂っていたシャボン玉が弾けた。
無数に舞うシャボン玉が悉く割れていき、最初は不思議そうに眺めていた人々が、次第に異変を覚え始める。
すべてのシャボン玉が黒き火に包まれ、彼らは絶叫した。
人々が燃えている。
次の瞬間、世界の一切が炎上した。
空も大地も海もあらゆるものが黒き灰燼へと帰し、そうして、その銀泡は弾けて消える。
「フォールフォーラルを滅亡に追いやった魔法は、奇しくも先の洗礼で行使された< 極獄界滅灰燼魔砲(エギル・グローネ・アングドロア) >だ」