軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

聖河の病

349話

カルファル公は安全のため、夜のうちにまた上流の都市ワジャルへと帰っていった。帰りは舟が使えないため、人狼隊が護衛していく。

護衛任務を終えて帰還したファーンが、俺に笑いかける。

「おもしろいおじさんだったね。あの人は頼りにしても良さそう?」

「ああ。彼が見た目通りの人物とは限らないが、少なくとも人間味はあるから交渉は巧いと思う。実際に会ったおかげで、彼のことを信用する気になれたよ」

直接会うというのは、交渉において確かに大事なことだな。

もしかすると、殺された国王もその感覚で俺に会いに来たのだろうか。

だとすればますます、彼のことが気の毒になってきた。

ザカルのほうは、傭兵たちをどんどん集めて傭兵隊の規模を拡大しているようだ。

すでにカルファル攻略前の四千人を遙かに越え、新兵たちを鍛え上げているという。

ザカルはカルファル公からぶんどった資産で、新兵たちに武具を支給しているらしい。

これから本気で一戦やらかすつもりのようだ。

俺はそんなことを考えながら、パガ爺さんの案内で川魚を釣っていた。

より正確に言えば、パガ爺さんが釣った魚に殺菌のまじないをかけていた。

「ほれ隊長さん、このまな板にも聖印が刻んであるじゃろ?」

「『カフィ・ナイメ』……たぶん『微かなる意志を以て命ずる、全て滅びよ』ぐらいの意味だな」

刻んであるのは魔術紋。呪文を回路のようにしたものだが、恐ろしく簡略化されている。たった二単語だけだ。

致死魔法を広範囲かつ微弱に放つよう作られているが、これじゃ虫一匹殺せないだろう。

ただし、菌やウィルスなら殺せそうだ。

なるほどな。

「パガさん、これ死の呪文を薄めたヤツだよ」

「そんな専門的なことを言われてもわからん。でな、清めの塩をひとつまみ取るじゃろ。あとはこう、パンッ、ペポンッ、プッポ!」

パガ爺さんが変な仕草で変な呪文を唱えている。あれは魔術的に無意味なので別に覚えなくても良さそうだ。

見た感じ、塩が触媒になって魔術紋を起動させているな。魔術師の俺にも、なんでそんな反応が起きるのかわからない。

わからないが、これは持ち帰って研究する価値がありそうだな。

「パガさん、これは誰が考えたんだろう?」

「いや、わしにもわからん。なんせ魚がよう腐るじゃろ、ひいひい爺さんの代にはもう、みんなこれをやっとったらしい」

酷暑な上に川の水がきれいとは言えないクウォールでは、殺菌のまじないは大活躍してきたことだろう。

誰かはわからないが、何もかもが極限まで簡略化されていて非常に効率がいい。

この殺菌まな板程度なら、入門したての見習い魔術師でも作れる。触媒もただの塩だし、本当の意味で触媒だから使い減りしない。

「素晴らしいな……本当に素晴らしい」

「じゃろう?」

たぶんお互い全く違う理由だと思うが、俺とパガ爺さんはまな板を見つめてニヤリと笑う。

だが俺はふと、川上を見つめる。

川を行き交う小舟のどれも、こちらにやってこない。パーカーは乗っていないようだ。

「それにしてもパーカーのやつ、遅いな」

今日こっちに来るっていうから、わざわざ待ってるのに。

いや、兄弟子も危険を感じて長らく潜伏していたのだ。

ザカルたち傭兵隊がいるカルファルに来るために、かなり警戒して慎重に向かってきているのだろう。

バカにしか見えないが、パーカーは俺なんかよりずっと頭がいい。

ひとまず魚釣りに興じているふりをしつつ、焦らずに待つことにしよう。

そう思っていたところに、豪華な舟がゆらりゆらりと流れてきた。

富裕層が川遊びで乗る舟だ。屋形船みたいな構造をしていて、建物部分は壁のない東屋風だ。船頭と護衛の戦士、それに楽士も乗っていた。

壁の代わりに薄い布で囲って天幕にしていて、中では誰かが楽しくやっているようだ。

若い女性の声が聞こえてくる。

「嫌ですわ、そんな御冗談を。いけません、およしになって」

誰だか知らないが楽しそうだな。

「はっはっは! 大丈夫、僕の弟もきっと気に入りますよ! なんせ彼は美人に目がないからね! 彼の奥さんはミラルディア一の美女だから!」

おい、ちょっと待て。

「もちろん僕も美人には目がないんですよ! ほらほら、眼窩が空っぽでしょう!?」

「まあ、本当に」

だからちょっと待て。

俺は少し離れた場所で釣りをしているジェリクたちに、ちらりと目配せした。

「あの船舶を拿捕しろ。撃沈しても構わん」

「おう、任せときな大将」

釣り竿を投げ捨てて、ジェリクたちが立ち上がった瞬間。

小舟はスッと向きを変えて、こちらに近づいてきた。

「これ借り物だから、せめて撃沈はしないでくれないかな?」

「あんたの態度次第だな」

手間かけさせやがって。

接岸した舟を見ると、乗っているのは全部骸骨だ。

華やかな衣装を着て弦楽器を鳴らす楽士も、弓と曲刀を携えた戦士も、笠を目深に被った船頭も、全員が骸骨だった。まるでハロウィンの水上パレードだ。

衣装で巧みに肌を隠しているので、これに気づくのは難しいだろう。

舟の喫水線を見ると、ちゃんと人数相応に沈み込んでいる。骸骨は軽いから、何かを積んでウェイトを調整しているようだ。

相変わらず芸が細かい。

骸骨船頭が舟を手際よく係留すると、天幕からクウォールの民族衣装を着たイケメンが顔を出す。幻術で生前の顔を作ったパーカーだ。

「やあヴァイト、元気にしてたかい?」

「あんたがいないおかげでな」

やれやれ、こいつの無事な顔を見るとほっとするな。

顔色や口調では健康状態がわからない兄弟子だが、だいたいの雰囲気で察しはつく。

危険な目に遭ったり、悪意に苦しめられたりはしなかったようだ。

「相変わらず君は素直じゃないね」

パーカーは舟から降り、それから背後を振り返った。

「アマニ殿、着きましたよ。彼がヴァイトです」

天幕から骸骨以外の顔が出てきた。

三十そこそこぐらいの女性だ。とても美人だが、手に赤い発疹がいくつもあった。

俺がそれを気にするより先に、女性は名乗る。

「キシュウンの子、アマニです。ワジャルの太守を任されております」

「ワジャル公!? これは大変失礼いたしました、ヴァイト・フォン・アインドルフです」

どうしてみんな、いきなり乗り込んでくるんだ。

ああそうか、お国柄か。

心臓に悪いお国柄だ。

カルファル公が言っていたが、クウォール人はあまり勤勉ではないので、大事なことを人任せにするととんでもない目に遭うという。使者が伝言を忘れたり、書状を紛失することも珍しくはないそうだ。

だから可能であれば、こうして本人が来る。

俺は近くにザカルの手下たちがいないことを確認しているので、川岸の木陰にアマニたちを案内する。クウォールでは木陰はちょっとした贅沢だ。

パーカーからワジャル公のことを聞こうと思っていたのに、いきなり本人が来てしまったので予定が狂った。

だが幸い、川岸に昼食の支度がしてある。

木陰ではパガ夫妻が釣ったばかりの魚を塩焼きにしていた。

味も食感もなかなかいいんだけど、あれ泥臭いんだよな……。

俺はまずパーカーを問いつめようと思ったが、目の前にワジャル公がいるのではそちらを優先しない訳にもいかない。

パーカーは涼しげな顔をしてメジレ河の水面など眺めている。

さてはこいつ、怒られるのが怖くてワジャル公も連れてきたな。

俺は内心で溜息をつきながら、ワジャル公に礼を述べる。

「アマニ殿、わざわざのお越しに感謝いたします。ぜひ一度、お会いしたいと思っておりました」

「ミラルディア魔王の伴侶であらせられるヴァイト様がお越しになっているのですから、一介の太守たる私から出向くのは当然ですよ」

にっこり笑うアマニ。

あんまり実感はないが、俺もだいぶ偉くなってしまったんだなと改めて思う。

太守が自分から会いに来てくれる身分になった。

アマニは背後に骸骨兵の護衛たちを従え、ほっと溜息をつく。

「バッザ公たち沿岸部の諸侯に謀反の志がないことは、私も信じます。カルファル公ポワニ殿からも事情は聞きました」

「御理解いただき恐縮です。傭兵隊のザカル隊長の野心が招いた悲劇、なんとしても終わらせねばなりません」

俺はカルファルの城壁を振り返りながら言った。

アマニがそれにうなずく。

「彼の力の基盤は傭兵たちです。ザカルと傭兵隊を切り離しましょう」

アマニは父から家督を譲り受けたばかりの若い太守だが、そもそもワジャルは王都カルファルの喉元にある街だ。

そこの太守の家系だから、名門中の名門なのは想像がつく。

話してみたが、やはり聡明な人物のようだ。

俺も同感なので、彼女の意見にこう付け足す。

「そのためにもまず、ザカルたちをカルファルから追い出す必要があります。ここに居座られると、兵も物資も好きなだけ集められますから」

前世で遊んだシミュレーションゲームで、敵が街の上に陣取って毎ターン回復していたのをチラリと思い出す。

ザカルは傭兵や一部の市民に人気がある。手下を集めてくるのがうまい。

実際、彼はじわじわと傭兵隊を大きくしている。

あれが街の中で暴れ始めたら一大事だ。

アマニもうなずいた。

「おっしゃる通りですね。そうなると……」

その瞬間、彼女がフラリと前のめりによろめいた。

倒れそうになるアマニを慌てて支える。

敵襲を警戒したが、血の匂いはしないし、敵の気配もない。だいたい周辺は人狼たちが警備している。

「どうされました?」

俺が問うと、アマニは弱々しく微笑む。

「大丈夫、ただの吐き気です……。持病の聖河病ですから……」

ナイアシン欠乏症、ペラグラのことか。

「パーカー殿のおかげでずいぶん良くなったのですが、どうしても完治しないのです……」

ちらりとパーカーを振り返ると、彼は頭を掻く。

「いや、僕は医者でも治療術師でもないからね。真面目にやったんだよ? ほら、食事で治せるって、出発前に君がいろいろ教えてくれただろう?」

「確かに教えたが、まさかパーカー……」

身振り手振りでしきりに訴えかけながら、一生懸命俺に弁解するパーカー。

「でも彼女は魚や肉の匂いが苦手でね、川魚でさえあまり食べられないんだ。僕には匂いや味はわからないし、ほんともうどうしたら……」

もしかしてパーカー、病気に苦しむ彼女を放っておけなくてずっと行方不明だったのだろうか。

それは後で問いつめるか。小一時間ほど。

今はアマニの治療が先だ。

「何事も一番得意なヤツに任せるのが一番楽だよ。グリズ隊長を呼べ!」

それから俺はパーカーに笑顔を向けた。

「人助けは大事なことだ。やっぱりパーカーは俺の自慢の兄弟子だよ。おかえり、兄さん」

「や、やあ……うん……まあね……」

とたんにパーカーはもじもじすると、頭に巻いていた布を顔にぐるぐると巻き始めた。