軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

「野心の疼き・1」

341話「野心の疼き・1」

「なに? 女は返すだと!?」

バッザ傭兵隊のザカル隊長は、クメルク副官の報告に眉をしかめた。

「あのミラルディア人は、クウォールの作法を知らんのか? もらった贈り物を突き返すというのがどういう意味を持つか、知らん訳でもないだろう?」

「知っているとは思いますが、それでも無理なものは無理なようです。そもそも最初から受け取っておられませんし……」

クメルク副官が額に汗を浮かべながら、直立不動でそう答える。

ザカルは首を傾げる。

「それもそうか……だがなぜだ? あの女どもなら文句はなかろう? カルファル公の侍女だぞ? 教養はあるし、見た目も悪くない。もちろん俺も手をつけてない」

「おそらく、そういう問題ではないと思いますが……。その、ヴァイト卿は既婚者であることを理由にしておられました」

「はぁ? なんだそりゃ?」

ザカルは訳がわからないというように片眉だけつり上げてみせた。

「女房がいるからこそ、ここでなら羽を伸ばせるだろう? ミラルディア人がクウォールの美女を抱ける機会なんか、そうそうないぞ」

「独身の私に聞かれてもわかりません」

「俺だって妻帯しとらんからわからん。だが普通、身分の高い男というのは女を何人も養っているものだ。カルファル公もそうだぞ?」

カルファル公の愛人二人は身代金の一部として、ザカルが譲り受けている。クウォールでは珍しいことではない。

考えても結論が出ないので、ザカルは考えるのをやめた。

「まあいい、抱きたくないのならそれで構わん。だが受け取ってもらわねば、俺のメンツが立たん」

クメルクは小さく溜息をつく。

「メンツですか……」

「傭兵を束ねる者にとってメンツは大事な武器だ。舐められたらおしまいだからな。お前は育ちがいいからわからんかもしれんが、傭兵は武器を持った悪党だ。震え上がらせるぐらいでちょうどいい」

意外と優しい声で、クメルクに言うザカル。

彼は腕組みをして、それから少し考え込む。

「ではまあ、女どもは通訳でも経理でも炊事でも何でもいい、ミラルディア軍の手伝いとしてくれてやれ。カルファル公の侍女だ、何かできるだろう」

「そうですね、ではその形でヴァイト卿に打診してきます」

クメルクは露骨にほっとした表情をする。

ザカルはそれを見て、不満そうに舌打ちをする。

「しかし気に入らんな。聖人ぶって嫌な男だ」

「そうでしょうか? 親しみやすい人物に思えましたが」

「それがヤツの手だ。王の副官まで登り詰めた男だぞ? 陰謀の泥沼に首まで浸かっていると思った方がいい」

ザカルはそう言って首を横に振り、さらに続けた。

「だが敵に回すのも危険だ。あいつの噂は色々聞いているだろう?」

「ええ。四百の兵をわずかな手勢だけで皆殺しにしたとか、城門を蹴り砕いたとか。怪しげな術で数千の骸骨を兵として操るとか」

「ああ、調べれば調べるほど、訳のわからん噂が出てきやがる。遙か北の帝国では、皇帝を退位させて自分の腹心を即位させたそうだ」

「なんと……恐ろしい手腕ですな」

「周辺国のいずれとも良好な関係を保ち、隣国から譲り受けた凄腕の隠密どもが配下にいるらしい。武力だけの男ではない、ということだな」

ザカルはそう言ったが、ふっと皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「まあ、ほとんどはヤツが流した噂だろう。俺も同じことをやっている。俺は戦神の末裔ではないし、騎兵を馬ごと叩き割ったこともない。飛んでくる矢をつかんで投げ返したこともないな」

「まあそうでしょうが……」

クメルク副官は苦笑する。

ザカルは表情を引き締めた。

「だがな、ヴァイト卿の噂がどれかひとつでも本当だとすれば、あるいはそのひとつが話半分でも本当だとすれば、それだけで間違いなく化け物だ」

噂によればヴァイト卿は人狼、伝説の魔物だという。

人狼になったところを見た者はいないが、もし本当ならそれだけでも脅威だ。

「そういや人狼ってヤツは空を飛ぶらしいな。あと血をすするとか」

「それは吸血鬼では?」

「ん、そうか……」

クウォールにはどちらもいないので、二人は黙る。

「まあとにかく、ヴァイト卿がおとなしくしている間はこちらも手は出すな。監視だけしておけ。邪魔されると面倒だし、敵に回したくない」

「わかりました」

クメルクがうなずくと、ザカルは不敵に微笑む。

「なあに、どんな猛将でも怪物でも欲には勝てん。欲望を満たすものを与えれば、必ずこちらの味方になる」

しかしクメルク副官は不安そうにつぶやく。

「そうでしょうか……? 私には、彼が何を考えているのか全くわかりません」

苦笑したザカルは副官の悩みを笑い飛ばす。

「世の中は金だ。金がダメなら地位、地位がダメなら名誉、名誉もダメなら女、女もダメなら酒。そのうちどれかに食いついてくる」

「私なんかは俗物ですから、そのどれでも食いつきますね」

「俺もだ。どれも欲しくてたまらん」

ザカルは笑うと、副官に命じた。

「あのミラルディアの猛将を見張れ。今は俺たちを嫌っているが、いずれ味方になってくれるだろう」

「はっ!」

堅物の副官が退出した後、ザカルは別の部下を呼んだ。

「ハッジ。ビラコヤの使者は始末したか?」

「簡単なものでしたよ。隊長の名前を出したら簡単に油断しましたからね。後は……」

ニヤリと笑いながら、首を横に掻く仕草をする部下。

「死体は身ぐるみを剥いで顔を潰し、メジレに流しておきました。故郷に帰れて満足でしょうよ」

「いいことをしたな、ハッジ。殺し屋のお前にも、静月の加護があるだろうよ」

するとハッジは首を傾げる。

「しかし、いいんですかね? クメルクさんが聞いたら怒りますよ?」

「なら黙っておけばいい。あいつは俺の右腕だが、左腕がやっていることを知る必要はない」

「まあ確かに」

「お前はクメルクとは別に、ヴァイト卿の動きを監視しろ。クメルクの動きもだ。あいつは有能で忠実だが、情に流されすぎる。もしクメルクが裏切るようなことがあれば……」

「殺しますか?」

ハッジが腰の短刀に軽く手を触れる。

戦場でもそれ以外でも、ハッジと組み討ちをして生き延びた者はほぼいない。多くの屈強な戦士たちの命が、この何の変哲もない小さな刃に吸い込まれていった。

ただ一人の例外を除いて。

その唯一の例外であるザカルは、事も無げに言い捨てる。

「報告しろ。決めるのは俺だ。勝手な判断はするな」

簡潔に答えた後、ザカルは部下を見据える。

「役に立たない犬に食わせる肉はない。お前もだぞ、ハッジ」

「心得ております、隊長」

元暗殺者は深々と頭を下げた後、静かに消えた。

独りになったザカルは、先ほど届いた密書を読み返す。

相手は国王パジャム二世だが、本人ではなく侍従長からの私的な返書だ。「偉大なる我が王は平民出の傭兵隊長ごときにいちいち返事はしない」と書かれている。

ザカルからの提案である、「貴族に取り立ててくれるのなら傭兵隊ごと親衛隊に合流し、沿岸諸侯軍を殲滅する」という内容に対しては、触れもしていない。完全に無視されている。

(ふざけやがって……。こんな有利な取引もわからん、無能な王め。俺に逆らった報いを受けるがいい)

密書を蝋燭の火で燃やし、灰を石畳に投げ捨てる。

策のひとつは失敗したが、次の策は用意してある。

策は失敗するのが当たり前だから、どんなときでも次の策を用意しておくのがザカルのやり方だ。

もちろん、次の次の策も。

だが懸念は残る。

ザカルは窓辺に歩み寄ると、城門の方角を見つめた。

今頃、あの異国の将軍は謎めいた策を練り続けているに違いないのだ。

「化け物め……。俺はお前など恐ろしくはないぞ」

誰にも聞かれないよう、ザカルはそうつぶやいた。