軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黒狼卿上陸

334話

俺は船上で人狼たち相手にクウォール語講座を開いたりして、クウォール最大の港街バッザに到着した。

ここはクウォールの生命線であるメジレ河の河口近くにあり、内陸との物流が盛んな場所だ。

俺は人狼たちと雑談しながら港を眺める。

「クウォール語では『メジレ河』とはいわないらしいな。この国では大河といえばメジレだし、メジレが『大河』という意味だから、いちいち『河』はつけなくていいそうだ」

クウォール人が「メジレ河」という言葉を聞くと、「富士山マウンテン」や「多摩川リバー」と言われた気分になるようだ。

静月教徒であるクウォール人たちが「地に流れる月光」と称える河なので、メジレの扱いは慎重にしたい。

もっとも、ミラルディア人にとっては泥の河らしいんだが……。

クウォール語はロルムンド語ほどではないが、ミラルディア語とは近い。

ミラルディア語を米語とすると、ロルムンド語は英語、クウォール語はフランス語やドイツ語ぐらいの距離感だ。ちょっと勉強すればマスターできる。

前世同様、この世界でも人類は元をたどればひとつなのだろう。

平和になったら人類学もやってみたい。

そんなことを考えながら、俺は人狼たちに細々とした注意事項を伝える。

ミラルディアとは身振りの意味も違うし、名乗り方も違う。

「名乗るときは自分の父親の名前も伝えるんだぞ。ミラルディア南部でも、ときどきやってる人がいるだろ?」

初対面でも父親の代まで遡れば意外と接点があったりするし、どこの一族かわかるので、こういうのは生活の知恵らしい。

「他にも細かい違いがいろいろあるから、わからないときは俺かベルーザ陸戦隊の連中に聞け」

「はぁい、隊長」

「なんかわかんねえけどわかった」

モンザやニーベルトが返事をする。

大丈夫かな……。

バッザ港はミラルディアのベルーザ港やロッツォ港とはずいぶんイメージが違う。

「なんか、薄暗い感じだな……」

鍛冶師のジェリクがふとつぶやいたので、俺は少し考えて答える。

「たぶん俺たちが見ているのが、港の北側だからだな」

ミラルディアの港は全部南向きなので、陽光をさんさんと浴びてとても美しい。

一方、クウォールの港はだいたい北向きだ。建物の北側を見ながら入港することになるので、どことなく寂しげなイメージになる。

「南の国っていうから、ちょっと期待してたんだけど……」

ファーンがぽつりとつぶやき、俺たちもうなずく。

なんかイメージが違う。

とはいえ南国なのは間違いないので、ミラルディアより暑い。温暖なベルーザよりさらに暖かいから、俺たちはまだ春なのに真夏の服装になっていた。

建物はレンガや日干しレンガで作られているそうで、白く塗られているのがここからでもわかる。日差しが強いのだろう。大きな木材は貴重なので主に造船や港湾施設に使われるそうだ。

やがて港から水先案内人が小舟でやってきて、バッザ公から指定された桟橋へと案内してくれる。

桟橋に降り立った俺たちを待っていたのは、小柄な老婆だった。麻布をまとったような民族衣装を着ている。

庶民的な老婆は、意外にも流暢なミラルディア語で語りかけてきた。

「まあまあ、大勢いらしたのねえ。あなたがヴァイト卿?」

「ええ、私がヴァイトですが……あの、あなたは?」

すると老婆は口に手を当てて笑った。

「あらあら、ごめんなさいね。名乗りを忘れていたわ。普段は名乗る必要もないものですから」

そう言って老婆は背筋を伸ばし、よく通る声で告げる。

「私はシャマルの流れを汲むマフダンの子、ビラコヤです」

俺はその名前に聞き覚えがあった。この人、バッザ公だ。

「バッザ公、大変失礼いたしました。ヴァイト・フォン・アインドルフです。おいみんな、右膝をつけ」

クウォールの貴人に挨拶するときの作法だ。

俺も膝をつこうとしたが、ビラコヤに止められる。

「あらあら、あなたはミラルディア女王陛下の配偶者でしょう? 私より身分が高いのですから、それは私の役目ですよ」

笑いながらビラコヤは右膝をつき、俺に挨拶をする。

「ようこそ、ヴァイト卿。クウォール沿岸諸侯を代表して歓迎いたしますよ。私のことは『ビラコヤ婆さん』と呼んでくださいな」

「さすがにそういう訳には……」

「バッザの子はみんな、私をそう呼んでますよ。でも無理強いはいたしませんわ」

にこにこ笑うバッザ公は、確かに親戚のおばあちゃんといった雰囲気だ。

うちの師匠みたいでなんだかなごむ。

いやいや、これが彼女の強さに違いない。相手の気を緩ませるのも作戦のひとつだ。

気を引き締めていこう。

そう思っていたら、ビラコヤの背後から衛兵らしい連中が慌てて駆けてきた。男もいれば女もいるが、全員が鎖帷子と曲刀で武装している。

彼らはクウォール語で何か叫んでいた。

「あっ、ビラコヤ婆ちゃん! いたぞ、こっちだ!」

「だめですよ、一人でうろついたら!」

「なんで私たちを置いて行っちゃうんですか、もう!」

なんだなんだ。

背の高い屈強な若者たちに、小柄なビラコヤが取り囲まれている。

貴族と衛兵のはずだが、まるでおばあちゃんと孫だ。

ビラコヤは苦笑して頬に手を当てる。

「ごめんなさいね。港に来たら、ちょうどヴァイト卿の船がいらしたものだから」

「だからそれダメですって、今は戦争中なんですから。こないだ襲撃があったでしょう!?」

「婆ちゃんに何かあったら、バッザはおしまいですよ!?」

なんだかずいぶんと慕われている様子だ。

いやいや、これも策に違いないぞ。外交というのはそういうものだ。

たぶん。

とはいえ、こんなほのぼのした光景を見せられてしまうと、どうも気が緩む。

ビラコヤはパンパンと手を叩くと、衛兵たちに命令した。

「私のことは後にしましょう。さあさ、ミラルディア兵の皆様を宿舎に御案内して。船旅でお疲れでしょうから、おもてなしを忘れずにね」

「承知いたしました」

まだ何か言いたそうな若者たちだったが、主命とあっては逆らえない。恭しく一礼すると、人狼隊を案内していった。

俺とファーン隊だけがその場に残る。今日の「ヴァイト当番」はファーン隊だからだ。

「では参りましょうか、ヴァイト卿」

「ええ、ビラコヤ殿」

すっかり気が緩んでしまったが、なごんでいる場合じゃないんだよな。

さあ仕事だ仕事。

俺は港を見下ろす屋敷に案内され、そこでビラコヤと会談することができた。

「どうも変なことになっちゃったのよねえ……」

ビラコヤは溜息をつきながら、それでも俺ににっこり笑いかけた。

「妙な流れで内戦になってしまいましたが、ミラルディアの温かいお志には感謝しております。ガーシュちゃんにもね」

ガーシュちゃん?

「ガーシュちゃん、お父様のグラスコ様にそっくりなのよねえ。義理堅くて、慎重な割に見栄っ張りで……」

おっしゃる通りです。

ビラコヤは先代ベルーザ太守や現ロッツォ太守ペトーレとは古いなじみだそうで、ミラルディアの港に太いパイプがある。

ペトーレ爺さんが相棒グラスコと組んで悪さばかりしていた頃、ビラコヤはバッザ公の跡取り娘として振り回されていたそうだ。

「たまに遊びに来たかと思えば、いつも無茶ばかりしていたんですよ」

なんとなく想像はつく。

バッザをはじめとするクウォール沿岸諸侯はどこも、ミラルディア沿岸部の太守たちと深いつながりがある。

というか、ペトーレ爺さんが若い頃にベルーザの前太守グラスコと共にムチャクチャしたので、みんな覚えているようだ。

「バッザの船乗りを勝手に集めて、この界隈の海賊を襲撃したりねえ。奪った海賊船を三隻も曳航して入港してきたときには、港は大騒ぎでしたよ」

「外交問題ではありませんか」

海賊退治とはいえ、やっつけた海賊たちも集めた船乗りもクウォール人だ。ミラルディア人が指揮していいことではない。

ビラコヤは遠い目をしてうなずく。

「私の父も大慌てで、ほうぼう駆け回って頭を下げていました」

「それはとんだ失礼を……」

どうして俺が生まれる前の、しかも人間の太守がやらかした悪行で頭を下げなきゃいけないんだ。

責任がなくても責任を持たないといけないのが、こういう仕事のつらいところだな。

しかしビラコヤはにこにこ笑って、首を横に振った。

「でも、とても楽しかったですよ。それにあの一件以来、この海域には海賊がほとんどいなくなりましたしね」

「それならいいのですが……」

「もう一度あの頃に戻って、グラスコを海に投げ込んだり、ペトーレの頭に帆を落としてみたりしたいわ」

そんなことしてたの、このちっこいお婆ちゃんが?

まあでも、それぐらいできなきゃこの世界の領主は務まらないだろうな。

俺の価値観からすると、皇帝から庶民まで軒並み荒っぽい。

とりあえず苦笑しつつ、俺はこの雑談の意味を少し考える。

彼女はミラルディアとの深いつながりを、俺にアピールしたいのだろう。

俺はクウォール外交の世界では新参者だ。魔族だということも伝わっているはずだし、相当に警戒されているに違いない。

バッザ公は今後のミラルディアにとって非常に重要な人物だし、ここは安心してもらう方向で話を進めよう。

俺は言葉を選びつつ、こう伝える。

「古くからミラルディアと関係を結んでいるクウォール沿岸部のことは、我々魔王軍も重要視しております。可能な範囲であらゆる支援をし、盟友としてお役に立ってみせましょう。このヴァイトがお約束いたします」

「まあ……」

にっこり笑うビラコヤ。

望んでいた言葉を俺から引き出せて、満足している様子だ。

そしてちょっぴり、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「ちょっとおねだりが露骨すぎちゃったかしら?」

「いえいえ」

俺は苦笑で返す。

相手がお婆ちゃんだと、どうも甘くなるな……。たぶん師匠のせいだ。

ビラコヤは俺の言葉に少し安心したのか、前よりもぐっと打ち解けた様子で語りかけてきた。

「ヴァイト卿は魔族の方と聞いていたから緊張していたけれど、まるで息子や孫のように思えてしまいます。初めてお会いするのに、とても不思議ね」

「そう言っていただけると光栄です。私もビラコヤ殿が初対面とは思えません」

お互い外交辞令であることは承知の上だが、半分ぐらいは本音だ。

あっちもそうであることを祈ろう。

さて、そろそろ本題に入る頃合いだ。