軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

追憶の迷宮(後編)

308話

俺はアイリアに駆け寄ったが、そのとき彼女の異変に気付いた。

アイリアの両手に、鈍く銀色に輝く鎖が絡みついている。鎖はテーブルの上に伸びていて、ドラウライトの秘宝につながっていた。

もしかして、あれがアイリアを束縛している精神支配の魔法か。

俺は戦いに備えて反射的に身構えたが、人狼に変身できない。

よく考えてみたら、俺の物理的な身体は今もリューンハイトの下水道にいて、人狼に変身したままアイリアを拘束している。

この光景は精神世界の幻だ。

アイリアの戒めとなっている銀色の鎖はアイコンのようなもので、物理的にどうこうできるものではない。

「アイリア殿、助けに来たぞ」

俺がそう言うと、アイリアは縛られたまま嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ヴァイト殿!」

だがアイリアはハッとしたように、つらそうな表情になる。

「申し訳ありません、私が迂闊だったばかりに……」

「違う。そいつは自分の目的に最も適した人物と遭遇するまで、じっと待ち伏せしていたのだ。」

人を人とも思わない仕打ちに、俺は怒りを覚える。

俺の、いや俺たちの大事なアイリアをさらった上に、こんな負い目まで感じさせて。

もう文化財だろうが世界遺産だろうが知ったことか。

二度とこんな真似ができないように破壊してやる。

俺はドラウライトの秘宝の動きを警戒した。

だが幸い、金属製の杯は沈黙したままだ。

よく見ると杯の周囲には、なぜか鶏が何羽もいる。鶏たちはしきりに杯をつついていた。

「なんだこれは」

するとアイリアがクスッと笑った。

「この杯は地下に逃げ込んでからずっと魔法を使っているようなのですが、そのたびに鶏が増えるのです」

死霊術と鶏。いったいどんな関係があるんだ。

ああ、もしかして食肉にされた家畜の霊か。

そんなものまでアイリアの精神世界に連れてくるんじゃない。

もっともこれもアイコンのようなものらしく、鳴き声もしないし同じ動きを繰り返しているだけだ。

実際に霊がいる訳ではなさそうだった。

俺はドラウライトの秘宝に近づき、鶏たちからコツコツつつかれている杯を見下ろす。

「お前、勇者を作りたいんだろう?」

「勇者、ですか?」

そう言ったのはアイリアだ。

彼女は訳もわからず体を乗っ取られたから、事情が全くわかっていないらしい。

ドラウライトの秘宝は何も言わないが、杯をつついていた鶏たちが俺を振り向いた。そのまま、感情のない瞳でじっと俺を見つめてくる。

俺は自身の魔力を、具体的な形としてイメージした。

鎖や鶏同様、精神世界で「アイコン」として表示できないかと思ったのだ。

すると俺の手の中に、宝石で彩られた額冠が出現する。

額冠は柔らかな光を放ち、周囲を一層明るく照らした。

その瞬間、ドラウライトの秘宝を守るように立っていた鶏たちが変貌する。

羽の色が白や茶色からドス黒く変色していき、紫混じりの濁ったような黒になった。

クッと首をもたげて、威嚇の姿勢をとる。

なかなか魔物じみてきたじゃないか。

黒変した鶏たちはしきりに首を伸ばし、額冠を睨みつけているようだ。

鶏たちは額冠に近づこうとするが、そのたびに見えない何かに押し戻されるように後退している。

「お前にやる訳じゃない。汚い『手』で触るな」

秘宝にこの魔力を渡したら、ろくでもない使い方をするに決まっているからな。

俺はアイリアに向き直って、笑ってみせる。

「アソンの秘宝に入っていた魔力を全部失敬してきた」

「ヴァイト殿、それは協定違反ですよ!?」

「承知の上だ。だがドラウライトの秘宝は、勇者を生み出すまで活動を停止しない。他に方法がないのだ、アイリア殿」

びっくりしているアイリアに、俺は額冠を差し出す。

「これだけの魔力があれば、貴殿を勇者にするのは造作もない。勇者の力があれば、精神支配の魔法など簡単に振り払える」

「勇者ですか? しかし、私に勇者など……」

アイリアは逡巡している。

無理もない。過去に現れた勇者も偽勇者も、俺たちとは敵対していた。

アイリアにとって、勇者は恐ろしい敵の象徴だ。

俺は少し考え、違う言い方をしてみる。

「では魔王になるがいい、アイリア殿」

「魔王……確かになじみは深いですが……」

「師匠の研究によれば、勇者も魔王も同じものだ。どちらも強大な魔力を有する変異体に過ぎない。人間たちは自分たちに味方する者を勇者と呼び、敵対すれば魔王と呼んできた」

魔族の勇者は人間の敵になってきたから、例外なくみんな魔王だ。

そして魔王と対になり、魔王を消滅させる超越者たちは勇者と呼ばれてきた。潰し合って、どちらも無に還る。

若干の誤差で片方が生き残ることもあるが、それはもう超越者ではない。俺でも倒せる程度の存在だ。

「ドラウライトの秘宝も、アソンの秘宝も、勇者を生み出して戦いに利用するためのものだろう。作った勇者の数だけ同規模の魔王が出現するだろうに、愚かなことだ」

するとアイリアがすぐに心配そうな表情になる。

「それでは私がもし魔王になったら、また勇者が……」

「理屈の上ではそういうことになるが、すぐに現れる訳ではない。対策を練る時間はある」

先王様にしても、対となる勇者が出現したのはつい最近のことだ。

その間に数十年の猶予があった。

一年でも二年でも猶予があれば、その間にゴモヴィロア一門の総力を挙げて何とかしてみせる。

俺はアイリアを元気づけるために、ちょっと冗談を言うことにする。

「勇者と違って魔王はいいぞ? 魔王には優秀な『魔王の副官』がついてくるからな」

アイリアは俺を見て、その瞬間に即答した。

「魔王になります」

「おいおい!?」

アイリアは微笑み、こう応じた。

「私がどれほど危険な者、あるいは醜悪でおぞましい存在になろうとも……『魔王の副官』がいてくださるのなら、何の心配もありません」

「魔王の副官って、俺のことだぞ?」

「はい、だからですよ?」

なんていい笑顔をしているんだ。

バルコニーの空がびっくりするぐらいに晴れ渡り、澄み切った青空から真夏のような日差しが降り注ぐ。

今のアイリアの心象風景がこれか。

これはもう逃げられそうにないな。

俺は覚悟を決めて、アイリアにうなずく。

「何があったとしても、俺は貴殿の味方だ。共に生き、共に死のう」

「……はい」

アイリアは手を縛られたまま、俺の前に片膝をついた。

俺は彼女に額冠をつけてあげるために歩み寄ったが、そのときふとアイリアが首を傾げた。

「そういえば、ヴァイト殿の背後の景色はいったい?」

「ん?」

振り返ってみると、俺の背後はバルコニーではなかった。もしかして、ずっとこうだったのか。

俺の背後にあるのは黒っぽい石壁と、重厚な本棚に囲まれた屋内だ。

壁には鉄格子つきの小さな窓がひとつだけついている。

俺がアイリアに一歩近づくたびに、バルコニーの白い床石が黒い床石に置き換わり、本棚と壁の領域が広がっていく。

不思議な光景だが、おかげでなんとなくわかった。

「俺にもわからないが、こっち側はたぶん俺の『心の景色』なんだろう」

光沢を帯びた木の本棚にぎっしり詰まっているのは、擦り切れた書物たちだ。

魔術書もあるし、童話の絵本もある。子供向けの学習漫画もあれば、中学校の国語の教科書もあった。

英語の参考書や、心理学の入門書もある。

その題名全てに、俺は見覚えがあった。

そして蔵書の半分ぐらいは前世の世界のものだ。俺の精神世界とみて間違いないだろう。

アイリアの華やかで穏やかな風景と比べて、薄暗くて地味で殺風景だな……。

特にその格子窓、閉鎖的すぎるだろ。

「こっち側は俺の心の中で、そちら側は貴殿の心の中だ。俺と貴殿は今、心の一番奥で触れ合っている状態にある」

「なるほど……これがヴァイト殿の心の中なのですね。静謐で禁欲的で、底知れぬ力と知恵を感じます」

そう思ってもらえて安心したが、あんまりまじまじ見ないでほしい。

男の子には他人に見られたくない本もあるんだよ。

わかってくれ。

するとアイリアはふと、俺の心の窓に視線を移した。

「そちらの窓の外に鳥のようなものが飛んでいますが、あれはいったい何ですか?」

俺は鉄格子のはまった窓を振り返る。

窓は小さいが、そこから見える景色はオフィス街だった。前世の職場付近だな、これは。

そして上空を飛んでいるのは、紛れもなく旅客機だ。

「あれは飛行機だな」

「ヒコウキとは?」

「説明すると長くなるのだが……」

あれを説明しようと思うと、俺の転生や前世のことについて説明する必要が出てくる。

俺は今まで、転生や前世については誰にも話したことはない。必要ないからだ。

これからもそのつもりだった。

しかしアイリアが自分の窮地も忘れて興味深そうにしているので、俺はつい口走ってしまう。

「昔の俺がよく見ていたものだよ。この件が片づいたら、貴殿に詳しく話そう」

「この件が片づいたら、ですか?」

「そう、この件が片づいたらだ」

するとアイリアは微笑んで、頭を垂れた。

「承知いたしました。では謹んで、その魔力をお受けいたします」

「ああ」

また変な約束をしてしまったな……。

そう思いながら、彼女の額に輝く額冠を載せた瞬間。

爆発的な光輝の奔流が、全ての光景を埋め尽くした。