軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

追憶の迷宮(前編)

307話

俺はアイリアと白兵戦を繰り広げながら、ドラウライトの秘宝と魔術師同士の戦いもしなければならなかった。

「はぁっ!」

アイリアが剣を抜き、鋭い踏み込みと共に突いてくる。

無駄のない動きだが、人間の域を超えてはいない。刀身の先端を指でずらし、刺突を受け流す。

それをかわしたかと思うと、杯から俺に対して死霊術の強烈な呪いがかけられた。対象を即死させる危険な術だ。

相手はただの道具だから、詠唱や身振りなどが全くない。

魔力の動きを伴う予備動作がないので、ほとんど不意打ちだ。

だが今の俺には、無限といってもいいほどの魔力がある。

死霊術の禁忌とされる即死呪文を数発立て続けに浴びたが、もちろん効きはしない。

そのぶん魔力を喪失したが、一発につき三ヴァイトか四ヴァイトぐらいだろう。今の俺には誤差だ。

「はっ!」

アイリアは一切しゃべらない。かけ声は出しているが、呼吸や筋肉を制御するのに必要だからだ。

ヤツがアイリアの体を操ったところで俺に傷ひとつ負わせることはできないが、俺に対しては効果的な牽制になっている。やりづらい。

さて、このアイリアにどうやって魔力を譲渡しようか。

アイリアは魔術師ではないから、こんなに大量の魔力を渡されても処理できない。

かといって少しずつ渡していっても、勇者になるために必要な量に達しないだろう。ドラウライトの秘宝が俺を攻撃するのに勝手に使うからだ。

そもそもそんなに悠長に渡している余裕はない。

となるともう、口移しみたいな原始的な方法しかない。

俺は強化術師として、他人に力を分け与えることに習熟している。魔力の付与も例外ではない。

魔力は熱や電気と同じだ。相手に分け与えるなら密着したほうがいいな。

よし、襲撃するか。

俺はアイリアの顔の向きを確認し、背後に回り込む。彼女の視界から外れた瞬間、俺は上空にジャンプした。

人間は左右方向や下方向への警戒は鋭いが、頭上への警戒は疎かだ。樹上生活の名残だな。

アイリアは案の定、背後を振り返って虚空を斬りつけている。

秘宝がアイリアの体を動かすときは、やはりアイリアの感覚を使っているようだ。

これなら楽勝だ。俺は彼女の背後に着地する。

「えっ!?」

今のはアイリア本来の声に聞こえた。

俺はアイリアを逃がさないよう、背後から抱きしめる。人狼の先祖たちはこうして、人間を捕食していたのだ。

「終わりだ」

暴れるアイリアを押さえ込み、俺は魔力を解放しようとした。

だがその瞬間、視界がおかしくなる。実際の景色とは全く違う景色が、俺の視界に広がってきた。

敵の攻撃かと思ったが、そうではなさそうだ。

その証拠に、アイリアも動かなくなっている。

ふと気付いたとき、俺は見知らぬ庭園に立っていた。

朽ち果てた遺跡のようだが、美しい花が咲き乱れ、穏やかな風が吹いている。風の感触や匂いがないので、現実の光景でないことはわかった。

遠くに建物が見える。太守の館にそっくりだ。

唐突な変化だが、俺には思い当たる節があった。

昔、師匠から精神魔法について教わったことがある。

精神魔法によれば、人間の心は家のようになっているという。

門と塀で守られた庭があり、その奥に家がある。家の中にはいくつもの廊下や部屋があり、一番奥には心の奥底を表す「秘密の部屋」があるらしい。

魔力を通じて接触しているということを考えると、ここはアイリアの精神世界なのかもしれない。

この心の家に入れてもらえるのが、「心を開いた」という関係性になる。逆に魔法で強引に干渉して支配するのは空き巣や強盗と同じだ。

今俺がいるのは庭なので、顔見知り程度でも入れてもらえる。

その代わり、ここには大事なものは置かれていない。

アイリアに接触するためには、もっと奥に行く必要があった。

俺は庭の小道を通って建物へと向かう。

他にこの接触状態を解除する方法が思いつかなかったからだが、アイリアの心を知りたいというのももちろんある。

現実世界の様子は、聴覚と嗅覚、それに触覚で把握している。俺もアイリアも今は完全に動きを止めている。

ドラウライトの秘宝も不活性状態のようで、一切攻撃をしてこない。あいつを壊すとしても、アイリアを救出してからだ。

だから俺は柔らかな日差しを浴びながら、ゆっくり建物に近づいていく。

それにしてもアイリアの心の庭、整然としているな。

池の水は清らかだし、樹木は剪定が行き届いている。これといって目を惹くような凄いものは何もないが、穏やかで落ち着く庭だ。

アイリアの普段の言動と重なる。

建物はというと、これも立派な洋館だ。太守の館に似ている。

もし俺が彼女に拒まれているのなら、玄関は施錠されているはずだ。

そう思って近づいたら、重厚なドアが勝手に開いた。しかし周囲には誰もいない。

これは歓迎されていると思っていいのだろうか。

俺も他人の精神世界に入り込むのは初めてなので、勝手がよくわからない。

「おじゃまします……」

ぺこりと頭を下げてから、敷居をまたぐ。

入ったとたん、ドアがバタンと閉じられた。

「えっ、おい!?」

ドアが閉まって、完全に施錠されている。

押しても引いてもびくともしない。まるでホラーだ。

精神世界では人狼の力は関係ないし、これは完全に閉じこめられたな。

まあいい、とりあえず先に進むことにしよう。

館は分岐する廊下と無数のドアで構成されている。太守の館とは内部が全く違うし、外観よりずっと広い。

そして実際の家屋と異なり、不自然な場所に物品が点在している。

例えば廊下の壁に掛かっているのは、アイリア愛用のサーベルだ。

ただし真新しいし、柄の握りなど細部が違う。父の形見だと言っていたから、これは父親の思い出だろう。

その証拠に、すぐ横には男性用の礼装がある。

アイリアの母は産褥熱で亡くなったと聞いているので、母親にまつわる物品はない。出産時に亡くなる女性が多いのは、この世界の人間の特徴だ。

俺は壁のあちこち、あるいは床などに配されている物品を眺めながら歩いていく。

部屋のドアは全て開いているので、中も自由に眺めることができた。

よく見かけるのは女の子用の服だ。スカートやワンピースが散らばっている。畳んであるものがひとつもないな。

あとは剣術や馬術の稽古着。前世でいえばジャージに相当する。こっちも散らかり放題だ。

どうやらアイリア、子供時代は相当やんちゃだったらしい。

どこが一番奥、アイリアがいる秘密の部屋なのだろうか。

俺は廊下を行ったり来たりして、片っ端から部屋を調べていく。

ここは勉強部屋みたいになっているな。玩具や拾ってきた木の実などが消えて、部屋がだいぶ大人びている。

学問や作法を重点的に習っていたことが、散らばっている書物の題名で察せられた。

でもちゃんと片づけろって。

ほのぼのとした光景が一変したのは、二階に通じる階段を登ったときだ。

階段には服喪の黒い布が垂れ下がっている。太守用のものだ。父親が亡くなったときの記憶だろうか。

二階の廊下はひどく荒廃しているし、窓がひとつもない。天井も低く、重苦しい感じだ。

この廊下の部屋で見かけるのは、アイリアが普段着ている男性用の礼装。

彼女が今の服装になったのは、父親の死後からのようだ。

廊下や部屋の床や壁には、元老院の書名が入った紙が無数に散らばっている。そのどれもがひどい文面だった。

「女のくせに生意気だ」とか、「南部の田舎太守風情が」とか、「悪徳商人め、もっと金を納めろ」とか。

どうやら彼女は、ずっとこういうことを言われてきたらしい。

ここまでいじめたら、そりゃ魔族側に寝返るに決まってる。

だがアイリアは、そのことを俺には一言も言わなかった。アイリアは他人の悪口を言わない。

俺はアイリアへの尊敬の気持ちを新たにすると共に、元老院への怒りも再燃させる。

こんなことなら俺の手で元老院を滅ぼしたかった。

廊下は長い。アイリアは太守になって二年目のときに俺と出会っているから、このありえない長さはアイリアの主観なのだろう。

だが廊下の端に来て角を曲がった瞬間、様子が一変する。

割れた窓だ。窓の外の景色は、リューンハイトの街並みだった。

もしかしてこれは、俺が窓から飛び込んできたときの記憶か?

元老院からの書状はまだ散らばっているが、その全てが人狼の爪でビリビリに裂かれていた。しばらく歩くと、それも完全になくなる。

アイリアにとって、魔王軍によるリューンハイト占領は人生の一大転機だったからな。

そしてこの廊下に面した部屋には、妙な調度品が大量に置いてあった。

例えば工業都市トゥバーンの大型クロスボウが、ゴロンと転がっている。トゥバーンを占領したときに、俺がアイリアへのおみやげにしたヤツだ。

ただなぜか、ピンクのリボンで飾り付けされている。俺はこんなことしてない。

あと俺が一緒に持ち帰った騎兵教練の本は、絹張りのクッションの上に飾られていた。

他にも変なものがある。

壁に掛かっているのは、俺が市場でまとめ買いした三着セットの安いシャツ。

初めてこれを着たとき、アイリアが必死に何かを堪えていたのを思い出した。

ラシィやカイトからは「ヴァイトさん、これはないです」と真顔で断言されたな。

「なんだこれ?」

別の部屋のテーブルでは、和風の小鉢をいくつか発見した。

小鉢のひとつに入っているのは、真新しいエビのしっぽだ。

もしかしてこれは、ワの国で一緒に食事をしたときの記憶か。

隣の小鉢には豆腐もある。

すぐ近くには衣紋掛があり、アイリアが着ていた着物もあった。

この廊下も恐ろしく長い。

どれぐらい歩いたかわからなくなってきた頃、ようやく廊下の端にたどり着いた。

閉ざされた扉がある。今までの扉は全て開いていたので、ここが特別なのだとわかった。

ここがおそらく、アイリアの心の一番奥だ。

精神世界での常識は俺にはわからないが、ドアなので礼儀としてノックをする。

「アイリア殿、俺だ。ヴァイトだ。入ってもいいか?」

返事はなかったが、拒絶されているのならどのみち施錠されている。

俺は思い切ってドアを開けてみた。

ドアはあっさりと開いた。

部屋の中は……いや、部屋ではなかった。

ドアの向こうは開放的なバルコニーになっていて、さわやかな風の中を小鳥が飛んでいる。

屋根のないバルコニーなのにソファやベッドがあったりするが、心象風景なので問題はない。

そして小さなテーブルの前に、アイリアが立っていた。

ぼんやりと外の景色を見ているが、今にも消えてしまいそうなぐらいに儚い。

「アイリア殿!」

俺は思わず叫ぶ。

アイリアは俺に気付いたらしく、慌てたように振り返った。

「ヴァイト殿!?」