軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

満月の激昂

281話

フミノに倒されたはずの剣客たちは、ほとんど血を流すこともなくユラユラと立ち上がる。

流血が収まっているのは、心臓が止まっているのか、それとも傷口の血管が収縮しているのか。あるいはもう、体内に血がほとんど残っていないのかもしれない。

いずれにしても、この状態で動けるはずがない。

フミノは一瞬驚いた顔をするが、そこは多聞院直属の忍者だ。巫女装束を翻し、素早く間合いを取る。

再び笛の音が闇を裂き、無数の糸が振動して敵を斬る。

だがさっきはあれほどまでに恐ろしい威力を誇っていた「鳴糸陣」が、今度はほとんど効果を発揮しなかった。

「ふははは! 無駄だ! そんな薄い傷でこやつらが死ぬものか!」

ゲヘエが得意げに叫ぶ。

「これが我が一門秘伝の『反魂湯』だ! 屍肉をいくら切り刻もうが、こやつらはもう死なんぞ!」

ただの危険ドラッグ屋だと思っていたら、もっと危険なドラッグを扱っている男だった。

フミノの鳴糸陣は鋭利だが、細い糸を使っているので骨を切断するほどの威力はないようだ。となるとゾンビ相手には分が悪い。

「むぅ……」

フミノは笛をしまうと、バッと袖を翻した。

月光を浴びて、何かがキラキラと輝く。袖の中から違う糸を繰り出したらしい。

瞬間、ゾンビ侍たちの全身に無数の切り傷が刻まれた。

だがやはり傷が浅い。

「むむぅ……」

早くもフミノが進退窮まったようなので、ぼちぼち助けてやるとしよう。

そう思ったとき、聞き覚えのある声が響く。

「星辰歪み給うなかれ。死生は一紙の表裏にして、一紙の表裏は重なること能わず」

朗々と詩を吟ずるような口調は、フミノの上司トキタカのものだ。

その声が響いた瞬間、蠢く屍たちは糸が切れたようにドサドサとその場に崩れ落ちた。

「何ぃ!?」

ゲヘエが驚くが、実は俺も驚いた。

ゲヘエが護衛たちに使っていた「反魂湯」が何なのかはわからないが、魔法ではないことはわかる。死霊術で動くゾンビと違って、魔力が感じられないからだ。

パーカーたち死霊術師は、ゾンビの魔力供給をシャットアウトしたり、ゾンビにインストールされている誰かの魂を追い出したりして、ゾンビを強制停止させる。

だがトキタカが使った術は、それとは違うやり方のようだ。

もしかして前世の陰陽道とかと関係あるのだろうか。非常に興味深い。

いや、学術的探求心に燃えている場合じゃない。

トキタカが狩衣姿のまま、二階の窓に飛び込んできたからだ。まるで歌舞伎のようだ。

「金琴堂ゲヘエ、おぬしの命脈は既に絶たれた。かくなる上は観念し、せめて名を汚さずに罪を償うがよい」

「ふざけるな!」

ゲヘエは叫びながら、落ちていた刀を拾った。

「多聞院がなんだ! 俺にはまだ、ミラルディアの後ろ盾がある!」

え?

どういうことだ?

「こちらにおわす御方をどなたと心得る! ミラルディアの有力者、ヴァイト様だぞ!」

いや、ちょっと待ってくれ。

俺をお前の陣営にカウントするのはやめてくれないか。

「ゲヘエ」

「ヴァイト様、どうかお力添えを」

「いや無理だ」

「はい?」

俺はゲヘエにきっぱりと告げる。

「俺は多聞院の協力者だ。お前を逮捕しに来た」

一瞬の沈黙。

「ご……御冗談でしょう?」

「御冗談ではない」

俺は溜息をついて、軽く手を叩いた。

「控えているか?」

「はい、ヴァイト様」

打てば響くようにふすまを開けて、マオが現れる。

それを見た瞬間、ゲヘエは全てを察したらしい。

「ま、まさか、生きていたのか!?」

マオが肩をすくめてみせる

「ええ、おかげさまで。今はヴァイト様の側近ですよ」

「じゃ、じゃあ……最初から俺をハメるつもりで!?」

「だからさっきからそう言っているだろ」

俺はゲヘエに言い捨てる。

「お前がマオを最初から使い捨てにするつもりだったように、俺もお前を陥れるつもりだった」

「なっ!?」

絶句したゲヘエに、マオが薄笑いを浮かべる。

「今度はあなたが使い捨てられる番ですよ、ゲヘエ」

因果応報だな。

俺はゲヘエを捕縛しようと、精神集中を開始する。

筋力強化術を反転させ、筋力を弱体化させよう。軽く触れて発動すれば、後は立っていることもできないはずだ。

そう思ったとき、ゲヘエが叫び始めた。

「俺が使い捨てられてたまるか! 一代で金琴堂を築いた商才を、貴様ら下衆と一緒にするな! お前らは俺のために使い捨てられてりゃいいんだ!」

この口調、この言葉。

俺の奥底に眠る古い記憶が、古傷のように疼き始める。

トキタカとフミノはゲヘエに詰め寄るが、危険な薬物を駆使する男だけに慎重に間合いを保つ。殺すだけなら簡単だが、やりたいのは捕縛だ。

ゲヘエは刀をめちゃくちゃに振り回しながら、じりじり後退する。

「くそっ、剣客どもも役に立たん! 食い詰めてたところを拾ってやった恩も忘れて! 死んだぐらいで休めると思うなよ! 給金分ぐらい働け!」

どれだけ叫んでも、剣客の死体たちはピクリとも動かない。

だがそれよりも、俺の中の古傷がどんどん疼いていく。

あのクソ野郎。

ふざけやがって。

俺の視界の中で、ゲヘエが意外に軽やかな動きで壁際に下がるのがわかった。ゲヘエの背後には壁しかないが、俺の聴覚が微かな風の音を捉えていた。あの壁の向こうは空洞だ。

逃げるつもりか。

片手で刀を振り回して時間稼ぎをしつつ、後ろ手に何かごそごそやっているゲヘエ。

「世の中にはな! 使い捨てる人間と、使い捨てられる人間がいるんだ! お前等は全員、使い捨てられる人間だよ!」

「あいにくと、俺は使い捨てられる『人間』ではない」

俺は人狼に変身した。

ゲヘエが驚いた一瞬の隙に、俺はヤツが持っていた刀を叩き落とした。鋭利な刃が畳に突き刺さる。

ゲヘエの喉笛を締め上げながら、俺は忌々しい悪党を天井まで吊し上げた。

「豪商ごときが神にでもなったつもりか? ほらどうした、逃げてみろ。それとも俺を使い捨ててみるか?」

「ぐっ……ごほっ! ぐうっ……」

ゲヘエの顔色が、みるみるうちに赤から紫へと変化していく。

俺は怒りと奇妙な高揚感に包まれながら、ゲヘエを天井板にガンガンぶつけてやった。

「貴様のようなヤツがいるから、俺たちが苦しむんだ。貴様のような屑に、夜明けは必要あるまい」

俺があと数ミリ指を食い込ませれば、ゲヘエの気道と大動脈は完全に閉鎖される。頸骨を破砕することも、首を切断することも可能だ。

こういう身勝手な男が上に立てば、下にいる者はみんな酷い目に遭わされる。ゾンビ化させられた剣客たちが良い例だ。

「どうした、得意の口上は? 舌が回っておらんぞ? おもしろおかしく命乞いしてみせろ?」

俺は一ミリほど指を食い込ませた。

それだけでゲヘエがビクンビクンを痙攣し、脚をバタつかせる。

あっけないものだ。

俺にさんざん威張り散らしていたあの男も、人狼の圧倒的な暴力の前では何にもできない。

誰にでも立場はあるから、あの男にも事情はあったのだろう。

だがもうそんなこと知るか。

捻り潰してやる。

「……様! ヴァイト様!」

俺の腕に誰かがしがみついて、必死に揺さぶっている。

マオだった。

「ヴァイト様、いけません! そいつは憎むべき悪党ですが、ヴァイト様のような名誉ある戦士が手にかけるような男ではありませんよ!」

皮肉屋で冷笑家のマオが、顔面蒼白になって俺を揺さぶっている。実際には俺の体は全く揺れていないのだが、俺は激震に見舞われたようなショックを受けた。

俺は何をしているんだ?

俺の力が緩んだことに気づいたのか、マオがなおも叫ぶ。

「そいつはもう多聞院に引き渡してしまいましょう! それでいいんです! 私のために、ヴァイト様がそこまでなさる必要はありません!」

「あ、いや……」

マオのためとは言い切れない。

今、俺は確かに、ゲヘエと前世のあの男を混同していた。

俺はゲヘエを吊り上げたまま、トキタカとフミノを振り返る。

多聞院の誇る忍者・観星衆の二人は、隙なく身構えていた。トキタカは印を結び、フミノは周囲に糸を張り巡らせている。

だがその矛先は今、ゲヘエというよりは俺に向いているような気がしなくもない。

二人のまなざしには、微かな恐怖が感じられたからだ。

「トキタカ殿」

「はい、ヴァイト殿」

さすがに観星衆の頭目であるトキタカは落ち着いていた。

俺は彼の前に、失神寸前のゲヘエを投げ捨てる。

「この者はワの咎人だ。身柄をお渡しする」

「かたじけのうございます、ヴァイト殿」

トキタカが呪符を取り出し、ゲヘエの額に張り付ける。ゲヘエの体から力が抜け、ガクリと動きが停止した。

トキタカは大きく息を吐き出し、額を拭う。

「切り札を全て使わせてから捕縛しようと思っていましたが、なかなかに曲者でした。このまま『影縛り』で拘束し、隅々まで身体検査しましょう」

「それがいいでしょうな」

俺は変身を解き、破れてしまった服の代わりに浴衣を羽織る。

屋敷を包囲していた観星衆たちが次々に突入を開始し、現場を確保していく。巫女もいれば行商人風の者もいて、中には黒装束の忍者もいた。

そしてもちろん、我らが人狼隊もいっしょだ。怪しい者は片っ端から捕らえ、証拠になりそうなものは押収していく。

「これで片がついたな」

俺は何となく気まずい思いで、傍らにいるマオを振り返った。

「あー……あれだ、これでお前の濡れ衣も晴らせる。少なくとも故意ではなかったことがな。俺もお前の名誉回復に協力させてもらうぞ」

するとマオは俺をじっと見つめていたが、やがてこう言う。

「ヴァイト様。私の名誉回復のため、そして罪を着せられた怒りのために、ここまでして頂いたこと、決して忘れはいたしません。この御恩、生涯を賭けてお返しいたします」

彼は静かに告げると、畳の上に平伏した。

「姓を捨て国を捨て、リューンハイトの一商人となってこのマオを、これからもどうかお使いください」

どうやらマオは、俺の怒りをかなり好意的に解釈しているようだ。俺は決してマオのために怒っていたのではない。

前世の古傷のせいで、少し錯乱していただけだ。

だから俺は内心の動揺を抑えつつ、こう言うしかなかった。

「よせ、お前のためにした訳ではない。あくまでもミラルディアとワの秩序を守るため、そして不幸になる人間をこれ以上増やさないためだ。俺は私怨で動くことを許されない身だ、誤解してもらっては困る」

最後のは自分自身への戒めでもある。

マオはそれでもしばらく平伏していたが、ゆっくりと顔を上げる。晴れ晴れとしたいい笑顔だ。

「だからこそ、私はあなたが好きなのですよ、ヴァイト様」

「お前に好かれてもな……」

気まずさのあまり、素直になれない俺だった。